70日前の7月20日(日)に足を踏み外して右膝靭帯を損傷し、難儀をしたことは記録している。日常のルーティンが出来なくなり、明日は何を、今日は何をと計画が立てられなくなり、ただ、脚を引きずりながら移動するのがやっとの生活が続いた。ソファーに寄りかかって、せいぜいテレビを観るのが殆どの毎日が続いた。頭も脚の筋肉も退化していくうのが懸念される中、極力意識して痛む脚に鞭を打ち、病院通いから接骨院に梶を変えて10回ぐらい通い、電気治療とマッサージを続けた。徐々に歩けるようになった。幸い、金曜日の英会話クラスは休むことなく続けられた。ただ、私の生活の原動力となっていたゴルフが出来なかったことが非常につらかった。コーラス活動も休まず続けた。時間が解決するだろうと信じて滅入る気持ちと何とか闘って我慢してきた。
そんな中、9月8日から20日までの2週間、夫は今年2度目の中国へ。新しく開校される上海の日本語専門高校のイベントに加えて、日中音楽交流会を仕掛け、6月に私も中国へ行った時に再会した藩幽燕女子が中心となって実現した。この時、今回が二度目となる大野紘平君(この春26歳になったばかりながら、もう音楽エンターテイナーとして、大変な勢いで活躍する大物に成長)を同行しての交流会。幽燕さんとは6年前に宇都宮で会っていることもあり、大変和気藹々と活発な音楽会になったよう。
その間、私はひたすらリハビリを心掛け、ついに、夫の留守中に庭の草刈りを全部やってのけた。殆ど一週間かけての作業だった。夫を驚かせたい一心もあったが、帰った翌日には我々のコーラス隊の練習があったこともあり、あの駐車場になっている空き地を何とでもきれに刈っておかなくてはという気持ちがあったからである。
そんなわけで、時間が経過し、怪我をしてから70日目となった9月29日(月)、ついに夫とゴルフに出かけた。(その前に、実は25日、夫が東京に行っている間に1人で思い切ってハーフを回ってみた。宇都宮ロイヤルCCで。そして大丈夫だと確信)たまたま29日は酷暑に戻った日となり、暑さがこたえた。前半は50で回ったものの、後半はあるホールで大たたきをしたことから、気持ち的にも疲れと暑さで地獄の境地に。辛かった。しかし、後半は55叩きながらも、やりぬいただけでも喜ぶべき。10月16日のソロプチミストの例年のコンペに備えて、とりあえず、プレイできる自信が得られたのは収穫であった。
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