肝心のおばあちゃんは声が大きくて、よく話す。足がわるそうだったが声を聴く限り元気そうだった。おかあさんが我が家に戻ってきたということが嬉しかったのだろう。大仕事だった病院行きもおかあさんが車で連れていけるようになったし、夜の目薬点眼もやってもらえる。おばあちゃんはとにかく達者な口に反して、余程の不器用で、目薬を自分でさせないのだそう。だから、おかあさんが来るまでは、伯父さん達が交代で寝泊りして目薬をさしてあげていた。
おばあちゃんが出来ることは新聞を読むことと、テレビを見ること。中でも、おじいちゃんを亡くしてから始めた俳句に関心があり、その関係の番組をよく見ていた。台所はおかあさんがやり、おばあちゃんはまだ食べる喜びがあった。おばあちゃんが使う部屋の掃除はヘルパーさんが来てやってくれていた。買い物もおばあちゃんが書いたリストを持ってヘルパーさんがやっていた。勿論、すべて、おばあちゃんの生活環境の域を出ないやり方で週二回、ヘルパーさんが来てくれていた。勿論私達の居場所はノータッチであったし、厳密にいうと、娘が来ているのだから、ヘルパーは無用ではないかという眼差しであった。おばあちゃんには継続しておかなくては先で困るという意図があった。
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