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2016年4月2日土曜日

326日(土)
  
 夫にかねてよりリクエストしていた南京大虐殺記念館と明孝陵のソメイヨシノ見学に出かけて行った。
 朝ゆっくり出かけたせいで、結果的には目的を半分だけ達成して5時半頃帰宿。9時半頃出て新街口乗り換えで2号線4つ目の駅、雲錦路へ。ここは錦のような刺繍で有名な所らしい。この地下鉄駅で降りて地上に上がると目の前に記念館がどっしりと佇んでいた。路を横切ると、長蛇の列。全部中国人。上りの旗を持って団体を引率している人もいる。老弱男女、学生、若い人達、全世代が参上している感じである。列の中に入ると、どこかで聞いたことがあるように、日本語は使わない方が良いということもあって夫とは自然に別々に中へと進んだ。中に入るまでの記念館の建物の外のスペースには、巨大な石の彫刻が聳え、その後、等身大、いや、それ以上の石の彫刻が続く。戦争に巻き込まれた市民善人親子の苦痛と恐怖に満ちた表情の像が迫ってくる。これらは、当時、パリで勉強し、制作を続けていた中国人芸術家が、南京の悲惨な状況を立体図案にしたものを基にしたもので、第二次大戦下、地下に隠しておいたおかげで保存出来た由。それを彫刻にしたものだそうだ。彼は1980年(?)代にこの世を去っている。従って、この彫刻群はこの記念館のために作成されたものではないのだろう。戦争の悲惨さを訴えた秀作だと思う。

 記念館は堂々としていた。一寸、警戒していたが、特に持ち物を検査するでもなく、入り口には警備員もいないし、窓口もない。無料なのである。みんな、大きな荷物は預けていたが、バックパックは持ち込みであり、カメラもOK.撮影もみんなやっている。写真と資料が大量に展示されていたが、説明文が小さくて見えにくい。中国語、英語、日本語とどの展示品にも3つの言語で説明がついている。館内はクリーンで展示も見やすいように整理整頓されている印象を持った。記念館の敷地にはまず誰にも目に付くように「30万」という数字が大きく掲げられているが、館内の資料もやたらとこの数字が目に付く。その真偽は誰にもわからず、真相の追及が続いているが、それより、展示された資料の多くが日本人から提供されたものであり、アメリカが関与したものも多いということに驚いた。捏造物が多いと言われているが、どれがそうなのか、素人にはわからない。知らない人は完全にこの記念館の情報はまるのみ出来るくらい整理されている。ということは、学校教育でこの場に生徒を連れてきて、この通りの説明をしていると対日感情を悪くする教育をしていくことになる。そうであればこれは大きな問題であろう。これからの日中関係は友好関係を育てて行くべきで、過去の過ちを繰り返さないようにお互いが努力して行かなければならないと思っている。

 
 ここで、中国人女性でアメリカ国籍を持った優秀なジャーナリストの存在を知った。彼女はアメリカの依頼で、南京大虐殺の真実究明を手掛けた人らしい。彼女はその後大活躍して真相究明に奔走するが、若くして自殺したと書いてあった。30年に亘って南京に駐在したドイツ・シーメンズ会社のジョン・ラーベ氏の南京日記を発見した人である。ラーベ氏は民間人の保護に尽力して、南京のシンドラーと言われている人である。これも良くわからない。アメリカ人宣教師で今の南京大学の前身金陵大学で長く教鞭をとり、安全地区で強姦されないよう婦女子をかくまったという女性版シンドラーのような人の存在も知った。しかし、この女性も後にアメリカに帰国してから精神病で自殺したと記されている。

 いろいろ不可解な事や真実とされることがどこまで真実なのかとうていわからないが、展示が終わる最後に置かれていた大きなメッセージは立派なものであった。戦争を起こした人類を敵だからと憎むのではなく、その残酷さ、悲惨さから、戦争はあってはならないことであり、戦争から学んだことを人類が共有して、世界に平和な未来をもたらすようにすべきだというようなメッセージであった。これは展示資料の中に、日本の歴史学者で藤原学と言う人が日本のどこかで講演をされた時の原稿があったが、そこにも同じことが書かれていた。戦争は決してあってはならない。
(帰宅してネットでいろいろ検索したが、この女性の記事が見つからず。そのかわり、山田順というジャーナルストのブログを発見。彼の「教育とは誤解と偏見を乗り越える旅。その旅の途中で子供たちはidentityを確立して大人になる。これが出来て初めて大人になるのではないか」というメッセージに大いに共感した。


 記念館の後、明孝陵のソメイヨシノを鑑賞に行くつもりが、歩けども歩けども目的地にたどり着けず、夜は又合唱の練習が控えていたので、諦めて寄宿。来週再挑戦することに。

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