日光清風塾ボランティア活動
7月3日、日曜日、被災地相馬市に行ってボランティア活動をする日である。夫は2回目だが、私は初めての参加である。日光清風塾から18名が参加することになった。当初の予定の倍の人数となり、一層エネルギーを与えられた気で、元気よく朝2時起床。ボランティア活動作業に欠かせない用具は昨晩揃えておいたので、夫と自分のお弁当と飲み物のの準備をする。3時に夫を起こし4時前に我が家を出る。集合場所の文化会館前に着くと、既に、令子さんが電話で連絡をいただいた約束を守って、差し入れを準備して待機していて下さった。 会津の珍しい食文化を18名の為に早朝から作って運んで下さったそれこそ真のボランティア精神に感動した。負けないように今日一日頑張らなくてはと強く決意。
4時半に中型バス(手塚理事がバス付で10名ものスタッフを動員)で一行は不安半分、何か出来そうという前向き思考で出発。予定通りの行程で相馬市役所に8時半到着。日曜日なのに総務課長が出勤しておられてすぐお会い出来た。同じ清風塾の理事に託されたお米30㎏と、2回のチャリティー講話会で募金した義援金45,421円が入った袋を当課長にお渡しすることが出来た。その後、総合福祉センターに移動して、ボランティア受付窓口で仕事の分担を指揮して貰い、男性群は泥カキ作業、女性群は想像もしていなかったペット避難場所でのお手伝いをすることになった。相馬市は人間の避難場所は仮設住宅の手配が行き届き、6月中旬に、いわゆる体育館などでの避難は終了していた。総合福祉センターもかつては、段ボールで区切りをつけてプライバシーを少しでも守ろうとしたところであったが、今はそういう意味での避難はペットに目が向けられていた。市街から離れた山里に理解ある地主から提供された土地に、ペットの避難所は作られていた。約20頭の犬が、飼い主の都合で避難所でケアされている。人に個人差があるように犬にも個人差があるとのこと。ワンワン泣き叫ぶ一方で、慣れると身を寄せてくる。午前と午後、別々の犬を散歩に連れ出したが、歩き方がこんなにも違うのかと驚く。おとなしく、いつものルートを歩いて、下の仕事をきっちりやり終えるのと、挑戦意欲があって、どんどん新しい方向へ先に引っ張っていくのとある。暑い中、マスクをして手袋をはめて、半時間程度歩いたが、相当の運動量であったと思う。その他、半坪ぐらいの広さに区切られた犬のアパート(それぞれの小屋は持ち込みでそのスペースに収まっている)の清掃、草ぬき、そしてブラッシングが仕事内容であった。猫慣れしている私にとって、犬様は少し勇猛でおっかないところもあるが、可愛い生き物である。「大切な命」に変わりはない。飼い主たちのやるせない気持ちを思うと私達もやるせない気持ちになる。一人の飼い主に出会ったが、その人の犬は40日間、原発事故現場から16㎞にある住まいにワンちゃんを一人にしておいたそうだが良く耐え生き延びたと目頭が熱くなった。もしかして被爆しているかもしれないと思うと、ここにも犠牲者がいることにやるせない思いになる。今は仮設に居て、犬を飼える状態ではないのでペットの避難所に預けているとのことであった。午前は9時半ごろから11時半まで。午後は2時から3時半までが活動時間であったので、内容的には余り厳しい作業ではなかった。昼はセンターに戻って、3人の女性がよりそってお弁当を食べ、少しソファーで休むことが出来た。男性群の泥かき仕事はかなり重労働だったようだが、大勢だったので、目標の仕事は完遂し、達成感があったとのこと。皆、終了してバスに集合した時は、大変良い、明るい顔をしていたのが印象的だった。帰路につく前、浜の方に回って貰って、地獄となった光景を実際にこの目で見た。瓦礫の山はあるが、人影が無いせいか、整然とした印象を受けた。お化け屋敷化した家々が散在。かつての賑やかで明るかったに違いない街に人影がない。淋しい風景となっている。帰路についてからは、雨模様となり、我々の幸運に感謝。バスの中は、一仕事終えたあとの、達成感と安堵感でリラックスムードとなり、話で盛り上がる人、休眠を取る人、様々であった。途中、福島の高速パーキングエリアで軽く夕食をとり、日光へ戻って行った。こうして意味深く、元気なボランティア活動がグループで出来たことに感謝感激である。詳しくは、別の機会に触れることにしよう。
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