予報通り朝目覚めたら雪がコンコンと降っていた。この降り方だと、一時的ではなさそう。我が家からの借景は見事で見とれるほどだが、現実に戻ると、今日予定していたことが出来ないのではないかと危ぶまれる。案の定、義姉達とお見舞いに病院に行くのを延期することになってしまった。夫は都心からの友人達と山へ滑りに出かけた。静かな一日を今日は自分の書き物で過ごすことにしよう。
愛猫が綴った自分史をブログに載せることにして一週間が経つ。今回はその第2回目。第一章に入る。
三毛子の書いた自分史 目次
はじめに
近影 ミカンの入っていたネットをスカーフに。 |
第1章 多摩市で運命のスタート(1992~1993)
第2章 ニューヨークへ(1993~1996)
第3章 帰国して多摩での一人暮らし(1996~1999)
第4章 飼い主との生活再び(1999~2001)
第5章 大阪暮らし(2001~2003)
第6章 第6章 多摩の家での二年(2003~2005)
第7章 第7章 日光に移住(2005~ )
あとがき
第一章 多摩市で運命のスタート(1992~1993)
当時の多摩丘陵地は二十年前に都市開発が盛大に行われて公団住宅が立ち並び、若い人達がベッドタウンと称して移り住み、活気がみなぎっていた。当然、学童の数も多く、日本の未来は健全と思われていた。バブル経済がピークに達して、そろそろ限界が見え始めた頃、わたしは四人兄妹といっても四つ子の一人として、多摩市諏訪の団地に住むあるお宅で生を受けた。1992年四月二十二日がわたしの誕生日である。そのお宅は二人の子供とその両親の四人家族がいたが、狭い団地住まいなのに、なぜか猫を可愛がり、わたしの家族、つまり、わたしの両親と四つ子の兄妹も一緒に面倒を見てくれていた。大家族となっていた。
生まれて一か月が過ぎたころ、近隣の団地に住む中年の夫婦がこの家にやってきた。駅ビルのスーパーで広告を見てやって来たという。
「猫を可愛がって下さる方、子猫を差し上げます。」という小さな広告を出していたのだ。わたしたち生まれたての兄妹は、はしゃぐこともおびえることも知らず、箱の中でキーキー泣きながらうろうろしていた。わたしの両親と他の兄妹はみんな真っ白で洋風のにおいがして足も長かったが、なぜか、わたしだけが三毛で和風であり、足も短かった。突然変異というやつかも知れない。
「白はそのうち疲れる」とその訪問客の男性が言った。不可解なことを言うと思ったが、多分、同じ色より色に変化があった方が自然で、緊張しなくていいということなのだろう。
「この三毛ちゃんは目がグリーンじゃないの?一寸洋風な感じもするし、美人顔よね。」と今度は連れの女性が言った。
迷うことなくすんなりとわたしが取り上げられた。なにがどうなtっているのかもわあらないまま、わたしはそのまま、その男性のジャケットの内側に抱かれて生家を去ることになった。
(次回につづく)