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2025年1月30日木曜日

訃報の連続

2024年1月29日

 日光市で地域活性化のために、いろいろな活動を挑戦意欲を持って精力的に動かれていたMr.Fが10日ほど前に、51歳の若さで急逝されてしまいました。日光清風塾でも日光に関しての豊富な知識に基づいて、東照宮の奥の隠れた話など、3回のシリーズでお話をしていただいたこともあります。余りに突然の訃報で活動家仲間にとっては信じられない思いです。告別式に向かう時、今度は私の大学時代の親友からの電話で更なる衝撃を受けてしまいました。昨年末から、足腰が不自由になって車椅子の生活をしている彼女を、あの厳しく人生指導をされていたご主人が一生懸命介護されていたのですが、そのご主人が急逝されたとのこと。本当にびっくり仰天してしまいました。その日の朝、彼女がデイサービスに家を出る時、「行ってらっしゃい」といつものように見送られ、その後、最近脚が痛いと言っておられたそうで、丁度その日、医者であるお嬢さんが彼女の病院へ診察に連れて行かれたとのこと。午後2時ごろまで病室で彼女とお話をされていたそうで、まさか、その2時間後に亡くなられるなんて、夢にも思えないこと。その経緯を妻の親友は全く知らないままで、デイサービスから4時ごろに帰宅。しばらくして、お嬢さんが父親のお遺体と帰宅。「ごめんね。助けられなくて!」と言われたそう。親友の驚きと嘆きは想像を絶するものだったと思うと、私もやりきれない思いでした。電話の向こうの彼女は、それでも、いつもの穏やかな口調を保ったままでした。「20日に亡くなって、26日に内輪で見送り、今は1人で遺骨を守っているんです」。ご主人は彼女より5歳年上ながら、最近までテニスを続けていたほど、健康であった筈。人の命のはかなさ、不確かさを思い、いつかは訪れる別れの運命、将来は誰でも出会うことになる運命を切実に感じた日となりました。  合掌

2025年1月21日火曜日

時間は容赦なく刻み続ける

 1月13日 「新春歌い初め会」が田母沢旧御用邸研修ホールで開催された。

私もメンバーの1人である日光カンマーコール(女性合唱団)の指揮者であり、総監督である下司先生が企画された催しで、先生の舞台であったが、実はこのコーラスの団員募集が目標のコンサート。先生のMC振りといい、トークの内容といい、良く勉強されていることがわかり、先生の数々の独唱は選曲も新春に合わせて良くアレンジされていた。エンターテイナーとして聴衆を十分楽しませるものであったという感想があった。ただ、残念ながら、後でDVDを見たところ、コーラス隊のパフォーマンスはもう一つであったと思う。それより、お目当ての団員募集の効果はゼロに等しい状態となった。集客がうまく行かなかったこともあるが、平素から団員募集を心掛けていても、主婦の集まりには限界があるのかも。仕事を持っている人は休みも多く、実が入らない。所詮高齢者の集まりである以上、加齢問題もあり、リタイアする人も出る。このコーラス隊は一般の主婦のコーラス隊としてはレベルが高く、プロのピアニストが二人いらっしゃる。先生は東京から毎回足を運ばれている。実質出費も普通ではないと筈。メンバーとしては、やはり、向上心を持ち続けて歌い続けたいところであるが、モチベーションをいつまで保ち続けられるかが問題。団員を増やす方法はないものか、今団の中では思惑が渦巻いている。

1月14日 連休明けの今日になって、ようやく、ノルウェー大使館から返事が来た。かねてから打診していた日光清風塾のプロジェクト、つまり、大使に日光においでいただいて、講演会とクロスカントリースキー大会を開催するプロジェクト(「ノルウェー大使とともに冬の日光を楽しもう」)であるが、それが実現に向けてスタートした。2月22日、23日に開催するということで、時間が無い。緊急理事会を開いたり、担当を決めたり、資料作成と広報活動、すべて、大慌ての雰囲気の中で、走り始めているところである。チラシ作成も修正に修正を重ねてようやく配布出来る状態に。目下、手当たり次第に、声かけ、宣伝に奔走中。今の大河ドラマ「べらめえ」の蔦屋重三郎のフットワークの凄さに、夫は「これだよ!」と叫ぶ。重三郎が叩かれても叩かれても自分の意志を貫いて行くフットワークの凄さ。そんな苦労して、大変だろ?なんていう常識的な反応を吹っ飛ばして、「それが、楽しいのよ」って言ってのける。夫は「その心情が一寸わかる」、と言う。プレッシャーではなく、楽しいと思える人、私には不思議というか、理解するには時間がかかる。

1月20日 心身ともに忙しい中でも、今日はゴルフを決行。唯一の息抜きとなる。こちらは、特に、今日のプレイはフィーリングが良く、モチベーションもあって、100を切るのも時間の問題と実感。これで、心身が又持ち直せる。以前は常に100を切っていたのに、ここ1年、100が切れなくなってきている。加齢?そうは思いたくない。モチベーションはしっかり保っていれば必ず復活出来る筈。次回が楽しみ。

2025年1月2日木曜日

2025年(令和7年)の幕開け

 月日は流れ、時は滞ることなく流れて、2025年を迎えた。年の瀬の30日にMonaさんが来晃。正月には家族が集まるという習慣は次第に消えて来ている。我が家もついに老夫婦だけの迎春になるところであったが、子どもたちは其々に子供たちが受験戦争に入っているため、帰省しないことに。その代わり、留学生のMonaが一人正月を免れてやってきた。おかげで、若いエネルギーに助けられて、元日を元日らしく迎え、初詣も出来た。東照宮は入り込む余地がないくらいの人出で、今年は二荒神社だけにした。孫達の無事なる進学を祈願し、家族の健康と幸運を祈るという平凡な祈りになってしまったが、干支の蛇を意識して、はて?どう解釈すべきか、見た目は気味が悪く、怖いイメージしかなかった。ところが、誰かが、蛇の象徴は『しなやかさ』と言ったことが妙に気に入り、今年の生き方の目標にと思った矢先、日経の元日の新聞にサヘル・ローズさんのインタビューの記事を見つけて更に思いを強くした。以下がその内容。ぶれないように邁進したい。

サヘル・ローズさんの2025年元旦のインタビュー記事より(日経新聞)

                          202511

 折れぬ強さ、弱さの自覚から  

しなやかに 今年の干支は蛇。(しなやかさは蛇の象徴だと誰かが言った!)

 

私の人生の強みは、自分の弱さを受け入れた事。私は決して弱者ではありませんが、みなさんと同じように弱さはあります。弱い自分を受け入れ、誰かの支えがあって今があると思えたから、強く、しなやかでいられるんです。しなやかさって、ひとりでに生まれるものではなく、相手を思いやる優しさから出てくると思います。

 

自分の価値観にかたくなになり、相手を変えようとすると、しなやかさは失われます。大切なのは、自分に普通があるように、人の数だけ生き方があり、普通があるということ。自分と違う価値観に出合った時に拒絶するのは簡単です。でもそうではなく、『こんな視点もあったのか。新たな気づきを得た』と思えば吸収することが出来ます。それが人生の枝葉となり、しなやかさになるはずです。

 私にいとって、家は愛おしい母が待ってくれている場所です。血の繋がりは無くても、一つ屋根の下で家族として迎えられます。家って生きた痕跡であり、自分と共に年を重ねていきます。家を大事にする人は、自分も大事にしているのではないでしょうか。

 人生は何が起きるかわかりません。自分の身に何があっても、帰る家さえあればどうにか生きていけます。母の為にも、帰る場所としての家を守り残していくことが私の願いです。

 1985年イラン生まれ。7歳までイランの児童養護施設で過ごし、8歳で養母とともに来日。高校生の時から芸能活動を始め、映画や舞台、俳優として活躍。また公私にわたる支援活動が評価され、2020年に米国で人権活動家賞を受賞