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2026年8月31日月曜日

8月31日(月)

 8月31日(月)

酷暑の夏も盆を過ぎた頃から比較的気温が下がる気配があったものの、まだまだup downの繰り返し。そんな中、7月13日にあの大転倒から右臀部から右脚、右足まで内出血に見舞われ、臀部の痛みから座ることも出来なかった夫。良く耐えて1か月を過ぎたあたりから、少しづつ日常スタイルが戻り始めた。そして、今日は、待ちきれなかったゴルフに挑戦。ラインヒルでワンラウンドに挑戦。勇敢にも早朝6時22分ティーオフに宇都宮からの飛ばし屋二人の男性と一緒に何とか回れた。スコアは気にする必要なし。彼等はシングルプレイヤーながら、感じ良く一緒に回ってくれた。

それより、8月は苦しい時期となった。我々の任意団体「日光清風塾」の活動である。アメリカ大使館訪問が先方の意向により、米大が日光に来ることになり、我々がホストとなってイベントを発起。「American Festival for America250 in Nikko」がテーマとなる。塾長の挑戦意欲から次々とアイディアが出て来るのだが、一部の抵抗があったり、私自身、悪いことにいつもネガティブ思考が先行して、数多の問題の壁にぶつかってはストレス満タン。食欲を失い、良い睡眠が取れない。それでも、今までそうであったように、抵抗しながらも説得に負けてしまう。そして、結果はいつもやって良かったという感想になる。今回もそれを信じて食らいついていきつつある状況。そんな中でのゴルフであったが、先程、市から朗報が。日光市が共催してくれることに。これも塾長の手腕。予算問題が一つクリア出来る見通しが出た。ホッ!

もう一つ、息子の入院騒動が重なり、心痛の大きな原因に。数日で退院したものの、今自宅療養中。仕事のストレスが原因だとなると、いつ復帰が叶うか心配である。平素元気印の私だが、しっかりしなくてはと自分を鼓舞することしきり。これは祈るしかない。ただただ祈るしか。

動いていれば何か助けが到来すると信じてLet's go for it!

2026年8月20日木曜日

お盆休みで町田組、市川組別々に来晃

 8月8日から2泊3日で来訪。星太殿は部活が忙しくてdidn't show up.この日は、我々は大野紘平さんの初めての自主企画イベント”Blue Nostalgia in Nikko”がTorchというキャンプ場を舞台に開催されたので、そちらの応援に。このことは既に記録した。町田組は今市の花火大会の方に流れて別々の時間を過ごすことに。タイミング良く、彼らと我々が帰宅したのが殆ど同じタイミングで9時半頃。夕食は出先で食べたような食べないような。チキンと野菜のこってりトマトソースだけを用意しておいた。学校からの短期英国研修旅行に参加して帰国したばかりの明里ちゃんの旅の報告を聴き、イギリス土産のshortbread を貰う。良い経験をした様子。感覚の鋭い彼女の第一印象は自然の違いだったと。ちまちました庭ではなくwildな荒野に強い印象を得たよう。彼女と再従姉弟同士が同学年ということで、甥の娘の子どもたちが遊びに来た。昔と違って走り回ったりはもうしない。スマホを握って時々話をする程度。今時の子どもとなっている。そして3日目は早朝に山旅行に出発。尾瀬やら伊香保やら燧岳とか回ってお盆の時期に町田へ帰還。

そして、第二弾は市川組が家族全員で18日にやってきた。昊粋君は20歳になり、ますます落ち着いて話をするように。もっぱら、夫と宇宙の話。次男坊のサッカー少年は見違えるように、自分をしっかりコントロールするように。何でも御朱印集めに興味を持ち始め、今回は東照宮へ。その前に土沢の夫の実家で甥の孫が誕生したばかりで皆で拝見に行ったところ、彼は赤ちゃんが大好きの様子。じっと傍を離れない。彼の父親と一緒に見つめてあやして寝かしつけてしまった。相当好きと見える。彼等も2泊3日の予定を組んで、温泉に行き、東照宮に行き、帰路大谷石まで行ったそうで、日光に切る前には仙台に行き、息子の大学のキャンパスを見、松島から北上して気仙沼まで。1000㎞以上走った様子。充実した盆休みだったよう。次男坊帰る日の朝早く一人で電車で帰宅。サッカーの練習がある由で、しっかり自分のスケジュールを全うする姿勢が見えた嬉しかった。

彼等が帰る日に重なって悪かったが、私は「楽しみ会」コンペに参加。リフレッシュが必要というより、楽しみなことの一つなので決行。調子はバンカーにつかまり過ぎてしまったが頭の切り替えが出来て良かった。これが終わると日光清風塾の作業が待っている。


2026年8月14日金曜日

8月8日 Blue Nostalgia in Nikko

 

こへまること、大野紘平さん自ら初めて企画した地域活性のための大イベント、Blue Nostalgia in Nikkoに夫と日光清風塾の友人達と参加。結果は大成功。途中で大雨に見舞われ、後半の部分は屋内に移動するはめになったが、それが又逆効果があったと思いたい。日光市民病院の裏手山斜面にTorchというキャンプ場が会場。野外のイベントとして、出店、体験学習、グルメクッキングカーもアレンジされた。驚いたのは地元がこの場所を知らないこと

集客の相当の苦労があり、私達も清風塾会員たちにも周知。ただ、この日は、あちこちで花火大会や、終戦記念として祈りのコンサートなどの他のイベントと重なったことから人数的には予想まで達しなかったが、来場者の満足度は最高であった。とにかく、Blue Nostalgiaのスタッフとアーチスト達、大野紘平(ピアノ&シンガー)、前田健志(尺八&シンガー)、高松亜衣(バイオリン)、山岳戦士オクニッコーマン(ベース、パーカッション)、flute arisa(フルート)の熱情とエネルギーが100%以上の効果で迫りまくり、会場にはち切れんばかりの渦が巻いた。葉加瀬太郎の情熱太陽がそのまんまバンドに乗り移った感があった。そこに、日光清風塾合唱隊の指導者、ソプラノ歌手の石井真由美先生とのコラボが入り、これが、盛り上がりの絶頂を作り上げた。来場者に配布されたBlue Nostalgiaの ネーミングの入ったリストバンドを以後、自分を鼓舞してくれるエネルギー源として嵌めっぱなしで着用している。私のこれからの計算では短い人生を長く活力のある楽しいものにしてくれそうである。

そして、新しい貴重な出会いもあった。オランダで小和田大使ご夫妻とお知り合いになったという日本画の大家、北条正庸(まさつね)ご夫妻である。


このご夫妻とはこの日から5日後、再度日光での別のコンサートで偶然再会。お話が楽しくて、夫が急に帰路我が家にお寄り

いただきたいと提案。快く応じて下さって、結局9時頃まで御食事を共にし、話が楽しく続いた。




2026年8月1日

 2026年8月1日

前日は多摩泊⇒五反田に向かう。唯一の従姉弟(叔父の長男。次男は数年前に逝去)眞一(往年78歳)さんの葬儀に参列するため。突然の訃報に驚き、生前には叔父叔母が健在の頃、調布の家でお会いしたもので、叔父が10年近く前に亡くなった時葬儀場で会ったのが最後。叔母はコロナの時に亡くなり、葬儀は密葬で参列出来なかった。繋がりは強いものの、縁は薄かった。しかし、唯一の従姉弟なので、東京界隈に住む、次兄の子どもたちに声をかけて彼等も参列の運びに。

淋しい気持ちを抱えながら葬儀場に向かったものの、今回は珍道中となり、淋しさを味わうどころか、それが吹き飛ぶような顛末になったことを記録しておこう。

五反田でJRから東急に乗り換えて一駅目だと事前に生花を手配した花屋からのインフォメーションを確認しないまま行動したのが事の始まり。五反田の駅のトイレで、汗びっしょりになりながら、平服を喪服に着替え、靴もヒールのものに履き替えた。そして電車に飛び乗った。😥ところが一駅目の駅の名前が違う!「不動前」ではない。考える間もなく、飛び降りた。そして駅員に尋ねたらそんな駅はこの路線には無いと。一瞬パニックに。目的地に行く方法を駅員が検索。駅前から渋谷行きのバスが出ているから、そのバス路線に『不動前』があることが判明。あわてて炎天下のバス停へ。バスはすぐ来た!神様は手を差し伸べてくれた、が、そのバス停で降りてからが大変。道行く人に訊いてもはっきりしない。タクシーは今どき捕まえられない。スマホでGO タクシーを呼ぶシステム。それも面倒。アナログ人間丸出しで、根気よく、キャリーバッグをごろごろ道連れに、出会う人ごとに尋ねながら、それでも、何とか目的地にたどり着いた。予定より30分遅れたので葬儀は既に始まっている時間。

ここからが落語の世界に突入。葬儀場はお寺というより、近代的建築のマンション風。各階に部屋が仕切られている。結婚式場の如く、~部屋、~部屋、と部屋が並んでいる。会葬案内のFaxを取り出してチェック。『雲』と書かれている。1階の目の前にその名はあった。スタッフに案内されて唯一空いていた一番前の席に。お経は真っ最中であった。汗びっしょりのまま着席して安堵した。そして、やおら、祭壇を観たら、ご遺影が別人! 自分を疑った。えっ? 自分の目は間違っていないと確信して、すぐ又立ち上がって頭を低くして部屋を出た。何食わぬ顔を装いながら。出て、確認したら、『雲』には、1と2があった。目的地は隣であった。中に入れなくて部屋の外の参列者たちの中に、甥、姪たち3人が心配そうに私を待っていてくれた。ヤーレヤレ!! 顛末を話すにもお経真っ最中の静けさの中では笑えない。こらえてこらえお経が終わって成り行きを話したら、みんな口を閉じてお腹を抱えて!!

ともあれ、無事に喪主ともご挨拶出来本当に安堵した。用があって甥は会葬の後すぐに帰って行ったが、姪たちと最後までお食事も一緒に出来て今日の珍道中をしっかり理解してくれた。彼女達とは頻繁に連絡を取り合う中なので、厳粛なお葬式を一緒シェアし、珍道中には笑いながらも同情し、半時間くらいヒールを履いて炎天下を歩き回ったことを労り、無事に参列出来た事を喜んでくれた。帰路は、彼女達の車で浅草まで送ってくれて本当に助かった。

1人になった駅でも珍事が。切符を買った窓口に彼女達から貰ったお土産と会葬のお返しの品を入れた紙袋を置き忘れたことに発車時間10分前に気づくという失敗劇をやったこと。これもしっかり保管されていたので無事取り戻すことが出来た。終わり良ければ全て良し。

2026年7月29日水曜日

7月26日(日)令和8年度総会及び第137回講話会

 7月26日(日)令和8年度総会及び第137回講話会;「急に具合が悪くなる」

今回の総会は会員の層に新しい風が入ってきたことから、例年にならって準備された総会資料に基づき恙なく進行されたものの雰囲気が何か刷新されたものに感じた。インターミッションでは1年前に立ち上げた合唱隊の出番を作り、8名(男性4、女性4)が真由美先生の指揮の下、『オーシャンゼリゼ』をフランス語のフレイズを交えて発表。2曲目は『青い山脈』を全員で。当合唱の正体というか目指すところ(国際色のある歌をレ
パートリーに)、音楽健康法指導士でもある先生のユーモアのあるトークのお陰で15分のエンターテイメントが達成出来た。

さて、講話会の方は素晴らしいものとなった。今の話題作となってい【急に具合が悪くなる】を取り上げたことが大成功。映画を実際見た後の感想は既に前回のブログに書いているが、今回はこの講話会のために今朝読み上げた二人の女性の往復書簡集が頭から離れない。もしかしたら、この書簡集について5分でプレゼンをするはめになりそうだったことから、前日になって読み始めたものの、速読というわけにはいかない本となった。映画はhumanitudeがキーワード(人間らしい介護技法)となっているがこの映画の原点とされる2人の女性学者先生の【急に具合が悪くなる】往復書簡集(晶文社)は「人生いかに生きるか、いかに死に立ち向かうか」という重くて深いテーマのやりとり。2人の深い洞察、思考のやりとりに圧倒された。哲学者の宮野真生子博士(がん患者で医師から、急に具合が悪くなるかも知れない、と宣告されたことがこの書簡集のスタートなっていて文化人類学者の磯野真穂との往復書簡10便だが実に胸を打つ内容。2人は知り合って9カ月弱。この書簡は最後の2カ月間のもの。ハイデッガーの言う【死はいつか来る しかし今ではない】がまさに【死は今ここにきている】という段階で2019年4月27日にスタートし、【癌をいかに捉えるか】と【癌をかかえて生きる事の不確定性リスクの問題】を磯野さんと専門的に深めて見ようとという学問的野心から宮野さんが提案している。最後に見える風景がその先の始まりに充ちた世界の広がりになっていることを祈りながら。宮野さんの最後のメッセージは【「何て世界は素晴らしいのだろう。」と私はその「始まり」を前にして愛おしさを感じます。これが、いま私が辿り着いた結論です。】2019年7月1日。実際に宮野さんが亡くなったのはこの数日後である。偶然にも私達がこの映画を見たのが2026年7月5日。7年前の出来事。磯野さんの言い出したラインもキーワード。出発点から目的地にラインを引き、そこを徒歩で進む。ライン上でいろいろな偶然、景色と出会い新しい未来の世界に向かい、新しい世界を紡ぐ。新しい始まりとなり遠い未来に繋がる。そこには怖さを乗り越えた希望があり、祈りがある。

書簡集では介護の話は議論されていない。映画では人間的な寄り添う介護。人間の尊厳性は最後まで大事にする介護の技法がテーマになっているが、その先には書簡集から見える人生の生き方、いかに死に立ち向かうかという深い思想が見え、考えさせられるものである。

会場からはいろいろなコメントが出た。humanitudeは実は日本にも導入されつつあり、研究されてきているという。実際に認知症の親を介護した経験も。現場と人間の尊厳云々は頭でわかっていても実に難しい問題であること。肉親であるからこそ葛藤も大きい。講話会の後で、フランスからhumanitudeを実践する専門家の経験、日本での指導の様子などが撮られた動画が発信されてきた。今日のテーマを取り上げて大成功だったと思う。

2026年7月24日金曜日

7月13日(月)我が家にも「急に具合が悪くなる」が訪れた!

 7月13日(月)Bad happeningのスタートとなった日。

当日は合唱の練習をこなし、午後は歯科医院でのアポ。暑い気候の中、移動するだけでも不快感がある時、悪夢は夜中にスタートした。いつものように、夕飯前に夫は暗くなりつつある庭へ出て行く。森を一巡し、手を加えて育てている木々や草花の姿を確認する。勿論暑くてもヘルメットを着用して。そして家に戻ると汗をびっしょりかいているので最近は入浴を先に済ませる。この日も先に入浴を済ませ、ゆっくり体を休め温めて冷房のきいたダイニングで夕食を取る。いつものルーティンで食後はしばしテレビ観戦。

6月12日から始まったFIFA2026のおかげで、我が家は活気づき、一つ一つの試合をライブで観戦するようにしているため、すこぶる睡眠不足というか、体のリズムが普通ではない。でも、あのエキサイト感は貴重であり、我々の望むところである。侍ブルーは対オランダ戦(1-1)から始まり、チュニジア(4-0)戦、スエーデン(1-1)戦と戦い抜いた。F組で1位通過を果たし、トーナメント一回戦はブラジルに当たった。先制点を獲得しておきながら、守りの姿勢が強くて結局ブラジルの反撃に合い、(1-2)で惜敗。侍ブルーの応援は終わったがその後の各試合は殆どライブで観戦し、途中まではノルウェーを応援。「ロゥー」の集団応援で一躍人気となり、ストライカーのハーランドが大人気となる。7月20日のアルゼンチンとスペインの決勝戦は見事というしかない。サッカーの醍醐味を十分味わうことが出来た。スペインの19歳のヤマルの名前は覚えておこう。

このFIFAが終盤に入った13日(月)の夜、我が家に突然不運が襲った。当日のFIFAのハイライトを見終えて、ベッドに入って間もなく、夫が苦しみ始めたのである。「痛い!痛い!」の連発。実はこの日の夕方、毎日日課として林の中を歩いていた時、何かの拍子に転倒してお尻を石にぶっつけたのだそう。右側臀部が見る見るはれ上がってきていた。寝る態勢もとれず、どうしてよいか成すすべがなかった。救急車を呼ぶべきかどうか迷ったが、打撲なら明日病院に行くしかないとの思いで、朝まで我慢することに。最初に駆け込んだI病院は整形外科医が不在ということで、O整形外科病院へ。外来で待ち、1時間半ぐらい待ってやっとレントゲンを撮った結果、骨折は無さそうとの診断でホッとしたものの、痛みが何とも苦しそう。とにかく痛み止めの薬を処方して貰って帰宅。

しばらく我慢の数日が経って4日後の金曜日、またもや悲劇が襲った。痛みが一寸緩和されてきたことをいいことにまともや夫は庭に出て、庭のチェックをしようとしたところ、今度は蜂に刺されてしまったのである。ショックで一瞬気を失ったと本人は言っているが、後ろに転んで今度は背中を強打。呼吸に支障が出るほどの強打だとしたら肋骨が心配。夕刻だったこともあり、すぐ、ホームドクターの所へ。蜂刺されの対処で肩に注射をされた。でも背中の強打は専門外なので整形外科へということで徳治良にあるK整形外科病院へ。レントゲンを撮った所見は骨折は見られないということであったが、痛みがある以上、多少ヒビが入っているかもと。コルセットで安静にするしかない。泣き面に蜂とは正にこのことである。

臀部の骨折が確かに無いかどうか、I病院でMRIを撮り、本日(23日)整形外科医の診断を受けた。骨折は無いようだとのことでこのまま安静に時が経つのを待つしかない様子。右臀部から足の下まで、内出血で紫色に脚全体が変色している。恐ろしいほど痛々しい。1~2カ月はかかりそう。感染しないことが最優先。介護の勉強が必要になりそう。

2026年7月15日水曜日

2026 年7月11日(土)童謡誕生110年 童謡の日コンサート in かぬま

 鹿沼ケーブルテレビホール 鹿沼市民文化センター大ホールにて童謡の日コンサートが開催された。正に、多くの団体と個人アスリートが参加した大がかりのコンサート。指揮者・音楽監督はカンマコールの指導者である下司愉宇起先生/うた 稲村なおこ 音楽と健康の普及に尽力、うたのお姉さんとしてNHKでも活躍された日本子守唱協会理事/うた 高曲伸和先生/童謡の日コンサート管弦楽団(コンサートミストレスが西条八十氏
のお孫さん奥村琳さんなど約40名 ピアノはカンマコール伴奏者安部 葵さん。)そして鹿沼童謡の会「わらべっ子」/つのはず合唱団/宇都宮童謡こころのうた教室/渋谷区シニアクラブゆうきの会/女性合唱団岡本カンマコール/女性合唱団日光カンマコール と合唱団だけでも総勢約140名の大世帯で編成されたコンサートは圧巻であった。

私達カンマコール(岡本+日光)は源田俊一郎氏編曲の「ふる

さとの四季」Four seasons in My Hometown を歌ったが町田からわざわざ来てくれた長女の朝子によると素晴しい編曲であり、合唱も素晴らしかったと大手を振って褒めてくれた。宇都宮から聞きに来て下さった友人Hさんも最高のパフォーマンスだったと感動のコメントをいただいた。あちらからもこちらからも最高でした、との感想が。私自身も今までにない感動を実感してウルルと来た感がある。全曲暗唱というのはかなり難関
であったが柔軟にメンバー各自対応出来た様子。やはり経験からくる度胸かも。それに、笑顔が保てたという評価も。

何よりもここまで全力投球で指導して下さった下司先生の尽力の賜物というしかない。

2026年7月8日水曜日

7月5日(日)「国宝」以来、凄い日仏合作映画に遭遇「急に具合が悪くなる」

 7月5日 梅雨時の雨模様の中、夫の友人からの勧めで「急に具合が悪くなる」という一寸変わったタイトルの映画を見た。5時50分~9時10分、3時間半の映画。越中島グループの啓子さんからラインでこの映画のことは知っていた。浜口竜介監督による映画で、この浜口氏は啓子さんの友人の家族であり、二人の女性主人公が揃ってカンヌ映画祭で主演賞を獲得したこと。浜口監督と言えば、作品を出すたびに賞を獲得している人。タイトルから、さほどシリアスなものでは無いと思っていたところが、哲学的でリアルな問題で、知性と人間の尊厳を思慮する知性を持ち合わせた二人の女性の会話が静かに、鋭く、深く体のどこかに突き刺さるように時間が流れ、長時間の鑑賞もあっという間に終わった感がした。

キーワードはユマニチュード。フランス発祥のケア技法。単なる介護技術を超えて「人間を人間として扱う事」が根本になり、人と人が魂を通わせ合うコミュニケーションの象徴としている。尊厳の回復と意志疎通の象徴。ユマニチュードの基本要素は四つ。「見る」「話す」「触れる」「立つ」。相手を管理、統制するのではない。尊厳を持った一人の人間として認めるための実践として描かれている。

効率、利益優先の資本主義への闘いともなる。冷徹な社会構造に対する抵抗が見られる。ヴィルジニー・エフィラ(仏人女優)演じるマリー=ルーは介護施設でユマニチュードの理想を導入しようと奮闘する医療人類学者。だが人手不足やコスト、目先の効率性を求める資本主義的な仕組みの壁にぶつかる。がん闘病の哲学者であり舞台演出家の真理と偶然出会ったことが、自分自身と人生にどう向き合っていくのかという深い思索に入り込み、この二人の女性の対話の広がりが圧巻である。真理が急に具合が悪くなることを告白したことがマリーを揺さぶることに。

「ケアする側」と「ケアされる側」の双方向性にキーはある。よりよくケアすることによりケアする側の尊厳も保たれるという哲学に深い共鳴がある。依存し、頼り合うことで初めて「人と人の繋がり、関連性」が生まれるというケアの双方向性の解釈が核となっている。

作中でのユマニチュードは、認知症ケアの枠組みを飛び越えて、私達が他者と共に生き、一人の人間として関係を結んでいくための倫理や姿勢として深く解釈される。

因みに、真理を演じた岡田多緒さんの演技は余り無いがその語り口には魅せられた。落ち着いて、説得力があり、フランス語も上手。体からのエネルギーは無に等しいが丁寧で知的な会話にはバイタリティーが感じられる。長い長方形の俎板のようなイメージで人間臭さが無いが秘めた人間の知性と能力を感じる。

もう一度見たい映画である。

2026年7月3日金曜日

6月30日白樺会

 一年半振りに開催された白樺会(1990年代からノルウェーに在住した夫人の集まり)に出席。当日はFIFAのトーナメントがスタートして日本はその初戦にブラジルと対戦。未明の放映をやはりライブをとの意気込みで感染。実に素晴らしい戦であった。惜敗もいいところ。前半で先制点を獲得した日本は、ひょっとしてひょっと!という気持ちも持てた。が、ブラジルの勢いに負けてしまった。残念至極であった。

朦朧とした気分で東京へ。今回の白樺会は大岡さんと細野さんが幹事。丁寧なご案内のおかげで、見つかりにくい会場もすぐわかった。「Acqua Pazza」(狂った水、暴れる水という意)という名の知れた日高シェフのお店。外苑前駅から徒歩2分。郵便局手前のパサージュを入って突き当り。そもそも20人以上でスタートしたらしいこの会も今回は9名が参加。高齢化の波がここにも。大企業、商社関係の方々が主で大使館関係は澤井夫
人と私のみ。少人数なので親しく話が出来た。遅く入会した私だが、どうも最年長の匂いがした。商社関係の方々はまだお子さん達が学齢期にあって相当若かったようなので、年齢的にはまだ若い。中には、社交ダンス、テニスを続けている方もおられた。私はそれでもゴルフをやっているので(というより毎回成績アップを目指して頑張っている)話が弾む。それぞれ子育てに悪戦苦闘し、今や親の介護でい忙しいという方もいて、大変な部分もありながら、立派に今日があるという印象。在外勤務経験者は心身ともに強いとつくづく思う。

2026FIFA

 2026FIFA、スポーツの世界の祭典の時がついにやってきた。今回こそ優勝を、の決意で好スタートを期待される「侍ブルー」。応援体制に入っていよいよ6月15日(月)の未明対オランダ戦がキックオフ。勿論寝るのも惜しんでテレビの前に。そもそもサッカーなる競技に無関心であった私だが、夫が中学生の時にサッカー少年であったことを聴いてからサッカーを見るようになっていた。1997年、ブルネイに在勤した時にマレーシアのジョホールバルで開催された折、初めて国際試合を観戦して以来、サッカーに関心を持つようになった経緯がある。

2026年は6月12日に北中米大会が開催。日本は初戦をダラスでオランダと6月15日に対戦。相手は欧州予選で首位を快走した12度目出場の強豪。初戦で強豪とぶつかったが、0対0という結果に大拍手。続いて2戦目は21日(月)午後に対チュニジア戦。これは4対0で快勝。最後の対スウェーデン戦は26日午前1対1で引き分け。結局一次リーグはF組で2位通過となりトーナメントではC組トップ通過の強豪ブラジルと対戦。それが6月30日の未明キックオフであった。日本が戦ったリーグ戦は全試合ライブで応援したので睡眠をコントロールしながら熱狂的に応援した。そしてトーナメント初戦は前半で先制点を取ったので、行けるかもと必死で応援したが後半でブラジルの勢いに追いつかず、1対2で惜敗した。本当に良く戦い、惜しい惜しいの連発の場面も多かった。まさに惜敗であった。

思うに、オフェンスをもっと野獣の如く突っ込んで行っても良いのでは無いかとも思ったが、フランスのエムバテやアルゼンチンのメッシーを見ていると、スマートで迫力のある美しいシュートをやっている。ボールが来たところに居るという感じがする。ボールの動きの読みが鋭いのかもしれない。

トーナメント一回戦で日本は敗退したが、サッカー自体の面白さに嵌って、殆どの試合を追っかけて見ている。私の予想では、フランス、アルゼンチン、ブラジル、アメリカが4強になると見ている。決勝戦は7月20日4時のキックオフである。まだまだ楽しみが続く。

2026年6月11日木曜日

6月の楽しみ会

 

今年1月から参加しているシニアゴルフ愛好軍団による「たのしみ会」も今日で6回になる。毎月第2木曜日が設定されていること、幹事さんも不動で場所取りからマネッジメントもしっかりやっていただけて、私達は当日行ってプレイするだけ。梅雨の合間の晴れの日に巡り合え、まだ蒸し暑さも無く、最高のゴルフ日和となった。今回はピート台VIP

このグループで一番上手なMr.Akutsuとご一緒出来た事は幸運であった。出だしのインの10番ホール(par 5)でいきなり8を出してどうなることかと思ったが、先週張り付いてテレビ観戦した全米女子オープンでのNelly Kordaのあの冷静さが頭に浮かび、ミラクルショットの連続となる。前半ハーフにbirdieを一つ、parを二つ、double boggyを一つ、後はboggyということで44で回った。

後半もミラクルショットが続き、1番ホールでbirdie。8番まで、parを二つ、double boggyを二つ、triple boggyを一つだしたものの、45で行けそうと思いきや、ここがゴルフの恐ろしいところ。最期の9番ロングホールに落とし穴が。3オン直前の20ヤードのアプローチでシャンクが出てしまった。しかもそれがバンカーに入り、バンカーから出られない。バンカーで6打の記録。3オンしてparで上がれると軽く思っていた矢先の地獄を味わってしまった。結局最終の9番ホールは12。悔しいことこの上なし。結局後半は51。44 + 51で95になってしまった。ハンディーが20なので3オーバーという結果。もしかしたらエッジシュートも不可能では無いなんて秘かに思っていたものの、見事に外れてしまった。

しかし、今日のゴルフはいつになく、最後の1ホールを除いて疲れも無く、気分も晴れやかに出来たとおもっている。7/13 位。

2026年6月8日月曜日

小石川後楽園

毎週土曜日BSで放映される村雨氏(庭師&俳優)の庭園紹介に目が留まり、水戸光圀が手掛けた小石川後楽園に魅せられ、絶対行かなくてとの思いがつのって、越中島仲間に連絡。麗しの越中島レディーズの1人、啓子さんは小石川に住み、外国人グループにガイドもやっている。何十回と行っているに違いない彼女が即「行きましょう!」快く声かけをして下さった、才子さん、ひろ子さんも、つまり全員が6月2日に現地に集合。大型台風6号がやってくる直前をタイミング良く狙った形で、曇り空で暑くなく、心地よく、最高の庭園見学となった。庭園はテレビで前知識もあったが、啓子さんがプロ意識になって丁寧に案内して下さり、当時の武家の高い文化意識の下、中国から朱儁庭専門師を迎えて造られたという庭なので、中国的要素も少し加わり、でも違和感はない。当時のように、中国文化への高い意識を持った武家のお陰で、今日の日本文化が育っていることを再認識すべきである。政治的要素が原因で悪化している日中関係はここでは無縁である。

梅収穫期

 5月末は庭仕事で忙しくなり始めた。花々が賑やかに、美しく咲き始めると共に、雑草が成長し始め、家庭菜園からも目が離せなくなる。その上を行くのが、タケノコの収穫(我が家に生えるわでではない)、庭の2本の梅の木が今年は実を立派に付け、収穫作業が大変だった。梯子によじ登り、上の方も全部もぎどった。落ちたら悲劇になるので、慎重に慎重にやったおかげで、何とか無事にもぎ取れた。それでもその保護色であることから見落としもいくつかあった。嬉しい悲鳴とはこのこと。我が家からの梅4㎏、お隣の森から3㎏、塩10%の梅漬けをやる。残りはラッキョウ酢に。赤紫蘇が出るのを待つのみ。

草刈りも草刈り機がまだ使える。敷地内の3分の一を2時間で。台風6号が去った直後をねらったので借りやすい状況ではあったが、機械の方が、一定速度にならなくて、怖い時もあったが何んとか夫の作業が少しでも楽になることを願って自主的にやったこと。無事に出来てホットする。

佐渡 裕氏の指揮による新日本フィルを鑑賞

 5月24日、タイミングが遅れてのチェック購入だったため、贅沢ながらS席が購入可能だったことから思い切って夫と出かけた。電話でコンビニ経由の購入が可能なので大変便利。約20年前、ノルウェーから帰国して夫の最後のポストが大阪であったことから年末に大阪城で開催された佐渡裕さんの指揮による第九の1万人の大合唱を鑑賞したことがある。世界に進出される前であったかと思うが、背が高く、温かいイメージの佐渡さんにすっかり魅せられた記憶がある。その後、東京に戻り、退職後の生活の変化と日光に居住を移動させ、新しいキャリアが再スタートした。そして月日が経ち、今回宇都宮で氏の指揮によるメンデルスゾーンの作品が演奏されることを知って久々に出かけた。そこで、偶然にも律子さんご夫妻に遭遇。ゆっくりお話は出来なかったが、ご主人がクラシック愛好家であることを再認識出来た。好きな事は、年齢を重ねても衰えないものである。今や世界でご活躍の佐渡裕さんの演奏がこのように聴けて本当に良かった。

2026年5月13日水曜日

5月10日 母の日

 母の日に寄せて  子供たちとのメッセージやりとり

From Masanari(49ys)

お母さん、今年はお茶を送りました。ウォーキングや僕が教えたスクワットで体を動かした後にでもお茶を飲んで、これからも健康でいてください。

最近、仕事ではよりAIの活用が加速していますが、これまでの世間の正解ばかりに合わせるのではなく、自分で考えて試して、自分の好きという感覚を大事にすることが何より大切だと日々感じています。そう思えるようになったのも、小さい頃から自由に色々な経験をさせてくれたおかげです。

今の僕の目標は「健康・感謝」です。何を贈ろうか色々と考えましたが、一番伝えたいのは「今幸せです」。
お母さん、ありがとう!😌

 

From Tomoko(56ys)

お母さん、今日は母の日おめでとう(おめでとう)
いつもどんな時も私たちを応援してくれて、温かく見守ってくれてありがとう💖
私からはゴルフのお供に色々プレゼントします😊
お身体第一に、これからも豊かな楽しい毎日をお祈りします(楽し)

 

From Yasuko(54ys)

お母さん

Happy Mother's Day!!


いつも私達や孫たちを温かく見守ってくれてありがとう🙌🏻💕
お母さんのように何でもこなせるのに威圧的ではなくそっと人に寄り添えるそよ風のような人に憧れるよ🙌🏻💕
たまには息抜きもしながら健康第一に楽しいことたくさんしてね🕊🍀.



From their mother, me(84ys)

子どもたちへ
夫々から夫々らしい母の日に寄せたメッセージとプレゼントを本当にありがとう❣️
母であることに感謝するしかありません。皆んなが創り上げてくれた母です。こちらからこそありがとうと言いたいです。
これからも楽しくやっていきましょうね。

今日は木香薔薇の時節の集いと称してお姉様方にお声かけしたところ、ハヤちゃん、ウラちゃん夫婦のみが来てくれました。イリちゃんは一番楽しみにしていたところが敏夫さんが👂後ろが神経痛で激痛に見舞われて不可能に。小代は元気ですがやはりちょっと無理らしく断念。よっちゃんは昨年から施設に。
我々3家族で絶好のお天気の下、おしゃべりランチをやりました。美しい自然に囲まれて姉達と楽しい時間を過ごす事が出来ました。

この写真、超気に入りました❗️


2026年5月9日 フルートオーケストラ

 5月9日 感動のフルートオーケストラ演奏 目に鱗とはこのこと。

2年前から足利より古巣のニューヨークに移住された友人である相場晧一氏が恩師青木明フルーティストの大コンサートの為に一時帰国されるとの報に接し、しかも門下生が大集合して参加するコンサートだと分かり、私達は駆けつけて聴きに行った。フルート演奏と言えば、ソロ演奏しか聞いたことが無かったが、今回は、それがオーケストラ演奏とわかり、圧巻の迫力のある演奏を初めて鑑賞して感動してしまった。青木氏は93歳だという。今回で10回目の演奏ということであったが門下生の多いことがうなづける。彼のソロ演奏もあったが、車椅子でのフルートオーケストラ、メンデルスゾーンの交響曲第3番、40分余りの大演奏の指

揮をとられたのには驚いた。檀上で車椅子からピアノ用の椅子に移り、長時間のタクトを振られ、そこから醸し出されるオーケストラの力強い演奏は圧巻であり涙が出て来るほどの感動を覚えた。聴衆全員が感動の渦に巻き込まれていくのを感じた。フルートは静寂で物悲しく、哀愁を秘めたロマンの世界を描く楽器という印象を抱いていたが、オーケストラとなるとこれほど力強いものになるとは。青木氏の夢はオーケストラ演奏を充実させることだったようで、今回はその集大成になったのではないだろうか。

七十代(?)の相場氏はニューヨークのジュリアード音楽院でフルートの勉強をされた人で多分門下生の中では大先輩にあたる人だと思う。わざわざNYからご夫人(ピアニスト)共々駆けつけられ、このオーケストラに加わって演奏された。オーケストラに20余名の名前が書かれていたが、青木氏のお話では、演奏に力強さを出すために今回はティンバニー、チェロ、コントラバス、ハープを加えられたとのこと。長時間の指揮に絶えられるだけの体を鍛える努力もされたことと思う。頭脳、目、耳は健在というより、超一流。

昭和音楽大学のゆりホールは250名の関係者、愛好家が集まり、熱気に溢れていた。演奏後にはホワイエでレセプションがあり、感動した聴衆がそれぞれに青木氏と記念撮影を延々と撮っていた。青木氏は町から奥まった所にお住まいで毎日車椅子で市のコミュニティーセンターに通って2時間練習されているとのこと。道中には友達になったカラスがいるという。(笑い)幸福感と悲壮感が交錯する実り豊かな人生に乾杯❣

2026年5月8日金曜日

5月5日~6日 長いGWの内の二日間

 孫達が成長して、夫々に部活等のスケジュールが待った無しになり、ジジババの所に連休は行くという時代は終わった。孫No1、No 2 は大学生となって今年は2年目。昨年の入試で神経をとがらせた時代は終わったが、いよいよ青春時代に突入で独立して忙しい日々を送っている。No2は3月には1か月大学からグループでドイツに短期留学した。今回ジジババの所に来たの次女の家族だけ。孫No1は大学
で宇宙物理工学を専攻していて(最初の2年は専門とはほど遠く、教養課程らしい)宇宙に関心を持つ爺が今回望遠鏡をゲットして孫Noと一緒に望遠鏡を組み立て、夜空に向けて皆で覗き込んだ。月を観たかったが、天高く出て来るのは深夜で彼だけ起きて観察した模様。

孫の成長を喜び、今回は宇宙について孫と話が出来た爺は大感激。「彼は凄い!」と呟くことしきり。No4は中学2年生になってますますサッカーに夢中になり、サッカー少年となり、今回も5日にはサッカー練習をして夜父親と車で来訪したものの、翌朝は6時起きで7時過ぎの電車で一人でサッカー練習場に向かって行った。「一人で大丈夫なの?」しっかり成長していてジジババも感心するばかり。お話も良くするようになった。孫達の成長は速い。

4月28日(火)成瀬に住む夫の同期ご夫妻と温泉へ。5月3日(日)エトワーレ

4月28日(火) 成瀬にある喜楽里青葉温泉へ。

豪かな温泉に初めて行く。何でも有りの温泉で一日中滞在できる所。仕事を持ち込んでもOK。レストランもある。サウナにも入って美味しい食事を共にし、その後彼らのご自宅にお邪魔して何十年ぶりかでブリッジに興じる。


5月3日(日)第28回目となるエトワーレ(山内美代先生指導の音楽教室)の発表会

最初は長女の孫達が通っていたこの音楽教室に今では母親つまり長女だけがピアノを続けて来ていた。それが今度は妹、つまり次女もボーカルの方で通い始め、あげくの果て、二人ともコーラスグループにも入って音楽をトータルで楽しんでいる。我々は欠かさず、彼女達の発表音楽会に顔を出し、楽しませて貰っている。私自身も長年地元の日光で女性合唱団に所属して歌い続けてきているが、今や団で最年長クラス。娘たちの方は最年少クラスで、可愛がられる側にあって楽しんでいる様子。この合唱団は都内の女性合唱団のコンクール参加を目標に頑張っているとのこと。趣味でも目標があるということは向上心を高め、モチベーションを高めることになるので、大いに励んで欲しい。私の方も演奏会が頻繁にあるので頑張らねばならない、が、難曲が多く、覚えるのに四苦八苦状態。

今回のハイライトは姉妹の共演。サウンドミュージックを長女がピアノ伴奏担当し、次女がボーカルで。なかなか意気投合して素晴らしかったと思う。音楽を楽しむ人生で良かったとつくづく思う。

そして、その夜は長女の所で団欒。孫達と話が弾む。長男(大学二年)の方は、3月に1か月学校からドイツに行った話。妹(中学二年)の方は、部活(ラクロス)のこと、好きな絵画の事など。二人とも話が出来るようになって、成長していることが良く分かる。私達よりも5,6年先輩の旦那の方のご両親にも会えて、ホッとする。

孫娘の最新作を拝借して我が家に飾る。5年前の処女作と交代。
彼女のブルーの色が一段と深みを帯びてきている。質感も出て実にいい。絵を描き続けていた私の父に見せたかった。
左が第一作目。右が最新作。


2026年4月21日火曜日

第39回東京川本会総会

 2026年4月18日 東京川本会総会開催

今回も盛大に有楽町の国際フォーラム7F「東天紅店」で開催された。この総会にはいつも地元川本町より町長が遥々上京されて会を盛り上げて下さる。今回は会長が交代となり長年リードしてこられた今田氏から尾糠氏にバトンが渡された。毎回趣向をこらし、川本町の状況、発展振り、課題をとりあげ、プレゼンされ、会を盛り上げるのがこの会の特徴とも言える。今回は社会人女史硬式野球チーム「島根フィルティーズという硬式」が昨年4月に発足されたのを記念にこのチームから二人の女子プレイヤーが参加し、若さ溢れるプレゼンをやってのけた。3000人に満たない人口の川本町が何故こうも士気と熱気に漲り、川本の良さを発信出来ているのか、基盤となる財政はどこから?など根本のマネッジメントはわからないが、とにかく、エネルギーを感じさせるほど発信力がある。何を目指し、何をやっているのかが大変クリアにわかる。里の自然、スポーツ、音楽(ブラスバンドも活発)を魅力に、高校生の島根留学を呼び込み、実績を上げてきている。関わる人達の川本を愛する熱気が伝わる会となっている。

今回は、次兄の同級生だったという医学博士(東洋医大)に初めてお会い出来た。兄に早速連絡。心理学の世界の博士号を取得し、カウンセラーでもあり、著書も多く出している私の同級生柿谷さんにも再会出来た。川本の誇りともいうべき人が大勢いることに改めて、驚き、嬉しくなる。これからの川本にも期待が出来る。



2026年4月15日水曜日

3月3日 生成AIセミナーにズームで参加

 生成AIセミナーに無料で参加できるというので思い切って参加してみた。2時間半の講義であったが、結論から言うと目から鱗であった。

4月続き

 4月9日(木) たのしみ会

「楽しみ会」別名傘寿前後の月一のゴルフプレイヤーの集い(ハンディー戦)に参加。5回目。初回はコンペ対象にならず様子見プレイ。二回目の1月は夫婦で最高のハンディ36を頂いてようやく一メンバーとしてスタート。夫がネット63で準優勝。私はネット71で8位。2月は夫は欠席で私がネットで64で準優勝。3月はハンディーが29となりネットが65でブチ切り優勝。そのお陰で4月はハンディーが20になってネットが70で5位。でもグロスで90は2位(1位は84) 我ながら立派だと自信が就く。それにしても、後期高齢者もいいところ、最高齢は94歳だという。私のプレイメイトも90、88、78、だから凄いこと。大変励まされる楽しいゴルフとなっているニューセントラルCCは宇都宮氏も田原町にある山岳コース。桜がまだ綺麗であった。






4月14日(火)

41同期夫人会の集い 於いて 東京ミッドタウン・ガレリア テラスガーデン3F

毎年歳を重ねるので当然のことながら、だんだん参加者の数が減っている。来年は参加出来るだろうかおの思いがある。

今年は都心のあか抜けた、いかにもセレブんあ雰囲気の東京ミッドタウンのガレリア・テラスガーデン3Fの和食店に集合。日光からゆっくりローカルに乗って出かけた。窓の外はいかにも春。陽気な気分でいたが、六本木に着いたとたんに右左がわからなくなりそうに。ただ、目と耳と足が達者であればどこだって行ける。進行方向への順路もしっかり提示されているので迷うことは無い。まっすぐ目的地に到着。

回数を重ねるごとに、皆忌憚なくおしゃべりが始まる。既に補聴器使用者が2人居て驚いた。喋りたいことをどんどん話す人と、今でも、控えめに聞き役に回る人も健在。私は中間かな。近況の話、最近の話題、でも余りプライベイトなことは慎重にした方が賢明。面白い、楽しいお話はどんどん活発に。終戦後に生まれた人ばかりなので(1人だけ19年生まれ)スマホはいじくっているものの、フル活用には至っていない人が殆ど。挑戦意欲を失わないよう、というか、意欲が薄れないようにすることだけは意識したい。

3時頃解散して、ひろ子さんに連絡を取り、彼女の新しい住まいにお邪魔することに。前のマンションの近くで賃貸の手頃なワンルームマンションを見つけて、そこで余生を送る決心をされたばかり。ご主人の不運には大ショックを受けながらも、今年に入って理想の施設を探しあてられ、今は穏やかに読書の毎日でらっしゃるとのこと。彼女の新しい住まいには最小限にした思い出の品々が大切に傍に置いてある。御母堂から引き継がれたと言う100年以上経っている藤の鉢植え(大盆栽)は迫力を宿し、力になっている様子。人生は生きたもの。現状を冷静に理解し把握し、いかに生き生きと生きて行くか。こころの拠り所があってこそ力のある生き方が出来るのだろう。彼女からそれを学ぶような気がする。笑顔と心遣いが基本にある。





時間は待った無しに刻んで行く

 気が付いたら既に4月、しかも丁度今日は真ん中の15日。前半の2週間をまとめて要約することに。

4月4日 数日前にテレビの泥池クリーン作戦劇を釘付けで見た夫の願望で牛久のその現場に向かったものの、お天気が悪化気味。上三川でUターンして、今度は私がかねがね気になっていた馬頭広重美術館に向かうことに。結果は大正解でした。

あの世界の建築家、隈研吾氏のデビュー作となる当美術館は昨年25周年でリニューアル。再開館して特別展をやっていた。広重53次全部の版画絵が見事に展示されていた。51次の水口がかんぴょうの名産地だったとは。栃木県は日本一のかんぴょうの産地。絵の中のかんぴょうは竿に緩く巻いて干してあり、働く農民の動きが生き生きとしている。版画絵全部そうだが、人物の動きが巧みに、温かみを持って描写されている。特筆すべきは雨の表現。斜線の濃淡、太さ細さで雨の表情が変わる。印象派のモネは日本に来ずして、浮世絵から多くを学んだと言われているが、雨の表現もその一つだという。今世界中に行き渡っている日本のアニメの描写特技の原点は浮世絵なのかもしれない。見事というしかない。絵が好きな孫を是非連れて来たい。






4月8日(水)お釈迦様生誕の日 花まつり

偶然にも花祭りに命中するかのように、好天気という理由で牛久行きを決行。大正解なり。

8時半頃出発して3時間後に牛久に到着。高速不使用に設定していたことを忘れて、上三川から北関東高速に乗ると出口ごとに出口へ誘導され、そのまま無視してつくば、牛久出口で出た。後でわかったかが、つくば方面に行くときはNo294を使うのが良いとのこと。高速は結局高い高速料金を払って大回りして行くのだそう。経験です。

牛久には神谷ワイナリーの存在が大きいことを知らされた。幕末から明治の近代化に伴い、日本の酒からワインに注目し、まさに先見の明ありで神谷傅兵衛という人が起業し、渋沢栄一と同じで、いろいろなビジネスの種を蒔き、鉄道が開通する時期にワイナリー醸造を手掛けて大成功をしたところ。大敷地にブドウが栽培され(今は違う所らしく、跡しか見られなかった)実際に稼働し、ショップも充実している。桜のピークは少し過ぎていたが、それでも見応えがまだあり、次は藤が又人を呼びよせることだろう。

それで、目的の泥沼の現場というのはまさにこの神谷ワイナリーの敷地内にあり、来場者はみんな、あのテレビ番組を観てやってきていたよう。私は前のドロドロ状態をみていないので、何とも言えないが、大きな鯉が泳ぎ回っている。夫は庭づくりの参考にしたくてきたようだが、はて、何かヒントはえられたのだろうか。

いくつもの巨大醸造樽を見、神谷氏の辿った歴史博物館を見学。当時の政治家、財界の人達文化人との交流もあり、歴史に名を残す人物であることを知った。フレンチレストランにも寄って昼食を取ったが、残念ながらワインは運転があるので飲めず。ショップで、ワインを購入。

ワイナリーを後にして気になっていた牛久阿弥陀大仏像を見学に。これは凄かった。見事というか、圧巻というか、雲一つない素晴らしい天気の下、大仏様とその周辺に植えられた芝桜の迫り来る大迫力に大感動。阿弥陀大仏の手のひらにあの奈良の東大寺の大仏様が乗っかる大きさだという。高さ120m。胎内には入らなかったが高いビルに登るような感じだろう。その大きさから世界一の仏像と言われている。

帰路も高速に乗ってしまたったが、次回は294で来ることにしよう。往復6時間、私が運転した。むしろ、I enjoyed driving back and forth for such a long distance under a beautiful summer-like weather. 






2026年3月25日水曜日

3月は予期に反して忙しい月となった。

 March turned out to be rather hectic this year.

Mondays are all occupied by either choir practice in the croup or personal golf. Except Fridays for my EECC , Tuesdays, Wednesdays, Thursdays  are to be free  so as to be  flexibly adjusted according to irregular happenings or meetings. 

今月はユネスコ協会の環境調査モニタリング作業や理事会、月例楽しみ会(G)、の他にスキー初すべりの為に東大の一年生が来訪して翌日は夫とスキーへ、更に毎年恒例のNY会参加の為に麻布十番まで夫と出かけて来た。O大使ご夫妻時代に国連代表部に勤務していた人達の集まりだが、平成3年~10年の間でO大使の下で勤務した経験者の集いとなっている。我々はH5年~H8年に着任しているので既に30年余りが経過している。99%がOBになっているので今回も集まると加齢と健康の話が主になる。体調を崩したり、どこか怪我をしたりの身ながら、それぞれ、残りの人生を豊かなもにとの高貴な思いを持ちながら励んでいる様子が伺えて、元気が貰える会合となる。何よりもコアのO大使ご夫妻が病気や大手術を乗り越えられて未だに海外にも講演などで出向いておられることに大きな励みと勇気をいただいている。

高貴と言えば、夫と同期のMr.Otsukaの活動を思い出す。年齢が80歳以上、最高齢は90というメンバーで結成されたバンド、その名も「高貴幸麗者バンド」が国立中心に活動を続けているというお話。テレビ出演を実際に見て、驚嘆した。年末にはサントリーホールでの公演が決まっている由。音楽の力は相当だと改めて思う。我々の子どもたちが音楽を愛する人間になっていることに改めて勇気をづけられる。今週末(28日)に娘達(次女がボーカル、長女がピアノ)が中心になって市川で初ライブをやる。大変楽しみにしているところである。

先日イギリスのマスコット、「パディントン」の話をある民放で偶然見た。現鈴木宏イギリス大使ご夫妻がかならずこのマスコットを抱えて、素晴らしい笑顔であちこち訪問されているという。形式高き外交の世界で、庶民的に温かい振る舞いで英国民に接しておられる様子を拝見して、庶民外交的ながら、真にその土地の人々と仲良く交流される姿に思わず拍手喝采であった。それ以来、「パディントン」ベアに注目するようになった。イギリスの大宣伝となる。

今月は一つ力を貰ったことが。楽しみかいゴルフコンペでぶっちぎり優勝を果たしたこと。新参者で高いハンディーをいただいていたお陰。しかも高齢者のグループなので男性はゴールドから、女性はピンクティーからというのもある。それでもグロスで94、ネットで65だから私としては上出来であった。次回はハンディーを下げられるので優勝は不可能となるだろう。まだ、足腰が健在なのが何よりありがたい。でも頑張り続けたい。

2026年3月11日水曜日

ミラノ・コルティナ冬季オリンピックは感動の連続

2月は冬季オリンピックが最高に楽しめた。

 2月8日に奥日光で昨年同様、在京ノルウェー大使母子のご参加を得て、日光清風塾が主催したクロカン大会の事は既に記録済み。丁度冬季オリンピック開催中にぶつけてのイベント企画としてグッドタイミングであった。そのオリンピックで日本は若者が大活躍をした。スノウボード スロープスタイル、ビッグエア、ハーフパイプ、モーグル、という大怪我と背中合わせの競技で4個の金メダルをはじめ、多くの銀、銅メダルを獲得。その後フィギュアスケートのペアで三浦璃来、木原龍一組が日本人として初めての金を獲得した。彼等のパフォーマンスは例を見ない涙の逆転劇であったことが感動を呼んだ。ショートで5位と出遅れたのを彼女が涙に消沈した彼を励まし、見事にフリーで復活、大逆転、しかも有史最高の得点を取得しての最高の金メダルに輝いたのである。最後まで諦めないという精神力の勝利をこれほど見事に証明してくれた演技に世界中が絶賛した。忘れられないオリンピックとなった。

1月22日に痛めた右脇腹の治療に地元の病院に行ったものの、夫の勧めもあり、推薦状を作成して貰って2月17日に虎ノ門まで出かけた。しかし、ここでもはっきり原因がつかめず(加齢によるとの診断)それでもしっかり検査を要求。3月31日にMRIを撮ることに。・・痛みは殆ど無くなってきているのでキャンセルを考えているところ。


2026年2月11日水曜日

ノルウェー大使参加クロスカントリー大会(2026)

 2月8日(日)

昨年から企画準備してきた『ノルウェー大使参加クロスカントリー大会』は実は昨年2月に続いて2回目。昨年の教訓から、早めに大使館、商工会議所と連絡しながら準備を進めてきたが、結果的には、ノルウェー人の参加者は大使と大使の令嬢二人のみとなった。ただ、県に働きかけたおかげで今回は栃木県スキー連盟の協賛を得ることは出来、内容が充実したものになった。東京からの参加者に加えて、当日ホテルで出会った人達の参加があったこともあり、昨年より多く参加者(競技参加者は25人、応援家族、事務方が11名)を得ることが出来た。

前日までは雪不足の天気で本当に競技が出来るだろうかという心配があった。雨乞いならぬ、雪乞いをし、神様、仏様、に拝んだ甲斐があり、前日の夜から本当に雪が降り始めた。当日の朝は雪かきをするほどに。実に恵みの天候に一転。ますは、最初の関門を通過した思いだった。だが、雪道となったいろは坂が第二の関門。のろのろ運転で、神経を使ったがこれもうまく行った。前日にキーボード、賞品など、荷物を運んでおいてことは実に正解であった。

イグルム大使とエミリーには一年振りで再会。明るく、親しみのある大使には本当にありがたく、ハグを重ねていよいよイベントのスタートとなった。私は腰の不具合もあって競技には参加せず、事務方に専念。今回は衆議院の選挙と重なって、頼りにしていた仲間が参加出来ず、事務局長とピアノ伴奏をして下さる福田さんと私の3人が受付やら、会場の準備やら、大忙しであった。スケジュールに沿ってプログラムが運ぶよう神経を使いながら時計とにらめっこ。更に、市長の来訪時間が競技終了前の15分となって、うまく大使との出会いが行くかが心配だった。しかし、何でも、やってみるもの。不可能だと懸念したことも神は味方になってくれる。市長とのコミュニケーションの時間も何とか取れて、ギフト贈呈の写真撮りも出来て、やれやれであった。メディア関係は選挙戦と重なって現場には来れなかったが、こちらで記録を取って送ることが出来た。後日、カバーしてくれることを願っている。

競技の方は、栃木県スキー連盟の方々のおかげで、内容あるものとなり、競技会にふさわしい賞品の贈呈も出来た。上級とビギナーのコースに分けて、それぞれ賞にふさわしい競技者を選んでもらって、表彰式も形になり、その後の親睦昼食会へと流れていった。予定通り、事務う局長にMCをやって頂き、それを助けて松尾副理事長の慣れた会場の進め方には感謝するしかない。私にはとても出来ない部分を支えて貰って何とかプログラムを全う出来た。

何と言っても、大使のお人柄のおかげで、表彰式、昼食会は楽しい雰囲気の中で進行し、参加者もどんどん大使の所に寄ってきて、コミュニケーションを図り、写真撮影をし、会場は大いに盛り上がった。参加賞に三本松茶屋からのオリジナル黒ビールを用意したことは大正解であった。鶴巻さんに感謝です。スキー学校校長であり、スキー連盟の副会長である小林さんの存在も大きかった。こういった人脈を得て企画に努力した夫には頭を下げるしかない。

次から次といろいいろなアイディアを出す夫にネガティブに対応する私との間の衝突は必ずある。今までずっとその繰り返しであるが、終わってみるとやって良かったというのが私の思いであり、降参したわが身の姿である。年齢を重ねる中で、この状態がいつまで続くかいささか自信が持てないのが正直なところである。

とにかく、今回も終わり良ければ全て良しとなった。サポートして下さった方々に感謝致します。