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2018年11月26日月曜日

平成30年11月24日 WFWP主催教育シンポジウムに参加して

平成30年11月24日(土)
本日はwfwp企画の教育シンポジウムに参加して来ました。基調講演は鮫島純子先生(資本主義の父.渋沢栄一氏のお孫さん)「心に平和の種をまこう〜あるがままに生きる〜」、更に上野国会議員によって「国の教育問題に対する取り組み」と題して現場報告がなされた。
 96歳というご高齢者とは思えない鮫島先生(ご自身は先生ではなく一専業主婦と強調)のこれまでの長い人生経験から悟りの境地に到達されたお話しが、美しく品格のある何とも神々しい笑顔から清水が湧き出るように澱みなくほとばしり出てきたのには感動しました。生かされてきた事への感謝の思いで自分の経験を伝える使命があるとも。人間とは何なの?、永遠の生命って?
 3人のお子様を育てる中でこの課題を教えてくれた人が外国人宣教師であったこと。それは富士山の頂上を目指す時、登る道はいろいろあるように、肉体を持ちながら神と同じ思いの習慣を身につけていく中で、神の光は自分の細胞の核の中に入っていく。本当の祈りは神と自分の波動を同一にするということ。神の思いとは「世界人類が平和でありますように」ということ。鮫島先生はこの遠大なテーマを持ち始めて今日に至っておられるそう。オレオレ詐欺に合った経験談は目から鱗でした。
 難題ながら、心が洗われるようなお話でした。
講演会の後、パネルディスカッションがありましたが、そのパネリストのお一人が元中学校校長だった野口和歌子先生。70歳前のこの先生も笑顔の美しい長身の先生でした。キャリアを伺って底知れない心の強さ、信念を持って教職にあたられたことがそのお話から伺えました。校長職を12年やる中で、荒れた問題の学校に連続赴任されながら登校拒否児童数をゼロにされた実績の持ち主のご苦労話にも笑顔が絶えない。児童に愛を持って根気よく、100回を目標に登校拒否児童を迎えに行ったというお話に会場はうなりの反応。校長先生の信念に教員が一団となってこのお迎え作戦を決行。今日も続いているそうです。秘訣は教員室が笑顔の空気に満ちていること。両親が笑顔の家庭がいかに大事であるかということ。夫婦喧嘩が絶えない家庭の児童は大変心を痛めていること等々。心からのありがとう!ごめんなさい!の二つの言葉の指導も大事であろうということ。鮫島先生のお話とも繋がるお話でした。






 







2018年11月23日金曜日

日光清風塾 歴史の裏側巡りシリーズ第二弾 平成30年11月22日


日光清風塾企画の歴史の裏側巡りは第2回目として「三代将軍徳川家光を取り巻く女の戦い」というテーマに基づいて本日開催されました。当塾理事、山楽レストラン社長の古田秀夫さんのお話はその歴史観の面白さ故に、大猷院廟を歩きながら参加者一同、頷き驚きの連続でした。江戸博物館や京都まで行って資料、痕跡を勉強されているので説得力もあり歴史を見直すよいきっかけにもなります。今日のテーマの主要人物はお福さんこと春日局。光秀、斉藤利三、お福、稲葉正成、秀忠、お江、家光、そして家康。その相関図を頭に入れながらお話を聞くと、家光の出生の秘密があるような..輪王寺の平成の大修理をきっかけに三佛堂から目に鱗の資料が見つかったとか。光秀と天海僧正のなぞもある。2020年の大河ドラマは明智光秀だそう。日光がますます脚光を浴びそうです。

秋季BBQの集い+ミニコンサート 平成30年11月18日




例年だと我が家の紅葉の時期としては11月中旬前が理想なのだが今年はいろいろスケジュールが重なって唯一18日に設定。先の夫の叙勲の祝賀会をホストし、この企画を提案してくれたまだ十代の若きピアニスト、大野紘平君の都合もOKということで、彼を応援する人達に声をかけて秋の一日を素朴な自然の中で過ごして貰うことが出来ました。懸念されたお天気も私達の見方に回り、寒くも無く、暑くも無く、紅葉もまだ名残惜しそうに留まってくれて、最高の日となりました。益子から陶芸家の由記子さん、自然開拓者の牧子さんがワーグナー・ちよさんも誘って来訪してくれたことは大変ありがたく、しかもこういう集まりは最近は殆ど初めてというぐらい珍しかったようで、大変喜んでいただけたことがこの集まりの成功となりました。丁度、ワーグナー・ナンドール秋季美術展を終えたばかりのところだったことが幸いして、ホッと一息つくタイミングとなり、心からエンジョイしていただけたというお礼のお葉書をいただいたのには私達も大変嬉しいことでした。
 先日「ドナウの叫び」という下村胡人の息子さんである下村徹さんによるワーグナー夫妻の書下ろし伝記物語を読んで益子のワーグナー美術館を夫と訪問し、益子にこのような優れた、壮絶な彫刻家、哲学家が在住しておられたことを初めて知り、衝撃を覚えたばかりでした。その時にちよ夫人にお目にかかったことがきっかけで今回の我が家での集まりにお越しいただいた次第です。88歳のご高齢をおして遠路お越しいただいたこと自体名誉なことでした。
 19歳の紘平君も相変わらず素晴らしい。いつも温和でどのような集まりでも溶け込み、感性豊かな青年が奏でるピアノはこのハンブルな我が家の空気にもすっかり馴染んでいます。今回が3回目。そして洗練された相場晧一さんの美しいフルートの音に合わせての協演も最高でした。写真家の手塚さんがこの集まりの風景を見事にカメラに収めてくださいました。ありがたい記録の誕生です。料理研究家の芳美さん、宮ラジの小針さんご夫妻、英会話クラスの悦子さん、宇大の留学生遅君(チー君は本当にBBQを円滑に手伝ってくれた優しい優秀な学生)達全員を感動の渦に巻き込まれている様子もしっかりカメラに収まっています。
 そして、紘平君のママである里美さんのある存在は大。社交家で息子の活動のマネージャー的存在感は偉大で、息子の飛翔を可能にしている面も伺えるほどです。12月に予定されている汐留でのクリスマスチャリティーコンサートには東京在住の友人を誘っていくことに。楽しみです。

2018年11月22日木曜日

第70回日光清風塾講話会「米中貿易戦争の中の中国で講義して」 要旨 平成30年10月28日

第70回講話会「米中貿易戦争の中の中国で講義して」平成30年10月28日(日)

中国で三つの大学で講演をして最近帰国した。特に南京大学では米中貿易戦争について講演した。その講演では1980年代の日米貿易摩擦の際、日本がどのような対応策を取ったのかの部分が学生達の関心をひいた。当時日本は大きな対米貿易黒字を続け、これを改善しなければアメリカは輸入制限等の保護貿易政策に走り、自由貿易体制が損なわれてしまう恐れがあった。これを回避するため、先ず1985年に当時の五大国(米、英、仏、西独、日)がニューヨークのプラザホテルに集まり、ドル安(アメリカの輸入増)を導くために為替市場に協調介入することに合意した。その結果、日本円は2年間で40%も為替レートが切り上げられた。これだけでも不十分で、日本は対米自動車輸出を抑える自主規制措置をとった。この交渉に私も参加した。
これに対して、中国の学生達は、貿易戦争にこのような対応があったという事は初めて知った、と言っていたが、中国が中米貿易摩擦にどう対応すべきかについての論は余り行われていないように見受けられた。
私は、さらに、自由貿易体制は当然のこととして存在している訳ではなく、すべての国がそのために努力しなければならない、中国としても、対米貿易黒字を減らすこと、また知的財産権保護の施策を強化する等の努力が必要だと思うと述べておいた。
中国でニュースを見ていても、中米貿易戦争が最大の関心事である。このような状況で安倍首相の中国訪問もあり、日本との協調に対する期待感が強まりつつあると感じた。