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2012年12月24日月曜日

年末は何かと慌ただしい。趣味の関係で先生に入院騒動があったり、日光清風塾の会報作成作業があったり、家の大掃除、年賀状書き、年末のご挨拶などなど。Year-end party も。EECCの午後のクラスもお弁当を用意して英語関連のゲーム等で今年最後の授業を終えた。Mr.Kのいつまでも情熱的な変わらない英語力の向上心には頭が下がる思い。家族に起きたエピソードを英語でスピーチ。クラスを確かにグレイドアップしている。スピーチするところまで行かなくても、簡単な会話が何とかやれることを願ってクラスでは基本文の繰り返しを徹底しているが、なかなか時間がかかる。継続がいつか実るこをと信じて来年も頑張ってみよう。

2012年12月17日月曜日

大使館ウイークin Nikko -新しい出会いのフォロー 

 As scheduled we were finally able to visit  the  restaurant I located in Harajuku of which the chef had joined our big project entitled in September.  He kindly demonstrated a French cuisine by using local ingredients to guarantee the safety of food.  We invited a couple of our friends living in Tokyo. They had been involved in the international field as we had been, therefore we enjoyed a lot our conversation over the table served with tasty dish starting from hors d'ouvre, oyster in light creme, a big piece of foies gras pasted with some horse radish, a steamed sea bream whose skin was crisped, and wild duck meat in tasty brown sauce with a piece of mille-feuille like crispy bacon and sliced potatoes as garnish. And the dessert was beyond expression as shown in the picture. After the meal, we were invited into the small room installed in the huge kitchen for another cup of coffee to have more enthusiastic talk with the chef on his desire for his activity from now on refering to our hope to activate the tourisme in Nikko. It was such a precious afternoon we shared in deep inside of the territory(premise) of the Togo Shrine in Harajuku. Then we dropped by the Tokyo Station to have a look of its renewed structure. We also went to the skytree town and stepped into the planetarium which excited me so much. It was well designed and well done as a whole. We had a long and rich day today and it was around 10 at night when we came back home. Exhausted!

2012年12月16日日曜日

ボランティア活動 女性コーラス隊

師走も真っ只中の12月15日、所属する女性コーラス隊が地元の病院を訪問。老健の方々、患者さん達総勢70名ぐらいの中に入って昭和の歌を一緒に歌ったり、女性コーラスが日頃歌っている歌を披露。最近は当病院で働くイケメンのお兄様たち(と言っても家族持ちの人もあり)の編成するWith Four というグループが積極的に動き出してコラボをやるようになっている。今回もつい一か月前に日光芸能祭で共演(?)したことから同じ曲目で発表。「天までとどけ」と「花は咲く」を披露。彼らは殆ど完全に歌えるようになってきた。それにひきかえ、何回も歌っている筈なのに、うっかりすると歌詞を間違えそうになる。でも一方で、老健の人達の反応を伺う余裕はある。年を取り、家族と離れるとやはり孤独となつかしさからか、涙を出す人が目に付く。今の私は、いかに年をとるかというより、いかに生きがいを感じるかとの思いが強い。外から感動を貰い、内から感動を外に与えられるような生き方。この病院への慰問は私自身はまだ7,8回だと思うが、来る度に人生を考えさせられている。

2012年12月9日日曜日

日光清風塾 第19回講話会「TPPについて」

第19回講話会が12月9日に開催された。衆議院議員選挙戦真只中の折、まさにホッとなテーマとして「Trans Pacific Partnership」がとりあげられた。例によって何故TPPに参加すべきか、何故参加すべきではないか の挙手から始まる。大半は協議には参加すべしとの意見だった。参加どころか協議にも反対という人達もかなりいた。
賛成の理由=市場拡大、貿易拡大により地域経済が拡大して繁栄につながる。
反対の理由=食料自給率が更に悪化、国家主権の問題、国民皆保険が脅かされる。
①WTO(世界全体の関税を取り払って貿易拡大を狙うもの)の存在のかげが薄れつつある。1980年代、東京ラウンド=世界経済の拡大を目指して関税を引き下げを決定。ドーハラウンドでは農業の議論があった。更なる関税引き下げの合意があったが、国々の利害調整が難しくなって、その後進まなくなってきている。
②1997年に東アジア金融危機がバネとなって東アジア地域協力機構が発足(13カ国)。対中国経済政策として日本が地域構想を立ち上げ、インドを引き込む。(16カ国)13であれ16であれ、この構想は米国にとっては好ましくない。日本が提案したAPECを基に米国は環太平洋地域全体を包括した地域共同体を提案。これがTPP。いずれにしても環太平洋の大きな経済圏を作るべきということ。中国はTPPに入らない。何故?①政治的理由は対米であること。②経済的にはまだ低くて自由経済体制ではない。
日本はしぶとい外交路線をとっている。日本は二つの経済共同体に両方に跨り、中国と米国との関係のバランスをとろうとしている。
国内での議論:国民皆保険が脅かされて混合診療(健康保険でかばー出来ない部分を民間保険でカバーするケースでこれは日本では非合法)になる。そこで国家と民間との間の解決方法として 規制緩和目的のISDS(Invester State Dispute Settlement)、ラチェット条項(関税を引き下げたらまた元には戻せない)という言葉が出ている。
農業の問題にしても日本の将来の農業の未来図を示して若者を育てるべき。どうやって今の農業を守り続けるかではなく、どう変えるか。未来図を描き、成功例を作ること。若い人達を引き付ける将来図を示し、農業教育、人材育成をすべき。今までの農業が保護されすぎてきた。
農業の7つの政策:①規模拡大を加速させる。②生産と販売の合理化③エネルギー資源の活用④農林の再生、活性化⑤水産資源の保護育成⑥耐震強度⑦原発災害対策
政治家はもっとわかりやすく国民に説明すべき。説得出来ていない。問題の内容を理解せず、お化けのままにしているから、国民は不安のままである。
パワーポイントを使いながら経済共同体の図式を使いながらの解説はわかりやすく、TPPもグローバルな視野で理解出来たのだろう。最初はTPP参加は反対という人達も最後には誰も手をあげなかった。

2012年12月8日土曜日

EECC Year-end luncheon organized by the EECC morning class

Members with a big hope
 for their future
Time flies like an arrow! I feel it was yesterday when we had a year-end lunch at KOSMOS last year. The members in charge this year picked up another restaurant named YAKKO where they served a wonderful Japanese food. The both quality and quantity of the food satisfyed everybody. We all enjoyed talking over the table with good food. Good thing was that they all seem to have been enjoying the class through the year and happy about the class members.  Let's keep going to make the classe more enjoyable and fruitful.
A beautiful token, this year's first cyclamen

2012年12月5日水曜日

あるタレントのいい話 A good talk by a popular talent

私は結構TVを見る。先日もあるタレントのお笑い劇場を見た。出し物の後、そのタレントのファミリーヒストリーコーナーがあり、その時の彼の祖母の話には感動させられた。おばあちゃんから教えられた人生の指標というのが素晴らしい。あおいくま という言葉を彼は今でも壁に貼って毎日言葉の意味をかみしめているのだという。あ=あきらめるな。 お=おこるな。 い=いらだつな。 く=くよくよするな。 ま=まけるな。 これは鎌倉の建仁寺の教えおいあくまからきているらしい。自分に言い書かせる諭しの叱咤激励の言葉と受け止める。 12月ともなると頻繁に忘年会があり、夫など高校時代、大学時代、職場時代といろいろな繋がりで集まっている。高齢化してくるとどのグループでも話題は健康の話に集中しやすい。そこまではいいが、先のタレントの人生の指標から大分それてしまう傾向にあるらしい。私達は本来、本音と建て前で生きている筈である。建て前があるから緊張感があり、品格も保てる。しかし、このあおいくまをおろそかにしてしまうと本音だけになり、折角築き上げてきた品格が失われてしまう。これが子供に帰って行くということなのだろう。クワバラクワバラ!

2012年12月1日土曜日

いきなり冬景色化 This year's first view of snow from the terrace of our place

It was rather cloudy this morning when I got up around 7. Now it started snowing before noon and all the view around our house has turned to be white. I wonder how they are doing, those golfers playing at NCC of which No 11 hole is just in front of our house and I saw a few golfers there around 9 this morning.

何か朝はどんよりしていたと思ったら、昼前から雪が降り始めた。
雪質は水分を含んだべた雪。でも家の中から眺めるには今の所白が美しくて目の保養になる。作業をやりながらホッと一息つくのには最良の眺め。

2012年11月29日木曜日

新しいグループにジョイン Another new gathering

昨日(11月28日)、もう20年も前に立ち上がっていたらしい白樺会という、以前ノルウェー勤務をした夫を持つご夫人達の集まりに初めて参加。たまたまメンバーのお一人と昨年パーティーで出会ってご案内をいただき、楽しみに参加してみた。20年ぐらい前に赴任されていた方々が殆どで、10年前に赴任した私達とは接点がなく、実際の年齢とは無関係で、経験からすると大先輩というご夫人達であった。初参加の私には初めてお目にかかる方が大半で、当時の思い出と今何してるが交錯した賑やかな集いとなった。今や国連の発表によると人間開発指標が世界で一位というノルウェーに関してのお話はつきない。前向きの国、堅牢な国民性、ノーベル平和賞の発信地であるこの国に赴任していたことから私たちも何か発信出来ないものかしらとふとそんなことを思ったランチタイムであった。そうそう場所はTurandotという中国料理のお店、臥龍居、赤坂六丁目にある。中華料理でもぎらぎら脂が見えない、根菜を重宝した、健康美食というか、オードブルの盛り付け(9種のままごとのような、絵に描いたような可愛いくて美味しい一口料理のオンパレード)には感動。とにかく心を込めて時間をかけてつくられたものばかりであった。幹事さんお二人の采配と力量、そして真心が感じられた食事会であった。

2012年11月26日月曜日

秋の連休 Consecutive holidays in Autumn

生後7か月頃からとこの歩行器は推奨
しているが、彼女はまだ5か月。
無理やり婆婆が買った歩行器に入れられて、
足は地についていない。
それにしても皆ばらばらのアクションではないか。
勤労感謝の日が金曜日だったためこの週末は三連休となった。蘇我組(三人の子供達は蘇我、市川、立石と京成線で飛び石状態で繋がっている)が来訪。5か月の孫娘はどんどん大きくなって、つるつるに輝くほっぺはワックスのかかったブランドリンゴ。目も一段と黒ダイヤのように輝いて。意思があって、何かを訴えるのだがそこはもう一つまだ不明。5歳の孫息子も驚くほどスマートに。じっくり理論的に話が出来る。おとなの言動をよく観察して理解しているのには驚いてしまう。一対一で向かい合うよう心掛けなくてはと本当に思う。子は親の背を見て育つというが、今や、婆婆は孫と向き合って育つ思い。庭で薄着のまま存分に走り回って田舎の空気を楽しんでくれるのが嬉しい。今回は爺爺からゴルフの指南を受けて夢中になってクラブを振り回している。危ない。すかさずプラスチックのものを買い与える羽目に。今回は生憎、23,24と連続で音楽会に行くことになっていて夜は留守をしてしまったがその分、昼間は実に活発に庭で遊び、枯葉集めの手伝いをしたり、BBQを楽しんだり、彼等にとってはそれなりに充実した休暇となったよう。孫息子の言:「残念だけど日曜日の夜までにはお家に帰らなくてはいけないの。実は、月曜日には幼稚園があるから。」


2012年11月22日木曜日

紅葉も終わり  Autumn color is going to be over


November 16'12
The gateway to Koyoen 
Beautiful season is passing away. In order to keep those gorgeous colors in my mind, I went out into the woods and took a picture of the same spot I had found the other day in the beginning of autumn color, then walked down to my favorite place, the gateway of Koyoen, five minute walk from my place. This is the end of autumn and now we are heading for a shivering season.
Fireworklike leaves in different colors

2012年11月12日月曜日

日光清風塾 第18回講話会「領土問題について」

11月11日のまさにいい日に予定通り塾長による第18回講話会が支援センターで開催された。今回はホットな時事問題をということで「領土問題について」というのがテーマ。
まづ、四つの問題を提示。①最近領土問題が激化している理由は何だと思いますか。②北方領土問題は、歯舞、色丹、国後、択捉の四島が絡むが歯舞、色丹の二島だけでもロシアは日本に返還すべきか、あるいは四島全てを返還すべきと考えるか。③韓国による竹島の不法占拠に対してどう日本は対処すべきか。④尖閣諸島問題の対処の仕方は。
①については日本が弱くなってきていることがその理由というのが大部分の反応であった。②については半々の反応。歴史的な背景説明から問題の全容がわかりやすく説明された。幕末の日露条約(1855年)から始まり、1875年の国境の再認識、1945年のヤルタでの米ソの密約(スターリンの千島列島の要求、ルーズベルトの合意)、ヤルタ協定を根本にしたサンフランシスコ条約、樺太の一部を日本は放棄など一連の外交上のやりとりを経てきているが、千島列島の定義がはっきりっされていないという。連合国は全地域を言うが、日本は日本固有の領土とした(1855)南千島は千島列島に含まれないと主張。鳩山一郎内閣の時、ソ連の大譲歩により、歯舞、色丹の二島の返還が実現されようとしたことがあったが、冷戦時代の米の干渉が入り、四島全島を返還しなければ沖縄の返還はやらないとした。結果、北方領土問題が今日まで残されてしまった。③竹島問題も歴史的背景説明があり、1905年、日本による朝鮮半島の占拠で竹島は島根県に編入するという措置がとられ、1910年の日韓併合条約に。戦後朝鮮の独立の時、李承晩が竹島は韓国領土なので返還して欲しいと施政権を握っていた米に要求。しかし、歴史的な証がなく、そのままにされた。1952年に韓国は日本との国境線を引き、韓国が行政権を握る。アメリカの立場は日米安保条約と照らし尖閣諸島問題て行政権のない日本を支援することは出来ない。米の立場は至って不明。米には日本、韓国との関係を悪くしたくないという意図がある。かといって、戦争になった場合、憲法九条により軍事力行使は出来ない。自衛隊は防衛時のみ行使出来る。韓国も日本も本心は対立を表面化しないよう話し合いの継続こそ唯一の解決策だと思っているのでは。④も歴史的背景をまず理解。尖閣諸島問題は日本固有の領土であり、日本が行政権を握っている。1892~7,8年かけて日本は調査。1895年日本が領有権を主張。国際法のルールにより、最初に発見した者の国際的宣言が証明されれば発見者の物となる。中国は古文書を提示し、日本の軍国主義によって奪い取られたと主張するが、国際司法裁判所には通用しない。1969年石油資源の発見。沖縄返還を反対した蒋介石がこの問題の仕掛け人。米に中華民国との共同経営を申請するが、米は日本と緊密路線をとり、李統揮は沖縄返還を推進。要はお互いの主張を言い張るのではなく、緊張感の中で話し合いを続けていくのが一番望ましい。それがどの国にとっても国益となるのではないか。そのためには戦争のためではなく、平和維持のために軍事力を強化することが大事であろう。

2012年11月10日土曜日

秋の風景 11月10日


昨日、今日と絶好の秋日和に恵まれ、例年より一週間遅れて紅葉前線も大分我が家周辺まで迫ってきている。前の雑木林の中のスポットに誘われて行って見た。夫による特製のスポットで、こんな素晴らしい自然の恵みを享受しない手は無いと言って私に見せてくれた。万華鏡のような見事な色の花火が天空に舞っている。そこには山々に織られる色錦とは又異なる色鮮やかな宇宙観のある深淵な世界があった。ホッと深呼吸をする。
そして今日は日光の芸能祭ということで、趣味の範囲ながら、日頃の努力の成果を見ていただくという機会に便乗し、女性コーラスも参加。わたすげグループの出し物は、「たんぽぽ」「月」「大地讃頌」「葡萄の歌」。日光市民病院とのご縁で、With Fourという若手男性グループとのコラボはなかなかのもの。さだまさしの「天までとどけ」とNHKの東北大震災の励ましの歌「はなは咲く」を一緒に歌った。少年少女合唱団も真剣さが伝わり、かわいらしくて大変よかった。

会場への行き返りは紅葉客で溢れて大変な渋滞であった。観光客は確かに戻ってきているが、これではうんざりすることだろう。

2012年11月7日水曜日

芸術の秋 「The art of GAMAN 尊厳の芸術展」

木のきれっぱしが見事に
首を立たせた毒蛇に
11月4日、秋晴れの日に一人で急に思い立って上野公園まで出かけた。先日テレビで紹介されていた「The art of GAMAN 尊厳の芸術展」を見るためであった。久しぶりの上野公園は大変な賑わい。ツタンカーメン展がその中心だったがツタンカーメンは本場で見ているのでそこは通り過ぎて目的の芸大の美術館を目指す。さほどの混雑は無かったが、入場者は特殊な展覧会であったのでみんな強烈な印象を持った様子であった。日米開戦により強制収容所(Internment camp)に送られた12万の日系アメリカ人達は砂漠の中で自給自足の生活を強いられた。彼らの不屈の精神と創造性によって作られた日用品や美術工芸品から、生活を少しでも豊かにしようとする彼らの尊厳が感じ取れる。日系アメリカ人の強制収容が始まって70年が経った今、語られなかった収容所での出来事が語られ始めたという。数々の作品は逆境の中での向上心、前向きの精神を維持したことの証だと言える。
4月誕生のわたしで~す。
ついでに都美術館でのメトロポリタン美術館展も見てきた。当美術館がリニューアルした記念の展覧会としNYのMetropolitan Museum of Artからかなりの量の作品が運びこまれ展示されていた。大変な人出であった。年代順ではなく、いくつか掲げたテーマごとに展示されていて、一寸面食らう部分もあったが、紀元前12世紀のタコの鐙壺と題したテラコッタの作品近くに19世紀のティファニー社のカエルのモチーフのお盆や魚のモチーフの花瓶が置かれたりしているのが面白かった。


6月誕生のわたしで~す。
上野を後にしてその足で今年生まれた3人の孫達(3か所)のところを回った。4月、6月、8月にそれぞれ生まれているので、渡り歩いて一挙に会ってみるのも成長過程が良く見えて面白い。
8月誕生のぼくで~す。

2012年10月30日火曜日

紅葉狩り Autumn color hunting


どこまでも続く木の根の道
10月29日、NHKの紹介に便乗して地元の鳴き虫山登頂を思いつきEECCの仲間と出かけた。たかが鳴き虫山と軽い気持ちで出かけたところ、手ごわい山であることがわかった。標高1183mというから男体山の半分しかないが、9時に出発して憾満カ淵に下りたのが午後3時半であるから、かなの時間がかかった。別の厳しさがある。尾根づたいの山道は木の根が張り巡らされ、まるで階段状である。規則的ではなく、自由自在風の階段であるため、足が届かないくらい段差があったりしてかなり体力を使う。それより、木の根のちから強さは圧巻である。バランスを失うと尾根の下に落ちそうになる。なかなか手ごわい山道であった。紅葉狩りの目的であったが、山頂に来て、鬱蒼とした雑木林と黒木林にさえぎられて視界は殆どゼロ。360度紅葉が展望出来るという紹介はどこから来たのだろう。文句を言っても始まらない。とにかく登ったいじょう、進むしかなかった。でも、登って良かった。平凡な紅葉狩り以上の素晴らしい自然を観賞出来たのである。昨日の大雨とはうってかわって本日は雲一つない秋晴れの中、木漏れ日が木々の葉の豊かなグラデーションの色彩をこれ以上無いほど輝かせていた光景に出会えたことである。男性二人、女性四人のチームであったが、女性群が断然元気であり、先行してこの自然の豊かさ美しさに感動することしきり。夫は後半では足がつり始めて生還できるかどうか必死であったらしい。後続隊を待ちながら「男性は遅いのね~」と優越感を持ちながら歩いていたことを反省。

2012年10月28日日曜日

お寺の果たす役割 地域の文化活動

「紅葉と雅楽」祭りを覗いてみた。法蔵寺という大桑にある浄土宗のお寺の恒例の行事で、今回13回目になるという。初めて行ってみたところ、紅葉のシーズンに優雅な雅楽の演奏で古式豊かな伝統音楽を味わうという趣旨のお寺がイニシャチブを取った催しで、お抹茶をたしなんだり、地元の人たちのグループによる絵画も展示、更には、境内ではそば打ちをやったり、お店を開いたりで地元の活性化に一役かっている。生憎の雨で、私が行った午後の部には、人出は少なかったが、午前の部では会場となった本堂には人が溢れたそう。紅葉シーズンを選んでのお祭り行事として、余り親しみの無い雅楽を披露することによりお寺から文化を発信している様子を伺い知ることが出来て大変良かった。雅楽についての簡単な説明は大変参考になった。曲の始めには必ず音取(ねとり)があるということ。雅楽には六調子があるということ。平調 越展楽(えてんらく)が黒田節の原曲であることも知った。舞楽が最後にあったが、単調で変化が無い中、衣装や面のきらびやかさ、幻想的な雰囲気は見応えがあった。地方の一角で、こうしていろいろな形で地元の人により文化の継承、発信がお寺で行われていることを改めて認識。

2012年10月26日金曜日

ウォーキング   Walking

I used to walk a lot before our big project named which prevented me from continuing to do my routine walk. Now I'm gradually coming back and this morning's walk was the fouth this month. The air was fresh. It wasn't cold nor warm etither. It was just a comfortable walk except for some trash visible along the street. I'm ashamed of some people's carelessness for throwing away papers, pet bottles and cigarette ends on their way.   I always wonder why they don't care about it. Well this morning I carefully picked up the trash to clean the way and I ended up feeling much happy.

2012年10月20日土曜日

家族   「ある猫の自分史・・・」 印刷完了

偶然にも私の誕生日に印刷屋から小さな本が届きました。「ある猫の自分史・・・」

今年のニャンニャンの日(二月二十二日)に、我が家の猫が文筆活動を始めました。稀有な猫だとかねがね思っていましたが、ここまで思慮深いとは飼い主の私も驚きました。二か月後が彼女の二十歳の誕生日という時でした。何かけじめを考えたのでしょう。猫ながら立派なことをするなと私も励まされたものです。

でもうかつでした。彼女には計算があったのです。それをうっかり見逃した私は飼い主として失格でした。今となれば、彼女は私の手の届かない別の世界に身を隠して、私の行状を見守る決心をしたような気がしてなりません。私からすれば、彼女が書いたものは、そのまま彼女へのレクイエムとなってしまいました。すごい猫でした。

人間の世界をここまで観察した彼女の魂が愛おしくてなりません。皆様にもこの彼女の自分史を読んでいただければ嬉しい限りです。」

というメッセージを添えて家族、友人に送ろうと思います。この猫は我が家の財産となり、後世に語り継がれること間違いなしです。
 

2012年10月19日金曜日

家族 Family


10月11日は多摩へ。ドアの取り換え作業の立ち会いに。13日は本八幡へ。No1の昊粋君の保育園最後の運動会。午後はNo 5の奏冴(souugo)君のお宮参り。
上:デカパン親子競争No 1
下:No 5のお宮参り
←デカパン親子競争に燃えるNo 1.
寝返りが激しい上にこのような
アザラシスタイルで空中ダイビング
の予行演習に夢中のNo 3。
お語りに夢中のNo 4
こちらを向いて祖父母の立ち位置を確認
するNo 2
ついでに立石へ。No.3の陽香ちゃんに1か月ぶりに会うために(立石組は9月8日、プロジェクト準備真っ最中に陣中見舞と称して来日光)。そして16日は蘇我へ。孫No.2の星太君の祖父母参観に。続いてNo.4である妹の明里ちゃんのお食い初め。今年は4,6,8月と一挙に孫が三人増えたので大忙し。これから更に行事が増えて行くのが楽しみでもあり、悲鳴ともなりそう。その悲鳴の中に居ることに感謝して、孫(陽香)孫(明里)孫(奏冴)のアルバム作りを考えていま~す。そうそう、昨日、印刷屋から本が届きました!「ある猫の自分史・・・外交官の家族の一員となって」。4月中旬に、あと一週間ばかりで20歳になろうとしていたミーちゃんへのレクイエムです。印刷屋さんからのメッセージ:「切ない。あとがき読んで涙が出ました。」


2012年10月11日木曜日

An article by M.K.

「大使館ウィークin Nikko」に寄せて・・(この企画が発案され実施に至った経緯がよくわかる文章)
An article about

 パリの中心、ナポレオンも眠るアンバリッド広場の近くに、バラ園に囲まれた小さなロダン美術館がある。パリでの私の好きな場所である。偉大な彫刻家ロダンのパートナーで愛人でもあったと言われるカミーユ・クローデルの作品も展示されている。数年前に、彼女をテーマにした映画も上映されていたので、知っている人も多いと思われる。彼女の弟、ポール・クローデルもヨーロッパの著名な作家であった。その彼が大正末期に彼自身希望して駐日大使として赴任して来たのは、日本の美術に関心を持っていた姉の影響を受けてのことであったと言われる。
      Rodin Museum, a small museum surrounded by the rose garden, is located near to the place of Invalides in the center of Paris, where Napoleon is laid in state. This is one of my favorite places in Paris. There displayed the works by Camille Claudel, the partner and the mistress of Rodin, the great sculptor. Many people might know her through the film about her which was shown to the public several years ago. Her younger brother, Paul Claudel was also a famous writer in Europe. He was transferred to Japan as French Ambassador to be stationed in Japan at the end of Taisho Era on his demand. He was said to be influenced by her sister who was interested in Japanese fine arts.

 クローデル大使は、外交面でも大活躍されたが、日光の中禅寺湖畔に今でも存在するフランス大使館別荘をこよなく愛した。時間が許せばそこに滞在し、多くの文筆活動にいそしんだ。ところが、大使の在任中に信じられない様な事態が勃発した。関東大震災である。東京、横浜は火の海となり、フランス大使館も焼失してしまった。クローデル大使はその焼け野原となった大使館敷地内で、病院と託児所を仮設して被災者の救助活動を指揮した。
     Ambassador Claudel, very active in his duty on international affairs, loved the French Embassy’s summer house located along the Lake Chuzenji in Nikko. This summer house still exists today. He spent his spare time there to get involved in writing books. On his duty in Tokyo, there occurred an incident incredible. It was the Kanto Great Earthquake. Tokyo and Yokohama were all covered with fire. The French Embassy was also destroyed. Ambassador Claudel took a leadership to rescue the victims by setting up temporary hospital and a day nursery facility on its premise. 
 

 クローデル大使が愛した日光にあって、私は小さなボランティア・グループを主宰している。昨年の3.11の後、私達も居ても立ってもいられない気持ちになり、ささやかながらも東北地方支援活動を行って来ている。ところが、今年の始めになり、日光市への観光客が大幅に減少し、地元産業が苦境に陥っているとの報道が出ると、グループ内で地元の為にも何か行動を起こすべきではないか、との声が出始めた。昨年来、東北地方では150カ国を超える国々が支援活動を続けて来ているが、いずれかの国の大使館と相談してみようとのことになった。そうなると真っ先に思い浮かんだのが、日光と長きに亘って関係のあるフランス大使館である。
     Living in Nikko Ambassador Claudel loved, I supervise a small volunteer group. Since March 11th last year, we have visited the stricken area in Tohoku district for some support. However, the tourism industry in Nikko started suffering early this year from the decreasing of visitors caused by the bad rumor of radiation contamination brought from Fukushima. Then some voice came up from our group so as to take some action in Nikko to do something helpful for the sake of our own local place. Since the disaster occurred last year, more than 150 countries have extended their support to the attacked area but not to Nikko. We came to decide to visit some Embassies to explain our serious situation. The French Embassy came up first in my mind because of its long relation with Nikko.

 私がフランス大使館を訪問し、事情を詳しく説明すると、殆ど即座に、出来るだけの協力をしましょう、とのことになった。涙が出そうな感動であった。その後の協議により、文化行事や地元の食材を使ったフランス料理のデモンストレーション等で、日光を盛り上げてくれることになった。大使館との協議を通じて、民間の多くのフランス人が東北地方の被災地支援活動に当たっていることを知ることになった。
     I visited the French Embassy and explained our problem in detail. Then they responded almost instantly with positive reaction saying that they would cooperate with us in launching a project to encourage our local people. I was very much encouraged and moved. Our discussions with them afterwards decided to rouse Nikko by some cultural performances or cooking demonstration by using local safe materials etc. Through the discussions with Embassy people, I got informed of their great consecutive civil activities devoting to support Tohoku stricken area.

  これに勢いを得て、今度は中国大使館にお願いに伺うと、「検討しましょう」と言うことになったが、間もなく、大使館から東京や横浜の華僑グループに打診が行ったようで、3つの華僑組織が積極的に協力してくれることになった。この話し合いの中で、華僑の人達も我々と同じく日中交流促進を強く望んでいることを感じて心強かった。
     This very positive reaction from French Embassy encouraged me to visit the Chinese Embassy which gave me back an agreeable answer after a while and introduced me three organizations of Chinese merchant residing in Tokyo and Yokohama. Their generous and active cooperation made us understand more that they also desire to promote the friendship between Japan and China.      

 もう一つの重要な隣国、韓国の大使館もお願いしてみようとのことになった。日光での外国人観光客の中では韓国人がトップクラスである。事情を説明すると、韓国大使館の反応も予想を超えるもので、「できるだけの協力をしましょう」とのことであった。
     One more important neighboring country is Korea. As for the number of the oversea tourists coming to Japan, the Koreans are the biggest. Upon my explanation on the situation of our tourism industry in Nikko, the reaction from the Korean Embassy was more than we expected. They promised to cooperate as much as they could.

 このような打診をした結果、このような大使館行事の実施について、日光市長と相談したところ、即決でやりましょうと言うことになった。補助もいただけることになり、9月22日から30日までの実施に漕ぎ着けたのが「大使館ウィークin Nikko」である。東北地方での支援活動は各国が個別に行って来ているが、このように複数の国がこぞって協力活動を実施することは珍しいことであり、地元日光の人々にとっては本当に有り難いことである。
     After sounding out those Embassies on the matter, I visited the major of Nikko to discuss about the possibility of the execution of cultural events supported by those Embassies. He agreed right away and promised to assist a certain official finance. That is how we proceeded to set up the executive committee to realize our project named “Embassy week in Nikko” from September 22nd to 30th for 9 days. The assistance to Tohoku area attacked by the disaster has been extended by respective country but this project in which a support project will involve several countries has never existed before. We, the local people in Nikko, are very appreciative of their cooperation together.

 ところが、最近になり予想もしなかったような形で日中・日韓関係が荒波にさらされることになっていることは残念である。これは、領土問題等を論ずる紙面ではないが、我が国と中・韓両国との関係は決定的な対立を惹き起こすわけには行かず、協力と交流の拡大こそがそれぞれの利益になるものだとの考え方に立ち帰らざるを得ないものであると、信じている。日本側としても、出来るだけ感情的にならずに、論理と理念を持って対応して行くことが、国際社会の理解と協力を得る道であると思う。先日も、東南アジアの或る外交官と話をしていたら、彼は「これ迄、日本ができるだけ冷静に対応しようとして来ていることは良いことだ」と評価していた。
      It is very regrettable, however, that our bilateral relation with China and with Korea has been derailed recently in an unexpected way. This is not to discuss on the territory issues but I dare to say that it is time for us to be sure that the promotion of our bilateral cooperation and exchange is to be profitable for both of us instead of asserting our own rights to each other. Japan shouldn’t be emotional either but should be patient enough so as to respond to this issue logically to seek for a way to get international understanding and cooperation. When I was talking with a diplomat from the Southeast Asia the other day, he evaluated our Japanese attitude which has been rather keeping cool.

 中国の人達も頑なで反日的な人達ばかりではない。私は長期的には日中の若者の相互理解が重要だとの思いで、毎年のように中国の大学で日本についての講義を行い、日本でも中国について講義して来ている。2年前に、尖閣諸島で中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりして来たのは、私が南京大学で講義していた時であった。私の講義の真只中で緊張した面持ちでの学生が手を挙げ、質問しようとしたら、周りの学生が彼を制止しようとしている。ここで河合先生に政治的な質問はすべきでない、として制止していたようだ。私が、どんな質問をしてもいいですよ、と言ったら、「先生は釣魚島(中国名)についてどう思うか」との質問であった。
     Not all the Chinese people are so aggressive and against Japan. Almost every year I go to China to conduct lectures about Japan for young students at universities with a belief that mutual understanding between young people in both countries is the most important in the long run. Also in Japan I have lectures about China on campus for young Japanese students.

It happened to be at the time when I was having my lecture at university in Nanking that a Chinese fishing boat attacked a Japanese patrol boat from the Japanese Maritime Safety Agency at Sengaku Islands two years ago. In the middle of my class, one student raised a hand to ask a question about it. Then some students around him tried to stop him saying he shouldn’t touch upon a political issue. I said to them that any kind of question was welcome. The student, encouraged by my suggestion, asked me clearly how I would think about that issue.

 そこで私は、次のように応えた。あなたは私に中国側の主張にいささかなりとも理解を示すことを期待しているとすれば、それは間違いである。私は、中国側の主張には全く正当性があるとは考えていない。ところで、ここで皆さんに考えて貰いたいことがある。この問題以外にも日中両国の間にはいろんな問題があり、それらを速やかに解決することは難しい。大事なことはそのように難しい問題があっても、日中両国は決定的な対立を生むことはできない、と認識することである。決定的な対立に至れば、両国にとって利益にならないばかりでなく、アジアの発展も無くなるだろう。このように述べたのは、私が2度に亘って東南アジアに在勤した際の経験に基づくものであった。
    Here is how I answered to him. “If you expect me to compromise the assertion of the Chinese government, you are wrong. I never find the justice in what Chinese government asserts. Here is what I want you to think about. There exist more problems between Japan and China which are very difficult to be compromised. The most important thing is to understand that we should never be opposed to each other. If we end up with adversary relationship between us, there will be no development not only in our two countries but also in Asia as a whole. The reason why I was convinced of what I explained to the student is based on what I experienced during my assignment to the Southeast Asia two times during my career as a diplomat.

 ところが、このように話し終わったところで、私もびっくりするようなことが起こった。大教室中で大きな拍手が湧き起ったのである。私が全く予想していないことであった。
     Then an unexpected thing happened when I finished my talk. There came up a big applause.

 中国の若者達は良く勉強する。彼らの多くは優秀であり、冷静に論理的に話をすれば理解してくれる。また、そのような相互理解を少しでも広めて行くことが両国関係の安定と発展のため重要である、と私は考えている。
     Chinese young people study very hard. Many of them are smart and ready to understand if we discuss calm and logically. I want to put a stress on such way where we keep our mutual understanding more in order to stabilize and develop our bilateral relationship.

 その意味でも、9月末の「大使館ウィークin Nikko」を成功させたいと考えている。是非、多くの方々に日光を訪問して、3カ国の文化行事を楽しんでいただき、また交流を深めていただきたい。諸外国との交流拡大が日本を、また日本人を元気にして行く道に通ずるものではないだろうか。
     In that sense, I strongly want the project « Embassy week in Nikko » to be executed successfully at the end of September. I wish many people visit Nikko to enjoy the cultural events to be provided by three countries and to promote friendship between each other. By strengthening our friendship with other countries, we could encourage ourselves all over Japan.

 最後にもう一度フランス人からの応援歌に戻りたい。フランスのプログラムの一つが、フランス在住の画家による展覧会である。マリ・ドゥルエさんと言う日本文化を愛する画家である。彼女は、フランス中部の古都、ナント市におられ、何度も電話をしてお願いしたが、快く協力をして作品を貸してくれることになった。今回、我々には予算が無くて、彼女を日本に招待することは出来ない。彼女は、これ迄も東北地方への支援活動をやって来ておられて、日光についてもフランス大使館から推薦されたものである。フランスにおられる彼女から次のような感動的なメッセージをいただいた。日本は世界中に多くの良い友人を持っているものだ、と感動させられ、また我々もガンバラなければと思い知らされる。
     Last of all I want to touch upon the message from a French artist. Among many cultural events is an exhibition of collaboration work by two artists, a Japanese photographer and a French painter. The French artist named Marie Drouet is living in Nante, an old city in the center of France. We talked over telephone and we asked her to lend us some of her works. She sounded very happy to cooperate in our project. She has been involved in the support activity to Tohoku and again she was introduced to us by the French Embassy. Unfortunately we couldn’t invite her to come to Nikko this time, but instead she sent us a beautiful message to cheer us up. We are very much moved with this message and we are appreciative of the fact that Japan has so many wonderful friends all over the world. We definitely have to respond to those cheers coming in from outside of Japan.

 This is the message from Marie Drouet sent by e-mail.

 親愛なる日本の皆様へ
  Dear Japanese friends,

 この『大使館ウィークin Nikko』の展覧会に私が参加し、写真を取り込んだ作品を通して、写真家、港千尋氏と語らうことが出来ますことを大変光栄に思います。
       It’s my great honor to participate in this project « Embassy week in Nikko » and to be able to have a dialogue with Mr. Chihiro Minato, a photographer, in our collaboration works.

 フランスからみなさまに向かって何かを述べようとすると、3月11日に日本を襲ったあの恐ろしい大災害のことが思われ、胸が強くしめつけられます。
       As I address you to say something from France, my heart aches with my thought about that awful disaster which attacked Japan on March 11th.

 私がいまだ訪れたことのない日光ですが、その日光に豊かな遺産があるということを知っています。日光の自然は特別に美しいということ。その建築は人間と自然が調和したお手本であるということ。日光は、世界のどこかで、知恵と美を学ぼうとしている全ての人達にインスピレーションを与える泉であるということを。
      Although I have never been to Nikko yet, I know that Nikko treasures a great rich heritage surrounded by such beautiful nature where the architectures are found as the best example created in harmony of humans and the nature. I know that Nikko is the source which gives inspiration to people somewhere in the world seeking for the wisdom and beauty.

 この『隔たりと連なり』の展覧会と私が被災地の風景を出発点にして作り上げた作品とが、日光に学ぼうとする心に響いて、みなさまそれぞれに心の安らぎと静けさを伝えられたら嬉しく思います。
       I would be happy if this exhibition named « Distance/Continuity » and my works based on the scenery of the destroyed area may give a comfortable echo to those inspired by Nikko and make them feel peaceful and tranquil.   

                                                                                     September 2012, Marie Drouet

2012年10月9日火曜日

ウオーキング

記録によると、6月23日以来、きちんとしたウオーキングから遠ざかっている。一つには、孫の出産手伝いがあったこと、もう一つは、「大使館ウィークin Nikko」の企画作業に突入してそれどころではなくなったから。健康維持の為には何があっても続けるべきと解っていても、精神的なゆとりがなかったとしか言えない。それに今年の夏は暑すぎたこともある。
ともかく今日は、本当に久しぶりで小一時間歩いた。それも朝一テレビで美しい歩き方、ダイエット効果のある歩き方というのをやっていたことが私を後押ししてくれた。①まっすぐな線を両足で踏まないように真っ直ぐ歩く。膝を挙げて大股で踵からついて、親指で蹴るようにすると、身長も高く感じるし、お尻も上がり姿勢が良くなる。②4メッツウォーキングをする。大股で、手を大きく振り、早く歩くことにより、酸素摂取量が高まり、4メッツあたりで30分の歩きが減量に繋がるとのこと。この二つを信じて歩くこと。「大使館ウィークin Nikko」にかかわってつぶれそうになったことが減量に繋がったがそのままリバウンドしないようにすることが私の今の目標である。
それにしても、久しぶりで歩いて、辺りの状況が変わっていることに気付いた。いつもの歩道がゴミでかなり酷い状態になっている。明日はゴミ袋を持って歩こうと思っている。

2012年10月7日日曜日

トロール会での講演


10月6日、かねてから依頼されていた講演の日となった。「大使館ウィークin Nikko」と重なって一週間延期してもらった経緯がある。私達がノルウェーに赴任している時、県が研修旅行と称して市町村を対象に募った30人くらいの団体をお迎えしたことがある。女性のグループであった。そのグループがトロールの会と名付けて、あれから10年たったということで10周年記念の集まりをすることになり、そこでの講演を約束していたのである。縁とは不思議なもの。あの時、10年後にまさか宇都宮でこういう機会に出会うなんて夢にも思っていなかった。そもそも私たちが日光に住むようになったことも当時は予期していなかったことである。講演の内容は経験談義ということであったが、やはり、先般の「大使館ウィークin Nikko」の話をまずさせていただいた。知らなかった人が殆どであったことにまずショック。あのようなプロジェクトを夫が企画するに至った経緯から、途中の経過状況、やり終えたことの報告等、いわば、私自身のこれまでの経験を生かし、総力を必死で発揮する機会であったこと、いわば、今まで培ってきたことの総集編みたいであったことをお話した。拙著に触れながらあちこち話が飛んだりしたが、全体的に用意したレジメは使わず、聴いている方々のお顔を見ながらお話出来たと思っている。私自身、フリーハンドで楽しくお話が出来たように思う。聴衆と心が一つになるようにするべく、これも経験を重ねてこそ出来るようになるのだと思う。

2012年10月1日月曜日

「大使館ウィークin Nikko」閉幕 「Embassy week in Nikko」is over!

時間は状況がどうであれ刻々と同じ速度で進む。待ったをかけたくとも、早送りをしたくとも、関係なく時は進み、その過程で私達を喜ばせたり、落胆させたり。時間は何て超越した生き物だろうと羨ましくもあり、憎らしくもあり。この大きな企画をいつもの時はどんな風に見ながら進んだんだろうと思うと一寸面白くなる。
気骨と信念、熱いハートの溢れる
ボランティア代表
展覧会会場での閉会式には都合
のついた関係者が集合。皆働き抜いた
後の様子
とにかく終わりました。事故が無かったことが何よりでした。反省すればきりがありません。とにかく、これだけ多くの人達がかかわり、お互いを叱咤激励というより、自分自身を叱咤激励してつぶれそうになりながらも、もがいてやり通せたことは大きい。私自身、この・・十年のここまでの人生で経験したことの総集編となったような気がしていると言っても過言ではありません。健康あってこぞ目標が目指せてそれを遂行出来るということ。そして尊敬できる仲間、同志がいてこそ前に進めるということ。そして新しい出会いが勇気を与えてくれる。ますます人生が楽しくなって行く。今回の経験から又財産をいただいた思いです。

2012年9月30日日曜日

「大使館ウィークインin Nikko」続行中  Embassy week in Nikko to be continued

アンサンブル・アリエント(息吹in Spanish)
8日目を迎えた「大使館ウィークin Nikko」も9月29日は単発イベントの最終日。殆ど3か月だけの準備期間でこれだけの内容のものがよく実現されたと思う。今日は続行中の美術展覧会会場に不足資料を補充して田母沢へ。シャンソン公演の準備開始。当日でしか会場の実際の準備が出来ないというのが大忙しの一つの原因だが、だからこそ、段取り良く集中して物事を進めるという技を学ぶことにもなる。会場入り口に設置した看板のデザインの良さにほれぼれしながら、その側で応援しているように赤に染まった紅葉の一葉が更に趣を高めてくれている。
ここでもボランティアの方々の熱心なサポートがあり、毎日感謝の連続。シャンソン公演はおすましの公演ではなく、心温まるまさに楽しいひと時を醸し出してくれ、偶然参加した観光客も十分楽しまれたと思う。何よりも演奏者の楽しげなパフォーマンスが印象的で人生の楽しさを味わえたような気がする。
フランス料理イベントも別の感性を味わえる催しとなった。レストランIからのシェフが又絶品。お人柄の大切さを味わった時でもある。時間をシェアしてくれる人へのサービス精神というのだろうか。素晴らしい料理を作るだけではない。関わりを持つ人への配慮、やさしさ、尊敬の心だと思う。感性を磨く人の努力を見たような気がする。

2012年9月29日土曜日

「大使館ウィークin Nikko」 続行

弦楽アンサンブル・リテ
  
紫雲閣ギャラリーでのオープニング風景 
9月22日に無事開幕した「大使館ウィークイin Nikko」は今日で8日目。いよいよ本日の三つの公演、イベントを残して、明日は美術展会場でクロージングを迎える時となりました。中国、韓国との不穏な空気が流れる中、文化交流には支障なく、むしろ、こういう時だからこそ、交流を温める意義があったように思えます。平素は鑑賞出来ない見事な公演やイベントの数々、展覧会を通して改めて異なる文化に触れ、理解を深めることが出来ました。短期間での準備にもかかわらず、ここまで達成できたことは、関わってこられた関係者はもとより、多くのボランティアの方々のボランティア精神の凄さがあったからこそだと思っています。人の為と思ってやることが結局は自分を昂揚し、叱咤激励することになり、自分自身の勉強になっていることをこれほど感じたことはありません。まだまだ不十分なことはありましたが、ここにきてやっと最初のレール引きの挑戦に参加出来たことを誇りに思えるようになりました。今日はまず、不足した資料をコピーして美術展覧会の会場に行き、田母沢へ。そしてシャンソン公演終了と同時にフランス料理イベント会場へ。レストランIからのシェフは既に昨日到着されて仕込み作業に入られています。

地元食材を使っての中国料理イベント
(東京の老舗中華料理店からのシェフを迎えて)
展覧会はフランス人女流画家マリ・ドゥルエさんと写真家港千尋さんとの共同作品が、紫雲閣の見事な借景を取り込んで展示されている。品のある、格調の高い雰囲気であり、一日平均100人以上の来場者を迎えている。会場にはボランティアの方々の熱意が溢れている。
韓国の写真展会場でチョゴリを試着
地元食材が11種類の中国料理に見事に仕立て上がり、その味も格別。「美味しい!」の連発であった。
 私の大学時代からの親友ご夫妻もわざわざ東京から泊りがけで応援にかけつけて下さいました。



2012年9月24日月曜日

"Embassy week in "Nikko has just started! 「大使館ウィークin Nikko」スタート!

 "Embassy week in Nikko"started on September 22nd as scheduled with lots of anticipation and anxiety. Time schedule and process in detail have been well prepared and everybody was on duty with responsability. The most nervous moment was when and how we welcomed our vips in this abnormal condition occured between two countries as bilateral issue. However, in spite of our big worry, everything went smoothly without any serious problem.

Upon the curtain up, two local mixed chorus groups started singing the "Nikko Sansho Song"(Praise song of Nikko) with the collaboratin of the group of string Quartet which was from the String Ensemble AFJAM(Association Franco-Japaonaise des Amis de la Musique which would perform in the second part of the opening ceremony). They only had a little rehearsal one hour before for the first time but they made a beautiful collaboration. Actually we both, me and my husband, were in that chorus and we made it inspite of our busy duties managing the whole process of this project. This very first chorus wasn't listed in the program. It was intended to be a big surprise to cheer up and bring to a climax the performances to be executed in the second part of the ceremony. It turned out to be very effective. It was a good challenging.

The curtain was down once. Then it was up after 10 minutes. The audience found VIPs and the main organizers sitting at table on the stage. It was the start of the first part of the opening ceremony.

The opening ceremony was well managed and proceeded according to the manual thanks to the two selected MCs.

After 15 minutes intermission, the second part of the ceremony started. The first music performance of Yokin, Chinese Koto, by Chinese beautiful lady was so good. It was very impressive. The Korean performances  were followed.  An elegant dance by five dancers first, then drum performance by cholo youn men. It was an attractive contrast.

Then at the last performer, Margurite's group, AFJAM, was on stage. It was wonderful. Every body admired the performances and the audience seemed to be very happy.

We hope it was succeesfully conducted and managed including the decoration in and out of the Hall.



2012年9月21日金曜日

Embassy week in Nikko 「大使館ウィークin Nikko」

September 20'12 : We finally organised the last meeting to assure what we have prepared for this big project. It seemed the major preparation has been made but with lots of efforts of all the volunteers. Thanks God! The most difficult process has been cleared in terms of time schedule for various events. We just believe what we are doing and we respect our partners, friends, involved in this project. May everything go wonderfully!

2012年9月16日日曜日

日光清風塾と「大使館ウィークin Nikko」

9月15日 第12回日光市ボランティアフェスティバルというNPOや任意団体が文化会館に集合してお祭りイベントが開催された。常連団体に交じって、初めて日光清風塾も参加。踊りや歌に交じって5分間で活動報告をする機会が与えられた。What a good timing! 一週間後に迫った「大使館ウィークin Nikko」のPRをここぞとばかりに行うことが出来た。プレゼンの要旨は次の通り。
 
 

 日光清風塾はグローバルな視野で物事を見、考えて地域の活性化の一助になる活動を目指しているということ。そのために今では二つの柱を立て、それを大黒柱として一つの広場を建設。その広場から地域の為になるアイディアを出し、それを発信して地域を盛り上げたいという信念を持って活動しているということ。第一の柱は毎月開催している塾長による講話会。日光清風塾から日本と世界を見ようというのが講話会の趣旨。参加者の関心に対応しながら、テーマは世界の文化、教育、政治、経済から時事問題まで巾広い。今まで17回を数える。昨年の4月からは東北大震災被災地への支援活動としてチャリティー講話会としている。もう一つの柱は週3回行っているEECC(楽しい英会話クラブ)である。これは第一の柱とは雰囲気を異にして、笑い転げながら楽しく語学を学びながら、文化を学ぼうというもので、だんだん盛り上がってきている。

 そして、この日光清風塾が今回大変大きなプロジェクトを企画しているということを宣伝。一生懸命やっているつもりでも、意外に「大使館ウィークin Nikko」のことを知っている人が少ないことに驚いた。落胆してはいけない。ここでPRするチャンスを与えられたことに感謝してポスターを見せたりしながらこう強調した。 「栃木県も原発事故の被災地で風評被害にあえいできている。栃木県の状況も理解して欲しいということを大使館に訴えたところ、まずフランスが理解を示してくれた。続いて、中国、韓国が理解を示し、日光市の観光振興を応援し、各種文化行事を開催してくれることになった。この日光ガンバレコールに応えるという貴重なチャンスを逃すわけにはいかない」と。これはみんなで盛り上げて行くべき大プロジェクトであると。日光の為、日本の為、というのは結局は自分の為だということを自覚することだと思う。

 会場の片隅に設置した日光清風塾のブースには意外な人達が集まり、彼女たちはそのままこのプロジェクトのボランティアネットワークの中に組み込まれる結果になった。又、新しい出会いが誕生した。そして、終了後はボランティア精神の塊の貞夫さん、フットワークの良い明子さんと、奥日光へ。29日の最後のイベントの誘客が心配になって即車を走らせ、まず、自然博物館の下見をし、パーキングの状況を調べ、旅館組合会長にお会いし、ホテルにも行って、宿泊者への宣伝を頼んできた。ポスター持参で。ここでも、コミュニケーションの大切さを再確認。当たって砕けろ!駄目もとでやってみる。無からは何も生じない。といった言葉が頭の中で飛びかった一日だった。

2012年9月10日月曜日

家族 最高の笑顔

ジージに抱っこされての後ろ姿がまたいいね。
「大使館ウィークin Nikko」を目前にしたこの時期に最高の笑顔が我が家に舞い込んだ。長男の長女陽香姫の日光デビューが実現。4月2日生まれだから、5か月と1週間の赤ちゃん時代の一番可愛い時にあたる。見かけは男の子っぽいが、色白でやさしいチャーミングな笑顔が何とも女の子らしく、どんな難題をかかえていてもこの笑顔には現実の時を忘れさせる魔法の力がある。一泊だけの短い間、しかも。日中はあの強く突き刺さってくるような暑い太陽の日差しの中、大伯母達の家を挨拶回り。到着した日に4軒回って、翌日1軒。もう一軒行くはずが、一寸遠かったためやむを得ず次回に延期。ブルネイでのハリ・ラヤのお祭りを想い出してしまった。あの時は、一日20軒以上御馳走の梯子だった。陽香ちゃんはどこへ行っても、人見知りすることなく、百万ドルの笑顔を振りまいてくれた。私との相性がいいらしく、私の真似をして発声練習が出来る。にこにこというか、にやにやしながら、私の口を真似て自分の口を動かし、「あ~~~!」っと。至福の時をありがとう。

2012年9月7日金曜日

My secret project

I finally decided to send two different drafts of my  books to the publisher to estimate the cost each. I still need to pick up some appropriate photos to be on the one in English entitled "As a diplomat's wife, The world I lived and weaved together with my family".  It is really difficult to pick up just several photos out of thousands of  my favorite photos taken during my long life.  The other one is "Autobiography written by a cat, as a member of a diplomat's family". I hope they will soon come out in public.

2012年9月2日日曜日

「大使館ウィークin Nikko」

ついに9月に突入。この壮大なプロジェクトをかかげ、7月に入ってからやっと本格的にみんなで内容を練り、関係者との交渉、意思疎通作業、ボランティア精神をフル回転させながら試行錯誤で模索してきたチームの一角に身をおいて、スタートが遅い中で本当にやれるのだろうかとの不安とプレッシャーに負けそうになり、一時体調を崩し、つぶれそうになった私。こんな重圧を感じたのは初めてだったかもしれない。しかし、それは受け身で全てを背負うという傲慢さに起因していることが分った時、私の気持ちは一転したような気がする。組織の中での自分の役割を自覚出来てこそ、車輪はスムースに動くということ。信念を持って動くことの強さを夫から改めて学んだ。最初のハードな時期を何とかクリアできて私は一皮剥け、生き返ったような気がしている。まだハードルは沢山あるが、今では楽しい気持ちで準備作業に専念出来るようになった。まだ、自分に出来ることがあり、必要とされているという思いが励みになり、むしろ感謝の気持ちが先行している。

今回の行事の中の一つである紫雲閣ギャラリーでのマリ・ドゥルエさんと港千尋氏のコラボの展覧会がある。フランスのナント市に在住のマリ・ドゥルエさんから次のようなメッセージが届いた。意訳するとこういう内容である。思わず感動して涙が出た。予算が無くて、彼女を招待出来ないのは残念である。  「大使館ウィークin Nikko」のブログ→www.embassyweek.blogspot.jp
 
親愛なる日本の皆様へ

この『大使館ウィークin Nikko』の展覧会に私が参加し、写真を取り込んだ作品を通して、写真家、港千尋氏と語らうことが出来ますことを大変光栄に思います。

フランスからみなさまに向って何かを述べようとすると、3月11日に日本を襲ったあの恐ろしい大災害のことが思われ、胸が強くしめつけられます。

私がいまだ訪れたことのない日光ですが、その日光に豊かな遺産があるということを知っています。日光の自然は特別に美しいということ。その建築は人間と自然が調和したお手本であるということ。日光は、世界のどこかで、知恵と美を学ぼうとしている全ての人達にインスピレーションを与える泉であるということを。

この『隔たりと連なり』の展覧会と私が被災地の風景を出発点にして作り上げた作品とが、日光に学ぼうとする心に響いて、みなさまそれぞれに心の安らぎと静けさを伝えられたら嬉しく思います。
                        2012年9月 マリ・ドゥルエ

2012年8月18日土曜日

家族:Our family has been expanding!

明里ちゃん(6/27誕生のお兄ちゃん)
4/2誕生の陽香ちゃん、生後4ヶ月
6/27誕生の明里ちゃん、生後50日
8/1誕生の奏冴君を無造作に抱っこ
する昊粋君
今年は一挙に孫が3人増えました。まごまごしています。長男のところで第一子が4月2日に、長女のところで第二子が6月27日に、次女のところで第二子が8月1日に。女、女、男。賑やかになりました。忙しいけど嬉しい悲鳴です。地元で大プロジェクト「大使館ウィークin Nikko」に向けて大忙しで思うように会いに行けないのが残念です。そんな中、それぞれの成長過程を示すスナップ写真が届いたのでここに載せておくことにしました。It's great to see them growing so fast!