(平成28年2月26日(金)からの南京生活)インターネット環境により写真添付は困難
平成28年(2016)2月26日(金)晴
一昨日の夜から心を翻したように振り出した雪は翌日の朝になるとあたり一面を真っ白な銀世界にしてしまっていました。前夜は折しも女声合唱団「わたすげ」の新年会を開催中の夜でした。春がすでに来ていると思われる中のことで本当に驚きました。
そんな中の2日後についに南京にやってきました。思いがけず、南京は日光より寒い。3年前、夫がここで教鞭をとっていた時、後期セメスターが終わるころに一度来たことがあるというのがあって、様子がだいたい分かっていました。準備をするのに余り神経を使う必要は無かったものの、着いてみるとうっかり思いが欠けた忘れ物がいろいろ出て来て、昨晩は物の整理と頭の整理に意外に時間をとってしまいました。所変われば、物事も沢山変わるところがあります。生活環境とその機能性、効率性の違いに改めて驚きながらも、現役時代のもっと違和感のある経験を思い出し、それに比べれば今の状況は、比較にならないぐらい恵まれていると言える。野営をするつもりで不足しているものは工夫次第でどうにでもなる。現に人間がそこに住んで来ているということに限りない愛着を寄せ、だから面白いと言って知らない世界に関心を寄せ続ける夫を見ていると凄いと思ってしまう。人の生き様の問題なのでしょう。本当の人生を選べるのは退職後であり、あれこれ疑問を持って躊躇していると時間はどんどん経ってしまう。やりたいことが一杯あると常に言っている夫は、南京に到着してその姿勢を一層表面化し始めています。弥次喜多道中ならのんびりやっていけるものの、まだまだそういうわけには行きそうにない。挑戦し続けるカプルであるように頑張らねばと手綱を引き締めています。
飛行場には、東アジア言語学の主任として活発に仕事をしている李先生が迎えに来てくれていました。彼女とは長年のご縁があって、夫がここ3年前から中国伝媒大学広南大学で2か月から1年の期間で教壇に立ってきているが、今回は、私にもお声がかかり、日本語を教えるという責任のある役割を与えられました。今まで現役時代は赴任地で日本語普及ボランティア活動をやってきましたが、大学の教壇に立つというのは初めてであり、年甲斐もなくワクワクドキドキしています。
飛行場はその街の文化、経済力をあらわしますので、到着した時の印象に大きく影響を与えます。800万の人口をかかえる南京市の飛行場は大都市にふさわしいものです。前回は同じ時間帯ではあったものの雨が降り、少し暗い雰囲気を感じましたが、今回はあれから3年経って、若い人たちが一層増え、活気に満ちていると感じました。飛行機の中も若者が溢れ、機内のアナウンスは中国語と英語だけ。前回は日本人アテンダントが居た記憶がありますが、今では日本語は皆無の世界となっていました。夕方の飛行場から大学キャンパスに向かう車中からの眺めは近代都市そのもの。マンションと思われる高層ビルが立ち並び、屋上にはカラフルな太陽光発電システムが備え付けられている。大気汚染を懸念していた空は何とか青色と分類できる色が広がっていました。
一時間弱でキャンパスに到着。教員宿舎の建物の前に、仇先生と韋さんが待っていました。一週間前、日光清風塾主催のホームステイプロジェクトに参加するため日光にやってきた引率の先生と3年生の女子学生です。一行は仇先生と林副学長夫妻と共に、7人の学生でしたが、こうして彼らと再び出会い、一緒になれて大変嬉しく、心強く思いました。しかも、部屋は昨年6月までの1年間、夫が使っていた所で、夫にとっては古巣に戻ったようなものでした。便利さも不便さも何もかも勝手がわかっていることが「何とかなる。Go for it !」と言っているようでした。
しかし、いつもそうであったように、生活のペースを切り替え、新しい生活環境にセットアップするのはいつの世も容易ではありません。時代と共に文明が発展し、インターネットの世界になった今、ネット環境のセットアップは頭痛の種です。ハードの面では工夫すれば何でも対応出来ますが、ソフトの面ではそうはいきません。私が重宝し、親しみ、楽しみにしてきたSNS、フェイスブックもラインもブログもここではアクセス出来ないと分かって一瞬落ち込んでしまいました。中国は日本以上にネット社会だなどと聞いていたところが、規制がここまでかかっているとは思いませんでした。唯一アクセス可能なのはWeChatです。これはWi-Fiの環境が出来ていて受信する側がそれに登録していないと出来ないのは当然ですが、SNS上の友人もそこまでは繋がっていませんので、わたくしの楽しみは諦めるしかありません。子供たちとはそれが可能ですので最低限のところで救われています。中国のシステムに乗っかることは不可能ですし、これから先2か月は別の楽しみに切り替えなければならないとようやく自分を説得し始めています。むしろ、この環境は中国語をアナログで勉強できる機会を与えてくれたのかも知れません。日本語を教えることにより、中国語を学びなさいと言われているようです。
2月27日(土)晴
7時頃朝食を食べに食堂へ。良く覚えている場所です。3年前に私たちの教員宿舎アパートの道を隔てた向こう側にある教員食堂で朝食をとっていた時、童謡の「里の秋」の曲が流れていたのです。日本人は他に誰もいないところで、何故こんな曲が流れているのだろうという不思議な疑問を持ったので良く覚えている場所です。このようなカフェテリアがキャンパスには幾つもあるそうですが、ここが一番充実しているとのこと。1Fは朝食向きのカフェテリアで、昼食、夕食にはメニューもかわり、2Fにも各種食堂が並んでいます。後で昼食には2Fで刀削拉麵を食べることになりますが、これは名古屋きしめんの大型版。手でこねて出来たDoughを正に刀で削って麵にしたもので夫の好物とのこと。スープは異なる肉類を使っていて私は鶏肉のものを試食しましたが辛味も耐えられる程度でなかなか美味しかったです。
朝食はビュッフェスタイルでお腹が空いていたこともあって、かなりの種類を試食しましたがボリュームのあるオイリーなピザ風パスタ、オムレツ、肉まん類の中で、味の無いおかゆ(白湯に近い)に辛い漬物を入れて食べたのが一番胃にやさしくておいしいと思いました。そこでスペイン人女性に遭遇。彼女はキャンパスでスペイン語を教えている教師とのこと。ヨーロッパからもこうして未知の土地にやってきて頑張っている女性がいることに励まされ元気が出ました。
朝食後、8時半ごろ、韋さんが私たちを迎えにきて、食堂横にある便利横丁みたいなところにある携帯電話の店に案内してくれました。携帯電話を使用可能にするのも容易ではありませんでした。韋さんのおかけで日本で使っている機器(アップル)の使用が可能になり、新たに登録してローカルで使えるようになりました。これで夫や大学関係者、学生さんたちとの連絡はできることになり、まず問題は解決しました。
昼食後は私たち二人は南京で一番大きな書店へ出かけて行きました。その名も、新華書店。城市文化新空間と名付けられている。新街口(シンジャオコー)というところにあるため、キャンパスから出て、バスと地下鉄を乗り継いで出かけてきました。バスはどこまで乗っても乗り換えない限り料金は一律2元。地下鉄は距離によって異なりますが、南広学院前から新街口までは5元(1元が17円ぐらい)でした。東京銀座のような所で驚きました。大変スマートな金融ビル、高層ビル、店舗が並び(ありとあらゆる名ブランド店)、街ゆく人達もさっそうとした若者が殆どでした。地下鉄出口前の交差する街路のど真ん中に孫文の銅像が威風堂々と立ちはだかり、市民を啓発しているような趣でした。その交差点から中山東路を500mくらいのところにこれまたしゃれたパティスリーショップとカフェの店を見つけ、思わず入っておいしそうなドーナッツを一つ買ってみました。6元ですから殆ど日本と同じ値段です。ふんわりやわらかで全く日本と同じ食感、味でした。そしてその隣にお目当ての書店があり、このカフェは書店の繋がっていることがわかりました。
新宿紀伊国屋顔負けに本がきちんと並び、その数も並みではない。文化の香りの高いスペースにはオブジェや装飾品が並び、セクションを結ぶ通路には若者が腰を下ろして本を読んでいる。買った本を束ねた帯には堂書店のインフォメーションが書かれており、それによると21万冊とある。そして熱いコーヒーのイラストが入っている。大変垢ぬけた書店の印象を持ちました。私は早速、小さな本を2冊、I begin to learn Chineseというのと、日語50音という初心者向けの会話を主にしたものを見つけて購入。これも外国人向け中国語教本のセクションと中国人向け日本語教本のセクションが肩を並べているのを見つけ、そこで入手しました。ここでは日本語教本のセクションが非常に広くて本も沢山置かれていて、何だか嬉しくなりました。
本屋の次は帰路地下鉄1号線の途中にある欧尚超市(スーパーマーケット)へ。大きなショッピングモールで食材探しでは何でもありそうなスーパーを見学しました。肉類の多いことと、魚類も多くてギョッとする得体の知れない魚が水槽で泳いでいました。生きている魚を買っていくのでしょうか。野菜も見知らぬものがあり、ほっそりとした長いキュウリのようなへちまを初めて見ました。どうやって食べるのでしょうか。これから、少しずつ未知の世界に突入です。かなり勇気がいります。
2月28日(日)晴(曇り)
今日は朝は比較的ゆっくりしてからキャンパスの外周辺を夫の案内で散策。近くに方山という低い山があり、その麓には梅の花がちらほら咲き始めていました。そこでは植樹をしている様子が見受けられ、環境整備への意識があるのを感じましたが、道路沿いの川にはごみが捨てられていて、臭気が漂っているのが残念。概してゴミ対策はなされていなし、ゴミに対して無関心。ただ、キャンパス内には燃えるゴミと燃えないゴミとに分けてプラスチックのゴミ箱が整然と設置されているのには驚きました。少しずつ改善されていくに違いありません。
キャンパスに戻って更に構内を歩くとある一角に数種類の梅の花が小ぶりながら咲いていました。こちらの人も花は好きと見えて、写真を撮っていました。私たちも撮ってもらいましたが何だか疲れた老師(中国語では若くても先生は老師と言います!)で苦笑しています。それでも午後は、3人の学生を集めてテニスを30分ほどやりました。コートはただのコンクリートでボールの跳ね方に往生しましたが、汗をかくほど良い運動になりました。彼らにはもっと練習してもらいたいというのが正直な気持です!
夕方、私達のアパートの真上におられる共産党幹部の馬副学長の訪問を受けました。先般日光を訪問した一行を引率した仇先生もご一緒で、彼女は我が家に一週間ホームステイされていてお人柄が十分理解出来ていたので再会がとても楽しみでした。馬副学長とは3年前にもご夫妻でお目にかかっているので私にとってもなつかしい人でした。これから2か月間、何か不自由なことがあったら何でも申し出て下さいと言われて・・あげれば一杯あるけど・・、大丈夫ですと元気よくお答えしておきました。馬副学長は、サックス奏者であり、詩人でもあります。先日の交流会のために、「高倉健」を忍ぶ格調の高い漢詩を作って下さった人です。同じアパートの上下に住んでいて、冗談でサックスの雑音が聞こえないようにします、などと言われて、こちらは夫婦喧嘩の大きな声が上に届かないよう気を付けます、と言い返し、大笑いをする一幕もありました。
2月29日(月)
今日からいよいよ授業が始まりました。早速、担当の主任の先生や、補佐、秘書にお会いして授業の段取りを教えて貰いました。更に、今回日光まで生徒について見えた林副学長にもお会いしてご挨拶が出来ました。林副学長とは英語でコミュニケーションが取れるのでホットします。勿論、日本語学科の先生方も北京や大連の外語大学出身者で、日本語が堪能ですが、学生とのやりとりを考えると、中国語が使えるようにならなくてはならない。教員と生徒が同じキャンパスに住んでいることから、接触する時間が多い上に、教師にはクラス委員がコピー取りなどしてアシスタント的に仕事を助けてくれるようになっていているので中国語習得のチャンスがあるわけです。頑張りたいものです。
最初の授業は10時10分から11時50分までで、間に10分の休憩があります。学生は一斉に私が教壇に立つと、「先生、おはようございます。」と小学生の朝の朝礼の時のように大きな声で挨拶をしてくれました。自己紹介をして、24人の学生さんの点呼をクラス委員にやって貰って名前を確認。名前を早く覚えたいために、名簿順に座りなおして貰いました。彼らは驚くほど素直(朴素)。半年やってきた日本語の力がどの程度かわからないので、取りあえず彼らが今まで使ってきている教科書を参考に読んでもらったところ、感じも含めて、良く読めるので驚きました。50音も完璧。日本語のきれいな発音を主に指導する立場なので、極力ゆっくり、はっきりと発音することを心がけたいと思います。学生さんのだいたいのレベルを掴んだので、教材を選び次回に備える準備を開始。早速アシスタント(クラス委員)に連絡を取り始めました。
とにかく、こちらは寒い。日光では、夫が寒がっていたのに、こちらに来てそれが逆転しています。恐らく、夫は頭も体もフル回転しているため、エンジンが満開なのでしょう。私は、戦々恐々としているせいか、ぶるぶる震えています。安易に考えて、冬服を殆ど持ってこなかったせいでもあります。ここは、冬から一気に夏に代わるそうですので、厳しい生活環境ももう少しの辛抱です。
2月29日(月)
最初の授業は1年生で10時10分からといいうことで連絡係の季田さんが教1の宿舎玄関まで私を迎えに来てくれました。彼女は2月中旬に来晃した一行の中の一人で切り絵が得意な女性であることは知っていましたが、コミュニケーションがもう一つで意志疎通に時間がかかりますが、一生懸命私の手伝いをしようとしてくれているので、お互い辛抱のしどころです。クラスまで案内してくれました。教室は3棟あってその第一棟の4階でしたが、建物は南国向けに建てられていて、壁が無い。そしてエレベーターも無い。今でも寒いのに、真冬はどんなに凍てつくかと思いやられるほどの寒さでした。24名の学生が全員揃って、私が部屋に入ると拍手をしてくれました。
初日は、ともかく、学生の名前を教えてもらい、手探りの授業となったが、とりあえず彼らの手持ちの教科書を使いながら彼らの日本語の程度を把握することにしました。最初の問いかけや反応からして全く初めからになるかと思いきや、テキストを読ませると、漢字も含めて良く読めるので驚きました。1年生はまだ新鮮な気持ちを持っているので、新しいことに挑戦する意欲があるのだろう。この関心を寄せる気持ちをますます持って貰うために何をどうしたらよいかを考えました。
過去においてイラストを沢山作り、教材を工夫していたものですが、今年の秋も是非という声を聴きながら日本語教材本選択に頭を使っています。
夜は4年生の周さん来訪。コンピューターのことで夫が連絡をとったのだと思ったら、中国語の勉強が始まりました。本当にやると決めたら絶対やるというその意気込み、信念には圧倒されます。
3月1日(火)晴(ということは曇り)
午前中は大きな鍋探しに校外へ。バスで15分ぐらいのところにあるショッピングセンターへ行ったところ、電子コンロ用の鍋は見つからず、結局グローサリーショッピングをやるだけに終わりました。12時に2年生のクラスの連絡係の李琪さんに会って教材のコピーをお願いした後、韋さんと再度携帯の店に。携帯番号の前に中国の国番号の86を+しなければ繋がらないということだが、国際電話になってしまうのではという懸念がまだ消えていない。どうもあやふやですっきりしないところです。
午後は、今度は李琪さんに案内されて2年生のクラスへ。3年生の韋さんも後ろの方で参加。ここでもコミュニケーションがもう一つだが読ませてみると2年生のレベルだとうなずける。今日は試しの教材にいきなり入って行ったが彼らの力程度は少し掴めたと思います。
そして夜は林副学長のアレンジで歓迎の晩餐会がありました。日本語学科と英語関係の教師、スタッフ(全部中国人)も加わり、副学長夫妻、総監督夫妻、我々で総勢11人。キャンパスにこんな高級レストランがあるなんて驚きです。大変なご馳走で次から次と運ばれてくるもの何種類あったでしょうか。2,30種類はありました。躊躇することなく、興味津々で試食しましたが全部超美味で珍しいものばかりでした。山場は北京ダック(南京ダック)でしたが、私にとっては全てが山場。中でもライスパイ(おこげごはんがパイ状にされて、その上に甘味と辛味が適度に調味されたソースがかけられて、何とも言えない歯ごたえのある一品でした。もう一つは黒いライスの山の上にアイスクリームを載せて、周囲から火攻めをするという一品。もちもち感のある黒いライスで甘味のあるもので子供に人気があるのだそうです。珍しい野菜有り、お肉もチキン、ダック、ポーク、ビーフ、マトンと多種。ラウンドテーブルにこれらのご馳走が所狭しと回ってくるのは食欲をそそるし壮観でした。それを赤ワインで、何度乾杯したことでしょう。10分おきぐらいにウエルカムの乾杯が入ってくる。中国の人は本当に明るくて、一言しゃべっては大笑いしてとても陽気です。6時にスタートして7時半ごろまででしたが、実に楽しい夕べでした。こんなに歓迎されて、英語が話せる人ばかりではないので、中国語が少しでもわかるようにしたいものです。
私の心中を察してなのかどうか、すかさず中国語の勉強をする機会も与えられることになりました。凄いことです。毎日出来るスケジュールを渡されました。やるしかない。もう後ずさりは出来ません。ただ、この外国人向け中国語の授業は昨年の9月からスタートしているので、すでに中級ぐらいに進んでいるはず。だとすると私には無理なので個人レッスンをということで後で優秀な3年生の学生が教えてくれることになります。
3月2日(水)晴(比較的スモッグは少なく、日中は20度ぐらいまで気温は上昇)
今日はⅠ年生の2回目の授業。連絡係の季田さんに手配して貰ったコピーを教材に使ってロールプレイに徹した。繰り返し同じことをやって貰った。教壇から見ると力の差が明らかに分かる。声の小さい学生は自信がない。これは万国共通のようです。24人中、男性は5人。女性の方が元気がある。テキストの内容に合わせて「めだかの学校」を歌って貰ったところ、完全に男性は沈んでいた。簡単な童謡だが歌詞は参考になるので紹介したのだが、さすが一回で歌って見せる人も何人かいました。葛さん、胡さん、潘さんは初日に私を案内してくれた季田さんと一緒にくっついて教室と宿舎間の行きかえりを同行してくれる。やはり積極的で日本語でどんどん話しかけてくる。週末に花見に行かないかと提案したのは胡さんでした。積極的な学生に出会えて弾みが出ました。
夜7時には夫の声掛けで、先般日光にやってきた一行7人が揃って宿舎にやってきた。みんな元気いっぱいで、日本語と中国語をお互いに習得する良い機会となる。季田さんとウ(呉に似た字)さんは1年生で後は2年生。2年生は夫の教え子でもあるので和気藹々ムードであり、彼らは辛抱強く教えてくれる。中国の習慣、文化も見えてくる。1時間半ぐらいの集会で今週末お花見に行くことになった。季田さんを通して、一年生にも声掛けをすることに。胡さんも喜ぶでしょう。
そうそう、運動不足解消のため、今日からテニスを始めました。隣にはバスケのコートがあり、体育の授業で一番盛況と見えて大勢の学生がいましたが、テニスは指導者がいないらしく、コートはあれどもやる人無し状態だったそうで、夫が声掛けをして昨年から何人かが始めたというテニス環境。今日はすでに2人の学生がやっていて驚きました。良い汗をかきました。
3月3日(木)
朝8時からの授業は昨日午後のクラスと同じで、国際センターの生徒4人を担当。今日が2回目だったが新学期になって教室がまだ定まらないのか今朝はどの教室を使うのか少々手間取ってしまった。必ずクラス委員がいて、何かと連絡係をやってくれるので助かります。それにしても教室が寒い。暖房など無いので学生達も外套を着たままであり、私も安心して着たままでやっています。教材は先週決めたように、今まで使った分をもう一度見ようということで私の分のコピーを頼んでおいたところ、きちんと用意してくれていました。早速それにそって、短い会話の練習に力を入れてやること。これは日本での英会話の授業と同じ手法であり、会話上達にはこれしかないと思っている。彼らは恥ずかしがらないで一生懸命やってくれるので指導する方も一生懸命になり、90分はあっという間に過ぎてしまいます。
午後は夫と一緒に中国語のクラスに参加してみました。フィンランドからの交換留学生が4人いて、彼らはすでに昨年9月から勉強しているので、既に中級程度の授業である。夫は問題なく入れるが、私は初心者で全く理解できない。それでも聞いていれば耳から慣れてくるだろうということで次回も出席しようと思ってはいますがどうなるか。それより幸いに、今日の夜から優秀な3年生の学生が2人、夫と私のためにボランティアで個人レッスンに私達のアパートに来てくれることになりました。私はピンインからのスタート。発音が大変難しい。約二時間を発音ばかりひたすらやり続けることになるが、これは避けて通れない関所のようなもの。忍耐強くやるしかありません。
3月4日(金)
今日も授業は8時からで朝が少々慌ただしい。2年生のクラス委員が宿舎の玄関まで迎えに来てくれる。面白いことに、1年生の授業の時は、連絡係だけでなく、積極的な3人の学生が一緒に待っていてくれて教室への移動の時、いろいろ話をやりたそうにする。まだままならない日本語を彼女たちは少しでも早く習得したいと思っているのだろう。感心してしまいます。教室は寒い。彼らは文句、不平も言わず、当然のように良く辛抱しているとその忍耐強さにも感心してしまいます。24人全員出席。2年生のクラスでは手持ちの本のコピーをクラス委員にやってもらって教材にすることにしました。こういったコピーをする場合、クラス委員がクラス全員にコピー代を払ってもらってやるのだそうで、その辺は大変、組織だっている。きちんとしたコピー室、印刷室がキャンパスには設置されていて、大勢の学生が常にコピー取りをやっています。
午後はコンピューターに詳しい学生の助けを借りて、SNSが使えるようにして貰うことに。いろいろ方法があるらしい。我々にはとうてい出来ないことで、不可能を可能にする知恵が一杯あるように思う。お陰で久しぶりで歌を忘れたカナリヤが息を吹き返した瞬間がありました。でもキャパが制限されているので余り使わないように注意した方が良さそうです。
夜は中国語の勉強。昨日のピンインの続き。夫はどんどん精読と読解をやっている。
3月5日(土)
日本語学科の1,2年生20名と一緒にお花見に。梅であるが、1時間半、バスと地下鉄で玄武湖公園へ。梅の花はこじんまりしたもので日本の梅林のような華やかさと香は無いがあたりは素晴らしい風景の所で大満足。大変な数の行楽客が集まっていた。小さい子供連れ(みんな一人っ子風)や、若いカプルで大賑わい。日本と異なるのは年配者が殆どいない。若さで一杯の行楽地である。今日はボランティアデーということで、大学や、政府機関などいろいろな団体が団体名を明記した赤いチョッキを身に着けて集団で旗を掲げて集まって来ていた。彼らは、体の不自由な人とか、手助けが必要な人達に奉仕をする団体だそうで、一種の宣伝活動のようである。壮観であった。
一方では、ビニールを芝生の上に敷いて、まさにお花見をやっている人達が大勢いました。湖にはアヒルのボートが一杯浮かび、子供連れを楽しませている。公園内にはマクドナルドもあって、早速みんなで新しく出た桃の味のアイスクリームを試食したが、なかなか美味しいものでした。小さいながらも梅の木が集まった所を選んで持参したサンドイッチをそれぞれ食べた後、夫の主導でみんなで合唱をしました。「四季の歌」、「涙そうそう」、「つぐない」、を中国語と日本語で賑やかに合唱すると近場にいた人たちが珍しそうに寄って聴いていました。「河合先生はいろいろなことをするのでとても楽しいし、面白いです」と李さんが言っていました。年を感じさせず、どんどん中国語を駆使しながら玄武湖の話しや、後で見ることになる南京城壁の歴史的な解説など、学生の方が逆に自国の歴史などを教えられている様子で、精力的に活動する夫に改めて畏敬の念さえ感じ始めています。
玄武湖畔を散策した後は、南京城壁を登り、万里の長城のような大きな南京市を取り囲むように作られているNanging City Wallを実際に見て驚きました。1300年頃、明の時代に作られたというこの城壁だが、日光東照宮以上に各地から石レンガが運び込まれ、それぞれに寄贈者の出身地と名前が彫り込んであるのがそのまま今も読めるのです。近くに鶏鳴寺のある門の上には大砲台が並び、日本軍が戦った歴史を物語っている。玄武湖は揚子江からの洪水を逃れるため、又、敵陣が攻めにくいように作られたものだというが、当時のインフラは全て戦争がからんでいる。南京城壁は南京市を取り囲んでいるのだからそのスケールには驚かされる。全長約34km。世界最大の城壁で目下世界遺産登録を申請中とか。
雨予報に反して、日中は好天気となり、一挙に初夏の陽気であった。散々歩いて、帰路は地下鉄から途中下車して河定橋駅にあるスーパーに寄り、鍋を一つ購入してキャンパスに戻ったのが6時頃。大急ぎでシャワーを浴びて、今度は7時からの合唱の練習に。1,2年生の学生が24人集まってきた。3区の103教室でここでも夫が壇上に上がってリードし、四季の歌と涙そうそうをUSBを使ってスクリーンに歌詞を映して歌い上げ、皆を指導。専門的な指導は出来ないが、これ以上の親睦は無い。休む間なしでよく頑張りとおしました。ところがまだまだその後があり、昨年の夏にチベットへ旅行したという学生に宿舎まで来てもらってチベット旅行の話をいろいろ尋ねるという、過密スケジュールでした。彼女の話を聞いてチベット旅行は慎重に考えなくてはとつくづく思いました。
日記をメモ書き程度と思って書き始めたところ、もう一時を回ってしまいました。さすがに夫は、今日のエネルギーの多大な消耗に相当疲れたようで、いつになく私より先に休みました。