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2012年10月30日火曜日

紅葉狩り Autumn color hunting


どこまでも続く木の根の道
10月29日、NHKの紹介に便乗して地元の鳴き虫山登頂を思いつきEECCの仲間と出かけた。たかが鳴き虫山と軽い気持ちで出かけたところ、手ごわい山であることがわかった。標高1183mというから男体山の半分しかないが、9時に出発して憾満カ淵に下りたのが午後3時半であるから、かなの時間がかかった。別の厳しさがある。尾根づたいの山道は木の根が張り巡らされ、まるで階段状である。規則的ではなく、自由自在風の階段であるため、足が届かないくらい段差があったりしてかなり体力を使う。それより、木の根のちから強さは圧巻である。バランスを失うと尾根の下に落ちそうになる。なかなか手ごわい山道であった。紅葉狩りの目的であったが、山頂に来て、鬱蒼とした雑木林と黒木林にさえぎられて視界は殆どゼロ。360度紅葉が展望出来るという紹介はどこから来たのだろう。文句を言っても始まらない。とにかく登ったいじょう、進むしかなかった。でも、登って良かった。平凡な紅葉狩り以上の素晴らしい自然を観賞出来たのである。昨日の大雨とはうってかわって本日は雲一つない秋晴れの中、木漏れ日が木々の葉の豊かなグラデーションの色彩をこれ以上無いほど輝かせていた光景に出会えたことである。男性二人、女性四人のチームであったが、女性群が断然元気であり、先行してこの自然の豊かさ美しさに感動することしきり。夫は後半では足がつり始めて生還できるかどうか必死であったらしい。後続隊を待ちながら「男性は遅いのね~」と優越感を持ちながら歩いていたことを反省。

2012年10月28日日曜日

お寺の果たす役割 地域の文化活動

「紅葉と雅楽」祭りを覗いてみた。法蔵寺という大桑にある浄土宗のお寺の恒例の行事で、今回13回目になるという。初めて行ってみたところ、紅葉のシーズンに優雅な雅楽の演奏で古式豊かな伝統音楽を味わうという趣旨のお寺がイニシャチブを取った催しで、お抹茶をたしなんだり、地元の人たちのグループによる絵画も展示、更には、境内ではそば打ちをやったり、お店を開いたりで地元の活性化に一役かっている。生憎の雨で、私が行った午後の部には、人出は少なかったが、午前の部では会場となった本堂には人が溢れたそう。紅葉シーズンを選んでのお祭り行事として、余り親しみの無い雅楽を披露することによりお寺から文化を発信している様子を伺い知ることが出来て大変良かった。雅楽についての簡単な説明は大変参考になった。曲の始めには必ず音取(ねとり)があるということ。雅楽には六調子があるということ。平調 越展楽(えてんらく)が黒田節の原曲であることも知った。舞楽が最後にあったが、単調で変化が無い中、衣装や面のきらびやかさ、幻想的な雰囲気は見応えがあった。地方の一角で、こうしていろいろな形で地元の人により文化の継承、発信がお寺で行われていることを改めて認識。

2012年10月26日金曜日

ウォーキング   Walking

I used to walk a lot before our big project named which prevented me from continuing to do my routine walk. Now I'm gradually coming back and this morning's walk was the fouth this month. The air was fresh. It wasn't cold nor warm etither. It was just a comfortable walk except for some trash visible along the street. I'm ashamed of some people's carelessness for throwing away papers, pet bottles and cigarette ends on their way.   I always wonder why they don't care about it. Well this morning I carefully picked up the trash to clean the way and I ended up feeling much happy.

2012年10月20日土曜日

家族   「ある猫の自分史・・・」 印刷完了

偶然にも私の誕生日に印刷屋から小さな本が届きました。「ある猫の自分史・・・」

今年のニャンニャンの日(二月二十二日)に、我が家の猫が文筆活動を始めました。稀有な猫だとかねがね思っていましたが、ここまで思慮深いとは飼い主の私も驚きました。二か月後が彼女の二十歳の誕生日という時でした。何かけじめを考えたのでしょう。猫ながら立派なことをするなと私も励まされたものです。

でもうかつでした。彼女には計算があったのです。それをうっかり見逃した私は飼い主として失格でした。今となれば、彼女は私の手の届かない別の世界に身を隠して、私の行状を見守る決心をしたような気がしてなりません。私からすれば、彼女が書いたものは、そのまま彼女へのレクイエムとなってしまいました。すごい猫でした。

人間の世界をここまで観察した彼女の魂が愛おしくてなりません。皆様にもこの彼女の自分史を読んでいただければ嬉しい限りです。」

というメッセージを添えて家族、友人に送ろうと思います。この猫は我が家の財産となり、後世に語り継がれること間違いなしです。
 

2012年10月19日金曜日

家族 Family


10月11日は多摩へ。ドアの取り換え作業の立ち会いに。13日は本八幡へ。No1の昊粋君の保育園最後の運動会。午後はNo 5の奏冴(souugo)君のお宮参り。
上:デカパン親子競争No 1
下:No 5のお宮参り
←デカパン親子競争に燃えるNo 1.
寝返りが激しい上にこのような
アザラシスタイルで空中ダイビング
の予行演習に夢中のNo 3。
お語りに夢中のNo 4
こちらを向いて祖父母の立ち位置を確認
するNo 2
ついでに立石へ。No.3の陽香ちゃんに1か月ぶりに会うために(立石組は9月8日、プロジェクト準備真っ最中に陣中見舞と称して来日光)。そして16日は蘇我へ。孫No.2の星太君の祖父母参観に。続いてNo.4である妹の明里ちゃんのお食い初め。今年は4,6,8月と一挙に孫が三人増えたので大忙し。これから更に行事が増えて行くのが楽しみでもあり、悲鳴ともなりそう。その悲鳴の中に居ることに感謝して、孫(陽香)孫(明里)孫(奏冴)のアルバム作りを考えていま~す。そうそう、昨日、印刷屋から本が届きました!「ある猫の自分史・・・外交官の家族の一員となって」。4月中旬に、あと一週間ばかりで20歳になろうとしていたミーちゃんへのレクイエムです。印刷屋さんからのメッセージ:「切ない。あとがき読んで涙が出ました。」


2012年10月11日木曜日

An article by M.K.

「大使館ウィークin Nikko」に寄せて・・(この企画が発案され実施に至った経緯がよくわかる文章)
An article about

 パリの中心、ナポレオンも眠るアンバリッド広場の近くに、バラ園に囲まれた小さなロダン美術館がある。パリでの私の好きな場所である。偉大な彫刻家ロダンのパートナーで愛人でもあったと言われるカミーユ・クローデルの作品も展示されている。数年前に、彼女をテーマにした映画も上映されていたので、知っている人も多いと思われる。彼女の弟、ポール・クローデルもヨーロッパの著名な作家であった。その彼が大正末期に彼自身希望して駐日大使として赴任して来たのは、日本の美術に関心を持っていた姉の影響を受けてのことであったと言われる。
      Rodin Museum, a small museum surrounded by the rose garden, is located near to the place of Invalides in the center of Paris, where Napoleon is laid in state. This is one of my favorite places in Paris. There displayed the works by Camille Claudel, the partner and the mistress of Rodin, the great sculptor. Many people might know her through the film about her which was shown to the public several years ago. Her younger brother, Paul Claudel was also a famous writer in Europe. He was transferred to Japan as French Ambassador to be stationed in Japan at the end of Taisho Era on his demand. He was said to be influenced by her sister who was interested in Japanese fine arts.

 クローデル大使は、外交面でも大活躍されたが、日光の中禅寺湖畔に今でも存在するフランス大使館別荘をこよなく愛した。時間が許せばそこに滞在し、多くの文筆活動にいそしんだ。ところが、大使の在任中に信じられない様な事態が勃発した。関東大震災である。東京、横浜は火の海となり、フランス大使館も焼失してしまった。クローデル大使はその焼け野原となった大使館敷地内で、病院と託児所を仮設して被災者の救助活動を指揮した。
     Ambassador Claudel, very active in his duty on international affairs, loved the French Embassy’s summer house located along the Lake Chuzenji in Nikko. This summer house still exists today. He spent his spare time there to get involved in writing books. On his duty in Tokyo, there occurred an incident incredible. It was the Kanto Great Earthquake. Tokyo and Yokohama were all covered with fire. The French Embassy was also destroyed. Ambassador Claudel took a leadership to rescue the victims by setting up temporary hospital and a day nursery facility on its premise. 
 

 クローデル大使が愛した日光にあって、私は小さなボランティア・グループを主宰している。昨年の3.11の後、私達も居ても立ってもいられない気持ちになり、ささやかながらも東北地方支援活動を行って来ている。ところが、今年の始めになり、日光市への観光客が大幅に減少し、地元産業が苦境に陥っているとの報道が出ると、グループ内で地元の為にも何か行動を起こすべきではないか、との声が出始めた。昨年来、東北地方では150カ国を超える国々が支援活動を続けて来ているが、いずれかの国の大使館と相談してみようとのことになった。そうなると真っ先に思い浮かんだのが、日光と長きに亘って関係のあるフランス大使館である。
     Living in Nikko Ambassador Claudel loved, I supervise a small volunteer group. Since March 11th last year, we have visited the stricken area in Tohoku district for some support. However, the tourism industry in Nikko started suffering early this year from the decreasing of visitors caused by the bad rumor of radiation contamination brought from Fukushima. Then some voice came up from our group so as to take some action in Nikko to do something helpful for the sake of our own local place. Since the disaster occurred last year, more than 150 countries have extended their support to the attacked area but not to Nikko. We came to decide to visit some Embassies to explain our serious situation. The French Embassy came up first in my mind because of its long relation with Nikko.

 私がフランス大使館を訪問し、事情を詳しく説明すると、殆ど即座に、出来るだけの協力をしましょう、とのことになった。涙が出そうな感動であった。その後の協議により、文化行事や地元の食材を使ったフランス料理のデモンストレーション等で、日光を盛り上げてくれることになった。大使館との協議を通じて、民間の多くのフランス人が東北地方の被災地支援活動に当たっていることを知ることになった。
     I visited the French Embassy and explained our problem in detail. Then they responded almost instantly with positive reaction saying that they would cooperate with us in launching a project to encourage our local people. I was very much encouraged and moved. Our discussions with them afterwards decided to rouse Nikko by some cultural performances or cooking demonstration by using local safe materials etc. Through the discussions with Embassy people, I got informed of their great consecutive civil activities devoting to support Tohoku stricken area.

  これに勢いを得て、今度は中国大使館にお願いに伺うと、「検討しましょう」と言うことになったが、間もなく、大使館から東京や横浜の華僑グループに打診が行ったようで、3つの華僑組織が積極的に協力してくれることになった。この話し合いの中で、華僑の人達も我々と同じく日中交流促進を強く望んでいることを感じて心強かった。
     This very positive reaction from French Embassy encouraged me to visit the Chinese Embassy which gave me back an agreeable answer after a while and introduced me three organizations of Chinese merchant residing in Tokyo and Yokohama. Their generous and active cooperation made us understand more that they also desire to promote the friendship between Japan and China.      

 もう一つの重要な隣国、韓国の大使館もお願いしてみようとのことになった。日光での外国人観光客の中では韓国人がトップクラスである。事情を説明すると、韓国大使館の反応も予想を超えるもので、「できるだけの協力をしましょう」とのことであった。
     One more important neighboring country is Korea. As for the number of the oversea tourists coming to Japan, the Koreans are the biggest. Upon my explanation on the situation of our tourism industry in Nikko, the reaction from the Korean Embassy was more than we expected. They promised to cooperate as much as they could.

 このような打診をした結果、このような大使館行事の実施について、日光市長と相談したところ、即決でやりましょうと言うことになった。補助もいただけることになり、9月22日から30日までの実施に漕ぎ着けたのが「大使館ウィークin Nikko」である。東北地方での支援活動は各国が個別に行って来ているが、このように複数の国がこぞって協力活動を実施することは珍しいことであり、地元日光の人々にとっては本当に有り難いことである。
     After sounding out those Embassies on the matter, I visited the major of Nikko to discuss about the possibility of the execution of cultural events supported by those Embassies. He agreed right away and promised to assist a certain official finance. That is how we proceeded to set up the executive committee to realize our project named “Embassy week in Nikko” from September 22nd to 30th for 9 days. The assistance to Tohoku area attacked by the disaster has been extended by respective country but this project in which a support project will involve several countries has never existed before. We, the local people in Nikko, are very appreciative of their cooperation together.

 ところが、最近になり予想もしなかったような形で日中・日韓関係が荒波にさらされることになっていることは残念である。これは、領土問題等を論ずる紙面ではないが、我が国と中・韓両国との関係は決定的な対立を惹き起こすわけには行かず、協力と交流の拡大こそがそれぞれの利益になるものだとの考え方に立ち帰らざるを得ないものであると、信じている。日本側としても、出来るだけ感情的にならずに、論理と理念を持って対応して行くことが、国際社会の理解と協力を得る道であると思う。先日も、東南アジアの或る外交官と話をしていたら、彼は「これ迄、日本ができるだけ冷静に対応しようとして来ていることは良いことだ」と評価していた。
      It is very regrettable, however, that our bilateral relation with China and with Korea has been derailed recently in an unexpected way. This is not to discuss on the territory issues but I dare to say that it is time for us to be sure that the promotion of our bilateral cooperation and exchange is to be profitable for both of us instead of asserting our own rights to each other. Japan shouldn’t be emotional either but should be patient enough so as to respond to this issue logically to seek for a way to get international understanding and cooperation. When I was talking with a diplomat from the Southeast Asia the other day, he evaluated our Japanese attitude which has been rather keeping cool.

 中国の人達も頑なで反日的な人達ばかりではない。私は長期的には日中の若者の相互理解が重要だとの思いで、毎年のように中国の大学で日本についての講義を行い、日本でも中国について講義して来ている。2年前に、尖閣諸島で中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりして来たのは、私が南京大学で講義していた時であった。私の講義の真只中で緊張した面持ちでの学生が手を挙げ、質問しようとしたら、周りの学生が彼を制止しようとしている。ここで河合先生に政治的な質問はすべきでない、として制止していたようだ。私が、どんな質問をしてもいいですよ、と言ったら、「先生は釣魚島(中国名)についてどう思うか」との質問であった。
     Not all the Chinese people are so aggressive and against Japan. Almost every year I go to China to conduct lectures about Japan for young students at universities with a belief that mutual understanding between young people in both countries is the most important in the long run. Also in Japan I have lectures about China on campus for young Japanese students.

It happened to be at the time when I was having my lecture at university in Nanking that a Chinese fishing boat attacked a Japanese patrol boat from the Japanese Maritime Safety Agency at Sengaku Islands two years ago. In the middle of my class, one student raised a hand to ask a question about it. Then some students around him tried to stop him saying he shouldn’t touch upon a political issue. I said to them that any kind of question was welcome. The student, encouraged by my suggestion, asked me clearly how I would think about that issue.

 そこで私は、次のように応えた。あなたは私に中国側の主張にいささかなりとも理解を示すことを期待しているとすれば、それは間違いである。私は、中国側の主張には全く正当性があるとは考えていない。ところで、ここで皆さんに考えて貰いたいことがある。この問題以外にも日中両国の間にはいろんな問題があり、それらを速やかに解決することは難しい。大事なことはそのように難しい問題があっても、日中両国は決定的な対立を生むことはできない、と認識することである。決定的な対立に至れば、両国にとって利益にならないばかりでなく、アジアの発展も無くなるだろう。このように述べたのは、私が2度に亘って東南アジアに在勤した際の経験に基づくものであった。
    Here is how I answered to him. “If you expect me to compromise the assertion of the Chinese government, you are wrong. I never find the justice in what Chinese government asserts. Here is what I want you to think about. There exist more problems between Japan and China which are very difficult to be compromised. The most important thing is to understand that we should never be opposed to each other. If we end up with adversary relationship between us, there will be no development not only in our two countries but also in Asia as a whole. The reason why I was convinced of what I explained to the student is based on what I experienced during my assignment to the Southeast Asia two times during my career as a diplomat.

 ところが、このように話し終わったところで、私もびっくりするようなことが起こった。大教室中で大きな拍手が湧き起ったのである。私が全く予想していないことであった。
     Then an unexpected thing happened when I finished my talk. There came up a big applause.

 中国の若者達は良く勉強する。彼らの多くは優秀であり、冷静に論理的に話をすれば理解してくれる。また、そのような相互理解を少しでも広めて行くことが両国関係の安定と発展のため重要である、と私は考えている。
     Chinese young people study very hard. Many of them are smart and ready to understand if we discuss calm and logically. I want to put a stress on such way where we keep our mutual understanding more in order to stabilize and develop our bilateral relationship.

 その意味でも、9月末の「大使館ウィークin Nikko」を成功させたいと考えている。是非、多くの方々に日光を訪問して、3カ国の文化行事を楽しんでいただき、また交流を深めていただきたい。諸外国との交流拡大が日本を、また日本人を元気にして行く道に通ずるものではないだろうか。
     In that sense, I strongly want the project « Embassy week in Nikko » to be executed successfully at the end of September. I wish many people visit Nikko to enjoy the cultural events to be provided by three countries and to promote friendship between each other. By strengthening our friendship with other countries, we could encourage ourselves all over Japan.

 最後にもう一度フランス人からの応援歌に戻りたい。フランスのプログラムの一つが、フランス在住の画家による展覧会である。マリ・ドゥルエさんと言う日本文化を愛する画家である。彼女は、フランス中部の古都、ナント市におられ、何度も電話をしてお願いしたが、快く協力をして作品を貸してくれることになった。今回、我々には予算が無くて、彼女を日本に招待することは出来ない。彼女は、これ迄も東北地方への支援活動をやって来ておられて、日光についてもフランス大使館から推薦されたものである。フランスにおられる彼女から次のような感動的なメッセージをいただいた。日本は世界中に多くの良い友人を持っているものだ、と感動させられ、また我々もガンバラなければと思い知らされる。
     Last of all I want to touch upon the message from a French artist. Among many cultural events is an exhibition of collaboration work by two artists, a Japanese photographer and a French painter. The French artist named Marie Drouet is living in Nante, an old city in the center of France. We talked over telephone and we asked her to lend us some of her works. She sounded very happy to cooperate in our project. She has been involved in the support activity to Tohoku and again she was introduced to us by the French Embassy. Unfortunately we couldn’t invite her to come to Nikko this time, but instead she sent us a beautiful message to cheer us up. We are very much moved with this message and we are appreciative of the fact that Japan has so many wonderful friends all over the world. We definitely have to respond to those cheers coming in from outside of Japan.

 This is the message from Marie Drouet sent by e-mail.

 親愛なる日本の皆様へ
  Dear Japanese friends,

 この『大使館ウィークin Nikko』の展覧会に私が参加し、写真を取り込んだ作品を通して、写真家、港千尋氏と語らうことが出来ますことを大変光栄に思います。
       It’s my great honor to participate in this project « Embassy week in Nikko » and to be able to have a dialogue with Mr. Chihiro Minato, a photographer, in our collaboration works.

 フランスからみなさまに向かって何かを述べようとすると、3月11日に日本を襲ったあの恐ろしい大災害のことが思われ、胸が強くしめつけられます。
       As I address you to say something from France, my heart aches with my thought about that awful disaster which attacked Japan on March 11th.

 私がいまだ訪れたことのない日光ですが、その日光に豊かな遺産があるということを知っています。日光の自然は特別に美しいということ。その建築は人間と自然が調和したお手本であるということ。日光は、世界のどこかで、知恵と美を学ぼうとしている全ての人達にインスピレーションを与える泉であるということを。
      Although I have never been to Nikko yet, I know that Nikko treasures a great rich heritage surrounded by such beautiful nature where the architectures are found as the best example created in harmony of humans and the nature. I know that Nikko is the source which gives inspiration to people somewhere in the world seeking for the wisdom and beauty.

 この『隔たりと連なり』の展覧会と私が被災地の風景を出発点にして作り上げた作品とが、日光に学ぼうとする心に響いて、みなさまそれぞれに心の安らぎと静けさを伝えられたら嬉しく思います。
       I would be happy if this exhibition named « Distance/Continuity » and my works based on the scenery of the destroyed area may give a comfortable echo to those inspired by Nikko and make them feel peaceful and tranquil.   

                                                                                     September 2012, Marie Drouet

2012年10月9日火曜日

ウオーキング

記録によると、6月23日以来、きちんとしたウオーキングから遠ざかっている。一つには、孫の出産手伝いがあったこと、もう一つは、「大使館ウィークin Nikko」の企画作業に突入してそれどころではなくなったから。健康維持の為には何があっても続けるべきと解っていても、精神的なゆとりがなかったとしか言えない。それに今年の夏は暑すぎたこともある。
ともかく今日は、本当に久しぶりで小一時間歩いた。それも朝一テレビで美しい歩き方、ダイエット効果のある歩き方というのをやっていたことが私を後押ししてくれた。①まっすぐな線を両足で踏まないように真っ直ぐ歩く。膝を挙げて大股で踵からついて、親指で蹴るようにすると、身長も高く感じるし、お尻も上がり姿勢が良くなる。②4メッツウォーキングをする。大股で、手を大きく振り、早く歩くことにより、酸素摂取量が高まり、4メッツあたりで30分の歩きが減量に繋がるとのこと。この二つを信じて歩くこと。「大使館ウィークin Nikko」にかかわってつぶれそうになったことが減量に繋がったがそのままリバウンドしないようにすることが私の今の目標である。
それにしても、久しぶりで歩いて、辺りの状況が変わっていることに気付いた。いつもの歩道がゴミでかなり酷い状態になっている。明日はゴミ袋を持って歩こうと思っている。

2012年10月7日日曜日

トロール会での講演


10月6日、かねてから依頼されていた講演の日となった。「大使館ウィークin Nikko」と重なって一週間延期してもらった経緯がある。私達がノルウェーに赴任している時、県が研修旅行と称して市町村を対象に募った30人くらいの団体をお迎えしたことがある。女性のグループであった。そのグループがトロールの会と名付けて、あれから10年たったということで10周年記念の集まりをすることになり、そこでの講演を約束していたのである。縁とは不思議なもの。あの時、10年後にまさか宇都宮でこういう機会に出会うなんて夢にも思っていなかった。そもそも私たちが日光に住むようになったことも当時は予期していなかったことである。講演の内容は経験談義ということであったが、やはり、先般の「大使館ウィークin Nikko」の話をまずさせていただいた。知らなかった人が殆どであったことにまずショック。あのようなプロジェクトを夫が企画するに至った経緯から、途中の経過状況、やり終えたことの報告等、いわば、私自身のこれまでの経験を生かし、総力を必死で発揮する機会であったこと、いわば、今まで培ってきたことの総集編みたいであったことをお話した。拙著に触れながらあちこち話が飛んだりしたが、全体的に用意したレジメは使わず、聴いている方々のお顔を見ながらお話出来たと思っている。私自身、フリーハンドで楽しくお話が出来たように思う。聴衆と心が一つになるようにするべく、これも経験を重ねてこそ出来るようになるのだと思う。

2012年10月1日月曜日

「大使館ウィークin Nikko」閉幕 「Embassy week in Nikko」is over!

時間は状況がどうであれ刻々と同じ速度で進む。待ったをかけたくとも、早送りをしたくとも、関係なく時は進み、その過程で私達を喜ばせたり、落胆させたり。時間は何て超越した生き物だろうと羨ましくもあり、憎らしくもあり。この大きな企画をいつもの時はどんな風に見ながら進んだんだろうと思うと一寸面白くなる。
気骨と信念、熱いハートの溢れる
ボランティア代表
展覧会会場での閉会式には都合
のついた関係者が集合。皆働き抜いた
後の様子
とにかく終わりました。事故が無かったことが何よりでした。反省すればきりがありません。とにかく、これだけ多くの人達がかかわり、お互いを叱咤激励というより、自分自身を叱咤激励してつぶれそうになりながらも、もがいてやり通せたことは大きい。私自身、この・・十年のここまでの人生で経験したことの総集編となったような気がしていると言っても過言ではありません。健康あってこぞ目標が目指せてそれを遂行出来るということ。そして尊敬できる仲間、同志がいてこそ前に進めるということ。そして新しい出会いが勇気を与えてくれる。ますます人生が楽しくなって行く。今回の経験から又財産をいただいた思いです。