苦難の時
東北関東大震災は東日本大震災と命名された由。私たちが4年前に立ち上げた日光清風塾も今出来ることとして、急遽、相馬市からの要請に応えてペットボトル水、保存食品を集めて市の窓口を通して輸送したが、今度は4月3日の第五回塾長講話をチャリティー講話とし、東日本大震災義援金募金活動の一つとしてやることになっている。毎月第一日曜日に定期的に無料で塾長講話会を開いているが、4月からしばらくチャリティー活動にしようというわけである。「世界の原発事故」というのが今度のテーマとなっている。当塾の傘下にある私が友人と担当している「楽しい英会話クラブ」からも義援金を送付したばかり。 日光市と相馬市は二宮尊徳を通じて深い関係にあることを一寸記しておきたい。1853年幕府から飢餓に苦しむ日光神領の立て直しを命じられた二宮尊徳が真岡(東郷陣屋)から赴任して回村(日光、日蔭、西川、川治、小佐越、喜多蔵、大沢、小来川、古峰原、など)を始めたのが既に67歳の時。病の身であった。尊徳の門下生となっていた相馬藩士の富田高慶や斉藤粂之助、伊東発身、測量の大家荒千八などが同行して日光神領の開発事業を助けた。それに先立って財政破綻直面の相馬藩は門下生を通して報徳仕法を懸命に実践していて、相馬は再建に見事に成功。二宮尊徳の恩に報いるべく相馬藩は多大の支援を日光地域の開発事業に与え、今、水を得た今市(現日光市)には豊かな水田が広がり、飢餓に苦しんだ形跡は見られない。今度は日光市が未曾有の災害に苦しむ相馬に恩返しをする時であり、救済の手を少しでも差し伸べたいと考えている所である。今日のテレビ報道によると、義捐金はもう800億集まったとのことだが、受け皿側の仕分けが混乱状態で、早く配分出来ていないとか。各自治体の行政マンたちも、被災者でありながら懸命に対応しているのが本当に痛々しい。It takes time to get it well organized.
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