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2026年3月25日水曜日

3月は予期に反して忙しい月となった。

 March turned out to be rather hectic this year.

Mondays are all occupied by either choir practice in the croup or personal golf. Except Fridays for my EECC , Tuesdays, Wednesdays, Thursdays  are to be free  so as to be  flexibly adjusted according to irregular happenings or meetings. 

今月はユネスコ協会の環境調査モニタリング作業や理事会、月例楽しみ会(G)、の他にスキー初すべりの為に東大の一年生が来訪して翌日は夫とスキーへ、更に毎年恒例のNY会参加の為に麻布十番まで夫と出かけて来た。O大使ご夫妻時代に国連代表部に勤務していた人達の集まりだが、平成3年~10年の間でO大使の下で勤務した経験者の集いとなっている。我々はH5年~H8年に着任しているので既に30年余りが経過している。99%がOBになっているので今回も集まると加齢と健康の話が主になる。体調を崩したり、どこか怪我をしたりの身ながら、それぞれ、残りの人生を豊かなもにとの高貴な思いを持ちながら励んでいる様子が伺えて、元気が貰える会合となる。何よりもコアのO大使ご夫妻が病気や大手術を乗り越えられて未だに海外にも講演などで出向いておられることに大きな励みと勇気をいただいている。

高貴と言えば、夫と同期のMr.Otsukaの活動を思い出す。年齢が80歳以上、最高齢は90というメンバーで結成されたバンド、その名も「高貴幸麗者バンド」が国立中心に活動を続けているというお話。テレビ出演を実際に見て、驚嘆した。年末にはサントリーホールでの公演が決まっている由。音楽の力は相当だと改めて思う。我々の子どもたちが音楽を愛する人間になっていることに改めて勇気をづけられる。今週末(28日)に娘達(次女がボーカル、長女がピアノ)が中心になって市川で初ライブをやる。大変楽しみにしているところである。

先日イギリスのマスコット、「パディントン」の話をある民放で偶然見た。現鈴木宏イギリス大使ご夫妻がかならずこのマスコットを抱えて、素晴らしい笑顔であちこち訪問されているという。形式高き外交の世界で、庶民的に温かい振る舞いで英国民に接しておられる様子を拝見して、庶民外交的ながら、真にその土地の人々と仲良く交流される姿に思わず拍手喝采であった。それ以来、「パディントン」ベアに注目するようになった。イギリスの大宣伝となる。

今月は一つ力を貰ったことが。楽しみかいゴルフコンペでぶっちぎり優勝を果たしたこと。新参者で高いハンディーをいただいていたお陰。しかも高齢者のグループなので男性はゴールドから、女性はピンクティーからというのもある。それでもグロスで94、ネットで65だから私としては上出来であった。次回はハンディーを下げられるので優勝は不可能となるだろう。まだ、足腰が健在なのが何よりありがたい。でも頑張り続けたい。

2026年3月11日水曜日

ミラノ・コルティナ冬季オリンピックは感動の連続

2月は冬季オリンピックが最高に楽しめた。

 2月8日に奥日光で昨年同様、在京ノルウェー大使母子のご参加を得て、日光清風塾が主催したクロカン大会の事は既に記録済み。丁度冬季オリンピック開催中にぶつけてのイベント企画としてグッドタイミングであった。そのオリンピックで日本は若者が大活躍をした。スノウボード スロープスタイル、ビッグエア、ハーフパイプ、モーグル、という大怪我と背中合わせの競技で4個の金メダルをはじめ、多くの銀、銅メダルを獲得。その後フィギュアスケートのペアで三浦璃来、木原龍一組が日本人として初めての金を獲得した。彼等のパフォーマンスは例を見ない涙の逆転劇であったことが感動を呼んだ。ショートで5位と出遅れたのを彼女が涙に消沈した彼を励まし、見事にフリーで復活、大逆転、しかも有史最高の得点を取得しての最高の金メダルに輝いたのである。最後まで諦めないという精神力の勝利をこれほど見事に証明してくれた演技に世界中が絶賛した。忘れられないオリンピックとなった。

1月22日に痛めた右脇腹の治療に地元の病院に行ったものの、夫の勧めもあり、推薦状を作成して貰って2月17日に虎ノ門まで出かけた。しかし、ここでもはっきり原因がつかめず(加齢によるとの診断)それでもしっかり検査を要求。3月31日にMRIを撮ることに。・・痛みは殆ど無くなってきているのでキャンセルを考えているところ。


2026年2月11日水曜日

ノルウェー大使参加クロスカントリー大会(2026)

 2月8日(日)

昨年から企画準備してきた『ノルウェー大使参加クロスカントリー大会』は実は昨年2月に続いて2回目。昨年の教訓から、早めに大使館、商工会議所と連絡しながら準備を進めてきたが、結果的には、ノルウェー人の参加者は大使と大使の令嬢二人のみとなった。ただ、県に働きかけたおかげで今回は栃木県スキー連盟の協賛を得ることは出来、内容が充実したものになった。東京からの参加者に加えて、当日ホテルで出会った人達の参加があったこともあり、昨年より多く参加者(競技参加者は25人、応援家族、事務方が11名)を得ることが出来た。

前日までは雪不足の天気で本当に競技が出来るだろうかという心配があった。雨乞いならぬ、雪乞いをし、神様、仏様、に拝んだ甲斐があり、前日の夜から本当に雪が降り始めた。当日の朝は雪かきをするほどに。実に恵みの天候に一転。ますは、最初の関門を通過した思いだった。だが、雪道となったいろは坂が第二の関門。のろのろ運転で、神経を使ったがこれもうまく行った。前日にキーボード、賞品など、荷物を運んでおいてことは実に正解であった。

イグルム大使とエミリーには一年振りで再会。明るく、親しみのある大使には本当にありがたく、ハグを重ねていよいよイベントのスタートとなった。私は腰の不具合もあって競技には参加せず、事務方に専念。今回は衆議院の選挙と重なって、頼りにしていた仲間が参加出来ず、事務局長とピアノ伴奏をして下さる福田さんと私の3人が受付やら、会場の準備やら、大忙しであった。スケジュールに沿ってプログラムが運ぶよう神経を使いながら時計とにらめっこ。更に、市長の来訪時間が競技終了前の15分となって、うまく大使との出会いが行くかが心配だった。しかし、何でも、やってみるもの。不可能だと懸念したことも神は味方になってくれる。市長とのコミュニケーションの時間も何とか取れて、ギフト贈呈の写真撮りも出来て、やれやれであった。メディア関係は選挙戦と重なって現場には来れなかったが、こちらで記録を取って送ることが出来た。後日、カバーしてくれることを願っている。

競技の方は、栃木県スキー連盟の方々のおかげで、内容あるものとなり、競技会にふさわしい賞品の贈呈も出来た。上級とビギナーのコースに分けて、それぞれ賞にふさわしい競技者を選んでもらって、表彰式も形になり、その後の親睦昼食会へと流れていった。予定通り、事務う局長にMCをやって頂き、それを助けて松尾副理事長の慣れた会場の進め方には感謝するしかない。私にはとても出来ない部分を支えて貰って何とかプログラムを全う出来た。

何と言っても、大使のお人柄のおかげで、表彰式、昼食会は楽しい雰囲気の中で進行し、参加者もどんどん大使の所に寄ってきて、コミュニケーションを図り、写真撮影をし、会場は大いに盛り上がった。参加賞に三本松茶屋からのオリジナル黒ビールを用意したことは大正解であった。鶴巻さんに感謝です。スキー学校校長であり、スキー連盟の副会長である小林さんの存在も大きかった。こういった人脈を得て企画に努力した夫には頭を下げるしかない。

次から次といろいいろなアイディアを出す夫にネガティブに対応する私との間の衝突は必ずある。今までずっとその繰り返しであるが、終わってみるとやって良かったというのが私の思いであり、降参したわが身の姿である。年齢を重ねる中で、この状態がいつまで続くかいささか自信が持てないのが正直なところである。

とにかく、今回も終わり良ければ全て良しとなった。サポートして下さった方々に感謝致します。





2026年1月30日金曜日

1月27日(火)麗しの越中島レイディーズ

 1月27日(火)

寒くなった矢先、今日は幸運にも日中は小春日のようなお天気に恵まれた。久しぶりに越中島三羽ウグイスが湯島天神に集った。体調を崩していた才子さんが元気復活したというので、啓子さんの発案でならばお喋りをしようということに。健康祈願をと神田明神を選び、近場のレストラン選びから、湯島天神の梅を愛でに行く計画が立てられた。

日中はこの寒い日々では信じがたいほど小春日和の天気に恵まれ、十分時間んを取りながらの境内散策が出来た。湯島天満宮ではますます知恵がつくように祈り、神田明神では健康祈願を徹底的に祈った。才子さんは特に健康志向が強かったよう。神田明神では「あかり」と名付けられた神馬が飼育されている。今日は運悪くお出かけのようで姿は無かったが、前日に下見をしていた啓子さんが、ばっちり写真を撮って下さっていたので、それを孫No4の明里に送ってあげた。何かいいことがありますように。

そんなわけで、都心の二つの神社にお参りして近場の食事処で和食を楽しみ、その後御茶ノ水JR駅まで散策。文京区のど真ん中にあって教育機関がわんさとあることを改めて知った。医科歯科大学、合併した東京科学大学があり、順天堂大学あり、元東京大学もあった。湯島聖堂の敷地がそれらを飲み込んでいる。なるほど、明治の文化人達はここから続出したのだろう。旧岩崎邸庭園もある。北千住から近い。千代田線一本で来れる所。いつか又来てみよう。啓子さんはボランティアガイドをしていて、この界隈に詳しいのがありがたかった。

 


2026年1月29日木曜日

途方もなく悲しい知らせ

 とうとうこの日が現実の事になってしまった。

長らく闘病していたアメリカの親友Dickが昨年7月にコロナに感染したのがきっかけで一層体調を崩し、心臓疾患と戦い続け、妻のRosemaryに支えられながらリハビリに頑張ってきていたが、今年に入って2週間後の15日に亡くなったという知らせが彼女から届いた。Dickがそのキャリアと人間的にもいかに優れた人であったかを称えるObituary(新聞死亡記事)も添えてあった。

With a heart full of deepest sorrow and grief, I write to tell you that Dick passed away on January 15 of heart failure. He was peaceful, at home and in my arms.

最期の5分前までは話が出来ていたそうである。彼女の短い文章から絶大な悲しみが伝わり彼女へのお悔やみの言葉もまとまりいのないものになったがすぐ書いて送った。半世紀以上に亘って家族ぐるみでお世話になったKoflerさんご夫妻である。夫、子供達にも悲報を伝えた。彼等もそれぞれにお悔やみのメールを送ってくれた。更に娘達はボーカルとピアノのコラボであのBette Midlerによる”Rose”を編集し、Rosemary に送るという思いがけない最高の贈り物をしてくれた。Rosemaryともども私も感涙した。

1967年9月~1969年5月までマサチューセッツ州アマーストのUMassに留学した2年間、彼らの家にホームステイしたのが全ての始まりである。1969年5月に私達はカナダで結婚。その後、夫の仕事の関係で海外と国内で交互に暮し、ニューヨークに勤務した時には2回とも子供達ともども彼らと交流出来た。最期の海外勤務地となったオスロにはすでにDickはリタイアしていた関係で時間を作って私達の所に来てくれた。私達が現役を終えて日光に暮し始めて3年後の2009年4月には日光迄訪れてくれた。

想い出は尽きない。家族史にも書いたように、私の人生を見る目、生き方に大きく影響を与えてくれた最愛、無二の親友である。彼は物理学者であり、ヒューマニストであり、音楽を愛する文化人であった。スキーにも興じていた。人間を愛し、自然を愛し、宇宙を愛した人である。

家族同様でもあった私たちの交流がこんなに深い絆になっていたことを改めて思い、共にシェアした人生経験を思い起こしている自分が何か別の境地にステップアウトしたような気がしている。

今、集大成を試みている家族史の終盤「その後の歩み」を今年こそ仕上げなくてとの思いが強くなってきている。

2026年1月16日金曜日

1月15日 初プレイ

 2026年の目標の一つ、それは大好きなゴルフのスコアを伸ばすこと。70代までは100を切っていたのに、加齢のせいにして最近100がなかなか切れない。常に100は切れるように、今年こそとの思いで、実は既に1月5日 夫と二人でプレイしている。初プレイ❣と意気込んで出かけたが二人だと緊張感に欠けるのか、なかなかうまく行かない。ダボペースで終わってしっまった。夫も同じ目標を立てたよう。

そんな中、今日は「たのしみ会」という長年続いているグループに入れて貰った。好子さんの紹介で20数名はいるグループで最高年齢が94歳だという。女性も4,5人いるとのことだが今回は、その好子さんも他の女性も体調不良や不都合で欠席。女性は新参者の私一人であった。総勢13名。それでも4グループ成立していて、やはり緊張感があった。ゴールドからスタートする人ばかりだから高齢者である。私はそれでピンクでは無く赤からスタート。ボギー、ボギーでスタートしたのでもしかして、と期待したが、そこがゴルフ。アップ、ダウンの繰り返しで上がってみたら、ダボペースに終わってしまった(55+52)。夫はいつもより調子が良くて見事に100を切った(50+49)。しかし、数日前の大雪には関係なくJGM宇都宮CCは山岳コースで美しい。藤棚が多く、シーズンはさぞ美しいだろうと想像できる。グリーンはアンドゥレーションが多く、フェアウエーはバンカーが多く、易しいコースとは言えないが、好天気下で十分楽しめた。ニヤピンが一つとれただけでも良しとしよう。

1月15日は長男の誕生日。記念すべき日に、ゴルフで楽しめたことに感謝。

2026年1月2日金曜日

2026年(令和8年)の始まり

 令和8年の幕開け

元日には佐野大師あたりへ出かけようかとも思ったがゆっくりした元日になって、結局近場の東照宮に初詣。恒例のルートで、東照宮と二荒山に詣で、健康祈願を第一に祈ってきました。今年の目標は体重を減らすことと宣言した夫は、境内の出店を見るや、そちらの方に目を奪われて、たこ焼き?イカ焼き?と物色を始める。今年最初の戒めがそこになるとは!?何も買わないで、破魔矢だけゲットして事なきを得たことは成功だった。とにかく、家族の健康を第一に祈願して真っすぐ返り、配達された年賀状を見る。大分少なくなってきている。年賀状は止めたという人が増えてきているのに加え、ラインで挨拶する人も増えてきている。やはり、日本の風習は捨てがたいものがある。とはいえ、我々も出したのは半数ぐらいに。だんだん消えていくことだろう。今年は夫の
干支である。難を蹴飛ばして、難しい年を難なく乗り超えていけますように祈ります。
何の鳥だろう?元日の出窓に居心地良さそうにじっと佇む野鳥。何だか平和な空気が漂っていていい予感がした。