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2012年4月11日水曜日

三毛子 ⑩

三毛子 ⑩

 ニューヨークでの私の生活は優雅であった。リビングの窓の桟に座ってマンハッタンの三十六と三十七ストリート間のセカンドアベニューを見下ろして、人の行き来を眺めるのが日課であった。昼間はお父さんは勿論仕事で出かけていないし、お母さんもじっとしていない。お兄さんは週末しかいないし、広いリビングはわたしの自由になっていた。窓辺で下界を眺めるか、部屋の隅に置かれたプラントの影で寝そべるか、ソファーに沈んでなりゆきに身をまかせるか、あるいはいつものベッドの下で静かに夢の世界にひたるか、自由自在とはこのこと。でもディナーパーティーが我が家である時は、自分で身をひいて寝室でおとなしく待機する習慣も板についた。

そんな生活が二年半続いた。その間、わたしは一度も外に出たことが無い。窓辺から見るマンハッタンは、時にはビル風が強くて冬などは本当に寒そうだった。暑い夏もあれば、日差しがあって気持ちよさそうな季節もあっただろうが、ずっと中で籠の猫として言ってみれば優雅に過ごしたものである。一度だけ、おとうさんもおかあさんも居ない時が二週間も続いたことがある。あのバカンスという休暇をとってどこかへ行ってしまった時だ。でも、それはそれでわたしのことを心配して、同じビルに住む日本人のお友達が、毎日、水と食料の追加に訪れてくれた。トイレも掃除してくれた。彼女に顔を出して挨拶しなかったことを、今では反省するばかりであるが、あの時は密かに感謝していたものである。わたしはいつも守られているということを感じて安心していた時である。

 わたしにとってのニューヨーク生活は、日中はリビングの窓辺からマンハッタンの三十六丁目と三十七丁目間のセカンドアベニューを眺めるだけのものであったが、夜はいろいろなお客様が来て、賑やかな話し声に圧倒されたものである。そんな時は別室で静かに時を送っていたものである。

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