まず、5日には麻布十番富麗華中飯店で「パークアベニューで昼食を」(これはオードリー・ヘプバーンの有名な「ティファニーで昼食を」からもじって勝手に私が命名した恒例の集まり。始まりは元国連O大使夫人を囲んでご夫人だけの昼食会であったが、オランダでの勤務を終えられたO大使が国際しほう裁判所 ICJを退任されて帰国されてからはご夫妻を囲んでの恒例の昼食会になった。2023年の昨年は大使が91才になられた直後ではあったが、卒寿の祝いとして大きなバーステーケーキを用意した。一昨年はコロナの関係で会食は中止したが、皆で卒寿の祝いのメッセージをお送りした経緯がある。そして、今年は92才というご高齢になられたが、相変わらずの淀みないお話し方は健在であった。24名が集い、年ごとに大使ご夫妻への接し方が、皆、次第にゆるやかになごやかになってきていることを感じた。準皇族になられてから何となく、緊張していたようなところがあったのかもしれない。愛子様がご立派に成長されたこともある。この5月に宇都宮で5大学共催で講演をしていただいたことも私達夫婦にとっては特別なことであった。日光清風塾の塾長として夫が企画し、奔走して実現した大イベントである。そして翌日には我が家においでいただき、地元の仲間20人ぐらいが集って、五月日和に恵まれた最高の条件下で午後の一時をすごしていただいたのである。東京の多忙な環境を忘れて、ほんの一時を自然に恵まれた環境で憩っていただいて本当に良かったと思う。私達の人生のハイライトとも言えるイベントであった。
そして10日後の15日には、「41(良い)同期夫人会」が銀座の老舗和食店で開催された。これは私も幹事役の1人としてもう一人の幹事役N夫人と連絡を取りながら実現したものであるが、彼女の質の高い人脈のおかげで、銀座加賀谷に決まった経緯がある。能登半島地震と洪水により、和倉温泉加賀谷が大打撃を受け、しばらく休業となっているが、その救援チャリティーを兼ねた食事会となった。九谷焼の素晴らしい器に盛られた日本料理が器の絵の中に溶け込んだようなまさに芸術作品を目の前に鑑賞してから消化するという、今まで経験したことも無いような食事会であった。出席者は9名で、だんだん参加人数が減ってきているのが気になるところである。話題も、やはり、健康の話が多くなる。面白かったのはスマホをもちながらも、皆さん余り使いこなしていない中で、ライン接続を提案し、グループチャットが開設出来た事である。場所を代えてコーヒーをいただきながら試行錯誤で達成出来た時は皆ハピーであった。年寄りでもやれば出来るという発見があったこと。私はこんな所で仲間の役に立てたことが一寸嬉しかった。
明日は今市文化会館での文化祭に私達petit choeurの出番がある。一曲だけ歌うことになている。「いつかこの海を越えて」 歌詞の確認をしておこう!