中東は常に敵味方の関係が常に変化するところ。その理由は複雑な宗教的、政治的背景がある。イスラム過激派が生まれたのは、1977年、当時のソ連がアフガニスタンに侵攻して共産党政権を誕生させたことに始まる。これに対してアメリカの支援を受けてアフガニスタンのイスラム教徒、サウジのアルカイダ、世界中のイスラム教徒の同盟軍が反撃。その結果、ソ連は弱体化し、アルカイダが強化。これがやがて反米化することに。
アルカイダは宗教的要素を重視するのに対し、第6世紀から一次大戦前まで拡大していたイスラム圏、元の大きなイスラム国家を作ろうという政治的要素の強いISがヨルダン人のザルカーウイをカリフとして誕生。その為にSNS(インターネット)を駆使して世界中から兵士をリクルートし、残虐な行為を繰り返している。イスラム文明を搾取したヨーロッパ文明を敵としてテロ活動を繰り返し、今の欧米に対抗する構図が構築された。
更に、コーランを重視する大多数のスンニー派(正統派)と血統を重視する少数派のシーア派の対立が複雑に絡み、サウジとイランが対立。ヨーロッパに近づくイランの影響力の拡大がサウジの立場を不安定化。ISの背景にスンニー派があること、広い領土に少ない人口であることから、王家の存続が転機にある。本音と建て前の政治的駆け引きが交錯。
複雑な中東情勢だが、石油資源のある中東は日本にとって非常に重要な地域。日本はイスラム教徒との関係を親密化すべきである。
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