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2010年6月24日木曜日

English version of the date June 21

Yesterday's big event was over safe! It wouldn't be more than enough to say that the success of the biggest event on June 20'10, naming the 3rd Chorus Festival consisting all choir groups in Nikko city, will be an unforgettable in my life. It was a great challenge for us, 200 members altogether, to perform Beethoven's No.9 "To Joy" in front of the public assisted by the Tochigi Symphony orchestra with 4 professional solists. We did it even without the text book. When we were annonced to start practicing two years ago, no body would have believed we would make it. All the German lyrics had to be memorized. There were thousands of corrections in both rythm and pronounciation. Sometimes we were derailed, out of tones, and discouraged. But we were anyhow directed toward the way it should be and it was only a few weeks before that we began to see a hope to some extent. We would make impossible possible! And I did it even with a confidence and a louder voice, very high and powerfull(beautiful?) soprano tone. This incredible success was brought by two able wonderful teachers(directors) who were patient enough and never threw us away out on the streets. Their great spirit and energy to produce a comfortable harmony completely captured our hearts to get as much closer to the target as possible and we got this Joy! Every member was excited and moved with tears in the eyes.
The audience of Imaichi Culture Hall in full capacity was so excited and waved. I have never experienced this joint exciting feeling before from the both sides, excitement from the audience and the one from the stage. And my husband was also involved in this big choir. The excitement gained in a mass play is something different from the one in individual play.

2010年6月21日月曜日

Our performance of "To Joy" on June 20'10
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大合唱

Women's choir group singing an original piece composed by a citizen to commemorate the birth of the new Nikko city unifying 5 communities around back in 2006.
昨日のビッグイベントは無事終了!第3回日光市合唱フェスティバルと名打って迎えた6月20日(日)は生涯忘れられないビッグデイとなったと言っても過言ではない。2年越しで練習してきたベートーベンの第九の四楽章(歓喜の歌)を公衆の前で発表するという大チャレンジである。日光市内の10ものコーラス団体が一堂に整列して200余名の合唱隊となり、栃木交響楽団からの20名弱の団員と4名のソリストの強力なサポート(本来は合唱隊が彼らをサポートすべきなのだが)を得て、暗譜した(筈の)ドイツ語で力強く高らかに歌い上げたのである。今市文化会館は満員であった。総論は大成功。各論を言えば、それぞれ、大なり小なり、リズムを間違えたり、意味不明の言葉を発生したりして精巧さには欠けたところがあったが、そんなことは問題ではない。とにかく、大声で、自信たっぷり状態で、楽しく出来たのだから大満足である。何より、歓喜の世界に浸ったのだから最高の感動であった。EECCからもかなり聴きに来てくれていたようだ。花より団子の差し入れがあったのも嬉しかった。そして、本日、パートナーの律子先生から美しい薔薇の花束をいただいた。も~う!穴があったら入りたいくらいなのに気分は最高。指導して下さった先生方の実力と忍耐強さに改めて感謝したい。今度はどこかから合唱のお呼びがかかってくるかも??!!
プログラムは合併して壮大になった日光を歌い上げた「永遠に」、各コーラスグループを4つに細分して唱歌の四季、つまり、春、夏、秋、冬を代表する唱歌をメドレーで歌い、更に、コーラス隊を再編して今度は国別ホームソングとして、イギリス編、ドイツ編、イタリア編と続く。最後はインターミッションの後、第九へと盛り上がっていくものであった。公演は午後2時からであったが、朝9時から衣装の着替え、入場、退場、全行程を完全リハーサル。リハーサルが終わった時は、本番が終わったような錯覚になったことも事実。それほどの力の入れようであった。汗びっしょり状態。
無理では?と半信半疑でスタートした練習であったが、不可能を可能にした驚きは忘れられない教訓となったことを書き留めておきたい。

2010年6月16日水曜日

6月16日(水)

水曜日はスポーツデイと決めている私に取って梅雨入り宣言は受け入れ難い。とはいえ、稲作にとっては大事な季節であり、我が家の庭の花々や木々にとっても恵みの水を労力無しでいただけると思えば感謝しなくてはならない。今日は予報通りの雨で始まり、止みそうになかったのでゴルフはキャンセル。ところが間もなくして青空が見え始めてきた。何というタイミングの悪さ。致し方ない。今回は車で5分の所にある市営ミニゴルフ場に行くことにした。アプローチの練習には最適な所と知りつつ、ついつい醍醐味がない為、遠ざかっていたので、むしろグッドタイミングというべきかも。

いよいよ今度の日曜日20日には日光市の10もある合唱団合同の発表会というか大演奏会が市の文化会館で行われる。初めての試みの中、「永遠に」(日光市オリジナルの壮大な歌)、「唱歌の四季」、「ホームソングメドレー(イギリス、イタリア、ドイツ)」、そして極めつけがベートーベンのあの第九の第四楽章「合唱」である。約2年の歳月を費やして皆、暗譜した筈?おじさま、おばさま達で編成されている大合唱である。2000人のオーディエンスを期待して最後の練習に励んでいるところである。昨晩もやり、今晩もある。そして前日の大リハーサルが19日にある。衣装もOK?目標があるということはストレスどころか、こうして参加出来ることに感謝して挑戦意欲をかきたてられている。昨日の下野新聞の県北版のトップに、この合唱団の猛練習ぶりの記事が出ていたことにより、この気持ちは高ぶっている。

アメリカはフロリダで昨年の12月から仕事を始めている息子のブログ http://tothedream-nari.blogspot.com/ を覗くのが楽しみである。昨日、久しぶりに更新されていたが、教育とスポーツを連携させたイベントにもインヴォルブされているようでアメリカならではのスケールの大きさ、明るさ、オープンさがあって、力強さを感じる。とにかく批評はいらない。アクションをとることを鼓舞される。彼のブログの冒頭にある言葉をいつも噛みしめさせて貰っている。

「Nothing ventured, nothing gained. Never put off till tomorrow what can be done today. Treasure every encounter, for it will never recur!! We have only one life so that I devote 100% to myself, to myfamily and to my friends. 」

更に、どこかで見つけた次の言葉が私は大好きである。

「Try very hard not to be dull. Whatever you do with yourself, do your best to be interesting and to make your life interesting」 Be anything but dull or boring!

島根県中央部にある私の心のふるさと川本町の役場から書類が届いた。最近の地図が同封されていた。地名をなつかしく蘇えらせながら昔を一寸偲んだところである。

2010年6月7日月曜日

ふるさと 

6月5日、五反田にあるゆうぽうとビルに初めて出かけた。JRに乗り入れている東武線新宿行き特急で新宿まで行き、山手線に乗り継いで所要時間3時間。日帰りとしてはぎりぎりの距離であるが、初めて川本会に出席して見た。島根県中央部の山間に位置する川本町を故郷に持つ、東京近辺に在住の人達の会合で、昨年組織変更して今年が二回目の総会ということだった。期待となつかしさで心を弾ませながらの参加であった。参加してびっくりしたことが二つ。一つは会のメンバーは数百人はいる筈だが、参加者は34,5名という少なさである。しかも初めてお会いするような人達ばかりで、自分から自己紹介して進まないと会話は無い。殆どが大学進学と共に、故郷を離れて行った人達であるが、やはり同郷のよしみというのか、話しかけて行くうちに共通の想い出があったりで川本OB会の様相となって行った。二つ目の驚きは、この総会にわざわざ川本から車、飛行機、電車に乗り継いで参加された方々が10名ぐらい来ておられたことである。町長さんを始め、町議会議長、商工会の方々、一般の人達(同期が二人)の一行である。当時8000人は居たであろう人口が今では4000人を切るまでに激減し、高齢化が進んでいる川本町であるが、そこを何とか活性化し、ブランド化しようとする町役場周辺の熱い志を感じとることが出来たことは嬉しかった。町長さんをリーダーに、平成の大合併をくぐりぬけて、何とか川本町を従来の故郷として生かしながら町づくりにエネルギーをぶつけておられるお話を伺ったことは大変な収穫であった。川本は生きていると感じた。ますます川本に関心が寄せられるよう、そして川本が多感な時代にあった私を育んだ町として誇りに思える町に成長して欲しいという思いを抱いて日光の自宅に戻ったのが7時であった。11時間のDay tripであった。