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2024年6月6日木曜日

6月3日(月)

2024年6月3日(月) 五楽会(夫の大学同期会)の恒例の集まりが今年は浅草の屋台船で開催されたので、大胆にも参加させていただいた。屋台船なるものに乗ったことが無かったので、良い機会と捉えて便乗させていただいた次第。 夕方6時~8時半までの2時間半、墨田川を浅草吾妻橋から出向して、お台場で滞船するコースであるが、」途中の高層マンション風景や、フジテレビのあの有名な建物、レインボーブリッジを眺めながらの悠長な一寸した船の旅。総勢15人が参加していて、彼らは乗船するとすぐ飲み会が始まる。 遠くは熊本や広島から来た人もいるが、80歳が一番若くて、皆、それ以上。大病を乗り越えて、以前の飲食に戻っている人、現在は介護を受けている身と言う人もいたが、それなりに元気で、こうした集まりには何とか出かけて参加していること自体、素晴らしいと思った。昔の学生時代に戻って、平等に忌憚なく話し合えるのが魅力であろう。それぞれ、それこそサンセットブルバードを出来るだけ元気に、おおらかに歩んでいる姿が見えて、May we keep going on and on! 「琵琶湖周航の歌」を二度も斉唱して士気を高め、そぼふる雨の中、墨田川就航は無事実現出来た。飲物は飲み放題で皆満足だったのではないだろうか。食事は期待していた揚げたて天ぷらはもう一つであった。 私は時間的に間に合ったので、一人で日光へ戻ったが、夫は翌日も彼らと昼食会(一水会と称して、東京近辺在住の同期生の月例会であるが、今回は五楽会と重なって、合同での昼食会となり、浅草のどじょうを食べる由)があるため、多摩へ。今回、来たくてもパートナーの介護で離れられないという人もいて、我々がそういう年齢になってきていることをつくづく思い知らされる機会でもあった。

5月11日、12日(母の日)

この日は、我々にとって人生最大の経験を得た忘れられない日となる。夫が現役時代、在外では二度もご薫陶をいただいた10年大先輩の小和田大使に、5月11日、宇都宮共和大学で学生を対象にした特別講演をやっていただくことが出来たのである。「冷戦後の世界と日本」というテーマで響きは固いが、1時間半の講演を休憩なしで、淀みなく、言葉をかみしめて丁寧に優しく語られて、聴衆は集中して聴いていた。かねてからの夫の願望であり、思い切ってアクションをとった結果、栃木県下の五つの大学の共催を得て、日光清風塾が事務局となり実現した大プロジェクトである。夫の行動力に改めて感じ入りながらも、サポート役としてどこまで意にかなうか、一連の流れの中で、途方に暮れることもしばしばだったが、同じ方向を向いていれば、時間が解決してくれることも分かった。一人では出来ないことを、いかに同志を得て協力をしてもらえるかが全ての鍵である。リーダーシップとは何か。ぶれない目標に熱意を持って挑む姿にどれだけ共感し、理解できるかどうかである。説得力もあるが、何より、誠実さと目標に挑む熱意がリーダーシップの強さを決めるのだと思う。いろいろ大変な思いもしたが、良い結果が出て本当に安堵した。 翌日はハンブルだが、豊かな新緑に囲まれた我が家にご夫妻でおいでいただくことも出来たことは最高の慶びであった。この11日と12日だけが前後の雨の日に挟まれて、新緑薫る最高の五月晴れに恵まれたことにも大感謝である。多忙な東京暮らしを半日ほど忘れていただき、少しでも、田舎の、きれいな空気をエンジョイしていただきたいという我々の願望が実った日となった。プチクール(小さな我々の合唱隊)の仲間にもランチに加わっていただき、合唱を披露したり、盆点のお抹茶を東京からの友人にやっていただいて、くつろいでいただいたり、20年近くかけて手掛けた手造りのワイルドな庭を一寸だけ散策したり、我々のおもてなしを素直に、親しく喜んで受けて下さったご夫妻に、我々一同も感激であった。ご高齢ということも忘れて、あれやこれや、おもてなしのつもりが、一寸ご無理を強要させたかもという懸念もあったが、最後に日光駅でお見送りした時は、本当に喜んでいただけた様子に、涙ぐむほどに感激した。握手から、抱擁、さらに頬ずりまでして、それこそ夢心地であった。「竜宮城に居たみたい」と印象をおっしゃっていただいたことが何かにつけ、今でも胸をよぎる。