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2026年1月30日金曜日

1月27日(火)麗しの越中島レイディーズ

 1月27日(火)

寒くなった矢先、今日は幸運にも日中は小春日のようなお天気に恵まれた。久しぶりに越中島三羽ウグイスが湯島天神に集った。体調を崩していた才子さんが元気復活したというので、啓子さんの発案でならばお喋りをしようということに。健康祈願をと神田明神を選び、近場のレストラン選びから、湯島天神の梅を愛でに行く計画が立てられた。

日中はこの寒い日々では信じがたいほど小春日和の天気に恵まれ、十分時間んを取りながらの境内散策が出来た。湯島天満宮ではますます知恵がつくように祈り、神田明神では健康祈願を徹底的に祈った。才子さんは特に健康志向が強かったよう。神田明神では「あかり」と名付けられた神馬が飼育されている。今日は運悪くお出かけのようで姿は無かったが、前日に下見をしていた啓子さんが、ばっちり写真を撮って下さっていたので、それを孫No4の明里に送ってあげた。何かいいことがありますように。

そんなわけで、都心の二つの神社にお参りして近場の食事処で和食を楽しみ、その後御茶ノ水JR駅まで散策。文京区のど真ん中にあって教育機関がわんさとあることを改めて知った。医科歯科大学、合併した東京科学大学があり、順天堂大学あり、元東京大学もあった。湯島聖堂の敷地がそれらを飲み込んでいる。なるほど、明治の文化人達はここから続出したのだろう。旧岩崎邸庭園もある。北千住から近い。千代田線一本で来れる所。いつか又来てみよう。啓子さんはボランティアガイドをしていて、この界隈に詳しいのがありがたかった。

 


2026年1月29日木曜日

途方もなく悲しい知らせ

 とうとうこの日が現実の事になってしまった。

長らく闘病していたアメリカの親友Dickが昨年7月にコロナに感染したのがきっかけで一層体調を崩し、心臓疾患と戦い続け、妻のRosemaryに支えられながらリハビリに頑張ってきていたが、今年に入って2週間後の15日に亡くなったという知らせが彼女から届いた。Dickがそのキャリアと人間的にもいかに優れた人であったかを称えるObituary(新聞死亡記事)も添えてあった。

With a heart full of deepest sorrow and grief, I write to tell you that Dick passed away on January 15 of heart failure. He was peaceful, at home and in my arms.

最期の5分前までは話が出来ていたそうである。彼女の短い文章から絶大な悲しみが伝わり彼女へのお悔やみの言葉もまとまりいのないものになったがすぐ書いて送った。半世紀以上に亘って家族ぐるみでお世話になったKoflerさんご夫妻である。夫、子供達にも悲報を伝えた。彼等もそれぞれにお悔やみのメールを送ってくれた。更に娘達はボーカルとピアノのコラボであのBette Midlerによる”Rose”を編集し、Rosemary に送るという思いがけない最高の贈り物をしてくれた。Rosemaryともども私も感涙した。

1967年9月~1969年5月までマサチューセッツ州アマーストのUMassに留学した2年間、彼らの家にホームステイしたのが全ての始まりである。1969年5月に私達はカナダで結婚。その後、夫の仕事の関係で海外と国内で交互に暮し、ニューヨークに勤務した時には2回とも子供達ともども彼らと交流出来た。最期の海外勤務地となったオスロにはすでにDickはリタイアしていた関係で時間を作って私達の所に来てくれた。私達が現役を終えて日光に暮し始めて3年後の2009年4月には日光迄訪れてくれた。

想い出は尽きない。家族史にも書いたように、私の人生を見る目、生き方に大きく影響を与えてくれた最愛、無二の親友である。彼は物理学者であり、ヒューマニストであり、音楽を愛する文化人であった。スキーにも興じていた。人間を愛し、自然を愛し、宇宙を愛した人である。

家族同様でもあった私たちの交流がこんなに深い絆になっていたことを改めて思い、共にシェアした人生経験を思い起こしている自分が何か別の境地にステップアウトしたような気がしている。

今、集大成を試みている家族史の終盤「その後の歩み」を今年こそ仕上げなくてとの思いが強くなってきている。

2026年1月16日金曜日

1月15日 初プレイ

 2026年の目標の一つ、それは大好きなゴルフのスコアを伸ばすこと。70代までは100を切っていたのに、加齢のせいにして最近100がなかなか切れない。常に100は切れるように、今年こそとの思いで、実は既に1月5日 夫と二人でプレイしている。初プレイ❣と意気込んで出かけたが二人だと緊張感に欠けるのか、なかなかうまく行かない。ダボペースで終わってしっまった。夫も同じ目標を立てたよう。

そんな中、今日は「たのしみ会」という長年続いているグループに入れて貰った。好子さんの紹介で20数名はいるグループで最高年齢が94歳だという。女性も4,5人いるとのことだが今回は、その好子さんも他の女性も体調不良や不都合で欠席。女性は新参者の私一人であった。総勢13名。それでも4グループ成立していて、やはり緊張感があった。ゴールドからスタートする人ばかりだから高齢者である。私はそれでピンクでは無く赤からスタート。ボギー、ボギーでスタートしたのでもしかして、と期待したが、そこがゴルフ。アップ、ダウンの繰り返しで上がってみたら、ダボペースに終わってしまった(55+52)。夫はいつもより調子が良くて見事に100を切った(50+49)。しかし、数日前の大雪には関係なくJGM宇都宮CCは山岳コースで美しい。藤棚が多く、シーズンはさぞ美しいだろうと想像できる。グリーンはアンドゥレーションが多く、フェアウエーはバンカーが多く、易しいコースとは言えないが、好天気下で十分楽しめた。ニヤピンが一つとれただけでも良しとしよう。

1月15日は長男の誕生日。記念すべき日に、ゴルフで楽しめたことに感謝。

2026年1月2日金曜日

2026年(令和8年)の始まり

 令和8年の幕開け

元日には佐野大師あたりへ出かけようかとも思ったがゆっくりした元日になって、結局近場の東照宮に初詣。恒例のルートで、東照宮と二荒山に詣で、健康祈願を第一に祈ってきました。今年の目標は体重を減らすことと宣言した夫は、境内の出店を見るや、そちらの方に目を奪われて、たこ焼き?イカ焼き?と物色を始める。今年最初の戒めがそこになるとは!?何も買わないで、破魔矢だけゲットして事なきを得たことは成功だった。とにかく、家族の健康を第一に祈願して真っすぐ返り、配達された年賀状を見る。大分少なくなってきている。年賀状は止めたという人が増えてきているのに加え、ラインで挨拶する人も増えてきている。やはり、日本の風習は捨てがたいものがある。とはいえ、我々も出したのは半数ぐらいに。だんだん消えていくことだろう。今年は夫の
干支である。難を蹴飛ばして、難しい年を難なく乗り超えていけますように祈ります。
何の鳥だろう?元日の出窓に居心地良さそうにじっと佇む野鳥。何だか平和な空気が漂っていていい予感がした。

2025年年末続き

 2025年の年末続き

今年の正月は我々二人だけでゆっくり迎えました。年末に二家族、それも全員ではなかったが、が来てくれて音楽の好きな娘達と遠慮なく歌の練習が出来たこと、何年かぶりで東武スクエアに行って改めて良く出来たテーマパークだと感心。好天気であったことも手伝って、じっくり見回って非常に楽しめた。世界の多くの世界遺産がミニチュアながら大変精密に造られ、そこに観光している多くの人々をも配置してある。この中でいくつ実際に見た
であろうかと、記憶をたどりながら、俯瞰的に全体が見れたのは大きな収穫。これで3回目ぐらいであるが、NYCのワールドトレードセンターはそのまま健在。ドバイの世界最高のビルは見つからなかった。