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2025年3月29日土曜日

3月後半は大忙し

 〇先ず、15日(土)夫の誘いに乗って宇都宮から中国人留学生3人が日帰りでスキーに日光へ。駅まで夫が迎えに行って、そのまま鬼怒川温泉のシャトルバス停留場まで直行。そこからバスでエーデルバイスへ。5時前に我が家に到着。カレーを食べて貰って7時過ぎの電車で宇都宮へ帰って行った。初めて雪を見た学生もいる。中国人は雪への憧れがあるらしい。皆、楽しかったと異口同音に言う。ただ、今回はその後夜遅くになって、一人から家の鍵をスキー場で紛失したとの連絡が。その日はどうすることも出来ず、翌日、スキー場に連絡したら、スキー用具レンタル場にあったという。彼は、我々に遠慮してか、自分で電車で鬼怒川まで行き、そこから、スキー場まで歩いて行った由。驚いた。帰りは運よくシャトルバスに乗せて貰えたそうだが、3時間はかかったに違いない。初めてのスキーに加えて、大変な経験をしたことになる。鍵がレンタル場で見つかったのは本当にラッキーというしかない。もし、ゲレンデで無くしていたら、是帯に見つからなかっただろう。

〇そして翌週末には正成が4年振りで帰省した。2021年のGWを最後に、今まで内に秘めていた不満が大爆発をしてしばらく無縁状態に。しかし、内情は二人とも病気に因があったと理解。彼は我々とお嫁さんの間に合って、うまく立ち回ることが出来なかった。普通に、自然体のままで我々は一貫してきた。責めも折れもせず。毅然と。自然体のままでしかやってられない自分にずっと向き合って自問自答してきたが、今回、彼が良く勇気を出して一人ではあったがよく我々の所に戻ってきてくれたと半分安堵。彼の長女孫No3が希望の中学を受験して無事合格したことが親の気持ちをほぐし、安堵させたことが大きい。孫達もそれなりに成長してきていて親の状況を感じ取り、心を痛めているに違いないが、いずれ、又良い時が来ることを信じている。まだ、そっとしておく時間が必要であるし、こういったことは時間がかかることだろう。ただ、親が逝った後にならないことを願う。

〇続いて、23日(日)の夕方には東大生3人(ミヤンマー人、日本人2人)が来訪。日光駅からレンタカーでやってきて、翌日は夫と共に、免許とりたての松本君が勇敢にも運転してエーデルバイスへ。好天気下で松本君意外の二人は人生初滑りに挑戦。彼等は優秀で真面目な学生揃い。少なくとも私の大学生時代とは雰囲気が大違い。将来を見据えて勉学に勤しむ若者だ。とにかく、夫のエネルギッシュな誘導で文武両道に励む姿勢が見えた。しかも3人ともイケメン揃い。ミヤンマーのモーチャン(名前が可愛い。ニックネームではないのだ)は横浜出身。日本生まれで国籍も日本人。親はミヤンマー人。ミヤンマー語も話す。松本欧介君は千葉出身で何回も我が家を訪れている常連大学生。今度3年生だが、2年の時に既に国家公務員試験に受かっている。外交官を目指しているとのこと。もう一人は土田君。多摩地区の学生で野球が強い福島の聖光学院と同じ名前の東京にある私立の進学校出身。とにかく、皆良く話す。刺激を与えられて、この年で、どう反応したらよいか。羨ましいとも思う。

〇そして26日からは娘たちの家族が一部重なりながらやってきた。町田組も市川組も今春から孫、No1とNo2が新大学生に。一人は東北大の宇宙工学部へ。もう一人は成城高校からそのまま大学へ進級。さらにNo2の妹孫No4は受験して青山中学に進学。かなりの難関で、小3からサピックスに通っていた。厳しい塾。良く通い続けられたと親も白状。相当親子で厳しい時期を乗り越えたことが今回話をしてよくわかった。自分自身の経験を思い出しながらも、時代の移り変わりから状況も大分異なり、今の幼い子供たちはだんだん大変な世界に押し込められてきていることを嘆かずにはいられない。でも、負けてはならない。それも、長い人生の節目で、必要な試練となり、かならず、将来役に立つことがあると信じたい。

娘はありがたい。優しいし、心配りが出来る。私たちの今後のことを心配してくれていることもわかる。具体的な話は出来ていないが、お互いに、心の中に、これからの事はしっかり話し合うべきという共通認識は確認出来た。次女は彼女の長男を今回大学進学のため、仙台に行かせたが、日光の我が家で家族が集合してお祝いのフィーストをやり、賑やかに語り、一晩寝食を共にして、孫No1を皆で父親が運転する車で仙台に向かうのを見送ることが出来た。華やかに、一寸淋しく、でも、元気よくエールを送りながら送り出すことが出来た。娘は寂しいさがこみ上げているようだったが、まだ、下に次男(新中学生)、小2になる里子ちゃんいる。待ったなして現実の生活が待っている。一つの大きな節目をみんなでシェア出来たことを大変喜んでいた。


2025年3月15日土曜日

3月7日(金)Lunch at Tango nearby the temporary Norwegian Embassy

 

3月7日(金)小春日和に恵まれた今日の良き日になつかしい東京タワーの目の前のTangoというレストランへ。前日には日仏文化協会汐留ホールにて現代のノルウェーが誇るピアニストChristian Grovlen が初来日した機会に、彼のピアノコンサートが開催され、2月の日光清風塾が主催した【ノウェー大使とともに冬の日光を楽しもう】大イベントの流れで、Iglum大使よりグリーグ協会へのお声かけで、私達もこのコンサートに招かれ、久しぶりでこの汐留ホールに向かった。以前、紘平君のコンサートの時に迷いに迷って1時間近く遅れて到着したトラウマが今回も襲った。かなり時間の余裕を見て出かけたものの、結局ジャストインタイム状態。それでも遅れなかったことは不幸中の幸い。

Grovlen氏のピアノは凄かった。繊細で、パワフルなタッチ、特に和音の響きが素晴らしかった。氏は、Edvard Grieg Museum "Troldhaugen"のDirector であり、Grieg International Piano CompetitionのDirectorでもあり、まだ50代に見える新鋭鬼才。お人柄も穏やかそうで今後注目したいピアニストであった。Grieg の抒情小品集第8集作品65「トロルハウゲンの婚礼の日」は圧巻だった。(なじみのメロディーは親しみ易い)

そして翌日の7日、多摩からそぞろ歩きでランチの約束のTangoへ。好天気に恵まれて、多摩からは富士山が美しく眺められた。そして目的地の最寄り駅、神谷町の駅から地上に」出たら、」早咲きの河津桜が見事に開花していたのに出くわした。当然ながら道行く人はスマホをかざす。さて、Tangoレストランは目下ノルウェーの臨時大使館の並びに合って大変わかりやすかった。本来の大使館は六本木の筈。リニューアルをしている最中とのこと。このレストランは立地条件が良い。ロビーには本物の開花した桜の大きな枝が飾られていた。Iglum大使とノルウェー商工会議所の幹部のLarchlen氏と我々の4人の会食。Iglum大使はしきりに日光での我々のおもてなしと企画のお礼を重ねられ、来年はクロカン大会を盛大にやりましょうという話に。Larchlen氏も企画を早く立てて、早めの周知が必要ということをしきりに強調されていた。ノルウェー人はもれなくスキーヤーである。出だしを遅れないよう、しっかり計画を立てなくてはならない。楽しみである。

食後は1970年の大阪万博の時、カナダ大使館から大使秘書だったブシャードさんが定年退職のおり、大使館からのお礼として日本を訪問する機会を得、我々が東京を案内したことがある。もう半世紀以上前になる。その後、JICAのコーディネーターの仕事で研修員を引率してきたことがあるが、東京タワーは何せ久しぶりだったので夫と二人で登って見た。観光客は多い。広くて大きくて高いスカイツリーよりこちらが好感が持てる気がする。ゆっくり一時を過ごし、帰路につぃた。普段とは異なるスケジュールに、体も少々疲れたが、南栗橋から乗ったローカル線に思わず笑顔が。栃木のいちごのPR電車に乗ったのであった。ベーリーグッドトレイン❣

2025年3月4日火曜日

3月2日(日)水を得た魚はピチピチ輝いていました。

 3月2日(日)初ライブを決行!

次女は小さい時から歌が好きで、椅子の上であろうと、テーブルの上であろうと、歌が歌える雰囲気になると進み出て歌って踊っていた三つ子の魂はやはり健在であった。大学に進む頃も歌の道を選びそうになったこともあったが、いろいろな事情で音楽を前に出す道は断念。普通に社会人になり、結婚し、子育てをやり、長男の大学進学が決定し、次男はそのまま中学へ進学するタイミングで、ついに外に向かって歌を歌いたいという願望の突破口がこの初ライブという形で実現した。英語のカバー曲、ウイットに―ヒューストン、カーペンターズなどの歌が歌えて作詞作曲もやる。シンガーソングライターの域にも入っている。人前でのパフォーマンスも慣れている。これは我が家での接宴の時の経験が生かされている。というわけで、今回の初ライブを手掛けるにあたり、企画、仲間の召集(これはこの数年、コロナの時期からナナという音楽アプリを見つけ、そのサイトでコラボ仲間を増やしてついに顔が見える仲間として同志が一堂に集結)、準備、運営、と一手に手掛けた。こまかい気遣いもある。姉をピアノ担当して引き込み、アシスタント的というより相談相手になって貰っている。何より、仲間達とも楽しく、笑いの中で進行し、まさに親交を深めていることに好感が持てる。親としても感動させられウルウル状態になってしまう程の明るさ、爽やかさがあった。2日間のプログラムであった。最初は職場仲間(英語教師仲間)を迎え、二日目は一般を迎えて。口コミでの案内。これが段々周知されて輪が広がって歌声が響き渡ることを願いながら、余韻を楽しみながら帰路についた。お天気も春のような陽気に恵まれ、私自身、地元での大きなイベントを終えてストレスから解放されたところだったので、最高の一日となった。




2025年2月24日月曜日

【ノルウェー大使とともに冬の日光を楽しもう】

 2025年2月22日(土)、23日(日)

正味1か月が準備期間となったこの大イベントがここまで盛り上がる結果になるとは当初の不安と心配だった状況を考えると、天と地のこの違いに、この達成感と安堵感は正に神さまからの贈り物だったのだろう。神棚に祈ることを毎日思いながらも、体を使って動き回ることに気をとられて、本当に神棚に向かって手を合わせて祈ったのは1回だけ。でも、心身が祈りを続け、走り回ったことが真の祈りとなり、集中して作業が出来たことが全てを語るといえる。京都下賀茂の河合神社のお札(夫が京都で十数年前に散策する機会があった時、偶然この神社を見つけ、名前にあやかって我が家の神棚に祭っている)が我々を見守ってくれたような気がする。

回の作業で見えた事。それは関係者間の進捗状況の共有である。夫のイニシャチブで始まったこの企画はその大目標の達成という責任感が全てを動かした。今までもそうであったように、これまでの多くの企画をプレッシャーとストレスを抱えながらも乗り越えては、頑張ってやって良かった!という思いの繰り返しであった。一緒に動いて下さった方々との間にあって私の役目は夫の目標へのサポート作業であり、その潤滑油を塗った橋渡しになることであり、今回はめげずにそれが機能したのだろう。同じ方向を向いた仲間の団結が力を発揮した結果、大輪の花が咲いたと言える。

さて、本番当日の歓迎コンサートとノルウェー大使の講演。一番緊張が高まる日であったが、まず、事前の昼食会で初めてお会いして、そのやさしい、快活なお人柄に触れて、その緊張感は和らいだ。同伴された令嬢、オスロ大学のマスターコース2年目で修士論文を作成中だという。今回も作成中の論文を抱えての東京に赴任している両親を訪問中とのこと。こうして母親に同伴して、その明るくて可愛い(身長はさすがノルウェー人)雰囲気が空気を和ませ、大いに親しみ易く会話も弾み助けられた。講演では逐次通訳をやる以上、その呼吸合わせが必要と思っていたので、タイミングを捉えて原稿を前に打ち合わせも出来た。講演会場は田母澤旧御用邸記念公園研修ホール。時間が無いスケジュールだったので昼食はすぐ近くの蕎麦屋さんを選んだが、内容は別として、場所はベストだったと思う。彼等は金谷ホテルから朝は山内を散策、そのままこの蕎麦屋まで歩いて見えた。
さすがノルウェー人である。

いよいよ会場へ。まず、小一時間夫が田母澤御用邸内を案内。その間、私はホールに入り、会場の設営や受付のチェックをしながら仲間とコミュニケーションを取る時間があってホットする。会場設営は見事に整えられていた。80名の集客予想が100名に達し、補充の椅子の用意なども準備。1時45分頃、一行がホールに到着。それまでに殆どの参加者は椅子に座って、用意されたノルウェーの映像とBGにはペールギュントを流して待機。夫が
先に会場に入って招待客に挨拶。その間私は大使と令嬢に用意されたお茶を。そして5分前に会場入り。いよいよスタートとなる。

あとは入念に用意されたMCマニュアルに沿って、流美子さんが見事に指揮って下さった。ご主人が器機を自ら担当して下さり、福田ご夫妻の絶大なご協力があったからこその大盛況なる結果となったと言える。

逐次通訳も何とか、とにかく日本語をしっかり分かり易いように言わなければとの思いは忘れずに出来たと思う。続く講演後のQR時間にも立ち会って、和やかな雰囲気の中で出来た事が一番良かったのではないかと振り返って思っている。

二日目は奥日光、アルトリアでのクロカン決行。前日もそうであったが、当日も最高の天気に恵まれ、雪のコンディションも最高。白銀の世界に舞い込んで、約20名の参加者が笑顔で滑って2時間弱の朝の時間をノルウェー大使とともに滑った経験は最高の思い出作りになったのではないだろうか。私は参加された佐藤洋さんと一緒に雪遊びに来たアンナちゃん(1.5歳)と響子さんとお喋りしながら、アンナちゃんを橇に載せて動き回りながら素晴

らしい時間を過ごすことが出来た。スキーヤー達が、時間内に存分に滑り、それぞれ明るい喜びの顔で戻って来た時は、良かった!と叫んだ。皆で大使と令嬢を囲んで、一緒にアストリア内のレストランで昼食をいただき、厳選した5名には大使館からの小さな風呂敷と参加賞を贈呈。

大使と令嬢は1時半に栃木さんの運転で、風間さんがアシストして東武日光駅へ。又お会いできることを確信して無事にお見送りすることが出来た。 Good Job!!



2025年2月8日土曜日

2月に入ってはや1週間が経過

 


大寒期(1月20日~2月2日)は名前に反して陽気な天気が続いたが、ここに来て、実質凍えるような寒さが続き、ついに今日は日光も真っ白に変身。冷蔵庫の食料品が品薄になって今日あたりショッピングしなくてはと思っていた矢先にこの積雪では断念。あるもので済ませるのが賢明と判断。それより、2月22日の大イベントが迫ってきて、胃がだんだん変になりそう。資料作りは何とか出来たものの、講演会の集客の手応えがもう一つ。あちこちダメもとで体当たりしている所だが、今の大河ドラマの蔦屋重三郎に励まされているというのは大げさかも知れないが、まんざら違ってもいない。人を恐れるなかれ。信条をもって動けば何とかなる筈。主人のプレッシャーを感じながらも、今回は一緒に準備に真剣に取り組んでくれる仲間が出来た事が大収穫。流美子さんのタスクへの取り組み方が彼女の現役時代を呼び覚ましているようなところが見受けられて、大いに励まされているところ。有難いこと。ご主人も協力的で尚更である。担当の方々もしかり。何とか成功させなくてはと、寝ても覚め江もMy mind has been occupied with various tasks to be done. 駐日ノルウェー大使が女性であることも楽しみ。She is coming together with her daughter who is studying as a foreign student in Tokyo. Muna will be happy to get a company during this event. 

そんな中、二つ喜ばしいニュースが届いた。二人の同年の従姉弟が揃って、中学受験をし、第一志望に合格したこと。親たちもやれやれとホットしたであろうことにも救われた。親子で数年、目標めがけて頑張ってきたことを思うと嬉しい限りである。昔の自分を思い出しながら、親としての楽しみながらも心痛をかかえての子育ての節目である。ご苦労様といいたい。そして、おめでとう。


もう一つもラインから娘からのほっこりするニュースが届いたこと。明かりちゃんの詩が町田市内小学生対象の雑誌に掲載されたという知らせであった。リズムが良くて実にユーモアがあり、家族愛が感じられる。個人的に秀作だと思っている。


2025年1月30日木曜日

訃報の連続

2024年1月29日

 日光市で地域活性化のために、いろいろな活動を挑戦意欲を持って精力的に動かれていたMr.Fが10日ほど前に、51歳の若さで急逝されてしまいました。日光清風塾でも日光に関しての豊富な知識に基づいて、東照宮の奥の隠れた話など、3回のシリーズでお話をしていただいたこともあります。余りに突然の訃報で活動家仲間にとっては信じられない思いです。告別式に向かう時、今度は私の大学時代の親友からの電話で更なる衝撃を受けてしまいました。昨年末から、足腰が不自由になって車椅子の生活をしている彼女を、あの厳しく人生指導をされていたご主人が一生懸命介護されていたのですが、そのご主人が急逝されたとのこと。本当にびっくり仰天してしまいました。その日の朝、彼女がデイサービスに家を出る時、「行ってらっしゃい」といつものように見送られ、その後、最近脚が痛いと言っておられたそうで、丁度その日、医者であるお嬢さんが彼女の病院へ診察に連れて行かれたとのこと。午後2時ごろまで病室で彼女とお話をされていたそうで、まさか、その2時間後に亡くなられるなんて、夢にも思えないこと。その経緯を妻の親友は全く知らないままで、デイサービスから4時ごろに帰宅。しばらくして、お嬢さんが父親のお遺体と帰宅。「ごめんね。助けられなくて!」と言われたそう。親友の驚きと嘆きは想像を絶するものだったと思うと、私もやりきれない思いでした。電話の向こうの彼女は、それでも、いつもの穏やかな口調を保ったままでした。「20日に亡くなって、26日に内輪で見送り、今は1人で遺骨を守っているんです」。ご主人は彼女より5歳年上ながら、最近までテニスを続けていたほど、健康であった筈。人の命のはかなさ、不確かさを思い、いつかは訪れる別れの運命、将来は誰でも出会うことになる運命を切実に感じた日となりました。  合掌

2025年1月21日火曜日

時間は容赦なく刻み続ける

 1月13日 「新春歌い初め会」が田母沢旧御用邸研修ホールで開催された。

私もメンバーの1人である日光カンマーコール(女性合唱団)の指揮者であり、総監督である下司先生が企画された催しで、先生の舞台であったが、実はこのコーラスの団員募集が目標のコンサート。先生のMC振りといい、トークの内容といい、良く勉強されていることがわかり、先生の数々の独唱は選曲も新春に合わせて良くアレンジされていた。エンターテイナーとして聴衆を十分楽しませるものであったという感想があった。ただ、残念ながら、後でDVDを見たところ、コーラス隊のパフォーマンスはもう一つであったと思う。それより、お目当ての団員募集の効果はゼロに等しい状態となった。集客がうまく行かなかったこともあるが、平素から団員募集を心掛けていても、主婦の集まりには限界があるのかも。仕事を持っている人は休みも多く、実が入らない。所詮高齢者の集まりである以上、加齢問題もあり、リタイアする人も出る。このコーラス隊は一般の主婦のコーラス隊としてはレベルが高く、プロのピアニストが二人いらっしゃる。先生は東京から毎回足を運ばれている。実質出費も普通ではないと筈。メンバーとしては、やはり、向上心を持ち続けて歌い続けたいところであるが、モチベーションをいつまで保ち続けられるかが問題。団員を増やす方法はないものか、今団の中では思惑が渦巻いている。

1月14日 連休明けの今日になって、ようやく、ノルウェー大使館から返事が来た。かねてから打診していた日光清風塾のプロジェクト、つまり、大使に日光においでいただいて、講演会とクロスカントリースキー大会を開催するプロジェクト(「ノルウェー大使とともに冬の日光を楽しもう」)であるが、それが実現に向けてスタートした。2月22日、23日に開催するということで、時間が無い。緊急理事会を開いたり、担当を決めたり、資料作成と広報活動、すべて、大慌ての雰囲気の中で、走り始めているところである。チラシ作成も修正に修正を重ねてようやく配布出来る状態に。目下、手当たり次第に、声かけ、宣伝に奔走中。今の大河ドラマ「べらめえ」の蔦屋重三郎のフットワークの凄さに、夫は「これだよ!」と叫ぶ。重三郎が叩かれても叩かれても自分の意志を貫いて行くフットワークの凄さ。そんな苦労して、大変だろ?なんていう常識的な反応を吹っ飛ばして、「それが、楽しいのよ」って言ってのける。夫は「その心情が一寸わかる」、と言う。プレッシャーではなく、楽しいと思える人、私には不思議というか、理解するには時間がかかる。

1月20日 心身ともに忙しい中でも、今日はゴルフを決行。唯一の息抜きとなる。こちらは、特に、今日のプレイはフィーリングが良く、モチベーションもあって、100を切るのも時間の問題と実感。これで、心身が又持ち直せる。以前は常に100を切っていたのに、ここ1年、100が切れなくなってきている。加齢?そうは思いたくない。モチベーションはしっかり保っていれば必ず復活出来る筈。次回が楽しみ。