ページ

2014年9月9日火曜日

第35回日光清風塾講話会 9月7日

35回日光清風塾講話会                          97
「人口問題から考える日光市近未来」要旨         講話 小林弘臣副理事長
                             
早稲田大学大学院で発足当初から20年余「都市計画フォーラム」に携わってきたが、都市計画は総合的に考えることが必要なため多くの時間と忍耐を要するものだ。今回の講話は629日河合正男先生の第33回講話会でとりあげられたテーマ「消滅可能性都市とされた日光について」がきっかけ。今回はそれを引き継いでの第2回目、都市計画の視点から皆様と日光を考えてみる。

手許資料①日光都市ビジョン参考メモ ②日光市の人口問題        ③日光市の盛衰と時代背景
日光の大合併から8年余が過ぎた。しかし都市計画は思うように進まず人口減少は止まらない。東日本大震災も追い打ちを掛け、深刻度が増している日光である。
日光市の盛衰と時代背景から……これまでの旧二市二町一村(5地区)の人口ピークは旧日光市は戦後の高度経済成長の初期、昭和30年頃の「古河」の全盛期に、旧足尾町は大正初期の足尾銅山全盛期に、旧今市市はバブル経済後、宇都宮方面や山側からの移住が増えた時期に、藤原町は1980年代の宴会観光・温泉ブームの時期に、そして、栗山村は戦前と戦後の林業と温泉ブームの景況の時期に最大となった。日光はそれぞれ5つの地域の特性があって全盛期はずれているものの、その時の人口を単純に総計すれば15万人強となる。それが今や少子高齢化と外域への移住で人口は減り8.6万人ほどになってしまった。それぞれの地域がいま一度特性を発揮すれば、再び人口13万人程度の能力は潜在していると考えてよいのではないか。
二社一寺が世界遺産登録となった折に輪王寺の方から得た言葉が感動的だった……「勝道上人が日光を開山して1200年の歴史がある。今は更に1200年を後世に伝えていくべき一里塚にある」と。悠久な日光を強調したこの言葉が印象的であり、これこそ日光が他と違う原点であろう。
日光は過去、外部からダイナミックに資本が投下されてきたところだ。二社一寺も古河も、明治期からの外交官が集積した避暑地や国立公園としての観光メッカになり、それ故に東京と直結する電信、発電、鉄道なども早く設置され、外部投資で繁栄してきた。働く人々も全国からはせ参じたものだった。そのような歴史ゆえか、他力本願指向の強いところとなったことは否めない。
しかし現代、外からの投資が枯渇している。それこそが人口減にも表れている。いま一度、日光で生まれ育ち、そして日光で意義ある一生を送るとすれば、日光はどうあるべきか、日光でどう生きるべきか、また、そのためには日光に不足しているものは何か、を考えなければならない。
やはり観光資源がキーとなる。日光は他にはない優れた資産がある。自然資産・歴史資産・文化資産は減るものではない。工業など転移・流動してしまう産業資産と違うところである。それらの価値に自信をもって、いま一度、国内…特に首都圏の客を大切にし直すべきである。日光の日常の繁栄は基本的に日本人の客によって支えられなければならないからだ。そのようなしっかりとした土俵・基盤があってはじめて外国からの客ももてなせる。
外部からの意義ある日光への投資を取り込むためには、抜本的に大局に立った戦略を市民と一緒になって立て直すことが必要だ。自然体系を守る一方で新しい交通体系を造ることが考えられる。また、東京の奥座敷として国際会議場・コンベンションの建設などの構想があっていい。大きな流れの中で日光人と言えるような意識を持って再開発・再整備に挑むべきだ。多少、衰退したからと言って投げるのでなく、日光の凄さを見直して強くしていくべきだ。日光は磨けば外からアテにされる世界を持っており、頼られる世界を持っている。皆でまだまだこの議論は続けるべきだろう。

コメント:(日光を良くする為の話し合いで凄く良かった。これからも何度かやれば良い考えが出るのでは。)(これからの日光の総合的な宿題をご提案頂きました)

0 件のコメント:

コメントを投稿