2023年6月29日木曜日
生還
6月26日
夫は予定通り上海から羽田に無事到着。高速バスで宇都宮経由で帰ると言うので車で迎えに向かったところ、日光街道に入った途端に大雨となる。線状降水帯を思わせる降り方で、前が見えない。恐る恐るのスロー運転で何とかバス停に辿り着いた。今回の中国行きはいろいろあって心配していたが、元気でしかも体重を増やしての帰国で安堵した。3年半ぶりの中国は田舎にも高速道路や新幹線が貫通して、とにかく大都会化している由。大都会の大型高級車がバンバン飛ぶように流れているところから帰ってくると、地元の余りの静寂さに今更ながら驚いている様子。何が大変だったって、毎日豪勢な食事の連続で、あっぷあっぷ状態。大変な歓待で、嬉しい悲鳴を秘めての3週間だったよう。そもそも退官してから、毎年出かけてきているが、その都度中国の近代化の速さに驚いている。人口、国の大きさが並外れているので、その変貌ぶりは相当なのだろ。とにかく、無事で良かった。
今日は(29日)同期夫人のランチ会が5年振りにあり、東京まで出かけて来た。今回は人数的には7人で少人数であったが、何せ、コロナ禍を挟んで5年振りなので、積もる話でかなり賑わった。N夫人は滋賀県からわざわざ参加され、彼女は、医者通いが皆無で、コロナワクチンも無接種とのこと。この年代で、こういう健康な方は珍しい。食事だけは気を付けているとのこと。病気の話が多い中で、彼女の存在は大変刺激になった。ランチの後は安田生命会館に隣接した静嘉堂丸の内文庫美術館を見学。サムライのおしゃれと題した展覧会。印籠・根付け・刀装具・風俗画屏風・・後藤象二郎を取り巻く宝物の数々。特に、印籠と根付けの芸術性には感銘した。漆、金細工、象牙彫、木彫、陶器、細かい彫とデザインにはただただ感心するばかり。昔の人の手作り作品の凄さに改めて驚嘆するばかり。こんなに沢山の印籠・根付けを鑑賞したのは初めてかも知れない。
というわけで、今日はいろいろ刺激を受けた日となった。そして、夜は、京大時代の友人とのズームチャットの日。月1回、日光、東京、徳島、パリを繋いでのお喋りなのだが、今回は東京の友人は脚の不具合で入院中で不参加。パリの彼女はばたばた日となってすっかり、約束が抜けたとのこと。結果的に徳島の友人と二人だけのお喋りになった。一カ月に一回のズームでのお喋りも、友人の元気なお顔が見れてお互いに励まされるのはありがたいこと。Let's keep going!
2023年6月13日火曜日
2023年6月9日~11日 松江
2023年6月9日~11日 6年ぶりの松江へ一人旅
2019年暮れからあれよあれよという間に感染が拡大したコロナウイルスパンデミック。正にこのタイミングに夫はこの年の中国での教鞭を終えて帰国した。2005年9月に初めて大連外国語学院で講演したことがスタートとなり、2010年以降毎年、南広中国メディア大学をベースいろいろな所で教壇に立ち続けていた。そして、このパンデミックが世界に広がって行き、日本でも大変な感染症として3年半社会が閉ざされてしまった。2023年5月に日本はようやく緩和され、海外への渡航も復活した。すかさず、夫は6月8日から26日までの期間、再び中国へ渡って行った。いつも教え子からの要請と尽力がある。今回は初回に訪れてこの中国への道筋のきっかけとなった、大連に18年振りで赴くことになり、特別の思いを抱いていることと思う。大連―江蘇揚州―江西九江―上海の四カ所で講演することになっている。
この間、私は、松江行きを決断。コロナ禍中に二人の兄を亡くした。長兄は2021年9月に、次兄は2023年1月に。霊前にお参りする事が出来なかったので、菩提寺に墓参してきた。次兄は、両親が眠るこの菩提寺の墓守をやってくれていた。島谷家の為に、いつもお墓参りを欠かさず、家には仏壇を置いて、祈ってくれていたのである。その兄がこの仏壇の中に居ることが不思議であり、時間の経過が生活環境をこんな形に変えていくことに驚いてしまう。夫の同期会が松江で開催された折り、私も松江に赴いてお墓参りをした。この時は兄はまだ元気であった。あれから5年。長い間、呼吸器系を患い、昨年秋頃から持病が悪化。義姉から闘病の様子を伺い、さぞ苦しく大変な晩年であったことが想像される。優しい子供達3人は東京から頻繁に看病に戻り、コロナ禍の病院で最期を迎えた時は、全員で看取ることが出来たそうで、悔いは無かったよう。
今回の松江行きのブログを記録しておこう。
8日夜、市川へ。忙しい家族の中に突入。誠君は昊粋君の高校のPTA会長としてミーティングに。家族の為に夕食を用意してから出かけた由。康子は8コマの授業の後、自宅でネット授業も。木曜日は一番ハードな日のよう。子供達は其々にワイワイ。
9日 朝食は其々のペースでいただくよう。おまけに7時半頃から近所の小学生を親の都合で登校時間まで預かっている。よくやるな~。輔幸お父さんはいつもの様子ながら、今度、2回目の胃の癌の内視鏡手術をやられるそうで、びっくり。3年前にも一度やられたとのこと。He looks quite healthy as usual. 8:40 輔幸さんが市川まで車(新車)で送って下さったので大助かり。市川の駅でチケットを全部購入出来た。乗車券、特急券2種を含めて20300円。10:03のひかり→岡山経由やくも→松江 17:48到着。竹矢行きバス⑤矢田下車 7時頃青葉台に到着。奈美さんが杖をついてお出迎え。
庭先の花々が彩やじかに咲き、特に、アジサイは格別。家の中も整理整頓が行き届き、清潔感と心温まる雰囲気が漂う住まい。美しいハイセンスなインテリアとアイディアで魅力が溢れている。お風呂場、お台所、トイレ、リビング、食卓、寝室、どこも目に留まる。お仏壇も清楚で輝くほど。 両親と耕二兄の戒名も何か新鮮に見えた。本源院法流日汲居士 本寿院妙得日美大姉 一誠院清筆日耕居士 南妙法蓮華経
心の籠った手造りの美味しい料理をいただきながら生前の兄の事、闘病の様子、家族の事、料理の話などなど、お喋りを10時30分頃まで。11時就寝。
10日 バナナ、小松菜、大葉、ショウガ、リンゴのスムージーの美味しかったこと。食事に関しては、健康第一に良く考えて、まめに毎日きちんと取っておられるとのこと。 庭のアジサイを2本摘んでお墓参りへ。10:20バス→寺町→墓参
墓参の後は昨晩初めて連絡をとった旧姓植田浩子さんに70年振りで会うべく乃木公民館へ。トルコ地震チャリティーコンサートに彼女が所属するコーラス隊が参加するとのことでそこへ奈美さんも一緒に行った。公民館を探し当てるのに一苦労したがとにかく無事に会場1時間前に到着。公民館の片隅で、コンビニから仕入れたサンドウイッチをパクパク。 開演前に会場でコーラス隊を見つけて、彼女を探し当て、劇的再会を果たした。彼女昨日の電話で相当驚いたとのこと。歌に響かなければと願う。
コンサートはトルコ地震チャリティーコンサート。松江在住の若い美人3人グループでDakemi3という。内容は手作りの素晴らしいものであった。先ず、フルートと独唱で「花は咲く」で始まり、続いて乃木コーラス隊による2曲のパフォーマンス。混声合唱団でシニアグループ。どこにもこういうシニアグループの活動が健在であることに納得。Dakemi3はトルコに関係した音楽とトーク。トルコ語で「ありがとう」はティッシュクレールという由。大笑い。トルコ音楽の拍子も面白い。3,5,7泊拍子。中途半端な数え方が又面白い。会場全員で実際に発音し、拍子をとる。バーラマというトルコの民族弦楽器、バイオリン、ピアノ、歌唱を3人の麗しき美女がトルコ民族衣装を纏って演奏。このグループはネットでも見れる由。コンサートは約1.5時間。終了後、浩子さんと3人で松江駅まで行き、(ここへは、浩子さんのお嫁さんが車で運んで下さった)スタバでチラミスケーキとコーヒーで2時間、沢山お喋り出来た。ダメもとで当たってみるもの。今回も、川本時代の同級生、岩隆子さんを通じて、彼女の消息を知り、思い切って昔を思い出しながら電話したことが、こういう実りある再会を果たせた。彼女は腰を痛めていて、杖を使っているが、交通事故を起こす前までは硬式テニスを活発にやっていたそうで、健康維持を心して守って行かなくてはと強く思った。6時頃のバスで彼女を見送り、我々は一畑百貨店へ。日光へのお土産をゲット。ついでに明日の帰りの切符も手配。帰路、大阪で、克実兄の墓参と都亥子義姉のお見舞いも急遽する連絡を入れていたが、義姉が体調を崩して咳と熱が出たとのことで、今回は残念ながら見合わせることに。後日、タイミングを見て、訪れることにする。
帰宅は8:30。お風呂に入って夕食。沢山お喋りして11時就寝。明日は日光へ。往路と同じルートで。10:01松江発→下今市19:14着。
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