わたしは、次女の康子おねえさんへのプレゼントであったが、結局、わたしの身の回りの世話をしてくれたのはおかあさんである。ダンボール生活から卒業して、家の中をパトロールするようになると、みんな、おもちゃとして、アクセサリー的にわたしをかわいがってくれた。メゾネットになった三階づくりの家だったので、階段が二か所にあり、最初は上ったり下りたりするのに骨が折れたが、半年もすると、簡単に家の中を走り回るようになっていった。小鳥のようにおねえさんの肩の上に乗ったり、ピアノの上からみんなを見下ろして得意に遊ぶようになり、人間だけを相手にしながら天真爛漫に河合家の一員となっていった。
家族はそれぞれに忙しく、おとうさんは国際関係の仕事をしていて、よく海外出張に出ていたし、おかあさんも海外からの研修員相手の仕事を時々やっていたし、子供たちはみんな学校が忙しかった。仕事のないわたしだけがいつも留守番をするはめになったが、一日中一人でも平気であった。これも猫の優れたところである。そんな時はゆっくり静かに睡眠をとっていれば問題なかった。
最初は水とミルクが与えられただけだと記憶しているが、そのうち小さく砕いた魚の肉とか鰹節をもらうようになり、どんどん成長していった。おかあさんは、何気なく食べるものを出してくれる。でも、いつも「ほら、ミーちゃん。おいしいわよ!」と言ってわたし専用のお皿に何かのっけてくれる。匂いをしっかり嗅いで、危ないものではないかどうか確かめて、慎重に食べるのがわたしの生まれつきの習性。量もほんの少しで、がつがつ食らいつかないところも生まれつき。沢山食べてなくても運動は抜群にやり、家の中をダッシュして駆け回っていた。食器棚の上にもへっちゃらでジャンプアップ出来た。家族が食事をしている時など、上から家族を見下ろす様が羨望の的になったりした。
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