12月8日、9日
6日前にお亡くなりになった地元のT. Fukuda先生のお通夜と告別式に参列。お通夜、告別式はコロナ禍にあて、お焼香だけで帰る人も大勢いたが、私達は中に入り、沢山の華やかな生花で飾られた祭壇の中央に置かれた遺影を拝みご焼香。導師のお話から故人の人間としての強さ、立派さに改めて感じいってしまった。教師から県会議員となり、1986年4月、地元の市長に選出されたが、選挙にかかわるある事件により冤罪を背負わされて政治家としてのキャリアは断たれてしまった。以後、長い冤罪との戦いは無念の歳月であったと聞く。しかし、故郷を思う気持ちは絶えることなく、国勢選挙、地方選挙では常にそのネットワークと知識が人を動かし、地元の名士として影の活躍をされて来た。第一線を退いてからは、彫刻、水彩画に没頭、短歌を詠み、絵画では知事賞などいくつもの賞を獲得されるほどの腕前であった。晩年の宇宙観が漂う平穏な水彩画は昇華された充実感があり見事というしかない。近年は、色紙に絵と短歌、俳句を書き、新聞の切り抜きなどと一緒に、大きなアルバムを日記のように何冊も作成しておられた。一方で、長年、重い病を患いながらも不屈の精神と根性を最後まで貫いた人であった。心身ともに驚くほど頑強で充実した人生であったに違いない。享年94歳。心からご冥福をお祈りいたします。
12月11日 和久奈ちよさんのお別れ会に参列
公益財団法人ワグナー・ナンドール記念財団主催で、去る、10月29日に逝去されたちよ夫人のお別れ会が東部グランデホテルで開催された。清楚で整然とした式典。予期した通り、生前のちよ夫人を惜しみ、称えた立派なものであった。栃木県知事、ハンガリー在京大使、参事官、ブダペストからわざわざ駆けつけた、あちらの関係者、友人代表、益子副町長、の全て夫々のお立場からの心の籠った弔辞であった。ナンドール・ちよ夫妻の生涯を綴ったあの「ドナウの叫び」を書かれた下村徹夫人の洋子さんが讃美歌を独唱。阿久津政行氏のピアノと打保早紀さんのデゥオ演奏もあった。ちよ夫人は3年前、他の友人共々、紅葉の時期に我が家の庭で、BBQを囲んで談笑し、憩っていただいたことがある。その時に、「何だか別世界!」と言って、喜びながら、桃源郷の空気を味わっていただけたことをなつかしく偲び、もう、ああいう一時は無いと思うと残念である。享年91歳。心からご冥福をお祈りいたします。
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