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2025年10月17日金曜日

時の流れに思う事

 2025年10月14日(火)

スポーツの日の翌日、2日後のソロプチミストチャリティーゴルフ大会に備えて、好子さん、夫の3人でRCCで練習をしたのはいいものの、不調に終わる。考えて打つうちはうまく行かない。何も考えないで、今まで通りに、力を入れないで楽にやるべし。

5時間かけてラウンドした後、羽黒山の近くに住む4番目の義理姉、Yお姉さんの所に夫のイニシャチブで行った。事前に電話をするもノーアンサーであったが、行ってみることに。9月末に2番目の義姉M姉さんの一周忌の法事で会ってはいた。一週間前に日光地区在住の義姉達、H,I,U姉さん3人と我々で小代の1番目の義姉Chiyono姉さんの所に、陣中見舞いというか、年齢が年齢なので(96歳)みんなで在宅の時に(周4日は介護施設にお泊り)会って来ようということで出かけた。その時、このY姉さんには家が遠いこともあって声をかけなかったうしろめたさもあった。中里の家に着いてみると、長女と彼女の2人の子どもが丁度訪れていた。奇遇で会えて良かったと思ったものの、Y姉さんの変わりように驚いてしまった。つまり、年齢相応に(92歳)支障が出てきているという説明を長女から聞いてまさかのまさかの思いであった。既にいろいろ手配を進めていて、11月には長女の決断で施設に入所するという。余りに急な話であり、本人も納得しているのかいないのか、つまり、こういう時にありがちなうつろな眼に時の流れの残酷さをつくづく思い知った。てきぱきと動き回り、編み物が得意だったあのお姉さん、私達が初めての海外勤務をしたカナダから帰国して約1か月は、当時姉達はまだ東京に在住していた時で、夫が居候させていただいた。私は大阪の実家に初めての子供の出産で里帰りしていた時である。

その後もいろいろ助けて貰ったものである。あの頃から、既に半世紀以上経っている。無理もない。皆年を重ね、それぞれの人生を歩んできて今がある。生きて行く上で順次問題はかかえることになるのは当たり前とはいえ、目の前の現実となると、やはり、切なさがこみ上げてくる。順次これから同じ運命が待っていると思うべきだろうが、まだまだという避けたい叫びも聞こえてくる。 自然に逆らわず、鷹揚に。残された人生を如何に活用すべきかを考えるべし。

膝の故障が7,80パーセント回復した矢先にいろいろ考えてしまったが、周りを見れば、いろいろな生き様があることがわかる。消極的になったり、積極的に快活になったりの繰り返しであるが、昨日は高揚した日となった。


10月16日 日本オープンゴルフ大会が我が家の目の前のNCCで開幕。生憎の雨の日となったが、同じ日に、恒例の日光ソロプチミスト主催のチャリティーゴルフ大会が鬼怒川CCで開催され、今回は夫婦で参加。同じグループに悦子さん、好子さんを誘って。雨の中のプレイとなったが、86人もの参加者を得て、盛大に開催された。グロスのスコアは良くなかったが、新ペリエ方式でのコンペのおかげで、何故か、結果は好成績に。86人中10位。しかもレディースで優勝という実力から離れた結果を貰って、嘘でも嬉しい❣ 思いに。夫も平素のスコアより良い結果を得て31位でまんざらでもない。花束やら、賞品やら、抱えきれないグッズをいただいて喜び勇んで帰宅。ところが有頂天になりすぎて、夫はカードを返却しないで帰宅。つまり、グリーンフィーを未支払いのままだったことに気づいて、Uターンしてゴルフ場へ。とんだ顛末だった。帰宅しなおして、夫はそのまま東京へ。 その後、優美子夫人からのラインメールで手術は成功されて土曜日には退院される由のグッドニューズを得て、本当に喜びが重なった、ハッピーな一日となった。人生、山あり谷あり、苦あれば楽あり、この繰り返しの船に乗って楽しく航海し続ける事。

2025年10月2日木曜日

9月29日(月)復帰の兆し

 70日前の7月20日(日)に足を踏み外して右膝靭帯を損傷し、難儀をしたことは記録している。日常のルーティンが出来なくなり、明日は何を、今日は何をと計画が立てられなくなり、ただ、脚を引きずりながら移動するのがやっとの生活が続いた。ソファーに寄りかかって、せいぜいテレビを観るのが殆どの毎日が続いた。頭も脚の筋肉も退化していくうのが懸念される中、極力意識して痛む脚に鞭を打ち、病院通いから接骨院に梶を変えて10回ぐらい通い、電気治療とマッサージを続けた。徐々に歩けるようになった。幸い、金曜日の英会話クラスは休むことなく続けられた。ただ、私の生活の原動力となっていたゴルフが出来なかったことが非常につらかった。コーラス活動も休まず続けた。時間が解決するだろうと信じて滅入る気持ちと何とか闘って我慢してきた。

そんな中、9月8日から20日までの2週間、夫は今年2度目の中国へ。新しく開校される上海の日本語専門高校のイベントに加えて、日中音楽交流会を仕掛け、6月に私も中国へ行った時に再会した藩幽燕女子が中心となって実現した。この時、今回が二度目となる大野紘平君(この春26歳になったばかりながら、もう音楽エンターテイナーとして、大変な勢いで活躍する大物に成長)を同行しての交流会。幽燕さんとは6年前に宇都宮で会っていることもあり、大変和気藹々と活発な音楽会になったよう。

その間、私はひたすらリハビリを心掛け、ついに、夫の留守中に庭の草刈りを全部やってのけた。殆ど一週間かけての作業だった。夫を驚かせたい一心もあったが、帰った翌日には我々のコーラス隊の練習があったこともあり、あの駐車場になっている空き地を何とでもきれに刈っておかなくてはという気持ちがあったからである。

そんなわけで、時間が経過し、怪我をしてから70日目となった9月29日(月)、ついに夫とゴルフに出かけた。(その前に、実は25日、夫が東京に行っている間に1人で思い切ってハーフを回ってみた。宇都宮ロイヤルCCで。そして大丈夫だと確信)たまたま29日は酷暑に戻った日となり、暑さがこたえた。前半は50で回ったものの、後半はあるホールで大たたきをしたことから、気持ち的にも疲れと暑さで地獄の境地に。辛かった。しかし、後半は55叩きながらも、やりぬいただけでも喜ぶべき。10月16日のソロプチミストの例年のコンペに備えて、とりあえず、プレイできる自信が得られたのは収穫であった。