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2021年11月29日月曜日

Bohemian Rhapsody ・・・11月27日は偶然が重なって、感動の日となる。

 11月27日、親友の寛子さんの紹介で、ウイーンからのイップ常子さん(ウイーンに留学されてそのまま結婚され、ウイーン滞在48年。2005年に国家認定ガイドとなられた方)のzoomによる「ウイーンの魅力とロングステイ」の解説生放送に参加。ウイーンへは2,3度、パリとオスロに在住した折に、家族と車で出かけているが、ガイドさん無しの、本だけを頼りに回ったため、見るべきところをしっかりみていなかったことをつくづく思い知らされた。オーストリア全体が風光明媚で、ハプスブルグ家が築いた文化遺産が基本にある。マリア・テレジア美術館にはブリューゲルの作品が溢れ、ノーベル賞受賞者は続出し、学友協会のゴールデンホールでは毎年ウイーンフィルがnew year concertが開催される。シェルブール宮殿はかつて住宅不足の時には一般人に利用された話、ステファン大聖堂にはハプスブルグ家の内臓が保管されている話、ルスト市はコウノトリの街であること、音楽あり、絵画あり、美しい自然ありで、ウイーンはまさに芸術の都。世界一生活しやすい所にはハプスブルグ帝国を象徴する双頭の鷲が聳えている。交通機関、インフラも便利に完備。どの交通機関も共通に使えるパス(?)は年間運賃が365€だという。オーストリアはその歴史からカフェハウス文化の香りが漂う多民族国家ということから、中立国の国連都市とも言われているそう。環境問題に配慮した都市でもある。今回の講義からは、悪い所無し、火の打ち所の無い、本当に住みやすい所ということが強調されていた。 

たまたま同じ27日の夜、NHKBSプレミアムで素晴らしい番組に出会った。これも寛子さんの案内があって気が付いたもの。つまり、寛子さんのお嬢さんで、女医の禎子さんがこのプログラムで一寸登場するというお知らせであった。新聞で確認したタイトルが「99人のQueen」。Queenは、2年前、映画「Bohemian Rhapsody」を見てから、ファンになったグループである。日本シリーズが佳境に入っていたこともあり、あとで、じっくり観れるよう録画にセット。正解であった。翌日じっくり見て感動してしまった。つまり、私が大好きなQueenの曲が、2021年の今だから聴きたいクイーンの名曲(*)の数々が小林克也氏と女優の杏さんのナビゲイトで次々と紹介されたのである。2021年がQueenが結成されてから50周年、フレディ・マーキュリーが亡くなって30年にあたる.コロナで苦しんだ年にあたるというこの奇遇に運命的なものを感じてしまった。エイズに侵されて死を見つめながら、魂の歌を次から次と世に送り出した彼の凄さに改めて感動。そして、このプログラムの最後に、神奈川県のある病院が映し出され、コロナ患者に寄り添い、必死の闘いをする医療チームの中に、その寛子さんのお嬢さん、禎子さんの姿があったのである。彼女の懸命に患者に寄り添う姿を見て、思わず涙が出てしまった。寛子さん、今日は、素晴らしい情報案内を本当にありがとうございました。

(*)The show must go on 最後まで生き続けて / Spread your wings/Keep yourself             alive / Let me live / Love of my life /These are the days of our lives / Don't               stop me now / We will rock you / Bohemian Rhapsody / 「Teo Toriatte」 etc.

  

                           


     


「一粒の麦」を見て

 11月26日(金)偶然にも友人からチケットをいただいて地元の道の駅(ニコニコ本陣)で上映された映画を見ることが出来た。山田火砂子監督の「一粒の麦」。明治の男尊女卑の時代に波乱万丈に生きた女性解放運動の闘士、荻原吟子の生涯を描いた作品である。彼女は日本で初めて国家の認めた女医第一号となった人。山田火砂子女史ご自身が、映画の始まる前に檀上に立って挨拶されたが、彼女の映画作りへの熱情が伺えた。社会の負の部分に目を向けて生きることの意味を追求した映画を創作し続けて今や89歳というご高齢であることは驚きであった。「一粒の麦」は明治い時代に女性解放に挑んだ女性勇士をモデルにしたものである。次は三浦綾子原作の「われ弱ければーー八嶋楫子伝」に基づいて女性教育の先駆けとなった八嶋楫子の生涯をを製作中とのことであった。映画自体もドキュメンタリー風で説得力があり、胸を打たれる内容であったが、紹介のあった山田火砂子女史の著作を読んで、彼女自身が波乱万丈の人生を送ってきた人であり、心の強い、逸材の女性であることを知った。「トマトが咲く」という華奢な本であるが、内容はとてつもなく重厚である。映画「はだしのゲン」「裸の大将放浪記」「太陽の詩」「春男の翔んだ空」など話題作を生み出してきた著者のことばとして次の一節を引用しておく。・・この本は二人の娘みきとゆうを育てながら現代ぷろのプロデューサーとして29年間の体験をまとめたものです。子供達は時に私をおおいにあわてさせ、ある時は感動をあたえてくれる素晴らしい天使たちでした。・・・これだけを読むとさほどの困難を感じないが、精神薄弱の障害児を養育しながらの葛藤は想像を絶する。苦しみ嘆き闘いながらも貫き通した先に得たものは宝の天使。著者が望んでおられるように、私も家族や友人にこの本を紹介したいと思っている。

2021年11月18日木曜日

名残惜しい紅葉

2021年の11月初旬が酣だった紅葉も少しづつ色が褪せ、これから冬に向かってまっしぐらの様相。豊作だった柿の実もあと7個を残すのみとなった。それでもまだその余韻を楽しませてくれている。今年はネットを張って猿対策に備えたが、猿は一度も訪れなかった。野鳥の被害も無かった。実った柿は甘くて、ご近所に賞味してもらったり、訪れたゲストに試食してもらったりして、大活躍をした。

11月7日のホームコンサートに参加して最初にピアノを弾いてくれたのが小3の孫No4、Kaoriちゃんであった。半分失敗して半分成功した時の様子、雰囲気がとても伝わってくるスケッチを後で送ってくれた。上の青色の静物画(油絵)はこの夏、彼女が初めて油絵を描いた時の作品である。私はこの鮮やかなコバルトブルーが大変気に入っている。構図もいい。彼女は自分の世界を持っている。何時間でも絵を描き、ストーリーを紙を埋め尽くすほどに書き上げる。私の父も洋画を描いていた。父と孫の作品が今我が家には並べて飾ってある。毎朝、この鮮やかなブルーを眺めて一日がスタート出来ることに最大の喜びを感じている。




2021年11月12日金曜日

11月11日 益子の西明寺を訪ねて

 11月11日(木)久しぶりに益子を目指しての一人ドライブ。天気に恵まれ、道中の紅葉を愛でながら119号線→宮環→123号線→41号線経由で1時間半。道中、道端の野菜販売店で初物と言われたイチゴを購入。今日お見舞いに伺う10日前に大手術をして退院したばかりの友人のことが頭に浮かぶ。日光街道は四季折々、なかなか風情があってドライブには丁度良い。宮環を出て益子に向かう123号線の田舎の風景も楽しめる。ただ、益子に入ってから、いつも道が定かではなく、何となく回り道をしてしまう。益子の町は複雑に思えるのは私だけなのか。結果的に、目的地に無事到着しているから、良しとしよう。

今回はワーグナー・ナンドール アートギャラリーでまず牧子さんと落ち合った。去る10月29日に、ワーグナー・千代夫人が亡くなられたとの訃報に驚き、今開催中の秋季展覧会でお会いできることを楽しみにしていた矢先だったので、ショックを受けてしまった。せめて遺影の前でご冥福を祈りたかったのである。3年前、2018年11月18日、丁度ワーグナー秋季展覧会を終えた後に千代夫人も我が家での紅葉を愛でるBBQパーティーに参加して下さった。あの時は我が家の庭での集いに現生を忘れたかのような、くつろぎを感じたとおっしゃっていただいた。今思うと、今の私の年齢があの時の彼女の年齢だった。人生長いようで短く、短いようで長い。時は一時も休止せずに一歩一歩前へ進む。感謝しながらその一歩一歩に歩調をうまく合わせて進みたいと改めて思う。

さて、アートギャラリーを後にして、友人の由記子さんをお見舞いに。好天気が幸いして、まだ術後で痛々しいご様子だったが、ベランダまで歩いて出られて、体調の様子、近況をいつもの語り口で話されて、一寸安堵した。娘さんが近くにおられることが何よりだと本音を吐かれて、家族のありがたさが垣間見えたことも良かった。長居を避けて、10分程度で失礼したが、それでも彼女にとっては大変なエネルギーを使われたに違いない。一日もはやく良くなられて、精力的に陶芸の仕事に復活していただきたいと願う。

今回は牧子さんが私を西明寺の田中貞雅さんに紹介して下さることになっている。西明寺の存在を知ったのは先日の日光清風塾での武内孝善先生の講話からであった。地元のことを余りに知らなすぎる。空海が8世紀に中国で修行したお寺が西明寺。同じ真言宗の寺として同名のお寺が益子にあることをお話から知った。その繋がりで、牧子さんのご厚意が実ったわけである。4年前にご主人(田中雅博前住職で内科医)を亡くされ、今は中継ぎとして現住職であり、やはり普門院病院(西明寺の境内)の医師でもある。慈恵医大で雅博との出会いがあったという。同じ志で、ターミナルケアにも力を注いでおられるとのこと。元韓国ご出身で、今は日本人として世の為、人の為に尽力されている素晴らしい女性である。境内にあるレストランで美味しいお蕎麦をご馳走になった。

ネット→益子町の郊外に位置する獨鈷山(とっこさん)。西明寺はその南斜面の中腹にあります。正式名称は「獨鈷山普門院西明寺」。真言宗豊山派に属し、本尊は十一面観音菩薩。

2017年のニュースから→「僧侶兼医師として終末期医療に仏教精神を取り入れることを提唱し続け、自らもがんに侵された真言宗豊山派の西明寺住職、田中雅博(たなか・まさひろ)師が21日、死去した。70歳。自坊は栃木県益子町益子4469。家族のみの密葬を行い、後日、本葬を行う。日程は未定。

 昭和21年生まれ。東京慈恵会医科大卒。国立がん研究センターで内科医として勤務後、父の死去に伴って58年に退職し、西明寺住職を継いだ。

 平成2年、境内に普門院診療所を開設。仏教精神に基づく緩和ケアに取り組んだ功績が認められ、ローマ教皇庁の招きで4度にわたり渡欧し、仏教者の立場から国際会議で講演した。

 26年には進行性の膵臓(すいぞう)がんが見つかり、闘病を続けながら、宗教者が布教を目的とせずに患者のケアに当たる「臨床宗教師」の育成に尽力。28年に日本臨床宗教師会の顧問に就任した。」


2021年11月9日火曜日

2021年11月6日~7日 & 9日 紅葉を愛でる

2021年11月6日 紅葉のタイミングに合わせて7日(日)BBQとホームコンサートを企画

夫が一年かけて端正に手入れしてきた庭続きの林の紅葉が今年も最盛期を迎えた。我々だけで楽しむには余りに贅沢でもったいないと、関心のある方々にお声をかけて出向いていただき、その折にエンターテイメントを企画するのが恒例となっている。昨年はコロナ禍の中、残念ながら、大勢の方にお声がけできなかった。今年は、それでも、人数を抑えて、実現に踏み切った。紘平君が里美ママと初めて我が家に見えたのが、忘れもしない、2017年8月15日。善は急げタイプの友人美恵子さんから、中国人留学生を連れて来るという予告を得て、その気でお待ちしていたら、玄関に現れたのは紘平君親子であった。衝撃的スタートだった。紘平君のピアノを最初に聴いたのが音羽レストランで響子さんのバイオリンとの協演。その後7月25日に益子の青山でやはり二人の協演。そして8月15日にビッグサプライズとして我が家に。その後、何度か彼のピアノ演奏を聴く機会があり、宇都宮短期大学付属高校生でありながら、いろいろ活動を広げ、新鋭若手ピアニストとして巷に名が広がって行った。我が家に最初に見えた時、環境に魅せられ、林の中で小川のせせらぎを聞きながら、即興曲まで創ってくれた。その後、紅葉狩りを一つのタイミングにして、BBQ+ホームコンサートを企画するようになり、2018年11月18日には、益子のワーグナーちよさんも交えて華やかな恒例のホームコンサートをやるようになった。千代夫人は今年10月末に旅立たれてしまったという訃報が届いたのが11月初め。彼女のご冥福を祈りながら、あの時の千代夫人の感動した姿が想い出される。

今年は、東京から、セミプロ的なソプラノ歌手でもある土居さん、JETRO勤務で夫の友人のラオス人カイラさん、宇都宮大学の中国人留学生三人、宇都宮短期大学付属高校の音楽部の井口君親子、コーラス仲間の荒巻さん、渡邉さん、更に里美さん(紘平君は超多忙で都合つけず)、それに、小三の長女を連れて長女と次女が東京から応援に駆けつけてくれた。娘達は前日に到着して、まず、霧降の紅葉狩りに行った。家族に留守番させて、単独で里帰りするのは珍しく、彼女達は家族から一時離れて、本当に、リラックス出来たようだった。私も大助かり。準備の手助け、初めて会う来客とも笑顔で明るく接してくれて、おもてなしの手助けもしてくれた。何より、彼女たちもコンサートを引っ張ってくれた。長女はピアノ、次女は歌唱で。今までにない、本当の意味でのホームコンサートになったと思う。途中で、夫のアイディアで、インドネシアの元学生とも中継して、一緒にインドネシアの歌を歌ったことも新発想。夫の豊富なソフト面に私はハード面で応えるのが精一杯。ラオスの方も母国の歌を歌って下さった。夫は中国の留学生達と中国語、日本語両方で旅愁、里の秋を合掌。土居さんはきれいなソプラノでグリーグの歌をノルウェー語で歌い、ドイツ語の歌もどんどん出る。荒巻さん、渡邉さんはTime to say good byeを言語で歌うという驚きもあった。井口君が伴奏をやってくれた。コロナ対策のため、パティションにビニールシールドを張って。それぞれ、忌憚なく、楽しい雰囲気で歌い、演奏し、会話も弾んで大変喜んで貰えたことが何よりであった。そうそう、庭の柿が今年は豊作で、猿にもやられず、実りも絶頂の時で、皆さんに、お猿に代わって柿をもぎ取り、齧るという体験もしてもらった。見栄えは良くないが、甘く実った柿に、大満足されたことも嬉しかった。朝早くから用意をし、9時過ぎには留学生達が到着して準備の手伝いをしてくれた。そして、11時には皆揃って、BBQをスタート。コンサートは13時から始めて、16時過ぎに終了。娘達も含めて、東京へ戻られる方々をお送りしたり、慌ただしい一日であったが、最高の秋日和に恵まれ、最高の集いが出来たことに感謝したい。