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2012年3月8日木曜日

三毛子③

この一週間は夫が西安に行っていて、あちらの大学で講義をしながら学生達と交流に励んでいる。その間、石巻の被災地で頑張っているあるグループを応援に行くことも考えたが、今回は断念して、自分を総括しながら書き物に専念することにした。その一つが愛猫の自分史。今日はその③に入っていく。

三毛子の続き その③

 このようにして、わたしは東京都多摩市諏訪三丁目に住む中年夫婦の家に連れて行かれ、その家の養女となった。里親の名前は河合。河合家にはこの両親の他に、三人の子供がいた。長女は京都の大学に、次女と長男はそれぞれこの多摩の自宅から高校と中学に通っている。そもそもわたしは、この次女の誕生日プレゼントとしてこの家に運ばれてきたことがわかった。次女の誕生日は五月十五日。沖縄返還記念日なので絶対に忘れない。そう言えば、長男は一月十五日が誕生日で一昔前までは成人の日として祝日だったのでこれも忘れない。わたしの誕生日は四月二十二日。四月のニャンニャンの日である。これも特別の日で覚えやすい。従ってわたしは生後三週間ほどで河合家の養女になったことになる。子供たちはみんなわたしを見て、「かわいい!」を連発していた。早速、わたしの名前さがしを始め、いろいろ議論してどうどうめぐりをした結果、もとにもどって簡単な「三毛子」と命名された。雌の三毛猫そのまんまの名前がつけられた。みんな、わたしのことを「ミーちゃん」と呼ぶようになった。そしてわたしは河合家の四番目の子として存在感を持つようになっていった。

 最初は小さな段ボール箱に入れられた。おかあさんが箱の隅に水と砂場をちゃんと用意してくれた。わたしが頼んだわけでもないのに、そして、そにそのようにしつけられたわけでもないのに、わたしは砂場で用を足す運命が与えられた。この時から、一度もそそうをしたことがない。生まれてからずっと、間もなく二十歳になろうとしている今でも、これは自慢できる。人間にはまねできない猫の優れた習性であり、家族もそろって褒めてくれる。

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