2025年10月14日(火)
スポーツの日の翌日、2日後のソロプチミストチャリティーゴルフ大会に備えて、好子さん、夫の3人でRCCで練習をしたのはいいものの、不調に終わる。考えて打つうちはうまく行かない。何も考えないで、今まで通りに、力を入れないで楽にやるべし。
5時間かけてラウンドした後、羽黒山の近くに住む4番目の義理姉、Yお姉さんの所に夫のイニシャチブで行った。事前に電話をするもノーアンサーであったが、行ってみることに。9月末に2番目の義姉M姉さんの一周忌の法事で会ってはいた。一週間前に日光地区在住の義姉達、H,I,U姉さん3人と我々で小代の1番目の義姉Chiyono姉さんの所に、陣中見舞いというか、年齢が年齢なので(96歳)みんなで在宅の時に(周4日は介護施設にお泊り)会って来ようということで出かけた。その時、このY姉さんには家が遠いこともあって声をかけなかったうしろめたさもあった。中里の家に着いてみると、長女と彼女の2人の子どもが丁度訪れていた。奇遇で会えて良かったと思ったものの、Y姉さんの変わりように驚いてしまった。つまり、年齢相応に(92歳)支障が出てきているという説明を長女から聞いてまさかのまさかの思いであった。既にいろいろ手配を進めていて、11月には長女の決断で施設に入所するという。余りに急な話であり、本人も納得しているのかいないのか、つまり、こういう時にありがちなうつろな眼に時の流れの残酷さをつくづく思い知った。てきぱきと動き回り、編み物が得意だったあのお姉さん、私達が初めての海外勤務をしたカナダから帰国して約1か月は、当時姉達はまだ東京に在住していた時で、夫が居候させていただいた。私は大阪の実家に初めての子供の出産で里帰りしていた時である。
その後もいろいろ助けて貰ったものである。あの頃から、既に半世紀以上経っている。無理もない。皆年を重ね、それぞれの人生を歩んできて今がある。生きて行く上で順次問題はかかえることになるのは当たり前とはいえ、目の前の現実となると、やはり、切なさがこみ上げてくる。順次これから同じ運命が待っていると思うべきだろうが、まだまだという避けたい叫びも聞こえてくる。 自然に逆らわず、鷹揚に。残された人生を如何に活用すべきかを考えるべし。
膝の故障が7,80パーセント回復した矢先にいろいろ考えてしまったが、周りを見れば、いろいろな生き様があることがわかる。消極的になったり、積極的に快活になったりの繰り返しであるが、昨日は高揚した日となった。
