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2022年10月11日火曜日

半世紀+振りの再会

 10月9日

ボストンのフレッチャーで夫の同期だったリックがアリソン夫人共々初めて日本を訪れた。グループでの観光旅行に加わっていて日光迄来る時間が無いというので、私達は彼らに会いに東京まで出かけた。夫は卒業以来初めての再会であり、私はお会いしたことが全くない。彼らの再会がどんなことになるか、楽しみであった。半世紀は大きい。若々しい青年が一挙にお爺さんになっているのだから無理もない。ロビーの椅子に座って夫とっ待って居た時、エレベーターのドアが開いて、中から不審げな細い声が聞こえた。”Masao❓” 立ち上がった我々に向かって恐る恐る近づいてくる老夫婦。お互い、”Masao?” ”Rick?” と確認し合って、やがて声はクレッシェンドになり、”Oh!Yah!” ”My goodnenoss!" あとはゆるやかに、しかし、お互い別々の世界で幾星霜を過ごして積み重ねた異なる経験の報告へと一気に走り出す。予め夫が探した彼らが喜びそうな眺めの良いレストランを予約しておいたので、そこへ移動。雨の中ではあったが、東京の街を歩くのも良かろうと地下鉄で15分。品川のプリンスホテルへ。38F の和食レストランに案内。メールでは時折、情報交換をやっていても、対面となると趣が違う。学生時代に戻って、当時の仲間の思い出やら、近況やら、懐かしい話で盛り上がった。アリソンも名門ス三スカレッジ出身で才媛だったのだろう。心理学を専門にしてキャリアウーマンだった。彼等は歳相応に、動きが少々遅くて健脚では無い様子だったが、頭脳は明晰。彼の方は、Boston GlobeやWashington Postなどでデスクをやった人。同期で記念の文集づくりなどではまとめ役をやっていたよう。お互い3人の子持ちであり、孫の年齢も近い。同じ世代の話が出来てしゃぶしゃぶcuisineに舌鼓を鳴らしながら、又、冷酒をいただきながら、楽しい再開の一時を過ごすことが出来た。彼等の日本観光は14日間で昨日成田に到着したばかり。まだ時差ボケをかかえていて、かなり、疲れていたに違いないが東京で54年振りに再会出来たことはミラクルだと言って喜んでいた。夫は数日前から所要で東京に来ていたが、私は今日の昼に日光から合流。これで、又会えることがあるかどうか。名残惜しい別れとなったが、今はメールで交信できる。いつまでも元気で近況報告が出来ればと祈って別れた。

帰宅したのが夜の12時前。実は、帰路が大変だった。東武で車と車両の事故で電車がストップしていたため、急いでJRに変更。最終電車に間に合わなかったら宇都宮に泊まるしかない。祈る気持ちでいたおかげで、宇都宮からの日光線の最終便(10:48)に間に合った。やれやれ!翌日はコーラスの練習日。しかし充実した特別の日であった。

2022年10月9日日曜日

救急救命ドクターによるセミナー

 「重症コロナを語る」by 小倉崇以 救急救命センター長(39)

       at 宇都宮総合文化会館 会議室1(3F)

          on October 8th 2022

  つい2日前には奥日光の歴史に基づいた「いのちのゆくえ」というシナリオ原作を読んで感動したばかりであるが、今回は貴重な講演というより講演者から大きな感動をいただいた。

  現場の生死をさまようコロナ患者をケアする医療チームの奮闘はまさに緊迫感に溢れ、メディアでは報道されない部分も見ることが出来た。家族との接触を絶たれて逝くという悲惨な状況をもたらすコロナウイルスの恐ろしさを画像から再認識した。

 今日のセミナーはこれだけではない。講演者の生き様である。コロナに立ち向かう様子には悲壮感より、迷いのない判断と常に前を向いてテキパキとチームの真ん中に居て指揮をとる姿には活気すら感じられる。

小倉先生のリレートークに書かれた先生の宣誓書とも思える1枚のA4の中にこう書かれえいる。

“「・・僕は一流の救急科医になりたかった。今でも、強く、そう思っている。一流と二流の差、それは何だろう」

 確かに知力は人々に安心と安堵を届ける。・・知識人に聞けば、懇切丁寧に正解を教えてくれるから、人々は安心して一歩を踏み出せる。しかしながら、正しいも間違いもわからぬ未開の地に踏み入って未来を模索しようとするとき、その知識人の無力さは、見るに堪えない。未開の地には「正しい」も「間違い」も存在しない。知っているだけでは波乱の人生を生き抜くことは不可能であり、「正誤の判定」だけではよりよい未来への到達など、出来やしないのだ。

 ここで本論に入る。

 一流の人間は希望をもたらし、二流の人間は不安を煽る。一流と二流の差は常にそこにある。一流の医師は、現場で命と必死に向き合う。二流の医療者は、現場の医療に正誤の裁断を下して満足する。一流の人間は、理想を追求し、その生業を眺め、適切なコメントを残して帰る。一流は常に眼光鋭く表舞台に立ち、二流は常にその舞台に立つ人物を批評し、寝床につく。“

 これが書かれたのが2019年4月、イギリス、ケンブリッジでエクモ(Extra-Corporeal Membrane Oxygenation)の勉強をして帰国し、救命救急医療の道を決意したばかりの時である。先生はイギリスからエクモを持ち帰られた。重症患者搬送チームを立ち上げ、医療装置のついた搬送車を開発し、Ecmo Transportを栃木県から発信されたという。コロナは死ぬ病気と思われるが、救う手段はある。欧米、中国と比べてコロナ対策機能が日本は40年遅れていると断言された。

先生の語り口には迷いが無い。フロアからの質問の数々に、分かりやすく、ブレの無い答えが戻ってくる。この質疑応答から見えたもの。それは先生がこの若さで、いや、若いからこそ、理想郷を持ち、医療に携わりながら、世の中、栃木県を栃木県民が平和と安心の未来像を見すえておられること。良い病院は良い街に生まれる。街づくり、それは教育である。人材を育ててこそ、良い街は生まれる。

一流救命医に憧れる先生の文章はまだ続く。

これからも一流を目指し前進し、一流の人間を育てるために、豪快に生きようと思う。これは根性論ではない。根性論は青春時代の産物であり、酒を飲み始めたその時から、根性論は過去の遺物となる。一流の仕事とは、細部にまで目が行き届いた様を言う。一流の仕事、そこには神が宿っている。神は細部に宿るのである。 この春、宇都宮へ旅立つ自分へ。時は今。船出の朝である。

 

最後に先生が強調された言葉。それは病気を治すのは薬ではない。愛情である。人間が病気を治すのである。愛情処方という言葉が強く印象に残った。

2022年10月2日日曜日

9月総まとめ

 9月は猛暑と後半は台風(No12,13,14,15・・・)が続いて最悪の季節になったが、そんな中にあって、イベントが続き忙しい時期でもあった。

〇1日には夫の実家の甥の長男が義姉夫婦の店をリニューアルしてleather productsの店「Saetta」を開店。なかなかセンスの良いファッショナブルな製品が並んでいて驚いた。宇都宮からのピアニスト紘平君のママがご一緒で、私達が開店第一号の客となった。彼女も製品のセンスに好感を持たれて、いくつか発注。私は現物を2種ゲットした。親戚友人から贈られた胡蝶蘭が、若い職人の門出に豪華なエールを送っていた。

〇9月23日(秋分の日)には日光清風塾の月例講話会第101回目を開催。「文化と宗教」今国会では宗教問題が騒がれているが、宗教とは関係なく、文化は宗教を背景には語られないということがテーマ。古代ギリシャ・ローマからヨーロッパ文明の基盤となるキリスト教、更に世界中の進んだ文化文明を吸収して高度な科学技術、数学、航海術、医学などを発展させた中東で誕生した勢いのあるイスラム教、インドで発祥し、アジアに広がった仏教の流れを要約。お互いに大変影響しあって発展し、今日に至っているということを再認識。日本の文化文明もこれらすべての要素と影響し合って発展していることを確認。学問の分野のみならず、芸術、文化の面での影響は大きい。法隆寺のエンタシス、茶道の袱紗等。

〇9月25日(日)東京からMIS(Multilateral Interaction with Students)グループの学生4人(一人は名古屋から車で直行)と宇都宮大学生が1人が昼頃我が家に集結。今回が2回目。懸念された台風に影響されることなく、無事にBBQ実施。前日に矢板の佐藤先生から調達した鮎を網で焼き、骨付き鶏もも肉は予めオーブンで焼いておいた。後は例によって、稲荷ずしとサラダ、ゆばの一品を用意。2時からシンガポールのカルビンさんとインターネットでの議論を約2時間。その後もいろいろ今後のアクション相談で結局彼らは7時ごろ帰って行った。東京組は名古屋からの学生の車に便乗して東京へ。連休時だったのでかなり時間がかかった由。

〇9月27日(火)宇都宮総合文化会館で夜7時からの宇都宮YMCA主催によるウクライナ避難民支援チャリティーコンサートに夫と参加。その前に、私は日中は鬼怒川CCでのゴルフコンペに参加。時間的に心配だった
が、問題なく6時の開場時間に到着。コンサートは大野紘平君と友情出演の田尻大喜さんによるもので、23歳になった紘平君とは思えない程どっしり、落ちたついた演奏運びは実に見事。演奏の技術は勿論、聴衆を盛り上げる二人のトーク力は相当なもので、会場は熱狂に溢れていた。純粋なクラシックではなく、ポップス、ジャズっぽい曲に皆親しみを感じ取っていたよう。いつかクラシック演奏もしっとり聴きたいと思う。
 
〇9月28日(水)栃木県ユネスコ協会連絡協議会研修会のホスト役として日光ユネスコ協会が主導でイベントを企画。
2年振りぐらいで奥日光の絶品ともいうべき風景を満喫。好天気に恵まれ、中禅寺湖の美しかったこと。日光山中禅寺立木観音に初めて入った。勝道上人が1本の桂の木で彫ったという11面、千手観音像は想像していたより巨大で圧巻であった。家族の事、親戚の事、世の中の動き、もろもろのことが、良き方向に向かうことを祈り祈願した。







2022年8月18日木曜日

2022年7月8月 異常なほどの酷暑とコロナ第七派に見舞われた厳しい時期にスケジュール満載

 

7月26日 夫の大学時代の同期の山田氏が千葉からゴルフ目当てに我が家に。日光には二度目の来訪だが、彼は2,3年前に脳梗塞を患われ、一時はお話も不自由なほどだったと聞いていたが、驚くほど回復されていた。昔の思い出(我々がノルウエーにいた時、ご夫妻とお嬢さんを連れて訪れて下さったことがある)話も賑やかに出来るほどで、随分リハビリを頑張られたよう。それに、ゴルフが出来るのは同期では彼ぐらいというから、夫の同級生もみんな年齢を重ねたという実感がある。お酒もまだ嗜む程で、ともかく、3人で夕食を楽しみ、翌日は、近場のコースに。炎天下の中、私は私で、出来るだけカートに乗らないように頑張り通しが、それがかなり衝撃的だったよう。「奥様の元気さには参りました!」の連発。炎天下のゴルフはいささか狂気じみていたが、それでも3人とも、無事にワンラウンドを制覇。スコアのことは遠慮しておこう。おもてなしもプレイも高齢者となった立場をしっかり意識した思い出となった。

8月4日~5日。MIS(Multirateral Interaction with Students) 国際学生活動交流協会とでも訳すのか、東南アジアの学生たちネットワークを広げ、彼らの時代を戦争の無い時代にすべく、意見交換をする活動に熱心な学生が4人我が家に集結。夫はまさに戦争の無い時代を目指す学生を育てることが最後のライフワークだとしてその趣旨に賛同し、いろいろアドバイス、指導をしようとしている。今回は、東大からMs.nakamura(この活動のコアパーソン)、宇大から4人の学生が来訪。中国人留学生1人、ドイツ人女子留学生1人、日本人2人。女子学生2人は我が家に一泊。4日はまず、暑い時ながら雨模様で多少救われてがテントを張って雨を凌いでのBBQを。そして、屋内に入って3時から、シンガポールと中国の学生も加わってネット(zoom)で議論を。皆英語を駆使しての
ディーべート。初めての試みなので、事前に宇大からの石君といろいろ準備をやったおかげで、ネットでの議論は何とかうまく出来て本当に良かった。シンガポールの学生は当然ながら、中国の学生の英語力はなかなかのもの。日本人も頑張っていた。このような試みを我が家で実現させる夫の前向き志向と意志力には驚いてしまう。宇都宮からの男子学生3人は夜帰って行ったが、石君は今度は彼女を連れて夜遅く再び我が家に。結局4人の学生が我が家に泊まり、翌日は、中禅寺湖でのSUPに挑戦した。日光は初めてというMs.nakamuraは中禅寺湖の美しさに感激したよう。若い学生さん達とこのように触れることは刺激になり、楽しいが、食事のお世話などはやはり昔とは異なって、かなりハードになってくる。頑張らなくてはとつくづく思う。

 この週末は女子全英オープンが始まり、甲子園もスタートした。今年の全英オープンは興奮の連続。澁野さんが優勝する可能性大有りだったので、深夜テレビに釘付けになった。体調を崩しかねないほど夢中で応援した。結果は、運悪く、3位。惜しかった!   

8月8日には宇都宮文化会館小ホールでの沖縄復帰50周年平和祈念公演に参加。夫の高校時代の同期生、石崎さんが実行委員長をされた関係でこのことを知り、参加して本当に良かった。宇都宮出身の荒井退造氏(警察部長として)と神戸出身の島田叡氏(沖縄県知事として)の二人の尽力で沖縄本土住人の多くの命が救われたという話が演劇を通して力強く胸を打った。今「島守の塔」という映画が上映中だという。見たいと思う。

 そして、お盆には長女と次女の家族が帰省してくれた。2人の生活が一挙に膨れ上がり、大賑わいとなる。庭先の小川にダムを作って、泳いだり、大きなビニールプールを持参してボールを投げあったりしながら、存分に孫達は遊んで楽しんでくれた。何軒かの初盆にもお参りしながら、台所仕事もで、今年はこの暑さで、ついに熱中症気味となって一日ダウン。でも、娘たちが積極的にいろいろ手伝ってくれたおかげで無事に予定をこなすことが出来た。発つ前に家の掃除をするなんてことは今までは無かったこと。おかげで、大助かり。しばし、ソファーで寛ぎ、皆帰った後の静けさの中で余韻をかみしめることが出来た。

 さあ、いよいよ滞っている日光清風塾の会報編集に専念せねば!!



2022年7月29日金曜日

日光清風塾月例講話会 2022年7月24日(日)

 第100回講話会「アジア諸国との交流を深めよう」要旨 令和4年7月24日

これまで、日光清風塾が主催、イニシャチブを取ったアジア諸国との交流事業(東日本大震災後の風評被害対策として「大使館ウイークin Nikko」、未来への絆を築く集いとして「アセアン10カ国大使との交流会」、「東アジア大使RCEPとの交流会」、中国の学生や、インドネシアの学生とのホームステイを含めた交流等)、をふり返りながら、今や若い世代にこのテーマに真剣に取り組んで行って欲しいとの塾長の生涯の思いが強く伝わった。そのスタートとしてMIS(Multi-lateral Interaction with Students、アジア学生交流会)活動を手掛ける東大生、宇大生などが中心に動き始めているグループの中で、アジアとの学生とどう交流して行くか、いろいろ提言、指導に動き始めている。この時代だからこそすでにこのテーマを意識してネットワークで繋がるシンガポールの大学生などともオンラインで広くやれる。

 20代の若者たちの将来は難しい。戦争に直面する可能性があり、世界平和の問題を若い人達が彼らの問題として真剣に取り組まなければならない時に来ている。政府と関係の無い、しがらみの無い所で、学生がアジアの学生と共に立ち上がるべきというのがその趣旨である。若い人の純粋な気持ちでアジアの平和を守る平和維持活動である。東南アジアにおける日本のプレゼンスが後退している今、若い人たちがこの活動でプレゼンスを拡大すべきである。中国と話しをする関係も築くことが重要。日中が協力して東南アジアをサポートすべき。日本はお金ではなく、知恵で平和維持活動を。自分の利益の為ではなく、社会の為、アジアの為に。

アジアの将来は今、危険な状況にあり、米中戦争を起こさせないということは東南アジア全てが思っていることである。

2022年7月8日金曜日

2020年7月7日(木)日光清風塾がインドネシア大使館訪問

 コロナ禍の様子を見ながら、インドネシア大使館訪問の企画を立てるタイミングを見ていたが、そのうち膝のトラブルが重なって消極的になってしまっていた。しかし、イベントの企画は時間を要するので、とにかく、資料作りだけはとの思いで、PPT原稿作りに取り組み始めたのがついに5月末。プログラムは夫が大使館と連絡をとりながら、どんどん進めて行く。何回編集し直したことか。動画を入れる段になって、技術の乏しさに衝突。幸い、センターのMr.Shimazakiが大変親切に教えて下さった。動画の編集はノウハウが無くては無理だとわかり、わかるまで何回時間を貰ったことか。正直、今でも迷うところが多いが、とりあえず、形は出来た。それが訪問する一週間前。そこから、プレゼンの試行錯誤が出現。プレゼンをやってくれるMr.Kazamaに相談しながら、一寸、気を遣いながら、クラスでも実践し、別途センターでプロジェクターを借りて、指導して貰ったり、実に、詰めた緊張の一週間であった。書類づくりと参加者確保と書類の伝達、事務連絡作業を事務局長がてきぱきやってくれたことが幸いして、前向きにどんどん作業は進んだ気がする。最後のプレゼン練習をやったのが実に7月6日の本番の前日。おかげで、体重が減って、体調がすっきりしてきた。後は、天にお任せ。プレゼンテイターもひょっとして、O型?余り、神経質にこだわらないところがよかった。何とかなる、という思いでいるのがよくわかった。石橋をたたいて渡るタイプでないのが、こういう時はいいのかもしれない。

さて、7月7日当日の朝は爽やか。暑くもなく、雨も降りそうになく、いい予感がした。夫は前日に別のアポがあったため、前日に上京。それも私にとっては幸いした。自分だけに集中して、準備が出来た。当日の朝はメンバー仲間のMr.Sugawaraのご厚意で、下今市駅すぐ前の彼の邸宅の庭に車をおかせてもらった。もう一人、宇都宮からのメンバーと一緒に。そして、無事乗り込んだ7時45分発の電車には、日光から乗り込んだ仲間も居て、いよいよ出発の意気込みになる。みんなで、スラムを組んで出発進行!四谷駅で更に別の電車で来た参加者と合流して、無事29人全員が揃って5分の道のりを大使館に向かって進行。何だか、お祭り気分。

大使館では、初めてこういった場所に来たという人達にとっては、刺激的だったよう。三々五々、待合ホールで待機してもらって、プレゼンの準備設定のため、プレゼンテイターとプログラムが行われる9階に行き、パソコンの設定にかかる。Oh my goodness! USBを持参していて安堵する。つまり、パソコンは大使館のものが既に、音響などの機材と設定されていたので、持参したパソコンを使うのは無理であったのだ。音が小さかった動画部分の音響も調整出来ることがわかって、二度安堵する。

プログラムは予定通りスタートしたが、どうしても、予定よりを遅くなるもの。全部が終了したのが結局20分くらい遅くなったが、tidak apa apa! 上出来であった。大使は公務で大忙しで結局、お会いできなかったが、事前に、夫が大使館側に依頼して、大使のメッセージをいただいた。これは良かった。そして、公使参事官のMs.Meinartiさんがまず、ウイルカムワードを。そして、夫が、最初のサンキューリマークスを殆どインドネシア語でやってのけた。英語がその後続いたが、現役時代を思い起こさせるほど、立派なものであった。勿論事前の勉強、準備はしていたが、それ自体の姿勢が一向に衰えていないのには感心せざるを得ない。あの物事を実施する場に及ぶ時の態度というか、姿勢を維持するには相当のエネルギーを使う筈であるが、やわらかい表情でやってのけるところは、まだ、プロ意識が健在だと、つくづく感じいってしまった。これは、最後のお礼の言葉の時も同じ。

大使館側のプレゼンは慣れたもので、フリーハンドでスムースに親近感を持たせるほど、温かい、柔らかいムードの中で行われ、気持ちもほぐれる。そのご、いよいよ日光清風塾側のプレゼンへと進んだが、Mr.Kazamaはいつもの変わりなく、何とかなるという姿勢で臨んでいたようで、サポート役の私も気持ちが楽になり、プレゼンは滞りなくやってのけてくれた。後は、ギフトの交換(これも、嵩張る石屋の煎餅を4缶、日光か
ら運んでくれた仲間に感謝)、記念の集合写真撮影と進み、ビュッフェランチへ。ランチの時は、それぞれ、会話を積極的にする人もあったようだが、私はそこまで目が行き届かなかったものの、みんな楽しんだよう。終わりの頃に、参加していた2人の東大生(女性)の1人がMIS(Much more Introduction with Students)のプレゼンをフリーハンドでやってのけてくれたのは良かった。若い人たちがスタートしようとしているアジア諸国の大学生とのネットワークを広げて、将来の平和構築に進もうとしていること。これは夫の生涯の目標それ自体である。この活動を夫が軸になって立ち上げようとしている。まだまだ活動は続く。年齢の事は眼中に無い様子。プログラムを無事終えて、解散。皆それぞれ自由に帰路についたが、宇都宮から来てくれた洋子さん、由美子さん、副理事長の松尾さん、そして、いつも写真どりをして下さる手塚さんの4人で、伊勢丹のカフェに入り、2時間ぐらいお茶してお喋り。プログラムの余韻を味わいながら。下今市に到着したのが5時40分。丁度良い時間に帰宅出来た。夫は、東京で学生さん達と今後のことを話し合ったり、もう一つアポがあったため、帰宅したのは最終電車。ところが、下今市では降りて来ず、最終駅、日光まで行ってしまった!やれやれ。お疲れ様でした。

2022年7月5日火曜日

今年(2022年)の梅雨は異常

6月中旬に始まった梅雨は2週間で明けてしまった。7月を待たずに梅雨が明けて、入道雲が確かに目立ち始めた。ところが、台風の影響もあってか、7月初めから梅雨の戻りを感じさせる雨が続いている。高温度でじめじめした気候のせいで不快指数が高い。それでも、合間を縫って、ゴルフは週一で続ける根性はまだある、というか、夫のイニシャチブでハーフラウンドはするようにしている。確かにワンラウンドは難しいが、膝の調子も良い方向に向いているので、極力運動は維持して行きたい。

6月中旬から本格的にスタートしたPPT原稿作りは意気込みが出てくると編集に改良の意欲が出て時間の経過が驚くほど速い。自信がないまま作成し続けていた部分があったが、朝子に見て貰って、すっかり自信がついた。夫のコメントはいつもディスカレッジイングになるので、避ける部分があったが、こうして、エンカレッジして貰うと勇気と自信が出てくる。



話は前後するが、7月2日にはカンマーコールの10周年記念演奏が今市文化会館で無事開催された。暑い中、汗をかきながら、楽屋での洋服の着替えはつらかったが、各任務を担当するメンバーさんには頭が下がる思いであった。みんな、一生懸命に動き回っている。指示されて動いているとしても、活気に溢れて、みんなが協力する雰囲気にあるのが、このコーラスグループの特徴なのかもしれない。指示する人はその傲慢さに嫌われやすいが、リーダーシップの強さがあってこそ組織は動く。一見今回の演奏も成功したと言えよう。この演奏会の為に、長女の朝子が長女の明里(孫No4)と共に、遥々町田から来てくれた。そして、彼女の感想、コメントがまた励まされるもので、大いに自信を持った。その彼女が、私のPPT原稿を見て、元気の出るコメントをくれたのである。彼女の心の向き方、人に対する思いやりと心から感動してくれる対応にはいつも感心する。見習うべきといつも思う。