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2026年8月31日月曜日

8月31日(月)

 8月31日(月)

酷暑の夏も盆を過ぎた頃から比較的気温が下がる気配があったものの、まだまだup downの繰り返し。そんな中、7月13日にあの大転倒から右臀部から右脚、右足まで内出血に見舞われ、臀部の痛みから座ることも出来なかった夫。良く耐えて1か月を過ぎたあたりから、少しづつ日常スタイルが戻り始めた。そして、今日は、待ちきれなかったゴルフに挑戦。ラインヒルでワンラウンドに挑戦。勇敢にも早朝6時22分ティーオフに宇都宮からの飛ばし屋二人の男性と一緒に何とか回れた。スコアは気にする必要なし。彼等はシングルプレイヤーながら、感じ良く一緒に回ってくれた。

それより、8月は苦しい時期となった。我々の任意団体「日光清風塾」の活動である。アメリカ大使館訪問が先方の意向により、米大が日光に来ることになり、我々がホストとなってイベントを発起。「American Festival for America250 in Nikko」がテーマとなる。塾長の挑戦意欲から次々とアイディアが出て来るのだが、一部の抵抗があったり、私自身、悪いことにいつもネガティブ思考が先行して、数多の問題の壁にぶつかってはストレス満タン。食欲を失い、良い睡眠が取れない。それでも、今までそうであったように、抵抗しながらも説得に負けてしまう。そして、結果はいつもやって良かったという感想になる。今回もそれを信じて食らいついていきつつある状況。そんな中でのゴルフであったが、先程、市から朗報が。日光市が共催してくれることに。これも塾長の手腕。予算問題が一つクリア出来る見通しが出た。ホッ!

もう一つ、息子の入院騒動が重なり、心痛の大きな原因に。数日で退院したものの、今自宅療養中。仕事のストレスが原因だとなると、いつ復帰が叶うか心配である。平素元気印の私だが、しっかりしなくてはと自分を鼓舞することしきり。これは祈るしかない。ただただ祈るしか。

動いていれば何か助けが到来すると信じてLet's go for it!

2026年8月20日木曜日

お盆休みで町田組、市川組別々に来晃

 8月8日から2泊3日で来訪。星太殿は部活が忙しくてdidn't show up.この日は、我々は大野紘平さんの初めての自主企画イベント”Blue Nostalgia in Nikko”がTorchというキャンプ場を舞台に開催されたので、そちらの応援に。このことは既に記録した。町田組は今市の花火大会の方に流れて別々の時間を過ごすことに。タイミング良く、彼らと我々が帰宅したのが殆ど同じタイミングで9時半頃。夕食は出先で食べたような食べないような。チキンと野菜のこってりトマトソースだけを用意しておいた。学校からの短期英国研修旅行に参加して帰国したばかりの明里ちゃんの旅の報告を聴き、イギリス土産のshortbread を貰う。良い経験をした様子。感覚の鋭い彼女の第一印象は自然の違いだったと。ちまちました庭ではなくwildな荒野に強い印象を得たよう。彼女と再従姉弟同士が同学年ということで、甥の娘の子どもたちが遊びに来た。昔と違って走り回ったりはもうしない。スマホを握って時々話をする程度。今時の子どもとなっている。そして3日目は早朝に山旅行に出発。尾瀬やら伊香保やら燧岳とか回ってお盆の時期に町田へ帰還。

そして、第二弾は市川組が家族全員で18日にやってきた。昊粋君は20歳になり、ますます落ち着いて話をするように。もっぱら、夫と宇宙の話。次男坊のサッカー少年は見違えるように、自分をしっかりコントロールするように。何でも御朱印集めに興味を持ち始め、今回は東照宮へ。その前に土沢の夫の実家で甥の孫が誕生したばかりで皆で拝見に行ったところ、彼は赤ちゃんが大好きの様子。じっと傍を離れない。彼の父親と一緒に見つめてあやして寝かしつけてしまった。相当好きと見える。彼等も2泊3日の予定を組んで、温泉に行き、東照宮に行き、帰路大谷石まで行ったそうで、日光に切る前には仙台に行き、息子の大学のキャンパスを見、松島から北上して気仙沼まで。1000㎞以上走った様子。充実した盆休みだったよう。次男坊帰る日の朝早く一人で電車で帰宅。サッカーの練習がある由で、しっかり自分のスケジュールを全うする姿勢が見えた嬉しかった。

彼等が帰る日に重なって悪かったが、私は「楽しみ会」コンペに参加。リフレッシュが必要というより、楽しみなことの一つなので決行。調子はバンカーにつかまり過ぎてしまったが頭の切り替えが出来て良かった。これが終わると日光清風塾の作業が待っている。


2026年8月14日金曜日

8月8日 Blue Nostalgia in Nikko

 

こへまること、大野紘平さん自ら初めて企画した地域活性のための大イベント、Blue Nostalgia in Nikkoに夫と日光清風塾の友人達と参加。結果は大成功。途中で大雨に見舞われ、後半の部分は屋内に移動するはめになったが、それが又逆効果があったと思いたい。日光市民病院の裏手山斜面にTorchというキャンプ場が会場。野外のイベントとして、出店、体験学習、グルメクッキングカーもアレンジされた。驚いたのは地元がこの場所を知らないこと

集客の相当の苦労があり、私達も清風塾会員たちにも周知。ただ、この日は、あちこちで花火大会や、終戦記念として祈りのコンサートなどの他のイベントと重なったことから人数的には予想まで達しなかったが、来場者の満足度は最高であった。とにかく、Blue Nostalgiaのスタッフとアーチスト達、大野紘平(ピアノ&シンガー)、前田健志(尺八&シンガー)、高松亜衣(バイオリン)、山岳戦士オクニッコーマン(ベース、パーカッション)、flute arisa(フルート)の熱情とエネルギーが100%以上の効果で迫りまくり、会場にはち切れんばかりの渦が巻いた。葉加瀬太郎の情熱太陽がそのまんまバンドに乗り移った感があった。そこに、日光清風塾合唱隊の指導者、ソプラノ歌手の石井真由美先生とのコラボが入り、これが、盛り上がりの絶頂を作り上げた。来場者に配布されたBlue Nostalgiaの ネーミングの入ったリストバンドを以後、自分を鼓舞してくれるエネルギー源として嵌めっぱなしで着用している。私のこれからの計算では短い人生を長く活力のある楽しいものにしてくれそうである。

そして、新しい貴重な出会いもあった。オランダで小和田大使ご夫妻とお知り合いになったという日本画の大家、北条正庸(まさつね)ご夫妻である。


このご夫妻とはこの日から5日後、再度日光での別のコンサートで偶然再会。お話が楽しくて、夫が急に帰路我が家にお寄り

いただきたいと提案。快く応じて下さって、結局9時頃まで御食事を共にし、話が楽しく続いた。




2026年8月1日

 2026年8月1日

前日は多摩泊⇒五反田に向かう。唯一の従姉弟(叔父の長男。次男は数年前に逝去)眞一(往年78歳)さんの葬儀に参列するため。突然の訃報に驚き、生前には叔父叔母が健在の頃、調布の家でお会いしたもので、叔父が10年近く前に亡くなった時葬儀場で会ったのが最後。叔母はコロナの時に亡くなり、葬儀は密葬で参列出来なかった。繋がりは強いものの、縁は薄かった。しかし、唯一の従姉弟なので、東京界隈に住む、次兄の子どもたちに声をかけて彼等も参列の運びに。

淋しい気持ちを抱えながら葬儀場に向かったものの、今回は珍道中となり、淋しさを味わうどころか、それが吹き飛ぶような顛末になったことを記録しておこう。

五反田でJRから東急に乗り換えて一駅目だと事前に生花を手配した花屋からのインフォメーションを確認しないまま行動したのが事の始まり。五反田の駅のトイレで、汗びっしょりになりながら、平服を喪服に着替え、靴もヒールのものに履き替えた。そして電車に飛び乗った。😥ところが一駅目の駅の名前が違う!「不動前」ではない。考える間もなく、飛び降りた。そして駅員に尋ねたらそんな駅はこの路線には無いと。一瞬パニックに。目的地に行く方法を駅員が検索。駅前から渋谷行きのバスが出ているから、そのバス路線に『不動前』があることが判明。あわてて炎天下のバス停へ。バスはすぐ来た!神様は手を差し伸べてくれた、が、そのバス停で降りてからが大変。道行く人に訊いてもはっきりしない。タクシーは今どき捕まえられない。スマホでGO タクシーを呼ぶシステム。それも面倒。アナログ人間丸出しで、根気よく、キャリーバッグをごろごろ道連れに、出会う人ごとに尋ねながら、それでも、何とか目的地にたどり着いた。予定より30分遅れたので葬儀は既に始まっている時間。

ここからが落語の世界に突入。葬儀場はお寺というより、近代的建築のマンション風。各階に部屋が仕切られている。結婚式場の如く、~部屋、~部屋、と部屋が並んでいる。会葬案内のFaxを取り出してチェック。『雲』と書かれている。1階の目の前にその名はあった。スタッフに案内されて唯一空いていた一番前の席に。お経は真っ最中であった。汗びっしょりのまま着席して安堵した。そして、やおら、祭壇を観たら、ご遺影が別人! 自分を疑った。えっ? 自分の目は間違っていないと確信して、すぐ又立ち上がって頭を低くして部屋を出た。何食わぬ顔を装いながら。出て、確認したら、『雲』には、1と2があった。目的地は隣であった。中に入れなくて部屋の外の参列者たちの中に、甥、姪たち3人が心配そうに私を待っていてくれた。ヤーレヤレ!! 顛末を話すにもお経真っ最中の静けさの中では笑えない。こらえてこらえお経が終わって成り行きを話したら、みんな口を閉じてお腹を抱えて!!

ともあれ、無事に喪主ともご挨拶出来本当に安堵した。用があって甥は会葬の後すぐに帰って行ったが、姪たちと最後までお食事も一緒に出来て今日の珍道中をしっかり理解してくれた。彼女達とは頻繁に連絡を取り合う中なので、厳粛なお葬式を一緒シェアし、珍道中には笑いながらも同情し、半時間くらいヒールを履いて炎天下を歩き回ったことを労り、無事に参列出来た事を喜んでくれた。帰路は、彼女達の車で浅草まで送ってくれて本当に助かった。

1人になった駅でも珍事が。切符を買った窓口に彼女達から貰ったお土産と会葬のお返しの品を入れた紙袋を置き忘れたことに発車時間10分前に気づくという失敗劇をやったこと。これもしっかり保管されていたので無事取り戻すことが出来た。終わり良ければ全て良し。