〇先ず、15日(土)夫の誘いに乗って宇都宮から中国人留学生3人が日帰りでスキーに日光へ。駅まで夫が迎えに行って、そのまま鬼怒川温泉のシャトルバス停留場まで直行。そこからバスでエーデルバイスへ。5時前に我が家に到着。カレーを食べて貰って7時過ぎの電車で宇都宮へ帰って行った。初めて雪を見た学生もいる。中国人は雪への憧れがあるらしい。皆、楽しかったと異口同音に言う。ただ、今回はその後夜遅くになって、一人から家の鍵をスキー場で紛失したとの連絡が。その日はどうすることも出来ず、翌日、スキー場に連絡したら、スキー用具レンタル場にあったという。彼は、我々に遠慮してか、自分で電車で鬼怒川まで行き、そこから、スキー場まで歩いて行った由。驚いた。帰りは運よくシャトルバスに乗せて貰えたそうだが、3時間はかかったに違いない。初めてのスキーに加えて、大変な経験をしたことになる。鍵がレンタル場で見つかったのは本当にラッキーというしかない。もし、ゲレンデで無くしていたら、是帯に見つからなかっただろう。
〇そして翌週末には正成が4年振りで帰省した。2021年のGWを最後に、今まで内に秘めていた不満が大爆発をしてしばらく無縁状態に。しかし、内情は二人とも病気に因があったと理解。彼は我々とお嫁さんの間に合って、うまく立ち回ることが出来なかった。普通に、自然体のままで我々は一貫してきた。責めも折れもせず。毅然と。自然体のままでしかやってられない自分にずっと向き合って自問自答してきたが、今回、彼が良く勇気を出して一人ではあったがよく我々の所に戻ってきてくれたと半分安堵。彼の長女孫No3が希望の中学を受験して無事合格したことが親の気持ちをほぐし、安堵させたことが大きい。孫達もそれなりに成長してきていて親の状況を感じ取り、心を痛めているに違いないが、いずれ、又良い時が来ることを信じている。まだ、そっとしておく時間が必要であるし、こういったことは時間がかかることだろう。ただ、親が逝った後にならないことを願う。
〇続いて、23日(日)の夕方には東大生3人(ミヤンマー人、日本人2人)が来訪。日光駅からレンタカーでやってきて、翌日は夫と共に、免許とりたての松本君が勇敢にも運転してエーデルバイスへ。好天気下で松本君意外の二人は人生初滑りに挑戦。彼等は優秀で真面目な学生揃い。少なくとも私の大学生時代とは雰囲気が大違い。将来を見据えて勉学に勤しむ若者だ。とにかく、夫のエネルギッシュな誘導で文武両道に励む姿勢が見えた。しかも3人ともイケメン揃い。ミヤンマーのモーチャン(名前が可愛い。ニックネームではないのだ)は横浜出身。日本生まれで国籍も日本人。親はミヤンマー人。ミヤンマー語も話す。松本欧介君は千葉出身で何回も我が家を訪れている常連大学生。今度3年生だが、2年の時に既に国家公務員試験に受かっている。外交官を目指しているとのこと。もう一人は土田君。多摩地区の学生で野球が強い福島の聖光学院と同じ名前の東京にある私立の進学校出身。とにかく、皆良く話す。刺激を与えられて、この年で、どう反応したらよいか。羨ましいとも思う。
〇そして26日からは娘たちの家族が一部重なりながらやってきた。町田組も市川組も今春から孫、No1とNo2が新大学生に。一人は東北大の宇宙工学部へ。もう一人は成城高校からそのまま大学へ進級。さらにNo2の妹孫No4は受験して青山中学に進学。かなりの難関で、小3からサピックスに通っていた。厳しい塾。良く通い続けられたと親も白状。相当親子で厳しい時期を乗り越えたことが今回話をしてよくわかった。自分自身の経験を思い出しながらも、時代の移り変わりから状況も大分異なり、今の幼い子供たちはだんだん大変な世界に押し込められてきていることを嘆かずにはいられない。でも、負けてはならない。それも、長い人生の節目で、必要な試練となり、かならず、将来役に立つことがあると信じたい。
娘はありがたい。優しいし、心配りが出来る。私たちの今後のことを心配してくれていることもわかる。具体的な話は出来ていないが、お互いに、心の中に、これからの事はしっかり話し合うべきという共通認識は確認出来た。次女は彼女の長男を今回大学進学のため、仙台に行かせたが、日光の我が家で家族が集合してお祝いのフィーストをやり、賑やかに語り、一晩寝食を共にして、孫No1を皆で父親が運転する車で仙台に向かうのを見送ることが出来た。華やかに、一寸淋しく、でも、元気よくエールを送りながら送り出すことが出来た。娘は寂しいさがこみ上げているようだったが、まだ、下に次男(新中学生)、小2になる里子ちゃんいる。待ったなして現実の生活が待っている。一つの大きな節目をみんなでシェア出来たことを大変喜んでいた。