2019年6月14日金曜日
祖父母の金婚式にかわいい孫達への祖父からの遺訓 (令和元年5月31日より2週間前倒しで集合)
2019年の春は元号が平成から令和に替わり、日本中が沸き立った。我が家にとっても大きな節目が続いた。6人の孫の内、No1とNo2が中学生になり、No3,4,5の3人が小学生になった。そして彼等の祖父祖母が今月末に金婚式を迎える。3人の子供達が忙しい中、時間をお互いに調整し合って、この週末日光に全員集合。彼等から温かく祝福を受けて感無量となる。無事にこの大きな節目に辿り着くことが出来た境遇、運命、子供達の成長ぶりと優しさに改めて感謝した。更に、夫からかわいい孫達へと題した6ページに及ぶ魂を込めたメッセージの朗読は遺訓となるであろう愛が伝わり、家族を涙が出んばかりに感動させた。大変内容の深い貴重な時間を家族で共有出来たことに感謝するばかり。これからの頑張りを励まされた思いである。
2019年6月13日木曜日
6月8日(土)山登りボランティアガイド活動
幾何学堂での思いから一週間、偶然にも同じような立場で活動する人との出会いがあった。日諾(日本・ノルウェー)協会のコーラスメンバーの柴田氏が突然我が家を訪問。夫がこの協会でやはりコーラスグループに入っていることから、翌日女峰山に登るため、前日から日光入りし、日光在住の夫を訪ね下さったのだ。コーラスの方では経験豊富でリーダー格ながら、物静かな口調で小柄でもあり山登りというイメージではなかったが、3時頃から結局9時過ぎまで滞在されてお食事しながらお話しているうちに、やはり普通の方ではないことが分かった。つまり、ボランティアグループに入って、視覚障害の方々の山登りのガイドをしているという。そもそも山登りは社会人になってから始められたようで、孫が小学校5年生の秋に百名山を踏破した話には驚いておられた。百名山はまだ半分ぐらいとか。しかし、健常者の山登りではない。山に登りたくても単独では登れない人達を助けて、山登りの感動を味わってもらいたいがためのボランティア活動である。時間はかかる。後で連絡をいただいたら、日光山女峰に朝5時霧降の駐車場を出発。17時に下山というから12時間の行程だったよう。今回は3人をリードされた由。自分が登るのに目一杯なのに、3人の人に寄り添いながらの上り下りである。肉体的に超難度。人に寄り添ってのこういった活動をされていることを知って本当に頭が下がる思いである。
先週といい、今週と言い、続けて、特別なボランティア活動をしている人達を目前にして、生き方の姿勢を学んだ思いである。
先週といい、今週と言い、続けて、特別なボランティア活動をしている人達を目前にして、生き方の姿勢を学んだ思いである。
6月1日(土)日光キリフリ谷の芸術祭
今年も6月の一か月間、日光霧降を舞台に、キリフリ谷の芸術祭と称して、あちこちでいろいろなイベント、催し物、展示会などが開催されている。その初日に友人から知らせを受けて、即、持ち前のフットワークで幾何学堂に出かけた。元劇団四季のメンバーさん達が結成した「心魂」の演劇を見るためである。二年前にこの場所に初めて伺った時は演劇は終わった後だったが、独特の重量感があり、開放的な造りの小坂氏ご自身の手によるログハウスが興味深かった。そこには渡辺さんによる織物の大作が広間に飾られて幻想的な雰囲気を醸し出していたことが印象に残っている。建築士の小坂さんからログハウスの眼下に広がる谷間にアクロポリスにあるような半円形劇場を建てる夢のような構想があることを聞いていた。今回も偶然入り口で小坂氏にお会い出来、その話を持ち出したところ、その夢はまだ棄てていませんとのこと。現にその気配を感じる新しいアネックスが幾何学堂の横に繋がっていた。
舞台と観客が同じフロアで向き合い、元劇団四季のメンバーが演出する出し物はストーリー性は無く、リクエスト音楽で世界を旅するというもの。舞台も含めて50人が入るか入らないぐらいの狭いホールの中で彼らの演技は圧倒する迫力であった。その中で、私にとって初めての経験であったのが、彼らの目指すものが健常者相手の演出ではなく、歌やダンス、演劇を見たくても見に出てこれない難病をかかえたお子様達であったこと。観客から奇声が飛び交い、最初は違和感を覚えた自分が恥ずかしくなった。地元ではなく、多分遠くから、車椅子と一緒に、ご家族に付き添われて、この日のために体調を気にしながら出かけて来たに違いない。舞台の終わりに、団長さんが「心魂」の結成に至ったお話を聞いて、その目に光るものを見て、「良く来たね!良かった良かった!」などという挨拶言葉が最初に耳に入ってきたことがようやく理解出来た。難病を背負った小さな子供達は勿論、そのご家族への愛の深さがこれほど強烈に響いたのは初めてかも知れない。霧降の小さな谷から、こんなに明るく元気に大きな声で、幼いながらも貴い命を励まし、愛を一杯注いでいる主催者に私はすっかり心を打たれた。みんな、一生懸命生きているということを強烈に感じた日となった。
舞台と観客が同じフロアで向き合い、元劇団四季のメンバーが演出する出し物はストーリー性は無く、リクエスト音楽で世界を旅するというもの。舞台も含めて50人が入るか入らないぐらいの狭いホールの中で彼らの演技は圧倒する迫力であった。その中で、私にとって初めての経験であったのが、彼らの目指すものが健常者相手の演出ではなく、歌やダンス、演劇を見たくても見に出てこれない難病をかかえたお子様達であったこと。観客から奇声が飛び交い、最初は違和感を覚えた自分が恥ずかしくなった。地元ではなく、多分遠くから、車椅子と一緒に、ご家族に付き添われて、この日のために体調を気にしながら出かけて来たに違いない。舞台の終わりに、団長さんが「心魂」の結成に至ったお話を聞いて、その目に光るものを見て、「良く来たね!良かった良かった!」などという挨拶言葉が最初に耳に入ってきたことがようやく理解出来た。難病を背負った小さな子供達は勿論、そのご家族への愛の深さがこれほど強烈に響いたのは初めてかも知れない。霧降の小さな谷から、こんなに明るく元気に大きな声で、幼いながらも貴い命を励まし、愛を一杯注いでいる主催者に私はすっかり心を打たれた。みんな、一生懸命生きているということを強烈に感じた日となった。
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