2017年9月26日火曜日
2017年9月17日日曜日
東アジア諸国大使文化交流大イベントに向かって Big volunteer activity toward the project "East Asian countries'ambassadors in Tokyo to be invited to Nikko'
10月28日、29日のイベント紹介です。昨秋、ASEAN大使を対象に開催したイベントの第二弾です。日光清風塾もボランティア活動精神で準備に奔走中。新聞記事とチラシですが、時間が迫っているので現段階のものをご紹介。
These are an article on this project and a tentative handbill to introduce a coming big event to be held in Nikko on October 28,29 2017. We volunteer workers for this activity have been doing very hard to make it successful.
These are an article on this project and a tentative handbill to introduce a coming big event to be held in Nikko on October 28,29 2017. We volunteer workers for this activity have been doing very hard to make it successful.
2017年9月11日月曜日
星太の百名山100座目の完登頂 剣山
平成29年9月8日(金)~9月10日(日) 星太の百名山完全制覇応援の旅
9月8日
4歳の頃から父親の手引きにより7年がかりで百名山に挑んだ10歳の孫息子星太(小五)がついに100座目に挑戦することになった。既に百名山を二巡済みの父親の計らいで、誰でも登れそうな易しい山を最後に残していたのである。それが四国で第二の山、剣山(つるぎやま)である。易しいということで、私も応援隊の一人に加わった。星太と同級生の従兄妹も参加、そして、星太の父方の祖父(85歳、礼二お爺さん)も参加した。祖父も10年前に百名山を制覇していて剣山は今度が二回目であった。父親は三回目。三世代が一緒にそれぞれの記録を持って偉大な記録が打ち立てられることになった。
9月8日 夕方5時半に東京駅新幹線南乗り換え口に集合。私も日光から3時間かけて早めに到着。既に礼二さんは到着していた。待ち合わせ時間に「大変なことになった!」とあわてながら到着したのが父親であり、数分遅れで長女の朝子とその息子の星太が到着。何事かと思いきや、中心となる星太が自分のリュックを自宅に置いたまま持って来なかったという。信じられない事態にびっくり仰天。どうやら家族内での打ち合わせに誤解があったらしい。不幸中の幸いで、山での衣類が入っていただけのようで、現地で調達することに。出だしの失態で先が思いやられる感もあったが一旦気を鎮めて夕食のお弁当を買い込み、18時発の新大阪行きのぞみに乗り込んだ。ホームで合流した父親の学友が二人加わり、総勢大人6人、子供3人の部隊となった。
新大阪には20時3分到着。この日の夜は西梅田のホテルに宿泊して、翌朝6時出発で内容の実に濃い旅がスタートした。
9月9日
今回のこの団体の登山部隊の旅程は一切父親がアレンジして切符も手配。ホテル、ヒュッテ、レンタカーなどなど、全てお膳立てしてくれていて、私はただ付いて行くだけの身で、こんな楽な旅は初めてであった。応援隊とは名ばかりで、実にありがたい休養の旅となった。駅近くで借りたレンタカーはトヨタのHiAce グランドキャビン。たじろぐほど大きな車でVoxyを二回り大きくしたような、ミニバスのような大型車。運転を交代することも出来ないほどのでっかい車で会った。結果的に梅田から兵庫に出て明石海峡大橋を渡り、淡路島を縦断して更に鳴門大橋を渡り徳島に入った。
この日は剣山の頂上ヒュッテに泊まる手筈だったので、登るのは午後に入ってからという予定を立てていたようで、その前に可能な限りの観光を計画してくれていた。
徳島に入ってから、もう一人父親の学友が加わった。ここから総勢10人となり、車は満席に。
うだつの町並観光では初めてうだつの意味を理解。建築用語だとは思いもよらなかった。更に大歩危(おおぼけ)の遊覧船に乗り、龍王峡より山奥深くユニークな千枚岩のような岩が両岸に並ぶ流れが殆どない美しい渓谷を愛でながら川を40分ほど往復。久々の絶好のお天気日和で行楽客も大勢いた。昼食を挟んで、30分ほど離れた所にあるかずら橋という3年に一度改修されるというかずらで出来た吊橋渡りを経験。かずらで編んであるだけの足元もすけすけの大揺れの吊橋をみんなへっぴり腰で渡るのだが、実に怖いもの。スリリングで、最初はギブアップするつもりであったが、5歳の孫娘が堂々と面白がって渡っていく。婆としてのメンツもあり、渡らずにはいられない。実に怖かった。下の渓谷を見たらもうアウトである。素晴らしい筈の周囲の景色を堪能する余裕も無く、必死の思いで渡り終えるのが精いっぱいであった。
それから小一時間のドライブでいよいよ目的地に到着。剣山は確かに易しい山と言われているだけある。1955mの高さでも1500m地点までリフトがある。勿論下から歩いて登る人もあるが、家族団体でも行けるようにかなり上までリフトが設置されているのである。今回は、リフトを利用して1500m地点から登り始めた。15:30にリフトに乗り、40分ぐらいフィルとに乗ったあと、登り始めたのだが、最初の10分の苦しかったこと。いきなり標高1500mから登り始めたからだろうと思う。昨年登山鉄道でチベットへ行ったが、その時より何か頭がぼうっとして、動悸が激しくなり、高山病のような症状があった。しかし、ペースを落とし、呼吸を整えながら歩き続けるうちに次第に慣れて頂上へは40分ほどで着いた。頂上が平らな山で孫達は板の歩道を走り回っていた。確かに、厳しい山のイメージからはほど遠く、山の上の公園にいるような錯覚であった。空気が薄いのでなおさら清らかに感じる。清々しい。17時頃頂上のヒュッテに辿り着いたがあたりはまだ明るかった。他に登山者がいてその日に泊まったのは20人ぐらいはいたように思う。中にベルギーからの女性二人連れもいた。そして四国を三輪バイクでお遍路する若い女性との素敵な出会いがあった。
そしてその日の夕食時がクライマックスとなる。小学校五年生の男の子が7年がかりで百名山をこの剣山を100座目として完登頂したという事実を目の当たりにして、この祝い事を心からシェア出来た喜びは実に大きかった。このタイミングで登頂した他の登山者も祝ってくれた。その中に黄色のヤッケを着ていた容姿端麗の女性の感動振りは印象的だった。「おめでとう!」を何回繰り返したことか。ただ、祝ってもらっている星太はどこ吹く風の感じで、他人ごとのように余り感動している様子は見えない。苦労して、我慢して100名山を登ってきたんだという思いが無いのかもしれない。遊び感覚だったのだろうか。でも、いずれ、ジワジワと自分がいかに凄いことをやったんだという実感が湧いてくるに違いない。その時のために、今日の確固たる事実を記憶に残すために、写真だけはしっかり撮った。半世紀も管理してきたという管理人の御新氏(おにいさん)も心から喜び、特別に記念のサイン入りタオルを下さった。
このヒュッテには日本で一番高い所に作られたお風呂がある。水は大変貴重である。下からポンプで汲み上げているというお話であった。汗を流す程度で、石鹸使用は禁止。それでも、湯船につかって体を休めることが出来る。水とお湯の蛇口があって五右衛門風呂より進化した現代のお風呂である。
山にはテレビは無い。翌朝の日の出を期待して早く就寝した。
9月10日
別れを惜しんで7時に下山スタート。下りはリフトを使わず上から下まで歩いたが実に楽な足取り。お天気も良く、回りの景色を愛でながら、堪能しながら余裕を持って下山した。それでも2時間しかかからなかった。途中で高山植物、木々に目をやり、初めてトリカブトなるものを目の前にした。可憐な薄紫色のカッポウのような花を持つ。こんな可憐な草木のどこに猛毒が潜んでいるのかと思うほどである。
下山して一路徳島市へ。この山道のドライブが正直怖かった。スピードもあるが、道幅が狭くて対向車の前で何度急ブレーキをかけたことか。娘と二人でアップアップ状態。彼女は我慢しきれなくてついに・・・でも用意が良い。かき氷を食べた時の入れ物をちゃんと手元に置いていた。やはり、こういう山登りの旅にこれまでも多く付き添って経験済みなのだろう。けなげというしかない。子供たちが平気なのには驚かされる。約2時間のドライブで徳島の中心街に。阿波踊り会館に入る。これは見ごたえがあった。阿波踊りの躍動感が人形にも感じられる。盆踊りの最高峰だと思う。
そして鳴門の渦潮を見学。水中展望船に乗り、デッキから見たあの渦潮は見ごたえがあった。瀬戸内海と太平洋の海流が潮の満ち干きの関係から海流の高さが異なることから生まれる現象とのこと。写真ではそのダイナミックさが伝わらないかも知れない。
剣山に登った機会に、時間が許す限り、盛り沢山の経験を企画してくれた今回の旅で、自然が織りなす様々な風景の美しさ、鼓動を経験し、自然への畏敬の念を新たにした。沢山の感動があった。10歳の男の子が成し遂げたデッカイ経験は、必ず将来の彼の人生に影響を与える物となろう。その瞬間に立ち合えたこと、歓びをシェア出来たことが大変嬉しい。
2017年9月6日水曜日
恒例の「パークアベニューで昼食を」に参加 Joined the annual Luncheon meeting named "..at Park Avenue"
平成29年9月5日(火)
今日は恒例の「パークアベニューで昼食会」に参加してきました。夏休暇中で一時帰国中のO大使夫人を囲んでのNY時代の仲間のお集まりで場所は毎年同じ白金台の白金亭。一部改装されていつものお部屋の壁に鏡が入り、広く感じられました。お食事は油でぎらぎらした中華からはほど遠く、上品で薄味の逸品揃い。オードブルのワイングラスに閉じ込めた季節の景色から始まり、
フォアグラ入りの小籠包、パパイヤとクレソンの蒸しスープ、完熟トマトのファルシー上湯スープ仕立て、そしてメインの海老入りワンタン麵は最高でした。デザートは周中(シェフのお名前)特製マンゴープリン。お味も量もとても上品で、食後の満腹感もいい具合。テーブルでのおしゃべりからの満腹感は相当でした。年々話題は介護と終活の方向へ。深刻にならないで笑いながらお話しできて、何となく考えさせられ、エネルギーをいただけるのがこうした集まりの良さかも知れません。
フォアグラ入りの小籠包、パパイヤとクレソンの蒸しスープ、完熟トマトのファルシー上湯スープ仕立て、そしてメインの海老入りワンタン麵は最高でした。デザートは周中(シェフのお名前)特製マンゴープリン。お味も量もとても上品で、食後の満腹感もいい具合。テーブルでのおしゃべりからの満腹感は相当でした。年々話題は介護と終活の方向へ。深刻にならないで笑いながらお話しできて、何となく考えさせられ、エネルギーをいただけるのがこうした集まりの良さかも知れません。
I went to Tokyo to join our annual luncheon meeting named "Luncheon at Park Avenue"according to Mrs.O's schedule by taking her summer holidays back in Japan from Holland. Members are all staff's spouses who used to work at the Japanese delegation for the UN in NY at the time of Ambassador O. We were there from September 1993 to March 1996. The food was so well elaborated and sophisticated. We enjoyed talking over the table with happy feeling even a serious theme such as care for parents or the work for putting the things around us in order before we get seriously sick to die came across as our commun problem. This kind of friendly gathering makes us share those big themes and we get encouraged by thinking together.
2017年9月3日日曜日
第60回日光清風塾講話会to be followed by 第59回講話会 「日光市からの文化発信と観光振興」
第60回日光清風塾講話会 平成29年8月27日(日)
「日光市からの文化発信と観光振興」
ヨーロッパの街中のプラザ、広場のような楽しい中心広場が日光にはあるだろうか。そういう場では交流があり、文化発信が出来る。6月に一カ月かけて日光霧降で「霧降の芸術祭」というのが開催されたが、素晴らしい企画だと思う。あれをもっと広く、多くの人に知って貰いたい。日光ではレベルの高い音楽芸術が生まれる土壌があるという文化発信が出来るのでは。
参加者から出された日光からの文化発信についての意見、感想に触れながら自由に意見交換できる雰囲気の中で話は進められた。人生経験を重ねた人達こそが文化だという意見、もっと民間の力を引き出して投資を促し経済力を高める必要があるという意見(ピーク時の宿泊施設の不足など)、外人向けのPRパンフレットの内容量が少ないという指摘、あるいは日光の深刻な問題の根源となっている人口減が壮大な資源を持つ日光を抱えきれない状況で、構造を変えなければ動きが取れないというご意見、住人には幼少の頃から日光に誇りを持つべく人材教育に力をいれるべきで、観光に力を入れた教育施設を創設、充実させていくべきという意見、中には、日光の偉大な文化遺産を取り巻く壮大な自然の中に住む立場として、観光化、俗化より、滞在型の人を迎える、つまり、ペンションと高級ホテルの二本立てでリゾート観光というのが好ましいという意見もあった。
最近の調査で夏の避暑地として一番人気は日光だという。日本の精神文化に関心を示す外国人は多い。金沢の鈴木大拙記念館を例に挙げて、聖地日光でも参道を歩きながら、座禅体験、あるいは写経体験など精神文化体験が手軽に出来る環境作りが出来ないだろうか。更に、参道を美しいレンタル着物で歩いて貰って日光初のファッションという試みも何かモダンな風で面白い。中国からの若い学生達のホームステイ体験を日光清風塾でも数回実施したが、一週間程度でも日本人の家庭で共に過ごして交流したことが日本の文化を知り、日本の文化の素晴らしさを理解出来たという感想が多い。まさにこれが文化発信である。1月の講話会でも取り上げたように、杭州市では今や観光は見物型から体験型に舵取りを替え、ITを駆使して観光業を活発にしている。
第59回日光清風塾講話会 平成29年7月9日(今年度総会後)
「日光市の国際化と観光振興」
総会終了後、上記講話会開始前の20分間、インターミッションとして当塾会員の西郡淳子さんによるオカリナの紹介と演奏が行われた。オカリナというペルー発祥の珍しい楽器がイタリア経由で日本に上陸し、今では日本が一番ポピュラーになっているという。種類の多さ、それぞれの音色の違いなど、オカリナの入門編トークと演奏は大好評であった。
これからの観光は見せるだけのものではなく、体験して楽しむ観光、遊びをする観光であり、1月の講話でも触れたように、中国杭州市が目指す観光に学ぶところが多い。平成24年12月15日発行の当塾会報「清風」でも寄稿があったように、「日光をスポーツのメッカに」という提言から、今回、中禅寺湖上での水上散策(スタンダップパドルボード)をスタートさせた福田大介当塾理事の話、「ぺちゃくちゃナイト」を開催し、世界中に日光の素晴らしい面をサイト運営で発信している渡邉直美さんの紹介もあった。
日光市が直面しているアクセス、交通システム等のインフラ整備も課題であるが、日光を近隣諸国にアピールする意味で、昨年のアセアン10か国大使を日光に招聘したように、今秋にはRCEP,アセアンを除いた東アジア貿易協定国である中国、韓国、インド、オーストラリア、ニュージーランドの大使招聘を企画中。交流の体験をしながら来晃者への地元民のおもてなしを工夫する中で人材育成を図るというのが最大課題と言えるだろう。
会場の後ろに、当塾会員の藤井雅子さんのスイスの美しい山々をスケッチした作品が展示されて参加者の目を和ませて下さいました。
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