2010年9月30日木曜日
It was on September 22 when my husband returned from China where he gave a lecture focusing on the mass-media in Japan and exchanged views with many Chinese students on a campus in Nanking. Then 4 days later, he flew to Bergen in Norway for an academic duty with the Bergen University. Taking this opportunity it is very fortunate for him to meet some of our Norwegian friends to share a weekend. My mind is also flying there to share the time together. It's appreciative for us to be able to keep our friendship on and on like this. Good luck to everybody, "Skull!"
2010年9月26日日曜日
9月25日(土)心配された台風も雨模様程度で大きな影響は無く、かねてから予定されていた「会津西街道ウオッチング」というバス仕立てのアウティングが決行された。よくあることだが、8:30出発というのが一人の大幅な遅刻によって40分もの遅れを余儀なくされた。担当スタッフの気持は察するにあまりある。
大谷橋を渡ってからR.461会津西街道に入る。バスの中で佐藤先生の説明が素早く始まる。懇切丁寧な語り口で始まった知識満載のバスツアーが予感され、私は心が弾む。コーディネーターの立場にある美保子さんの語り口も皆の心を和ませ、落ち着かせるもので、何故か安心して、おんぶにだっこ状態でいられることがありがたい。
●日光道中(日光街道)の沿線には、近辺の農民が集められ、軒割されて人が集められ、生活集落が形成された。大正時代、版画職人が銅板に当時の今市の景観を刻んだものがあり、そこに、会津方面に向かっては11本の道が、逆方向のお小来川、山久保方面には3本の道が描かれている。道の数からいって、いかに会津が大切な地であったかが分かる。
●田島と今市の太い関係は経済圏を築きあげた。今市の六斎市の話は貴重。1か月に6回も市が開かれ、田島からは農特産物、日用品、漆器などが運ばれ、今市からは塩を持ち帰って、冬場の為に、農作物の塩漬けに重用されたという。今では町の活性化を目的に、1か月1回の六斎市が有志の組織によって開かれている。今でも田島からの漆器職人が参加していて当時の名残ということがわかる。
●田島周辺の農民は、農作物を馬で田島まで運んでいたが、それが幕藩体制の下、田島を起点に宿から宿へ馬での物流が始まる。この仕組みを更に越えて田島から今市までつけ通すことをやり遂げるようになる。自家用の物を大きく流すことに目をつけたのが中づけであり、物流組織の元祖となる。
(つけ通す=品物がより速く、より安全に、より物を大切に運び通すという意。)
ここから、会津西街道が人間愛と創造性が詰まった街道となり、農民の運輸業者が現れ、やがてそれが会社組織となっていく。この街道の立役者は、馬であり、沢山の馬を持つことが重要となる。馬を立てるという言葉があり、仔馬をとって育てて使う。つまり、馬を家族の一員として育て上げ働かせたのである。馬頭観音像が建てられている理由がわかる。
以上のことを頭に入れて、実際の風物、名跡をポイント的に見ていくというのが今回のウオッチングのテーマであったが、次から次となされる佐藤先生の充実したお話を聞きながらの見学は素晴らしいものであった。
大谷橋を渡ってからR.461会津西街道に入る。バスの中で佐藤先生の説明が素早く始まる。懇切丁寧な語り口で始まった知識満載のバスツアーが予感され、私は心が弾む。コーディネーターの立場にある美保子さんの語り口も皆の心を和ませ、落ち着かせるもので、何故か安心して、おんぶにだっこ状態でいられることがありがたい。
●日光道中(日光街道)の沿線には、近辺の農民が集められ、軒割されて人が集められ、生活集落が形成された。大正時代、版画職人が銅板に当時の今市の景観を刻んだものがあり、そこに、会津方面に向かっては11本の道が、逆方向のお小来川、山久保方面には3本の道が描かれている。道の数からいって、いかに会津が大切な地であったかが分かる。
●田島と今市の太い関係は経済圏を築きあげた。今市の六斎市の話は貴重。1か月に6回も市が開かれ、田島からは農特産物、日用品、漆器などが運ばれ、今市からは塩を持ち帰って、冬場の為に、農作物の塩漬けに重用されたという。今では町の活性化を目的に、1か月1回の六斎市が有志の組織によって開かれている。今でも田島からの漆器職人が参加していて当時の名残ということがわかる。
●田島周辺の農民は、農作物を馬で田島まで運んでいたが、それが幕藩体制の下、田島を起点に宿から宿へ馬での物流が始まる。この仕組みを更に越えて田島から今市までつけ通すことをやり遂げるようになる。自家用の物を大きく流すことに目をつけたのが中づけであり、物流組織の元祖となる。
(つけ通す=品物がより速く、より安全に、より物を大切に運び通すという意。)
ここから、会津西街道が人間愛と創造性が詰まった街道となり、農民の運輸業者が現れ、やがてそれが会社組織となっていく。この街道の立役者は、馬であり、沢山の馬を持つことが重要となる。馬を立てるという言葉があり、仔馬をとって育てて使う。つまり、馬を家族の一員として育て上げ働かせたのである。馬頭観音像が建てられている理由がわかる。
以上のことを頭に入れて、実際の風物、名跡をポイント的に見ていくというのが今回のウオッチングのテーマであったが、次から次となされる佐藤先生の充実したお話を聞きながらの見学は素晴らしいものであった。
2010年9月22日水曜日
尖閣諸島周辺での漁船衝突事件を発端に日中関係がおかしくなってきている。いろいろ予定されていた交流事業や会合が中国側の一方的な判断で次々とキャンセルされている。それを受け返して石原都知事が訪中をとりやめたという記事が今日の新聞に出ていた。
「あんな不愉快な国はいかない・・・私は尖閣に最初に灯台を建てた人間で、こんな中国に行くつもりは無い。・・」と報道陣の取材に答えていた。 これでは売られたケンカを買って出た反応に過ぎず、新しい政権の下、賢明な外交の努力と手腕が問われる。南京で講義をしていた夫からのメールによると、早速、学生からその問題に触れた質問が出たという。そういう質問を諌める学生の発言もあったとのこと。しかし、夫はその質問も受け止めて次のように答えたところ、大きな拍手が湧き上がったとのこと。避けないで真摯に問題の求心を共に考えることに学生達も納得したのではないかと思う。(でも勇気のいる対応だったに違いない。)「私としては中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりをし、日本側がこれを逮捕したことが誤りだったなどと言うつもりは全くないし、中国側の主張にいささかなりとも理解を示す立場には無い。しかし、最も大事なことはもう二度と日中間で戦争をしてはならないということです。日中間で争うことになれば、両国だけでなくアジアの発展もなくなります。」
学生の質問の内容からして熱気にあふれる授業風景が想像出来る。中国の若い人達は日本に関心を寄せ、情報を得ることに熱心である様子がうかがえる。民主党の代表選挙までいろんな質問が出たようだ。とにかく日本の大学との大きな違いがそこに見えてくる。関心があるから多くの質問が出る。
今、夫は岐路に立ち寄った上海でいくつかの万博のパビリオンを見学し、間もなく帰国するが、今の中国の騒ぎの中、無事に帰ってくることを祈りたい。
「あんな不愉快な国はいかない・・・私は尖閣に最初に灯台を建てた人間で、こんな中国に行くつもりは無い。・・」と報道陣の取材に答えていた。 これでは売られたケンカを買って出た反応に過ぎず、新しい政権の下、賢明な外交の努力と手腕が問われる。南京で講義をしていた夫からのメールによると、早速、学生からその問題に触れた質問が出たという。そういう質問を諌める学生の発言もあったとのこと。しかし、夫はその質問も受け止めて次のように答えたところ、大きな拍手が湧き上がったとのこと。避けないで真摯に問題の求心を共に考えることに学生達も納得したのではないかと思う。(でも勇気のいる対応だったに違いない。)「私としては中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりをし、日本側がこれを逮捕したことが誤りだったなどと言うつもりは全くないし、中国側の主張にいささかなりとも理解を示す立場には無い。しかし、最も大事なことはもう二度と日中間で戦争をしてはならないということです。日中間で争うことになれば、両国だけでなくアジアの発展もなくなります。」
学生の質問の内容からして熱気にあふれる授業風景が想像出来る。中国の若い人達は日本に関心を寄せ、情報を得ることに熱心である様子がうかがえる。民主党の代表選挙までいろんな質問が出たようだ。とにかく日本の大学との大きな違いがそこに見えてくる。関心があるから多くの質問が出る。
今、夫は岐路に立ち寄った上海でいくつかの万博のパビリオンを見学し、間もなく帰国するが、今の中国の騒ぎの中、無事に帰ってくることを祈りたい。
2010年9月20日月曜日
昨日に続いて世界遺産大学の一連のイベントの最後のものとして、「結界譚ーKekkaitan」という上妻宏光(津軽三味線)野崎洋一(キ-ボード)によるダイナミックな音楽と麿 赤兜&大駱駝艦による前衛ダンスのコラボレーションを観劇した。場所は東照宮。五重塔前にステージが見事に 設置され、公演を待たずして、すでに幻想的な雰囲気が漂っていた。更に、雨がポツリポツリという気配でスリル満点の状況であった。観劇後は何とも不思議な世界に入っていたことに気付きながらも、深夜の眠りの中でも続き、5時頃目覚めてすぐこれを書き始めた。公演中は撮影禁止だったため、幕引き前の出演者がラインアップしたところをかろうじてカメラに収めた。
Last night I went to the Toshogu Shrine to enjoy a special performance which was initiated by the Comittee of World Heritage Theater sponsored by Rakuten. It was a coraboration of Music by Tsugaru Shamisen(a sort of Japanese guitar with strings originated in Tsugaru district in the north of Japan) & a Key board with 10 year career and Avan-Garde Dancing Group named Dai Rakuda Kan which has been very active and popular in and out of the country since 30 years ago. The stage was set up outside, in front of Goju no To(5 storied pagoda) surrounded by those big, tall cidar trees. The atmosphere was just beyond our world, very mysterious but elegant and dignified. The performance itself was dynamic and produced a space something different we experience in our daily life. It was mixed up with Do(Action) and Sei(Tranquility), Yorokobi(Happiness) and Kanashimi(Sorrow). Positive and negative feelings. Our life itself was well represented in those mixed movement. I got a very strange feeling and continued to keep it even in my dream until this morning . I realized that the prosperous Nikko has been protected by the saint mountains and that's why Nikko has a great mysterious power.
Last night I went to the Toshogu Shrine to enjoy a special performance which was initiated by the Comittee of World Heritage Theater sponsored by Rakuten. It was a coraboration of Music by Tsugaru Shamisen(a sort of Japanese guitar with strings originated in Tsugaru district in the north of Japan) & a Key board with 10 year career and Avan-Garde Dancing Group named Dai Rakuda Kan which has been very active and popular in and out of the country since 30 years ago. The stage was set up outside, in front of Goju no To(5 storied pagoda) surrounded by those big, tall cidar trees. The atmosphere was just beyond our world, very mysterious but elegant and dignified. The performance itself was dynamic and produced a space something different we experience in our daily life. It was mixed up with Do(Action) and Sei(Tranquility), Yorokobi(Happiness) and Kanashimi(Sorrow). Positive and negative feelings. Our life itself was well represented in those mixed movement. I got a very strange feeling and continued to keep it even in my dream until this morning . I realized that the prosperous Nikko has been protected by the saint mountains and that's why Nikko has a great mysterious power.
2010年9月19日日曜日
第四回世界遺産大学 「日光の社寺 自然と神々」という世界遺産劇場実行委員会と下野新聞社主催のイベントに参加してきた。17日には二荒山神社境内で浅野温子さんによる古事記からの読み語りが夜の幻想的な演出でなされ、続いて歌舞伎「連獅子」奉納があったようだが、私は18日に日光総合会館で行われた彼女の「天の石屋戸」の話の読み語り基調公演と彼女を含め、東照宮奥田権宮司、二荒山神社中麻権宮司、輪王寺鈴木執事総務部長、それに福田富一知事と5人のパネリストと下野新聞黒内論説部門主筆がコーディネーターとなってのパネルディスカッションに出席してきた。パネリスト達がそれぞれの思いを予めまとめてきた原稿を見ながら、理路整然と述べ、全体的に予定通り2時間でまとめあげられたのには洗練された印象を持った。
●浅野さんのキーワードは「語り伝える」で忘れ去ろうとしている古事記の話を7年前からやっていて二荒山神社での公演が60回目にあたるそうである。自然と人間の融合を崇め、古事記のテーマが家族愛であることを強調。日光山の信仰がまさに大自然の中での家族愛であることに気付かされる。
●浅野さんに最初から同行して古事記からシナリオを作成している脚本家阿村礼子さんのキーワードは「ものがたり」で、古事記の中に日本人の原点があると説く。
●福田知事のキーワードは「共生」。過去、現在、未来が共に生きていることを主張。世界遺産の意義を説き、行政の立場から実際の資金は出ないが、修復作業の縁の下の力もち的立場で言葉や文化の違いを乗り越えて感動してもらえるよう、観光基盤の充実を計り、自然と神々が一体化し聖地、すべてが複合した霊地の保存管理に協力していきたいと述べた。
●奥田東照宮権宮司のキーワードは「調和」。神域すべてがパワースポットなので55棟もの社が建てられている。家康の遺言により、彼を神として日光に祭られてから2015年には400年祭りを迎えるため、すでにいろいろなプロジェクトを立てている。彼の言う江戸幕府の安泰は日本の安泰であるという壮大な思いが調和に繋がっているということ。
●中麻二荒山権宮司のキーワードは「感謝」。大自然の恵みと神々の存在。そして先人の真心と知恵に感謝である。(安土桃山時代の30年間は空白であったという)男体山を開山して以来の宝物がしっかり保存されていて、信仰の変遷がよくわかる。
●鈴木輪王寺執事のキーワードは「今」でこの瞬間がすべてであるということ。全てのものに価値があり、それらを大事に一日一日を生活することと捉えるべき。二社一寺などと言うべきではなく、むしろ日光山として全体的に日光信仰と理解すべきである。神仏集合、複数の神々の信仰であり、神と仏の調和の中での人々の生活の営みが世界遺産として認められたのだと思う。無数の人々の生活が背景にあるということ。(ピラミッドや万里の長城と異なる点)鈴木執事は大変ユーモアな語り口で、親しみやすさを感じさせられた。さらに今やるべきこと、それは布教活動である。信仰心がなければこの世界遺産は無くなってしまうから。
改めて日光信仰のテーマを考える良い機会となった。
●浅野さんのキーワードは「語り伝える」で忘れ去ろうとしている古事記の話を7年前からやっていて二荒山神社での公演が60回目にあたるそうである。自然と人間の融合を崇め、古事記のテーマが家族愛であることを強調。日光山の信仰がまさに大自然の中での家族愛であることに気付かされる。
●浅野さんに最初から同行して古事記からシナリオを作成している脚本家阿村礼子さんのキーワードは「ものがたり」で、古事記の中に日本人の原点があると説く。
●福田知事のキーワードは「共生」。過去、現在、未来が共に生きていることを主張。世界遺産の意義を説き、行政の立場から実際の資金は出ないが、修復作業の縁の下の力もち的立場で言葉や文化の違いを乗り越えて感動してもらえるよう、観光基盤の充実を計り、自然と神々が一体化し聖地、すべてが複合した霊地の保存管理に協力していきたいと述べた。
●奥田東照宮権宮司のキーワードは「調和」。神域すべてがパワースポットなので55棟もの社が建てられている。家康の遺言により、彼を神として日光に祭られてから2015年には400年祭りを迎えるため、すでにいろいろなプロジェクトを立てている。彼の言う江戸幕府の安泰は日本の安泰であるという壮大な思いが調和に繋がっているということ。
●中麻二荒山権宮司のキーワードは「感謝」。大自然の恵みと神々の存在。そして先人の真心と知恵に感謝である。(安土桃山時代の30年間は空白であったという)男体山を開山して以来の宝物がしっかり保存されていて、信仰の変遷がよくわかる。
●鈴木輪王寺執事のキーワードは「今」でこの瞬間がすべてであるということ。全てのものに価値があり、それらを大事に一日一日を生活することと捉えるべき。二社一寺などと言うべきではなく、むしろ日光山として全体的に日光信仰と理解すべきである。神仏集合、複数の神々の信仰であり、神と仏の調和の中での人々の生活の営みが世界遺産として認められたのだと思う。無数の人々の生活が背景にあるということ。(ピラミッドや万里の長城と異なる点)鈴木執事は大変ユーモアな語り口で、親しみやすさを感じさせられた。さらに今やるべきこと、それは布教活動である。信仰心がなければこの世界遺産は無くなってしまうから。
改めて日光信仰のテーマを考える良い機会となった。
19日には東照宮五重塔前での「結界譚」地鳴りする上妻の三味に麿赤児が異形の群舞を繰り広げる大公演を観劇することになっている。
2010年9月12日日曜日
This is the first photo which arrived early this morning attached to an e-mail called "Letter from China". All the young people surrounding my husband were his students when he had a class in Dairen(大連)2 years ago. They all gathered in Nan-King to welcome him. He is going to give 4 lectures in Nan-king this time. He looks so happy to meet them and he seems to be very anxious and excited to challenge another new experience there.
2010年9月2日木曜日
Yesterday was the hottest day with the temperature 32 degrees even inside of my house located in Nikko. My discomfort index reached the highest this summer because of such a high humidity. After I gave a ride to my husband to the station (he went to Tokyo for several duties), I did a grocery shopping, droped in bank, other shops etc. taking quite a time. Then in the afternoon after coming back home, I found myself tired with no energy left. I took rather heavy lunch to cheer me up and decided to have a rest. I know this way is not good for diet but I was obliged to do so. And I have an obsession in my mind, that is to determin my life work . I know what to do but it takes a time for me to step out toward it. Well again, no hurry. I indulged myself in an easy-going way. . However, in the evening when the temperature was falling down, I suddenly went out into the yard to pick up weed and gave water to the flowers and lawn. Good work!
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