鹿島神社のある日和山公園からあの被災地を 犠牲者の一人が」ご自分の体験を語って下さった。 |
今回は先ず鹿島神社が鎮座する標高56Mの日和山公園に行った。あの石巻市民病院が眼下に見下ろせ、右の方には鬱蒼と生い茂る木立の向こうに焼け焦げた門脇小学校が。この山に登って助かった人達、下の階段まで辿り着いたあげくに力尽きて流された人達のこと、上に避難出来た人達はどうすることも出来なかったということなど、被災された方が毎日流されたご自分の奥さんの供養に杖を持参でここにきているというお話を伺い、その生々しいご体験を肌で感じ、言葉が出なかった。ただただ心に寄り添うしかなかった。
EECC仲間の令子さんから渾身のお 手製の3袋にぎっしり詰まったニットの グッズがスタッフに渡された。 |
EECCから義援金と病でラーメン作り を断念して仮設住宅から病院通いを されている女性にお見舞いを。 |
より随分立派になり、昨年この
ボランティアツアーに参加した
人達は皆、安堵し喜んでいた。
内情をリーダーの鹿島さんから
聞かされて、実はこの4月、
継続かストップかの瀬戸際に
あった由で信じがたかった。
そもそもラーメン屋を経営していた女性が震災で全て失って途方に暮れていた時に、鹿島さんとの出会いがあり、紆余曲折を
40名に及ぶボランティアの方々の 手作りでここまで出来上がったという いしのま*キッチンの話をされる 鹿島美織さん |
経てこのコミュニティー食堂を立ち上げたのだが、その女性の
膠原病が悪化して仕事を止めざるを得なくなり、後をどうするかと
いう大きな壁にぶつかることに。食堂も広がったネットワークを通
してサポートを得てここまで改修されてきた矢先の出来事。頓挫
するわけにはいかない。鹿島さんは東京のご自分のビジネスを
頑張ってはこの石巻に支援してきておられるということは推察して
いたが、鹿島さんの奔走とご苦労は大きなものであったと思う。
今回も、東京から駆けつけて私達を迎えて下さった。彼女の
使命感と意思の強さには頭が下がります。
今回は、食堂のスタッフや地元の消防士さんのお話も聞くことが出来、衝撃的経験がこころの奥深く留まって消え失せる筈もないのに、必死で現実を受け入れて励んでおられる様子が痛々しく、心に寄り添うことが私達には唯一出来ることだと改めて思った。
食堂を後にして、昨年目の前にしたあの門脇小学校にもう一度行ってみた。今回はここでもボランティアとして、訪ねてくる人達に当時の状況を語り継ごうとされている被災された方に出会って衝撃的な生々しいお話を伺うことが出来た。この建物を壊すか残すか、今、市民のアンケートをとっている最中というお話。この学校の校舎のすぐ前にある二宮尊徳翁の彫刻は今もある。昨年は無かった校舎に貼られた大きな文字「門小ガッツGutts 僕らは負けない!」から前に進む子供達の強いメッセージを受け止めることが出来た。子供達、頑張って!
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