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2025年3月4日火曜日

3月2日(日)水を得た魚はピチピチ輝いていました。

 3月2日(日)初ライブを決行!

次女は小さい時から歌が好きで、椅子の上であろうと、テーブルの上であろうと、歌が歌える雰囲気になると進み出て歌って踊っていた三つ子の魂はやはり健在であった。大学に進む頃も歌の道を選びそうになったこともあったが、いろいろな事情で音楽を前に出す道は断念。普通に社会人になり、結婚し、子育てをやり、長男の大学進学が決定し、次男はそのまま中学へ進学するタイミングで、ついに外に向かって歌を歌いたいという願望の突破口がこの初ライブという形で実現した。英語のカバー曲、ウイットに―ヒューストン、カーペンターズなどの歌が歌えて作詞作曲もやる。シンガーソングライターの域にも入っている。人前でのパフォーマンスも慣れている。これは我が家での接宴の時の経験が生かされている。というわけで、今回の初ライブを手掛けるにあたり、企画、仲間の召集(これはこの数年、コロナの時期からナナという音楽アプリを見つけ、そのサイトでコラボ仲間を増やしてついに顔が見える仲間として同志が一堂に集結)、準備、運営、と一手に手掛けた。こまかい気遣いもある。姉をピアノ担当して引き込み、アシスタント的というより相談相手になって貰っている。何より、仲間達とも楽しく、笑いの中で進行し、まさに親交を深めていることに好感が持てる。親としても感動させられウルウル状態になってしまう程の明るさ、爽やかさがあった。2日間のプログラムであった。最初は職場仲間(英語教師仲間)を迎え、二日目は一般を迎えて。口コミでの案内。これが段々周知されて輪が広がって歌声が響き渡ることを願いながら、余韻を楽しみながら帰路についた。お天気も春のような陽気に恵まれ、私自身、地元での大きなイベントを終えてストレスから解放されたところだったので、最高の一日となった。




2025年2月24日月曜日

【ノルウェー大使とともに冬の日光を楽しもう】

 2025年2月22日(土)、23日(日)

正味1か月が準備期間となったこの大イベントがここまで盛り上がる結果になるとは当初の不安と心配だった状況を考えると、天と地のこの違いに、この達成感と安堵感は正に神さまからの贈り物だったのだろう。神棚に祈ることを毎日思いながらも、体を使って動き回ることに気をとられて、本当に神棚に向かって手を合わせて祈ったのは1回だけ。でも、心身が祈りを続け、走り回ったことが真の祈りとなり、集中して作業が出来たことが全てを語るといえる。京都下賀茂の河合神社のお札(夫が京都で十数年前に散策する機会があった時、偶然この神社を見つけ、名前にあやかって我が家の神棚に祭っている)が我々を見守ってくれたような気がする。

回の作業で見えた事。それは関係者間の進捗状況の共有である。夫のイニシャチブで始まったこの企画はその大目標の達成という責任感が全てを動かした。今までもそうであったように、これまでの多くの企画をプレッシャーとストレスを抱えながらも乗り越えては、頑張ってやって良かった!という思いの繰り返しであった。一緒に動いて下さった方々との間にあって私の役目は夫の目標へのサポート作業であり、その潤滑油を塗った橋渡しになることであり、今回はめげずにそれが機能したのだろう。同じ方向を向いた仲間の団結が力を発揮した結果、大輪の花が咲いたと言える。

さて、本番当日の歓迎コンサートとノルウェー大使の講演。一番緊張が高まる日であったが、まず、事前の昼食会で初めてお会いして、そのやさしい、快活なお人柄に触れて、その緊張感は和らいだ。同伴された令嬢、オスロ大学のマスターコース2年目で修士論文を作成中だという。今回も作成中の論文を抱えての東京に赴任している両親を訪問中とのこと。こうして母親に同伴して、その明るくて可愛い(身長はさすがノルウェー人)雰囲気が空気を和ませ、大いに親しみ易く会話も弾み助けられた。講演では逐次通訳をやる以上、その呼吸合わせが必要と思っていたので、タイミングを捉えて原稿を前に打ち合わせも出来た。講演会場は田母澤旧御用邸記念公園研修ホール。時間が無いスケジュールだったので昼食はすぐ近くの蕎麦屋さんを選んだが、内容は別として、場所はベストだったと思う。彼等は金谷ホテルから朝は山内を散策、そのままこの蕎麦屋まで歩いて見えた。
さすがノルウェー人である。

いよいよ会場へ。まず、小一時間夫が田母澤御用邸内を案内。その間、私はホールに入り、会場の設営や受付のチェックをしながら仲間とコミュニケーションを取る時間があってホットする。会場設営は見事に整えられていた。80名の集客予想が100名に達し、補充の椅子の用意なども準備。1時45分頃、一行がホールに到着。それまでに殆どの参加者は椅子に座って、用意されたノルウェーの映像とBGにはペールギュントを流して待機。夫が
先に会場に入って招待客に挨拶。その間私は大使と令嬢に用意されたお茶を。そして5分前に会場入り。いよいよスタートとなる。

あとは入念に用意されたMCマニュアルに沿って、流美子さんが見事に指揮って下さった。ご主人が器機を自ら担当して下さり、福田ご夫妻の絶大なご協力があったからこその大盛況なる結果となったと言える。

逐次通訳も何とか、とにかく日本語をしっかり分かり易いように言わなければとの思いは忘れずに出来たと思う。続く講演後のQR時間にも立ち会って、和やかな雰囲気の中で出来た事が一番良かったのではないかと振り返って思っている。

二日目は奥日光、アルトリアでのクロカン決行。前日もそうであったが、当日も最高の天気に恵まれ、雪のコンディションも最高。白銀の世界に舞い込んで、約20名の参加者が笑顔で滑って2時間弱の朝の時間をノルウェー大使とともに滑った経験は最高の思い出作りになったのではないだろうか。私は参加された佐藤洋さんと一緒に雪遊びに来たアンナちゃん(1.5歳)と響子さんとお喋りしながら、アンナちゃんを橇に載せて動き回りながら素晴

らしい時間を過ごすことが出来た。スキーヤー達が、時間内に存分に滑り、それぞれ明るい喜びの顔で戻って来た時は、良かった!と叫んだ。皆で大使と令嬢を囲んで、一緒にアストリア内のレストランで昼食をいただき、厳選した5名には大使館からの小さな風呂敷と参加賞を贈呈。

大使と令嬢は1時半に栃木さんの運転で、風間さんがアシストして東武日光駅へ。又お会いできることを確信して無事にお見送りすることが出来た。 Good Job!!



2025年2月8日土曜日

2月に入ってはや1週間が経過

 


大寒期(1月20日~2月2日)は名前に反して陽気な天気が続いたが、ここに来て、実質凍えるような寒さが続き、ついに今日は日光も真っ白に変身。冷蔵庫の食料品が品薄になって今日あたりショッピングしなくてはと思っていた矢先にこの積雪では断念。あるもので済ませるのが賢明と判断。それより、2月22日の大イベントが迫ってきて、胃がだんだん変になりそう。資料作りは何とか出来たものの、講演会の集客の手応えがもう一つ。あちこちダメもとで体当たりしている所だが、今の大河ドラマの蔦屋重三郎に励まされているというのは大げさかも知れないが、まんざら違ってもいない。人を恐れるなかれ。信条をもって動けば何とかなる筈。主人のプレッシャーを感じながらも、今回は一緒に準備に真剣に取り組んでくれる仲間が出来た事が大収穫。流美子さんのタスクへの取り組み方が彼女の現役時代を呼び覚ましているようなところが見受けられて、大いに励まされているところ。有難いこと。ご主人も協力的で尚更である。担当の方々もしかり。何とか成功させなくてはと、寝ても覚め江もMy mind has been occupied with various tasks to be done. 駐日ノルウェー大使が女性であることも楽しみ。She is coming together with her daughter who is studying as a foreign student in Tokyo. Muna will be happy to get a company during this event. 

そんな中、二つ喜ばしいニュースが届いた。二人の同年の従姉弟が揃って、中学受験をし、第一志望に合格したこと。親たちもやれやれとホットしたであろうことにも救われた。親子で数年、目標めがけて頑張ってきたことを思うと嬉しい限りである。昔の自分を思い出しながら、親としての楽しみながらも心痛をかかえての子育ての節目である。ご苦労様といいたい。そして、おめでとう。


もう一つもラインから娘からのほっこりするニュースが届いたこと。明かりちゃんの詩が町田市内小学生対象の雑誌に掲載されたという知らせであった。リズムが良くて実にユーモアがあり、家族愛が感じられる。個人的に秀作だと思っている。


2025年1月30日木曜日

訃報の連続

2024年1月29日

 日光市で地域活性化のために、いろいろな活動を挑戦意欲を持って精力的に動かれていたMr.Fが10日ほど前に、51歳の若さで急逝されてしまいました。日光清風塾でも日光に関しての豊富な知識に基づいて、東照宮の奥の隠れた話など、3回のシリーズでお話をしていただいたこともあります。余りに突然の訃報で活動家仲間にとっては信じられない思いです。告別式に向かう時、今度は私の大学時代の親友からの電話で更なる衝撃を受けてしまいました。昨年末から、足腰が不自由になって車椅子の生活をしている彼女を、あの厳しく人生指導をされていたご主人が一生懸命介護されていたのですが、そのご主人が急逝されたとのこと。本当にびっくり仰天してしまいました。その日の朝、彼女がデイサービスに家を出る時、「行ってらっしゃい」といつものように見送られ、その後、最近脚が痛いと言っておられたそうで、丁度その日、医者であるお嬢さんが彼女の病院へ診察に連れて行かれたとのこと。午後2時ごろまで病室で彼女とお話をされていたそうで、まさか、その2時間後に亡くなられるなんて、夢にも思えないこと。その経緯を妻の親友は全く知らないままで、デイサービスから4時ごろに帰宅。しばらくして、お嬢さんが父親のお遺体と帰宅。「ごめんね。助けられなくて!」と言われたそう。親友の驚きと嘆きは想像を絶するものだったと思うと、私もやりきれない思いでした。電話の向こうの彼女は、それでも、いつもの穏やかな口調を保ったままでした。「20日に亡くなって、26日に内輪で見送り、今は1人で遺骨を守っているんです」。ご主人は彼女より5歳年上ながら、最近までテニスを続けていたほど、健康であった筈。人の命のはかなさ、不確かさを思い、いつかは訪れる別れの運命、将来は誰でも出会うことになる運命を切実に感じた日となりました。  合掌

2025年1月21日火曜日

時間は容赦なく刻み続ける

 1月13日 「新春歌い初め会」が田母沢旧御用邸研修ホールで開催された。

私もメンバーの1人である日光カンマーコール(女性合唱団)の指揮者であり、総監督である下司先生が企画された催しで、先生の舞台であったが、実はこのコーラスの団員募集が目標のコンサート。先生のMC振りといい、トークの内容といい、良く勉強されていることがわかり、先生の数々の独唱は選曲も新春に合わせて良くアレンジされていた。エンターテイナーとして聴衆を十分楽しませるものであったという感想があった。ただ、残念ながら、後でDVDを見たところ、コーラス隊のパフォーマンスはもう一つであったと思う。それより、お目当ての団員募集の効果はゼロに等しい状態となった。集客がうまく行かなかったこともあるが、平素から団員募集を心掛けていても、主婦の集まりには限界があるのかも。仕事を持っている人は休みも多く、実が入らない。所詮高齢者の集まりである以上、加齢問題もあり、リタイアする人も出る。このコーラス隊は一般の主婦のコーラス隊としてはレベルが高く、プロのピアニストが二人いらっしゃる。先生は東京から毎回足を運ばれている。実質出費も普通ではないと筈。メンバーとしては、やはり、向上心を持ち続けて歌い続けたいところであるが、モチベーションをいつまで保ち続けられるかが問題。団員を増やす方法はないものか、今団の中では思惑が渦巻いている。

1月14日 連休明けの今日になって、ようやく、ノルウェー大使館から返事が来た。かねてから打診していた日光清風塾のプロジェクト、つまり、大使に日光においでいただいて、講演会とクロスカントリースキー大会を開催するプロジェクト(「ノルウェー大使とともに冬の日光を楽しもう」)であるが、それが実現に向けてスタートした。2月22日、23日に開催するということで、時間が無い。緊急理事会を開いたり、担当を決めたり、資料作成と広報活動、すべて、大慌ての雰囲気の中で、走り始めているところである。チラシ作成も修正に修正を重ねてようやく配布出来る状態に。目下、手当たり次第に、声かけ、宣伝に奔走中。今の大河ドラマ「べらめえ」の蔦屋重三郎のフットワークの凄さに、夫は「これだよ!」と叫ぶ。重三郎が叩かれても叩かれても自分の意志を貫いて行くフットワークの凄さ。そんな苦労して、大変だろ?なんていう常識的な反応を吹っ飛ばして、「それが、楽しいのよ」って言ってのける。夫は「その心情が一寸わかる」、と言う。プレッシャーではなく、楽しいと思える人、私には不思議というか、理解するには時間がかかる。

1月20日 心身ともに忙しい中でも、今日はゴルフを決行。唯一の息抜きとなる。こちらは、特に、今日のプレイはフィーリングが良く、モチベーションもあって、100を切るのも時間の問題と実感。これで、心身が又持ち直せる。以前は常に100を切っていたのに、ここ1年、100が切れなくなってきている。加齢?そうは思いたくない。モチベーションはしっかり保っていれば必ず復活出来る筈。次回が楽しみ。

2025年1月2日木曜日

2025年(令和7年)の幕開け

 月日は流れ、時は滞ることなく流れて、2025年を迎えた。年の瀬の30日にMonaさんが来晃。正月には家族が集まるという習慣は次第に消えて来ている。我が家もついに老夫婦だけの迎春になるところであったが、子どもたちは其々に子供たちが受験戦争に入っているため、帰省しないことに。その代わり、留学生のMonaが一人正月を免れてやってきた。おかげで、若いエネルギーに助けられて、元日を元日らしく迎え、初詣も出来た。東照宮は入り込む余地がないくらいの人出で、今年は二荒神社だけにした。孫達の無事なる進学を祈願し、家族の健康と幸運を祈るという平凡な祈りになってしまったが、干支の蛇を意識して、はて?どう解釈すべきか、見た目は気味が悪く、怖いイメージしかなかった。ところが、誰かが、蛇の象徴は『しなやかさ』と言ったことが妙に気に入り、今年の生き方の目標にと思った矢先、日経の元日の新聞にサヘル・ローズさんのインタビューの記事を見つけて更に思いを強くした。以下がその内容。ぶれないように邁進したい。

サヘル・ローズさんの2025年元旦のインタビュー記事より(日経新聞)

                          2025年1月1日

 折れぬ強さ、弱さの自覚から  

しなやかに 今年の干支は蛇。(しなやかさは蛇の象徴だと誰かが言った!)

 

私の人生の強みは、自分の弱さを受け入れた事。私は決して弱者ではありませんが、みなさんと同じように弱さはあります。弱い自分を受け入れ、誰かの支えがあって今があると思えたから、強く、しなやかでいられるんです。しなやかさって、ひとりでに生まれるものではなく、相手を思いやる優しさから出てくると思います。

 

自分の価値観にかたくなになり、相手を変えようとすると、しなやかさは失われます。大切なのは、自分に普通があるように、人の数だけ生き方があり、普通があるということ。自分と違う価値観に出合った時に拒絶するのは簡単です。でもそうではなく、『こんな視点もあったのか。新たな気づきを得た』と思えば吸収することが出来ます。それが人生の枝葉となり、しなやかさになるはずです。

 私にいとって、家は愛おしい母が待ってくれている場所です。血の繋がりは無くても、一つ屋根の下で家族として迎えられます。家って生きた痕跡であり、自分と共に年を重ねていきます。家を大事にする人は、自分も大事にしているのではないでしょうか。

 人生は何が起きるかわかりません。自分の身に何があっても、帰る家さえあればどうにか生きていけます。母の為にも、帰る場所としての家を守り残していくことが私の願いです。

 *1985年イラン生まれ。7歳までイランの児童養護施設で過ごし、8歳で養母とともに来日。高校生の時から芸能活動を始め、映画や舞台、俳優として活躍。また公私にわたる支援活動が評価され、2020年に米国で人権活動家賞を受賞






2024年12月23日月曜日

2024年師走に突入

 12月にはかなりイベントや友人との会合が重なり、慌ただしい中で時はどんどん経過。これが最後と半分決めつけて編集の繰り返しを続けてきた『その後の歩み』が年内に終わりそうになくて落ち着かない。せめて、手作りの一冊を仕上げたいと、最後の隙間時間を有意義に使いたいと願っているところ。その前に、今月やってきたことを整理しておきたい。

1日 初めて地元の吹奏楽団演奏会に行ってみた。来年8月を最後に、今市文化会館は閉館になるということで、この楽団のメンバーである沼尾さんがカンマーコールのメンバーでもあることから案内があったので出かけてみた。なかなか成熟した楽団で演奏は素晴らしいものだった。加えて、MCを担当した大藤美由紀さん(トロンボーン担当)の進行役振りはなかなかのもの。トランペット担当の篠原久生さんの指揮、更に団長の関昌哉氏の団の解説も分かり易く全てが、心地よい運びと演奏で感動した。40周年記念というからかなり経験も重ね円熟していることが納得できた。

4日 麗しの越中島時代の3人が銀座4丁目の星乃珈琲店に集いお喋り会を。これに先立って、前日に市川の高校生3年の孫No1の一足先に決まった大学進学確定の報に夫とお祝いを持って駆けつけ、祝杯晩餐会をやった。彼は、推薦枠で受験して東北大の宇宙工学の道に進むことに。以前からの希望がかなえられてこんなに嬉しいことは無い。その翌朝に急遽国連時代の仲間、ひろ子さんに連絡をとって白金台のご自宅を訪問。ご主人がコロナ後遺症の後遺症かもという症状が出て体調を崩されていることが気になり、彼女を元気づけたいと言う気持ちがあったことから、このタイミングに挑戦。結果的に、大変喜んでいただけて、私も勇気を出して良かったと思った。ご一緒にお寿司屋で昼食をご馳走になり、明るい表情の中でお話が出来て本当に良かった。その後、午後に越中島時代の親友に合うべく、銀座に向かったのだが、電車を間違え、しかも、居眠りしたおかげで、気が付いたら巣鴨駅に。大慌てで銀座へ引き返していったものの、約束の場所がスマホのナビでは簡単に見つからず、半分パニック状態。結局、1時間近く遅れて目的地に着くという大顰蹙をかってしまった。ごめんなさい!約2時間ほどお喋りをして、今年のおしゃべりの締めとして帰路についた。当初のクリスマスのイルミネーション見学の予定は断念。

5日 プチクールの活動としてデイサービス施設を慰問。これで2年前にプチクールを立ち上げてから3回目の慰問コンサートになる。だんだん、慣れて、今回は、カラオケの大先生、柏木見栄さん(本名星野美智子さん)が加わって、彼女のコーナーがしっかり出来たパフォーマンスが加わり、大いに盛り上がった。

8日 日光ユネスコ協会が企画した、日光世界遺産登録25周年の記念行事をニコニコ本陣で開催。朝、9時に集合。実際は午後1時からの3人によるパネル式講演会を開催。130名ほどの参加者を得て、充実した会となった。

14日 宇都宮御幸地区子ども会青少年育成協議会主催の大野紘平さんと王文強さん(変面俳優)のコラボコンサートを見に宇都宮まで出かけて来た。夫はネットでの授業があるため断念。変面芸術、踊りは初めて鑑賞。見事な業は国家秘密だそう。見事なダンスをやりながらこれまたからくりが全く分からない高級な技術での変面技には驚くばかり。中国独特の賑やかなBGと紘平さんのピアノ演奏が交互に流れる中でのパフォーマンスはユニークであった。紘平さんのクラシックをじっくりいつか聴きたいもの。

19日にはプチクールでカラオケ忘年会を。20日にはEECCで15周年を記念してプチバザーを開催。収益金は清風塾基金にプール。

21日 宇大の留学生3人(タイ、インドネシア、中国)が我が家に来訪。一泊して翌日には今シーズンオープンしたばかりのエーデルバイススキー場へ夫が引率。彼等は皆、雪は初めてという。いきなりスキーは難しかったに違いないが、皆、喜んでいた。

22日 留学生達を引率して夫はスキーに出かけたが、私は、コーラス仲間と一緒に、コーラスのピアノ伴奏者中山先生のクリスマスコンサートに宇都宮まで出かけて来た。70人程度が入れるホール(防災会館ホール)での演奏はバロック調の彫刻入りの白いピアノ(Bosendorfer)の音色はまろやかで小規模のサロンにはぴったり。くるみ割り人形シリーズは大いに楽しめた。

23日 そして本日はカンマーコールの忘年会。マスヤは以前2回ほど来ている。今年度のリーダーさん達のご活躍振りに圧倒された。来年は順番が回って私がメゾのリーダーに。何だか、憂鬱に。楽しくやりたいものだが。