第36回講話会(10月19日)の要旨 (鈴木常元輪王寺教化部長の講話)
「仏教文化と日光」のタイトルに沿って、(宗教)(仏教)(神道)(自然崇拝)(日光山の宗教と信仰)そして(文化)に及び、日光山には素晴らしい仏教文化が残っている。神仏習合という、日本人の素晴らしい信仰心が形として残っている。日光山には今も信仰があり、聖地として機能している。これからも聖地であるという結び。信仰(人間の根源的な願い=恐れ、敬い、憧れ、祈り、救いを求める心)が文化を生むという結びでした。勝道上人が766年に開山して2年後に1250年祭が控えているタイミングで、日光が観光地という名前だけが強調されているが、聖地であるということを見直す良いチャンスとなる講話でした。生きて行く為に、観光地としての発展を願うのは当然ながら、どうして宗教が生まれ、人間の苦悩の解決の道(釈迦が発見した真理)として仏教が生まれたこと、自然の法則・日本古来の信仰が自然崇拝・八百万の神であり、朝鮮半島を通って入った仏教との出会いが聖徳太子の神仏習合・本地垂迹説(仏が本体で神はその姿)という偉業に至ったこと。何だかしらないけどありがたいという気持ちを読んだ西行の短歌の引用は自然崇拝・八百万の神に感謝する日本人の信仰心を理解させてくれるものとして非常に分かり易い。 「なにごとの おはしますかはしらねども かたじけなさに なみだこぼるる」
日光山の宗教と信仰の歴史を簡単に説明
日光山は鎮護国家の道場であるとともに、様々な民間信仰がある。子種石、産の宮、縁結びの笹、酒の泉、風神/雷神、慈恵/慈眼両大師など。
古代→自然・民間信仰・祖先神など
奈良→開山勝道上人、観音信仰 輪王寺・二荒山神社の起源
平安→慈覚大師円仁 天台 阿弥陀信仰 日光三社権現
鎌倉・室町→神仏習合の聖地
江戸→天海 東照三所権現(神仏習合の思想)輪王寺宮 平和の願い
明治・大正→神仏分離→廃仏毀釈(それまでは神仏仲が良かった)
昭和→第二次大戦 ウオーナー博士の尽力により戦禍を免れる
平成→世界遺産登録 「日光の社寺」=「日光山は一つ」
人間が人間として生きて行く上で不可欠なもの、それは道しるべであり、目印としての灯火である。自分ではどうにもならない自然の摂理を前に、畏れと憧れが生まれ、そこから信仰心が生まれ、願いが生まれ、そこから宗教が生まれ、それが形になって仏像、寺の建設となる。
山に祈るという自然崇拝と宗教心の基になる信仰心が山岳仏教の始まりであり、それを背景に文化が生まれる。日本文化の背景には必ず信仰があるというおはなしでした。
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