2025年2月22日(土)、23日(日)
正味1か月が準備期間となったこの大イベントがここまで盛り上がる結果になるとは当初の不安と心配だった状況を考えると、天と地のこの違いに、この達成感と安堵感は正に神さまからの贈り物だったのだろう。神棚に祈ることを毎日思いながらも、体を使って動き回ることに気をとられて、本当に神棚に向かって手を合わせて祈ったのは1回だけ。でも、心身が祈りを続け、走り回ったことが真の祈りとなり、集中して作業が出来たことが全てを語るといえる。京都下賀茂の河合神社のお札(夫が京都で十数年前に散策する機会があった時、偶然この神社を見つけ、名前にあやかって我が家の神棚に祭っている)が我々を見守ってくれたような気がする。
回の作業で見えた事。それは関係者間の進捗状況の共有である。夫のイニシャチブで始まったこの企画はその大目標の達成という責任感が全てを動かした。今までもそうであったように、これまでの多くの企画をプレッシャーとストレスを抱えながらも乗り越えては、頑張ってやって良かった!という思いの繰り返しであった。一緒に動いて下さった方々との間にあって私の役目は夫の目標へのサポート作業であり、その潤滑油を塗った橋渡しになることであり、今回はめげずにそれが機能したのだろう。同じ方向を向いた仲間の団結が力を発揮した結果、大輪の花が咲いたと言える。
さて、本番当日の歓迎コンサートとノルウェー大使の講演。一番緊張が高まる日であったが、まず、事前の昼食会で初めてお会いして、そのやさしい、快活なお人柄に触れて、その緊張感は和らいだ。同伴された令嬢、オスロ大学のマスターコース2年目で修士論文を作成中だという。今回も作成中の論文を抱えての東京に赴任している両親を訪問中とのこと。こうして母親に同伴して、その明るくて可愛い(身長はさすがノルウェー人)雰囲気が空気を和ませ、大いに親しみ易く会話も弾み助けられた。講演では逐次通訳をやる以上、その呼吸合わせが必要と思っていたので、タイミングを捉えて原稿を前に打ち合わせも出来た。講演会場は田母澤旧御用邸記念公園研修ホール。時間が無いスケジュールだったので昼食はすぐ近くの蕎麦屋さんを選んだが、内容は別として、場所はベストだったと思う。彼等は金谷ホテルから朝は山内を散策、そのままこの蕎麦屋まで歩いて見えた。さすがノルウェー人である。いよいよ会場へ。まず、小一時間夫が田母澤御用邸内を案内。その間、私はホールに入り、会場の設営や受付のチェックをしながら仲間とコミュニケーションを取る時間があってホットする。会場設営は見事に整えられていた。80名の集客予想が100名に達し、補充の椅子の用意なども準備。1時45分頃、一行がホールに到着。それまでに殆どの参加者は椅子に座って、用意されたノルウェーの映像とBGにはペールギュントを流して待機。夫が先に会場に入って招待客に挨拶。その間私は大使と令嬢に用意されたお茶を。そして5分前に会場入り。いよいよスタートとなる。
あとは入念に用意されたMCマニュアルに沿って、流美子さんが見事に指揮って下さった。ご主人が器機を自ら担当して下さり、福田ご夫妻の絶大なご協力があったからこその大盛況なる結果となったと言える。
逐次通訳も何とか、とにかく日本語をしっかり分かり易いように言わなければとの思いは忘れずに出来たと思う。続く講演後のQR時間にも立ち会って、和やかな雰囲気の中で出来た事が一番良かったのではないかと振り返って思っている。
二日目は奥日光、アルトリアでのクロカン決行。前日もそうであったが、当日も最高の天気に恵まれ、雪のコンディションも最高。白銀の世界に舞い込んで、約20名の参加者が笑顔で滑って2時間弱の朝の時間をノルウェー大使とともに滑った経験は最高の思い出作りになったのではないだろうか。私は参加された佐藤洋さんと一緒に雪遊びに来たアンナちゃん(1.5歳)と響子さんとお喋りしながら、アンナちゃんを橇に載せて動き回りながら素晴らしい時間を過ごすことが出来た。スキーヤー達が、時間内に存分に滑り、それぞれ明るい喜びの顔で戻って来た時は、良かった!と叫んだ。皆で大使と令嬢を囲んで、一緒にアストリア内のレストランで昼食をいただき、厳選した5名には大使館からの小さな風呂敷と参加賞を贈呈。
大使と令嬢は1時半に栃木さんの運転で、風間さんがアシストして東武日光駅へ。又お会いできることを確信して無事にお見送りすることが出来た。 Good Job!!