2023年3月25日土曜日
3月は行事が一杯。記録まとめ
ばたばた続きでブログが置き去りに。忘れないうちにまとめておこう。
毎週金曜日のEECC活動は継続中。
1日(水) 上智大に留学して以来3年(?)になるが、ずっと見守ってきた唐ムナさんが二度目の挑戦で見事に東大大学院に合格した旨の知らせを受ける。落とされるときはどこもとことん落とされて、受かる時はどこも制覇するということを実証。受験期間の体調も勿論だが、ナニクソという挑戦意欲が彼女をより積極的に立ち向かわせ、アカデミックの世界での人脈作りを大事に構築したことなどが影響するのだろう。ムナさん、本当におめでとう。入学式は4月12日、武道館で。父兄代理で夫と式典に参加することに。
2日(木) 秋のHC目掛けて我が家でプチ混声合唱団を結成。その第一回目がスタート。男性2人、女性6人。先生は武蔵野音大出身の若い美しい絵理子先生。昨日(23日)二回目があったが、とにかく、メンバーさん皆が心通う同志で、笑いが一杯で、楽しい。先生が推薦の歌も、素晴らしいものばかり。「この海のむこうへ」「小さな空」「ハナミズキ」と3曲まで練習が進む。
4日(土)MIS(Multilateral Interaction with students)のメンバー学生8人が東京から我が家に一泊二日で来訪。東南アジアの学生達とインターネットで議論。我が家は学生8人を収容(❣)女性3人と男性5人に分けて二部屋で何とか。当初は1人はattic(屋根裏)でと用意していたが、結果的に5人全員が4枚の布団で寝たよう。枕の投げ合いはやらなかたようだが、まだ青春真っ只中の学生達である。翌日は全員スキーに出かけ、帰路は、日帰り温泉につかって、満足して帰京していった。それをアレンジし、付き合う夫も80を超えたとは思えないほどの力を出している。私は、もっぱら、彼らの胃袋と生活環境担当官でありながら、話の中にも入って楽しませて貰った。ジジババと大人になった孫のような彼等との隔たりはそんなに大きく感じられないのが正直な感想。
6日は孫No.2の誕生日。(始動が遅れて2日後にお祝いのメッセージ+□を郵送。)この日の夕刻7時にデンマークからのジョニーを連れて毎日Xmasの松尾さんが来訪。彼とはコロナ前に会って以来。近況報告。MISの学生達とのプロジェクトから夫と白熱した議論に。彼の思想と英語力が余りに鋭くて(まさに鋭いという印象)日本の学生の話力、英語力の弱さを痛感。
7日(火)松江から1月に亡くなった兄の嫁が上京して彼等の子供達3人の所を巡回していたので、順子ちゃんのアレンンジで、丸の内ビル5Fのベトナムフレンチ「カサブランカシルク」にて会食を決行。奈美お姉さんは予想以上に元気そうで、いつもの調子だったのでホットした。ただ、腰の調子が良くなくて、杖がわりに小さなショッピングカートを押しながら歩いていたのが痛々しかった。朝子、康子もジョインして、そのうち、昼休みを利用して長男の剛君も加わり、本当に久しぶりで従姉弟たちもこの機会に会えて喜んでいた。約1か月、子供達の所に滞在して松江に帰って行く。それからが淋し日々となると思うと、いろいろ考えさせられる。亡き母のように、最期まで一人で頑張るか、子供たちの誰かのところに一緒に入り込むか、一生最後の大決断に迫られる時が必ず来る筈である。愛猫ミーちゃんのような最後が理想かも知れない。(彼女の自分史については、嬉しいプレゼントが待っている)
8日コロナの為、遠のいていた日光ユネスコ協会の活動タスクの一つ、環境汚染モニタリングを久しぶりで実施。この日は、前日に設置したカプセルの回収作業。鈴木事務局長と初めてのルートを担当。広範囲のため、車での移動となった。
9日は疲れを癒すために週一のゴルフを決行。夫と二人でやることが多い中、実力が拮抗して、お互い、良いライバルとなって真剣に、でも、楽しんでいる。体に少々故障があってもこれだけはやり続けたい。今では贅沢な趣味ではなく、健康的、かつ、経済的なものに。グリーンフィーが何といっても手頃である。スルーであれば3~4000円。日光のゴルフ環境には感謝している。
10日日光市のボラフェス(ボランティアフェスティバル)がコロナの終焉を目の前に、3年振りで開催され、日光清風塾も参加。その搬入に事務局長と立ち会った。パネルに展示物をを貼るのみだったが、支援センター活動の一つでもあり、参加して良かったと思う。当日は行けなかったので写真は撮れなかったが、後で、後の会報用に、センターの方から1枚シェアさせていただいた。
12日(日)今春宇大の大学院を首席で卒業して都内に就職が決まった中国学生石君来訪。一泊して夫とスキーへ。このところ、毎週末夫はスキーに出かけている。怪我をしないことを祈るのみである。
14日(火)東京が全国に先駆けて開花宣言を。驚きである。西の方より先に東京が開花宣言するのは歴史的なこと。気象異常に改めて注目。
15日(水)一年前にいただいた話で、私が出版した「猫が書いた自分史・・外交官の家族の一員になって」という百数ページの淡いピンク色の表紙の本が電子書籍化完了というお知らせを頂く。愛猫のミーちゃんの存在が永久にデジタルの世界に護られることになって大変安堵し、正直嬉しい。彼女との出会いと別れがこういう形で残されることは予想だにしなかったことで、感動を覚える。
16日(木)月一回の英会話クラスの為宇都宮へ。コロナの中ではネットで続けたが、2月より対面に復活。
18日(土)夕刻より宇都宮へ。大野紘平君(23歳)の里帰りコンサート(ふるさとに感謝と名付けて)新しい情報も加わって特別の思いを持ったコンサートとなる。彼には、クラシックを作曲家の心情に達するように演奏するのと、自分流にアレンジして自分の世界の中に引き込んでしまう演奏があって、その技量が天災的で面白い。更に、彼は歌を歌う。彼のテナーの声は聴いていて心地よい。それこそ彼は二刀流の音楽家である。というより、それに即興が加わるので、まさに自由自在に新しい世界観を醸し出すマルティな音楽家と言えよう。聴衆を沸かせるトークと共に、彼はエンターテイナーとしてのピアニストになって行くのかもしれない。ポピュラリズムという言葉が閃く。何人かの友人にも出会った。
20日―22日(月―水)1日に合格発表貰ったムナさんが来訪。一年強ぶりで日光に。我が家へは何度も来ているので、里帰りの心境。娘がもう一人増えた感覚である。東大合格の慶びは世界観を変えるくらいのもの。私達にも驚嘆し、大きな喜びである。日本へはまだ訪れていない彼女の父親からのメッセージには、娘を誇りに思う親としての心情が綴られていた。夫も見事な頑張りを賞賛するメッセージを送っている。夜は夫がステーキを料理。私がスープ作りをやり、祝杯を上げる。今まで、悩むことも多く、東京で1人暮らしながら、実によく耐え、頑張り通した彼女の意志の強さ、負けん気の意地の強さが今回の成功をもたらした。まだ、23歳。これからが本当の意味での勉強になる筈である。彼女は国際機関で働く、国際公務員を目指しているという。是非、目標に向かった進んで行って欲しい。来月4月12日(水)が入学式。私達も父兄代理として出席しようと思っている。今回の日光滞在中はラッキーなことに友人の関係で街中でのコンサートに行くことが出来た。息抜きになったと信じている。そして、今までのように、庭仕事のお手伝いもやってもらった。一杯森の-イオンを吸って貰って。大学院受験を志してる中で、彼女は東京オリンピック、北京冬季オリンピックでもメディア関係の仕事を率先してやってのけた。更に、今度の五月場所での大相撲でも、アナウンサーの横に座って何かアシスタント的な仕事を頼まれた由で、今回、相撲の本を片手に、勝負の決まり手をテレビ観戦しながら、いろいろ訊いていた。やると決めたことへの熱心さが伝わってきた。
その間、9日にはWBCがスタート。オープン戦は対中国。以後予選リーグ戦は3勝で一位通過。トーナメント戦ではチェコ、メキシコを見事に下し、アメリカとの決勝へ。メキシコとの準決勝同様、この決勝も劇的勝利を納め、見事にサムライジャパンは世界の頂点に立った。全試合観戦した。体が震えるほどの感動の連続の中、他の事は手に着かず状態。メディアも連日その感動の場面を伝え続けている。その力たるやプレイする選手も応援する人達も相当であった。2009年の大会には友人の寛子さんとサンディエゴまで行って応援した。息子が院生でインターンとしてWBCのメディアリエゾンオフィサーになったこともあって、彼を応援する意味でも渡米したのである。あの時は準決勝までを観戦。決勝進出を見届けて帰国した。決勝はロスで行われた。息子も映っている優勝パレードの様子が週刊誌に載っていたため、それを今でも大事に保管している。
26日(日)は恒例の日光清風塾講話会。第106回目となる。テーマは「AIとの共存協働について議論しよう」
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