しばらくブログから遠ざかってしまいました。日光清風塾が提案した秋の大きな企画が本格化することになってその準備作業に大わらわ。具体的にはこの企画専用のブログが立ち上がることになっているのでそちらと連携していくつもり。
昨日は毎年夏に企画される「パークアベニューで昼食を」なんてしゃれた名前を付けたグループが食事会をおこなっていて出席してきました。国連代表部時代の大使令夫人を囲んでの年一回の集まりだが、それぞれ日本で子育て、子供の教育、親の介護、自己啓発など、頑張っておられる様子をいつも再確認して励まされている。子供達のアイデンティティー教育は考えさせられる。つまり、言葉の問題が原点にあり、基礎となる言語をしっかり身に付けることがその子のアイデンティティーを決めるという話はうなずける。自分たちの子供は2,3年で引っ越ししていたので、結局は日本語が完全に基礎となり、バイリンガルとかトライリンガルという問題は起きなかった。むしろせめてバイリンガルくらになればと期待したところがあるが、一か所に赴任した長さとか、タイミングの問題がからむ話である。子供の教育は結果がすぐ出ないが故に本当に長時間試行錯誤する。みんなそれぞれ悩んでやってきているということをつくつく感じた。
2012年7月8日日曜日
日光清風塾 第16回講話会
7月8日、日光清風塾塾長の月例講話会(第16回)が行われた。今回のテーマは「フランスの社会と文化」。これは来る9月下旬に企画している「大使館ウイークin Nikko」につながるもので、参加予定のフランスについての予備知識として大いに参考になった。
「フランスというと皆さんは何が頭に浮かびますか」の問いかけから始まり、次々と提出されたテーマをカバーしながらの話は分かりやすく、参加者の関心度もそれだけ高まって満足が得られたと思う。①ワイン、ブドウの話②三色旗③美術、芸術④移民国⑤産業⑥常任理事国⑦ファッション など。思いつくままにテーマが出されたが、フランスという国の仕組みが近代国家の模範を作った国として歴史に言及しながら説明された。王政時代の雇用兵から、国民全体が兵隊となり、国民国家を建設していったナポレオンの偉業がその原点にあるということがよく解ったと思う。フランス文化を特徴づけるもの、デカダンの魅力が根本にあるという話もうなづける。男性と女性がかけひきによりお互いを美しくしているという話は面白かった。移民の国といってもアメリカの場合と内容が異なることもしっかり理解出来たのではないだろうか。
「フランスというと皆さんは何が頭に浮かびますか」の問いかけから始まり、次々と提出されたテーマをカバーしながらの話は分かりやすく、参加者の関心度もそれだけ高まって満足が得られたと思う。①ワイン、ブドウの話②三色旗③美術、芸術④移民国⑤産業⑥常任理事国⑦ファッション など。思いつくままにテーマが出されたが、フランスという国の仕組みが近代国家の模範を作った国として歴史に言及しながら説明された。王政時代の雇用兵から、国民全体が兵隊となり、国民国家を建設していったナポレオンの偉業がその原点にあるということがよく解ったと思う。フランス文化を特徴づけるもの、デカダンの魅力が根本にあるという話もうなづける。男性と女性がかけひきによりお互いを美しくしているという話は面白かった。移民の国といってもアメリカの場合と内容が異なることもしっかり理解出来たのではないだろうか。
2012年7月7日土曜日
ボランティア活動 ー (コーラス慰問)
2012年7月6日金曜日
三毛子 (29)
おばあちゃんの家は戸建ての分譲住宅地の中にあった。島根の山奥の川本というところからおじいちゃんの退職を機に新築住宅を購入したところである。おじいちゃんは高校で先生をしながら、油絵をずっと描き続けた人だそうだ。何でも日展に毎年出品し、七、八回入選を果たしていたという。どうりで、アトリエがあり、大作がいくつか壁を埋めて飾ってある。絵のことはわからないが、今まで見たことの無いアトリエの佇まいを初めてパトロールした。隠れ場所があるようで無い。ここは寝る場所としては不向きであることをまず感じたものである。
肝心のおばあちゃんは声が大きくて、よく話す。足がわるそうだったが声を聴く限り元気そうだった。おかあさんが我が家に戻ってきたということが嬉しかったのだろう。大仕事だった病院行きもおかあさんが車で連れていけるようになったし、夜の目薬点眼もやってもらえる。おばあちゃんはとにかく達者な口に反して、余程の不器用で、目薬を自分でさせないのだそう。だから、おかあさんが来るまでは、伯父さん達が交代で寝泊りして目薬をさしてあげていた。
おばあちゃんが出来ることは新聞を読むことと、テレビを見ること。中でも、おじいちゃんを亡くしてから始めた俳句に関心があり、その関係の番組をよく見ていた。台所はおかあさんがやり、おばあちゃんはまだ食べる喜びがあった。おばあちゃんが使う部屋の掃除はヘルパーさんが来てやってくれていた。買い物もおばあちゃんが書いたリストを持ってヘルパーさんがやっていた。勿論、すべて、おばあちゃんの生活環境の域を出ないやり方で週二回、ヘルパーさんが来てくれていた。勿論私達の居場所はノータッチであったし、厳密にいうと、娘が来ているのだから、ヘルパーは無用ではないかという眼差しであった。おばあちゃんには継続しておかなくては先で困るという意図があった。
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