ページ

2011年4月11日月曜日

被災地訪問

被災地慰問
 
 4月10日、日曜日、朝7時。予定通り、日光清風塾より夫を入れて4人の有志が先遣隊として車で被災地相馬市に向かった。4月3日に行った塾長チャリティー講話会で参加者のご協力によって募られた義捐金132,300円を特製ホームメードの巾着にしっかり預かって出かけた。京都の木田安彦画伯より我が家に震災見舞いとして送られてきた水2ダースも被災地で使って貰うように一緒に。別途4人の一日分の食糧と水も用意して。 何故、日光清風塾(日光市の地域活性化のためのボランティア活動を行う任意団体で、塾長は現白鴎大学教授、元駐ノルウェー大使の河合正男)は相馬市支援活動をスタートさせたのか、その動機を理解するために覚書をここに記しておこう。  江戸時代末期、二宮尊徳翁は幕府の命により、飢餓に苦しむ日光御神領の立て直しに当たりました。その際、報徳仕法を学んだ何千人もの相馬藩士が日光地域の開削事業を助けに来てくれました。また相馬藩主から日光御神領に毎年5百両づつ10年間にわたり献金をいただきました。 今般の未曾有の東日本大震災を受け、日光市に在る日光清風塾としては、かつての相馬藩の御恩に少しでも報いたい考えです。 長期に亘るとみられる復興事業のため、今後相互に連絡を取らせていただきたいと考えます。  以上の趣旨に基づいて行動を起こした今回の先遣隊が無事に現地入り出来ることを祈って見送った。  一行は夕方6時半頃、夫からの連絡で戻ってきたことを知った時、想像していたより早く帰ってきたので、もしかして途中で、道路事情などにより諦念して帰ってきたのかと思った。予想していたよりアクセスは問題なく、3時間半で到着したとのこと。途中の休憩所では日本全国から警察の援助隊が向かっていることを目撃。九州から2日がかりで来て、4日滞在して、また2日かけて九州に戻るという。日本全国からこうして、援助隊が集まって救済活動をしていることを実感出来たということ。この時点で凄い動きを見てとったようだ。 現地に到着して、予め連絡をとっていた通りに市庁舎を訪ね、担当の方や相馬市長にもお会い出来たとのこと。市長自ら日光市民に向けて、義援金を募っていることへの協力を真剣に祈願しておられて、日光市長にそれを訴える手紙を託されてきた。市庁舎は健在で、行政もしっかり作動していてまだ他の被災地と比べると救われる思いだが、現場を見て、とにかく言葉が出なかったようだ。相馬市は天国と地獄に分かれているのをはっきり目撃。その境目は6号線のバイパスであるという。そこを境にして、無残な姿となった地域と家屋も損傷程度で残った地域と真っ二つに分かれている。今は、自衛隊が一生懸命に救済復興活動をしている段階である。避難所では県外から集まったボランティアが活動している。中でも、東京からのグループがラーメンを作って、無料で被災者に提供しているそうで、そこでは長蛇の列が作られている。被災者には心温まる話であり、ありがたい活動である。更に、自衛隊がブラスバンドで音楽を奏でている光景もある。自衛隊は、あらゆる角度から被災者を助け、心を癒していることがわかる。すばらしいと思わざるを得ない。長期戦故、きばらずに長く続けられるよう祈るばかり。  一行は4時間ぐらいの滞在で現地を実際に歩き(オフリミットのゾーンも含めて)、今後の支援の仕方を模索してきたようだ。 お疲れ様でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿