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2026年10月24日土曜日

10月に入って ”American Festival for Freedom250 in Nikko"の大プロジェクトが直前に。

 8月23日、9月13日、9月27日とミーテイングを3回重ね、活動を続けているアメフェス実行委員会のメンバーさん達に感謝しながら、我々二人の奮闘がいよいよお尻に火がついてきている。必ずやってよかったと言えるものにしなくてはとの思いが私自身をかなりのプレッシャーで押しつぶそうにする時もあるが、そもそもこういうことがやれている心身の頑丈さをありがたく思うべきかも知れない。18日まであと12日。2週間を切った。今の問題は集客である。思い付いた所へはフライヤーを持ち込み、周知に奔走している。当日の段取りは勿論、直前まで会場設定、音響、舞台準備等々、考えると打ちのめされそうになるが、これを楽しくやるべきという思いとが交錯する毎日である。そして、当日の夜には我が家でディナーということに。そのことも今からどういう風に、時間との戦いとなる当日のシュミレーションをどう描くか。

そんな思いの中、今日はRosemaryの88歳の誕生日を4日後に控えて、彼女へのメッセージを考えた。彼女の存在が如何に大きいか。メッセージを考えていたら今の重圧感から解放された気分になった。

Dear Rosemary

                              October 10th, 2026

Hoping that this message finds you in good shape, I want to send you a very special message for your 88th birthday this year.

            Happy Birthday to you, Rosemary


How have you been? The time passes so quick but the memory of Dick we treasure always stays in our heart. And he is next to you on this special day to cheer you up in the most encouraging way.

 We have been so busy with our volunteer works and now a very big event Masao initiated “American Festival for Freedom250 in Nikko” is just coming in one week.  As facing a lot of difficulties, we still continue to realize our wish to make Nikko an enjoyable place where many people come around and eventually decide to live.

This kind of event could never be realized unless Masao’s endless hope and dream.

I’m trying myself to be a good hand of Masao.

Rosemary, we always think of you and let’s keep our fingers crossed in many ways.

Here attached a flyer for this event which may help you understand the content.

Please take a good care of yourself.   With thousand love, Keiko and Masao.


「American Festival for Freedom250 in Nikko」実施

 「American Festival for Freedom250 in Nikko」がついに本番の日を迎えて

14人の実行委員が動きに動き回って企画を練り上げ、目標に向かって渾身の動きを始めたのは8月23日(日)の第一回アメフェス実行委員会を開催してから。それまで既に後援者名義使用許可書を作成、協賛者への働きかけ等、事前に出来ることは実行に移していた。第二回委員会を9月13日、第三回委員会を9月27日に実施し、いよいよお尻に火がついた。チケット販売に実に苦労があった。しかし、案ずるより産むが安しとはこのこと。目標に向かって歩き、走っていけば何とかなるものと改めて思う。

当日はニコニコ本陣の営業が始まる9時に関係者は現場に集まる。実行委員14人に協力して下さる人達も加わり、20名強の人達も待機。掲示物、食料、ペットボトル、会場設置道具、事務用品、配布物、チケット類、などなど、みんなそれぞれ担当の必要な品々を抱えて緊張が走る。9時前にドアが開き、中に流れ込む。作業の手順の説明に従い、それぞれの担当作業が一斉に始まった。


塾長は自家用車で8時半に日光駅へ米大使館からのSun Shine Isonさんと、通訳の山崎さんを迎えに。Mr.Kamiyamaが娘達(昨日我が家に)を乗せて下今市駅へバビンコイ ネルソンさんをお迎えに。Mr.Kazamaが同じく昨日娘達と来てくれたムナさんと私を乗せて会場へ。この振り分けに何度混乱したことか。

養生シート、机、椅子を舞台下の保管場所から取り出し、男性群が動き回る。女性軍はMs.Fukudaの力作の展示物をあちこちに貼る準備を。スタンドの花が運び込まれて舞台に。東照宮見学を止めて、下今市から娘達と会場に直行したネルソンさんと次女は交流館の控室へ行き、リハーサル開始。時間と睨めっこをしながら、いろいろな動きを見て手伝いをする。予定通りに一行は到着し、会場をチェックした後、昼食の為予約したレストランへ移動。我々も手の空いた人からそれぞれ昼食を取る。

ありがたいことに、開場時間前に会場は整い、受付陣はスタンバイ。我々は来賓の一行を控室に誘導してご挨拶。予約の無い当日来場者数が予想を超えたことに嬉しいさがこみ上げる。

イベントは素晴らしい二人のMCの運びでスタート。スケジュール通りに進む。開会式、音楽交流、講演へと流れて行く。合間のセッティング変更の時間にはMCのMr.KamiyamaとMs.Matsuoが巧みに小話を挟み、聴衆のアテンションを惹きつける。それぞれのプログラムは予定の時間を使ってなされて行ったが、やはり、時間は多少ずれ込む。大成功であったと思う。ビッグサプライズとして事前にシナリオから歌の内容、東京のスタジオを借りてリハーサルをし、公演の流れなどなどす
べてを考えて準備を整えた夫の力量には頭が下がる。次女もネルソンさんと一緒に歌って会場を盛り上げてくれた。楽しんでやってくれたことが何よりである。交流パーティーに入ってから、限られた時間で来場者に挨拶をしたり、一行の様子をチェックしたり、かなり神経を使った。そして5時にMr.Kamiyamaの車で娘達と一足先に帰宅し、急いでディナーのセッティングをする。店から運び込まれた寿司を例の(17,8年前に我が家で森英恵さんをお迎えした時に自分で彫って作った)日光彫のプレート(盆)に載せる。煮物を並べる。お吸い物の準備、と現役時代を思い出しながらの準備であった。

が、予想通りに時間は少しづつずれ込んでいく。交流パーティーに入って一番の失点は自分自身が時間を気にし過ぎて、実際の時間を1時間早回しに勘違いをしでかしたこと。早く帰ってディナーの準備を整えなくてはというあせりの結果であった。逆では無かったことは良かった。夕食会を我が家で開催するため、注文の品を届けてもらうタイミングのことがかなり神経を消耗したようである。

ともあれ、6時前に一行は到着してディナーは始まった。総勢8人。娘達が実に良くやってくれた。雰囲気を明るくしてくれた。ゲストの方達が全員話好きで素晴らしいキャラクターを備え、限られた1時間半だったがかなり親密なお話が出来た。話好きの娘達も大いに感動していた。慌ただしい夕食会ではあったがこういう機会をプログラムに入れた夫のおもてなしの精神は依然として健在である。夕食後は東京へ帰る一行(ネルソンさんと次女)は下今市駅へ、翌日のプログラムのために宿泊するアイソンさんと通訳の山崎さんを霧降のホテルへそれぞれ手分けしてお送りした。

そして、翌日は夫の出身校である今市中学と宇都宮高校、それぞれ午前、午後に全校生徒の前でアイソンさんが快活な雰囲気の中で講演を行い、外交官の生の声を通して国際関係の見識を深めた。質問した生徒にはお土産を渡すというアイディアに会場は一層盛り上がった。素晴らしい生徒たちとの交流となった。「アメリカ250 外交官出張授業」と名付けたこのプロジェクトは国内250校に若い外交官たちが出向いてこうした授業(講演)を今年実施されている。素晴らしいプロジェクトである。

アメリカ大使館からの女性外交官アイソンさんと優秀でチャーミングな通訳さん(Rei)をJR宇都宮駅にお送りし、5時半の電車で無事に帰京されて全て終了。とにかく、無事に、しかもお互いに達成感を持ってこの大イベントが決行できたことに感謝するしかない。天候にも恵まれた。

2026年9月21日月曜日

9月も既に終盤

9月21日 シルバーデイ?

10月18日の日光清風塾手作り大イベントまで 後27日。1か月を切ってしまった。組織で大イベントに挑む秘訣は関係者にいかに動いて貰うか、それも任意団体となると大変難しい。中心となる人がいかに熱意を持ち、説得力があるかに尽きる。モチベーションをいかに掴み取るか、そこには楽しい気持ちが宿ることが必須である。核となるリーダーが身内となると、つい感情が爆発する。今までもそうであったように叱咤されては反発を繰り返し、結局最後まで彼のペースに追従して結果オーライとなるのだが、今回は一寸違う。仲間に大変優秀で有能な方達が加わったこと。目標に向かう過程でそれに助けられ、モチベーションが高められて行くのが分かる。知識も豊富で速効性があり、作業が前向きでどんどん進む。凄く勉強になる。この年になって、改めて学ぶ姿勢を新鮮な気持ちで習得していくのを実
感している。

いよいよ集客に全力投球である。友人、知人にはそれぞれに声かけをし、チラシを置かせてもらったり、でも、何より、体当たりで個人的に話しかけることが一s番。このイベントの魅力発信に力を入れている。今週末には3回目の委員会がある。そこで最終的な準備まとめをすること。

今日は年寄りの日ではなく、シルバー活躍再認識の日。昨晩早々と体調を失して療養中の息子の子どもたちからシルバーデイに寄せてメッセージ(動画)が届いた。大変安堵した。嬉しかった。父親が苦しんでいる中、孫達がこういった気持ちを持ち、元気にそれぞれ(中二、小六)目標に向かって頑張っている様子を動画から見て取れて本当にホッとした。私達も頑張らなくては!

2026年8月31日月曜日

8月31日(月)

 8月31日(月)

酷暑の夏も盆を過ぎた頃から比較的気温が下がる気配があったものの、まだまだup downの繰り返し。そんな中、7月13日にあの大転倒から右臀部から右脚、右足まで内出血に見舞われ、臀部の痛みから座ることも出来なかった夫。良く耐えて1か月を過ぎたあたりから、少しづつ日常スタイルが戻り始めた。そして、今日は、待ちきれなかったゴルフに挑戦。ラインヒルでワンラウンドに挑戦。勇敢にも早朝6時22分ティーオフに宇都宮からの飛ばし屋二人の男性と一緒に何とか回れた。スコアは気にする必要なし。彼等はシングルプレイヤーながら、感じ良く一緒に回ってくれた。

それより、8月は苦しい時期となった。我々の任意団体「日光清風塾」の活動である。アメリカ大使館訪問が先方の意向により、米大が日光に来ることになり、我々がホストとなってイベントを発起。「American Festival for America250 in Nikko」がテーマとなる。塾長の挑戦意欲から次々とアイディアが出て来るのだが、一部の抵抗があったり、私自身、悪いことにいつもネガティブ思考が先行して、数多の問題の壁にぶつかってはストレス満タン。食欲を失い、良い睡眠が取れない。それでも、今までそうであったように、抵抗しながらも説得に負けてしまう。そして、結果はいつもやって良かったという感想になる。今回もそれを信じて食らいついていきつつある状況。そんな中でのゴルフであったが、先程、市から朗報が。日光市が共催してくれることに。これも塾長の手腕。予算問題が一つクリア出来る見通しが出た。ホッ!

もう一つ、息子の入院騒動が重なり、心痛の大きな原因に。数日で退院したものの、今自宅療養中。仕事のストレスが原因だとなると、いつ復帰が叶うか心配である。平素元気印の私だが、しっかりしなくてはと自分を鼓舞することしきり。これは祈るしかない。ただただ祈るしか。

動いていれば何か助けが到来すると信じてLet's go for it!

2026年8月20日木曜日

お盆休みで町田組、市川組別々に来晃

 8月8日から2泊3日で来訪。星太殿は部活が忙しくてdidn't show up.この日は、我々は大野紘平さんの初めての自主企画イベント”Blue Nostalgia in Nikko”がTorchというキャンプ場を舞台に開催されたので、そちらの応援に。このことは既に記録した。町田組は今市の花火大会の方に流れて別々の時間を過ごすことに。タイミング良く、彼らと我々が帰宅したのが殆ど同じタイミングで9時半頃。夕食は出先で食べたような食べないような。チキンと野菜のこってりトマトソースだけを用意しておいた。学校からの短期英国研修旅行に参加して帰国したばかりの明里ちゃんの旅の報告を聴き、イギリス土産のshortbread を貰う。良い経験をした様子。感覚の鋭い彼女の第一印象は自然の違いだったと。ちまちました庭ではなくwildな荒野に強い印象を得たよう。彼女と再従姉弟同士が同学年ということで、甥の娘の子どもたちが遊びに来た。昔と違って走り回ったりはもうしない。スマホを握って時々話をする程度。今時の子どもとなっている。そして3日目は早朝に山旅行に出発。尾瀬やら伊香保やら燧岳とか回ってお盆の時期に町田へ帰還。

そして、第二弾は市川組が家族全員で18日にやってきた。昊粋君は20歳になり、ますます落ち着いて話をするように。もっぱら、夫と宇宙の話。次男坊のサッカー少年は見違えるように、自分をしっかりコントロールするように。何でも御朱印集めに興味を持ち始め、今回は東照宮へ。その前に土沢の夫の実家で甥の孫が誕生したばかりで皆で拝見に行ったところ、彼は赤ちゃんが大好きの様子。じっと傍を離れない。彼の父親と一緒に見つめてあやして寝かしつけてしまった。相当好きと見える。彼等も2泊3日の予定を組んで、温泉に行き、東照宮に行き、帰路大谷石まで行ったそうで、日光に切る前には仙台に行き、息子の大学のキャンパスを見、松島から北上して気仙沼まで。1000㎞以上走った様子。充実した盆休みだったよう。次男坊帰る日の朝早く一人で電車で帰宅。サッカーの練習がある由で、しっかり自分のスケジュールを全うする姿勢が見えた嬉しかった。

彼等が帰る日に重なって悪かったが、私は「楽しみ会」コンペに参加。リフレッシュが必要というより、楽しみなことの一つなので決行。調子はバンカーにつかまり過ぎてしまったが頭の切り替えが出来て良かった。これが終わると日光清風塾の作業が待っている。


2026年8月14日金曜日

8月8日 Blue Nostalgia in Nikko

 

こへまること、大野紘平さん自ら初めて企画した地域活性のための大イベント、Blue Nostalgia in Nikkoに夫と日光清風塾の友人達と参加。結果は大成功。途中で大雨に見舞われ、後半の部分は屋内に移動するはめになったが、それが又逆効果があったと思いたい。日光市民病院の裏手山斜面にTorchというキャンプ場が会場。野外のイベントとして、出店、体験学習、グルメクッキングカーもアレンジされた。驚いたのは地元がこの場所を知らないこと

集客の相当の苦労があり、私達も清風塾会員たちにも周知。ただ、この日は、あちこちで花火大会や、終戦記念として祈りのコンサートなどの他のイベントと重なったことから人数的には予想まで達しなかったが、来場者の満足度は最高であった。とにかく、Blue Nostalgiaのスタッフとアーチスト達、大野紘平(ピアノ&シンガー)、前田健志(尺八&シンガー)、高松亜衣(バイオリン)、山岳戦士オクニッコーマン(ベース、パーカッション)、flute arisa(フルート)の熱情とエネルギーが100%以上の効果で迫りまくり、会場にはち切れんばかりの渦が巻いた。葉加瀬太郎の情熱太陽がそのまんまバンドに乗り移った感があった。そこに、日光清風塾合唱隊の指導者、ソプラノ歌手の石井真由美先生とのコラボが入り、これが、盛り上がりの絶頂を作り上げた。来場者に配布されたBlue Nostalgiaの ネーミングの入ったリストバンドを以後、自分を鼓舞してくれるエネルギー源として嵌めっぱなしで着用している。私のこれからの計算では短い人生を長く活力のある楽しいものにしてくれそうである。

そして、新しい貴重な出会いもあった。オランダで小和田大使ご夫妻とお知り合いになったという日本画の大家、北条正庸(まさつね)ご夫妻である。


このご夫妻とはこの日から5日後、再度日光での別のコンサートで偶然再会。お話が楽しくて、夫が急に帰路我が家にお寄り

いただきたいと提案。快く応じて下さって、結局9時頃まで御食事を共にし、話が楽しく続いた。




2026年8月1日

 2026年8月1日

前日は多摩泊⇒五反田に向かう。唯一の従姉弟(叔父の長男。次男は数年前に逝去)眞一(往年78歳)さんの葬儀に参列するため。突然の訃報に驚き、生前には叔父叔母が健在の頃、調布の家でお会いしたもので、叔父が10年近く前に亡くなった時葬儀場で会ったのが最後。叔母はコロナの時に亡くなり、葬儀は密葬で参列出来なかった。繋がりは強いものの、縁は薄かった。しかし、唯一の従姉弟なので、東京界隈に住む、次兄の子どもたちに声をかけて彼等も参列の運びに。

淋しい気持ちを抱えながら葬儀場に向かったものの、今回は珍道中となり、淋しさを味わうどころか、それが吹き飛ぶような顛末になったことを記録しておこう。

五反田でJRから東急に乗り換えて一駅目だと事前に生花を手配した花屋からのインフォメーションを確認しないまま行動したのが事の始まり。五反田の駅のトイレで、汗びっしょりになりながら、平服を喪服に着替え、靴もヒールのものに履き替えた。そして電車に飛び乗った。😥ところが一駅目の駅の名前が違う!「不動前」ではない。考える間もなく、飛び降りた。そして駅員に尋ねたらそんな駅はこの路線には無いと。一瞬パニックに。目的地に行く方法を駅員が検索。駅前から渋谷行きのバスが出ているから、そのバス路線に『不動前』があることが判明。あわてて炎天下のバス停へ。バスはすぐ来た!神様は手を差し伸べてくれた、が、そのバス停で降りてからが大変。道行く人に訊いてもはっきりしない。タクシーは今どき捕まえられない。スマホでGO タクシーを呼ぶシステム。それも面倒。アナログ人間丸出しで、根気よく、キャリーバッグをごろごろ道連れに、出会う人ごとに尋ねながら、それでも、何とか目的地にたどり着いた。予定より30分遅れたので葬儀は既に始まっている時間。

ここからが落語の世界に突入。葬儀場はお寺というより、近代的建築のマンション風。各階に部屋が仕切られている。結婚式場の如く、~部屋、~部屋、と部屋が並んでいる。会葬案内のFaxを取り出してチェック。『雲』と書かれている。1階の目の前にその名はあった。スタッフに案内されて唯一空いていた一番前の席に。お経は真っ最中であった。汗びっしょりのまま着席して安堵した。そして、やおら、祭壇を観たら、ご遺影が別人! 自分を疑った。えっ? 自分の目は間違っていないと確信して、すぐ又立ち上がって頭を低くして部屋を出た。何食わぬ顔を装いながら。出て、確認したら、『雲』には、1と2があった。目的地は隣であった。中に入れなくて部屋の外の参列者たちの中に、甥、姪たち3人が心配そうに私を待っていてくれた。ヤーレヤレ!! 顛末を話すにもお経真っ最中の静けさの中では笑えない。こらえてこらえお経が終わって成り行きを話したら、みんな口を閉じてお腹を抱えて!!

ともあれ、無事に喪主ともご挨拶出来本当に安堵した。用があって甥は会葬の後すぐに帰って行ったが、姪たちと最後までお食事も一緒に出来て今日の珍道中をしっかり理解してくれた。彼女達とは頻繁に連絡を取り合う中なので、厳粛なお葬式を一緒シェアし、珍道中には笑いながらも同情し、半時間くらいヒールを履いて炎天下を歩き回ったことを労り、無事に参列出来た事を喜んでくれた。帰路は、彼女達の車で浅草まで送ってくれて本当に助かった。

1人になった駅でも珍事が。切符を買った窓口に彼女達から貰ったお土産と会葬のお返しの品を入れた紙袋を置き忘れたことに発車時間10分前に気づくという失敗劇をやったこと。これもしっかり保管されていたので無事取り戻すことが出来た。終わり良ければ全て良し。