第87回講話会 日本の古典「源氏物語」と中国の古典「紅楼夢」
コロナ禍で外出を控える中、以前から気になっていた中国文学の古典「紅楼夢」12巻を読み終えた。日本では江戸の文化文明が盛んな頃の18世紀に書かれた長編小説で古典と言えるかどうかわからないが、古典の名著とされている。ヨーロッパとの文化文明の交流は既にあり、医学などの知識の豊富さ、内容の濃さには圧倒される。「水滸伝」が男社会を描いた武勇伝であるのに対して、「紅楼夢」は宮廷の女社会を描いた恋愛小説で中国版「源氏物語」を思わせる。作者曹雪芹は落ちぶれ貴族で彼の経験に基づいたものと思われる。
思想的には「源氏物語」に似ていて、栄枯盛衰の仏教思想が流れており、無常観が漂う。藤壺への思慕から始まった光源氏が多くの女性との華やかな愛の遍歴の果てに出家したように、「紅楼夢」の主人公紅玉は従妹同士である二人の美人と才媛である黛玉と宝サイを相手に、豊かな環境の中で哲学の禅問答(この知的やり取り、教養の深さには感動する)が繰り広げて行く中で、憔悴し、体力を失い、科挙の試験にトップクラスで合格したにも関わらず、出家して姿を消すのである。どちらの作品も当時の宮廷の内部が推し量れる。究極は仏が生きるように生きていくという思想は似ている。
中国人研究者によると二つの古典について、①「源氏物語」は起伏が少なくて平坦で退屈であり、「紅楼夢」は事件が多く、ワクワク感があり、面白い。一方で「源氏物語」は700年前に書かれている古典文学で、中国は遅れているという評価も。②似ていても時代背景が異なり、「源氏物語」は一夫多妻であり、「紅楼夢」は一夫一婦で妾あり。③「紅楼夢」は18世紀までの恋愛小説の集大成を超えた中国の文化文明が凝縮されている。
「紅楼夢」は文化文明の終着点なら、「源氏物語」は日本文学の出発点。中国より欧米の研究者が多く、日本の情感、文体がここで作り上げられたと評価。女性をどう扱うかではなく、文学と文化、人間の情感をどう表現するか、情感をいかに美しく描くかを模索して文学が生まれる。谷崎文学、川端文学へと流れていく。
「紅楼夢」の作者は源氏物語を読んでいない(中国語訳は1980年代)が日本人は明治時代に既に「紅楼夢」を漢文のままで読んでおり、日本語訳が出来たのは1952年。