今度はお父さんは日本の国旗を背負って仕事をする大使の立場で赴任していくので、その準備が大変そうだった。ただ、今度は公邸に住むので家具や食器の心配はいらないので、荷物は少し減っていた。公邸ならやはりわたしは行くべきではない。ソファーや壁を爪でひっかいたりしたらとんでもないことになる。緊張しっぱなしというのは私の性分に合わない。日本に残るという決断は正しいと思った。
しかし、ここからわたしの試練が始まる。最初の一年間はおねえさんもおにいさんも一緒だったので、毎日、安心して過ごすことが出来た。これはわたしだけの勝手な気持ちだけど、おねえさんはジョッブハンティングで試験を受けたり、面接を受けたり、大変だった。おにいさんも大学受験で塾に通い、一生懸命だった。二人ともストレスがあって、家の中は緊張の糸がいっぱい張ってあって、わたしはそこをくぐりぬけながら生きていかなくてはならない。努めて一見ゆっくりのんびりしていたことが二人には息抜きになっていたようで、わたしにはやさしくしてくれていた。
おとうさん、おかあさんの留守番を始めて二年目には、おねえさんもお兄さんもそれぞれ職場や大学に近い場所に下宿生活することになってしまった。わたしはどうなるの? 多摩の家にわたし一人を置いていくつもりらしい。おねえさんもおにいさんもみんな自分のことで精一杯でわたしを連れて行く余裕はない。五歳になったわたしはみんなと成長年齢は同じくらいなので、わたしも独立出来る筈である。一人になればそれなりの生活は出来るだろうとわたしなりに必死で考えた。餌があって、排出するところがきちんとあればやれる筈である。おねえさん達はこれだけはしっかり忘れないでやってくれることを信じて覚悟した。
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