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2022年12月7日水曜日

WCカタール大会がもたらしたもの(侍ブルー:11月23日→12月6日)

 森安監督は現役の時、カタールでのアジア予選の最終試合で日本がイランに逆転負けしてWCへの出場を逃し、有名な言葉「ドーハの悲劇」が頭の中に秘められていたそうだ。悲劇が歓喜に代わることを夢見て、26人のプレイヤー(19人は初出場、経験者は7人)を引き連れてカタールに。日本全土が熱狂的なサッカー聖地にかわったような、とにかく、コロナを吹き飛ばす勢いの声援の怒涛が押し寄せた2週間であった。

一次リーグ戦では初戦相手が強豪ドイツ。2戦目はランキングが日本(24位)より下のコスタリカ。そして最終戦がスペインであった。何と何と、日本は強豪ドイツを2-1で下し、コスタリカには予想外の結果で0-1、そして最後の対スペイン戦ではドイツと同じく2-1で勝ち、E組一位で決勝トーナメントに進んだのである。強豪のいるE組に組まれたことで内心皆、無理だとの予感がしていたに違いない。それが、初戦ドイツを倒したことで、日本全土はサッカー応援の大きな渦が巻き起こった。これは行けるかも。初出場の選手たちがベテラン先輩と並び、切磋琢磨してぐいぐい伸び伸びとやっている雰囲気があった。凄いというしかない。深夜、未明をものともせず、私はテレビに喰いつき、手を叩き、興奮しながら応援した。夫もしかり。サッカーは魔物。どんなこだわりも、躊躇もなく、純粋に歓喜の渦に巻き込まれて行く。知らない人とハグし、手に手を取り合って喜び合う。我が家でも傘寿を越えた二人が、若々しく、歓喜の声を叫んでハグした。冷静に思うと、サッカー競技は同じルールの下で、誰でも、どんな人でも、どんな環境でも、ボールを蹴りあい、頑張れば上へと登れる。世界中の若者が、可能性を秘めているのである。今や、ブラジルのネイマール、アルゼンチンのメッシ、ポルトガルのロナウドなど、名選手が億万長者になっている。サッカーは多様性社会の中でのポテンシャリティーのある夢を与えていることを改めて感じた。日本選手の未来は明るい。今回、一次リーグ戦で見せてくれた若い選手では三苫、伊藤、田中、鎌田、が目に留まった。安堂、浅野、前田、谷口、そしてキーパー権藤も凄い。コスタリカには何故か負けてしまったが、対スペイン戦で対ドイツ戦を再現してくれた。とにかく、ウキウキする寝不足を享受しながらの一次リーグであった。そして、決勝トーナメントに入って、対クロアチア戦も素晴らしい試合をしてくれた。五分五分の闘い。延長までして0-0のスコア。しかし、あのPK合戦は腑に落ちない。揃って球を拒まれてしまって負けてしまった。実力の差が、PKで出るとは。。。しかし、今となれば、侍ブルーがこれほどの歓喜をもたらしてくれたこと、そして、世界に通じる強さを見せてくれたことに感謝したい。本当にありがとう。


カタール2022のマスコット、La'eeb(超一流選手の意)はお顔が日本人的で実に可愛らしい。


第103回日光清風塾講話会 12月4日(日)

 12月4日(日)日光清風塾第103回講話会

11月は多忙なスケジュールがあるため、11月の講話会は本来お休み月となる12月の第一日曜日に延期。そして、講師は奥日光の洛山晃 小島屋の主人、小島喜美男様郷土史研究家にお願いした。来春にはG7の分科会「女性活躍担当大臣会合」が奥日光で開かれる。それに関連して10月の第102回目には塾長がそれをテーマに講話した。今回はその延長上を視野に、明治4年まで女人禁制であった奥日光における人物像を年代順にお話いただいた。奥日光には随分秘めた人物がいることが見えてきたお話であった。中でも、今回ドイツ人女医の存在については、事前に資料を入手していたので、私は理解していたが、講話会でもこの女性の話をもっとしていただきたかったのが本音である。小島氏が実在した彼女をモデルに劇シナリオを創作されているので、ここにその私の読後感を書いておこう。そして今回の講話でのお話は時系列に図式化しておきたいと思う。

「いのちのゆくえ」 <なつかしの中禅寺>     作・構成 小島喜美男           

 昭和の戦中そして戦後               令和三年十月

    やまの湖水のほとり

     愛犬二匹をいつくしんだ

      ドイツ人女医      

 タイトルに惹かれて一気に読んだ。 

史実に基づいたストーリーが昭和30年当時を現実の舞台に設定し、そこから145年前に遡っての史実を再現しながら進む。中心人物であるドイツ人女性医師ベッカの物語が、そのコミュニティーの中での人物像から彼女の哲学、人生論が深堀りされていき、当時の奥日光の様子が巧みに再現されている。とくに12頁の中禅寺役僧菅原裕景とベッカ女医との宗教論のやりとりは、中禅寺湖の風景を背景に、強く、かつ、情緒的に美しい流れとなって響いてくる。日本人僧侶の自然観、浄土観念、静寂の中の孤独な観念の中で、悟りを激しく追求する心の葛藤をベッカは良く理解している。西洋の一信教であるキリスト教にも東洋に近い思いがある。中禅寺の自然をこよなく愛したドイツ人のベッカ女医は最後には命は不滅だと言い切っている。

 アック(アキレス)とヘクター(ヘエクトル)という二匹の愛犬との密な生活の様子が巧みに描かれていて、それだけに、敗戦後に母国に帰らざるを得なかった時の愛犬との悲劇的別れは胸を打たれる。彼女の願いは二匹の愛犬の間に葬られて死後の世界を一緒に歩むことだったという。政治的に、彼女にはスパイ容疑もあったようだが、14年間、戦中と戦後を全身全霊を注いで中禅寺を愛し、女医として地元民を助け、優しいと慕われながら生きた一外国人の物語。彼女の心は中禅寺のどこかに漂って生きているような気がしてならない。

  シナリオ作品には当時の人物、建物の写真のみならず、沢山の浄土の世界を思わせるような、神秘的で美しい中禅寺界隈の写真が載せられている。これらも小島氏が実際に撮られたものであろう。実に美しい中禅寺風景である。作者自身がイメージ配役をリストアップされていることから、このシナリオ作品が本当の舞台で再現されることを願ってやまない。

                  107日      慶子の感想

 



2022年11月9日水曜日

11月は紅葉でおもてなし Busy season for hospitality

11月6日 

この地域はどうやら11月の第一週目が紅葉のピークと言えそう。夏が猛暑だったことから紅葉は遅いかと思っていたが、不思議なことに、自然の進み具合は毎年余り変わらない。今年は絶好の秋日和に恵まれて最高のタイミングでBBQ&HC(ホームコンサート)が開催出来た。

地元の友人で音楽の好きな人達と、今年は夫が関わり合いを築いたMIS(Multilateral Interaction with Students)のメンバーと山口教授のゼミで講義をしたことからそのゼミ学生も加わって11人が東京から車2台でやってきた。中心は東大生。彼等は今どき珍しいほど、素直で、明朗で、コミュニケーション能力も豊で感じのいい学生さん達であった。男性7人、女性4人。11時頃に集合してBBQをスタート。今回は前日に歌姫の次女が市川からやってきて準備の手伝いから、ホストサイドのおもてなし等、積極的に手伝ってくれた大助かり。買い出しはリストとにらめっこしながら、それでも、買い忘れや、忘れていたものなどがあって、何度もスーパーに行く始末。ともあれ、BBQの為に、事前に作るものは早朝(5時スタート)から始めて、何とか間に合った。その間、駅までお迎えがあったりで、ばたばた劇は免れない。当初ホスト側を入れて29名だったが、結果的に23名になり、まだコロナ禍が懸念される中、結果オーライだったかも知れない。

事前に用意したものは鶏肉のマリネ焼き(6㎏)、いなり寿司、サラダ、BBQの材料下ごしらえ/ジャガイモとバターのホイル包み焼/しいたけとベーコンのホイル包み焼き/イカ/牛肉/フランクフルトソーセージ/焼きそば用豚肉、もやし、キャベツ/ そして石焼き芋。

予定通りに予定は進行。BBQも学生達の協力で焼いたり、焼きそばを担当してくれたりでかなり救われた。食欲旺盛、皆喜んで楽しんでくれて超安堵。

1時半頃から、室内でのHCのセッティング開始。ビニールのパティシャンをかけたり、コーヒー、デザートの用意。椅子のレイアウトなどなど。2時になって、室内に移動。夫が陣頭指揮を執って、プログラムが進行。歌、ピアノ、サックス、フルート、タレント揃い。一通り回して、改めてゲストの自己紹介。学生達も、短く、簡潔で、内容のある自己紹介をやってのけて、さすがにコミュニケーション能力が高い。最後に夫が総括的に若い人達の将来に向けての期待とやるべきことの示唆の言葉は、さすが、このパーティーの意図するところだと秘かに感じ入ってしまった。楽しみながら、コミュニケーション力をつけて、内容のある質の高いものにするというべきか。東京へ帰る人達の時間もあって5時半頃でお開きとなった。私は娘と土居さんを駅まで送り、帰ったら、荒巻さんが相場さんを送って下さったという。大野さんが一人で、後片付けをやって下さっていて、恐縮至極。その段階で宇都宮から中国人留学生が1人到着。一寸顔を見せにきてくれただけで、彼も帰って行った。ランブータンを置き土産に。 慌ただしい思いをしながらも、充実して、盛り上がりのあったパーティーとなったことに感謝したい。

翌7日には、夫の姉達夫婦(半分は伴侶と死別)と長姉を介護する甥、我々を入れて、総勢10人が我が家に集って紅葉の中でのピクニックを決行。別の笑いとお喋りで賑わった日となる。94歳になろうとしている長姉が武田節を力強く唱ってくれたのには皆驚き、感心した。それこそ、彼女から逆に年下の私達が活力を貰ったことは後々語り継がれて行くことだろう。 6日、7日と連荘、お疲れさまでした!


2022年10月22日土曜日

10月20日 上皇后様の米寿の誕生日

 10月20日(木)I happened to be born on the day of Her Retired Majesty 's 7th birthday

特別な日であるこの日は「国際ソロプチミスト日光」主催のチャリティーゴルフコンペが鬼怒川CCで開催された。恒例のコンペで初回から参加し続けている。今回は偶然にも私の誕生日にぶつかり、夫にも参加を勧めた。アキレス腱を2年前に切ってから、調子がなかなか元に戻っていないのだが、健康維持のためにもゴルフ熱は冷めていないので、参加を勧めた次第。秋晴れのゴルフ日和に恵まれ、90名もの参加者で溢れた会場は健康そのものの雰囲気。私のプレイメイトは篠原悦子さん、福村氏、真野氏。男性二人は72歳と80歳。二人とも相当やってきた人で、飛距離も凄いし、アプローチもいいし、パットも良い。コンペは前半のハーフのスコアだけが対象になっているので、前半にエンジンのかかる人は強い。私の最近のドライビングショットは良くない。高く上がらず、転がっていくことが多く、修正出来ていない。スコアはネットが良くなくても、新ペリエ方式でハンディーを出すので、運が良ければ、上位に組み込める。今回はまさにラッキー続き。グロスでハーフ49だったが、高いハンディーを貰って飛び賞にあたり、果物セット+マンゴープリン半ダースをゲット。女性の部で10位とかで(主催者の女性担当者から、お誕生日おめでとうございます!と祝辞を添えていただいたので嬉しかったが、これは単なる飛び賞の賞品だった!)金谷ベーカリーの食パン2斤と参加賞の玉子2パックをいただいた。夫も12位とかで、バウムクーヘンの大きなケーキをゲット。おかげで、温泉にも入って意気揚々と帰宅したのはいいが、賞品やら、カバンの積み残しをやって、もう一度クラブハウスまで取りに行くという失態をしでかしてしまった。(笑い)何にせよ、賞品をいただくというのは気分を高めてくれる。81歳の誕生日はかくしてゴルフ場での幸運に出会ったことがいい想い出になることだろう。

その前に、前日の夜、夫からプレゼントが渡された。「明日のゴルフに着て欲しい」と言って、深紅のカシミヤのベストが目の前に。ゴルフの時はブライトなカラーが良いと強調。赤は私の好みの色なので抵抗は皆無だが、残念ながらサイズが一寸小さすぎる。それでも、夫は伸びるから大丈夫とかなり強引。ありがたくいただいて当日早速着用。クロのアンダーとパンツに深紅のベストは映えた。後で、プレイメイトの悦子さん曰く。「今日は決まってる!」と思ったそう。81歳の晴れのゴルフウエアとなった。後日、スタート直前に撮られたフォトが届くらしい。

2022年10月15日土曜日

旧友との食事会

 10月12日(水)夫の大学時代の同期生ご夫妻との食事会

7月27日に前夜から泊りがけで我が家に来られた山田氏とゴルフをやってから2カ月半経った今日、その返礼ということで山田氏ご夫妻から私達を日比谷の帝国ホテルでのランチにお誘いいただいた。7月7日にEECCの企画、インドネシア大使館訪問以来だから、3カ月ぶりの東京である。東京はどんどん改造されているが、このあたりはまだ変わっていなくてホットする。夫は所要で2日前に上京していたので現場で落ち合うということであったが、小一時間予定の時間より早く着いたので、日比谷公園を散策。Go to travel campaignが再開されたせいか、人々の動きが活発になっている。観光バスも列をなして止まっている。花が咲いていないこの季節は一寸さびしい感じだったが、二重橋あたりはジョギングする人もいて、人の花盛りといったところだった。

予定の11時に5分遅れてホテルに到着。既に、山田ご夫妻と夫が待っておられた。夫人とはかれこれ20年振り。ノルウェーから帰国して大阪に1年勤務からだから正確には17年振りかも。この年代になると健康が気になるが、こうして元気で再会出来たことを喜び感謝するだけ。とはいえ、彼女は脚腰を痛めていて立ったり座ったりする時が難儀だとのことで、お住まいの千葉からわざわざ出かけて下さったことに申し訳ない気持ちであったが、以前、ノルウェー勤務と時には、令嬢もご一緒に私達を訪ねて下さったこともあり、気心知れた仲間なので、話は盛り上がって大変良い時間をご一緒出来た。帝国ホテル38Fでのビュッフェランチはなかなかのもの。ここも今回は大盛況となっていた。食事中の写真を撮りそこなって、とりあえず、記念撮影だけにいなったが、次回の「麗しの越中島」仲間とのミーティングはここを推薦してみよう。(時間制限があるのが難点かな?)


2022年10月11日火曜日

半世紀+振りの再会

 10月9日

ボストンのフレッチャーで夫の同期だったリックがアリソン夫人共々初めて日本を訪れた。グループでの観光旅行に加わっていて日光迄来る時間が無いというので、私達は彼らに会いに東京まで出かけた。夫は卒業以来初めての再会であり、私はお会いしたことが全くない。彼らの再会がどんなことになるか、楽しみであった。半世紀は大きい。若々しい青年が一挙にお爺さんになっているのだから無理もない。ロビーの椅子に座って夫とっ待って居た時、エレベーターのドアが開いて、中から不審げな細い声が聞こえた。”Masao❓” 立ち上がった我々に向かって恐る恐る近づいてくる老夫婦。お互い、”Masao?” ”Rick?” と確認し合って、やがて声はクレッシェンドになり、”Oh!Yah!” ”My goodnenoss!" あとはゆるやかに、しかし、お互い別々の世界で幾星霜を過ごして積み重ねた異なる経験の報告へと一気に走り出す。予め夫が探した彼らが喜びそうな眺めの良いレストランを予約しておいたので、そこへ移動。雨の中ではあったが、東京の街を歩くのも良かろうと地下鉄で15分。品川のプリンスホテルへ。38F の和食レストランに案内。メールでは時折、情報交換をやっていても、対面となると趣が違う。学生時代に戻って、当時の仲間の思い出やら、近況やら、懐かしい話で盛り上がった。アリソンも名門ス三スカレッジ出身で才媛だったのだろう。心理学を専門にしてキャリアウーマンだった。彼等は歳相応に、動きが少々遅くて健脚では無い様子だったが、頭脳は明晰。彼の方は、Boston GlobeやWashington Postなどでデスクをやった人。同期で記念の文集づくりなどではまとめ役をやっていたよう。お互い3人の子持ちであり、孫の年齢も近い。同じ世代の話が出来てしゃぶしゃぶcuisineに舌鼓を鳴らしながら、又、冷酒をいただきながら、楽しい再開の一時を過ごすことが出来た。彼等の日本観光は14日間で昨日成田に到着したばかり。まだ時差ボケをかかえていて、かなり、疲れていたに違いないが東京で54年振りに再会出来たことはミラクルだと言って喜んでいた。夫は数日前から所要で東京に来ていたが、私は今日の昼に日光から合流。これで、又会えることがあるかどうか。名残惜しい別れとなったが、今はメールで交信できる。いつまでも元気で近況報告が出来ればと祈って別れた。

帰宅したのが夜の12時前。実は、帰路が大変だった。東武で車と車両の事故で電車がストップしていたため、急いでJRに変更。最終電車に間に合わなかったら宇都宮に泊まるしかない。祈る気持ちでいたおかげで、宇都宮からの日光線の最終便(10:48)に間に合った。やれやれ!翌日はコーラスの練習日。しかし充実した特別の日であった。

2022年10月9日日曜日

救急救命ドクターによるセミナー

 「重症コロナを語る」by 小倉崇以 救急救命センター長(39

       at 宇都宮総合文化会館 会議室1(3F

          on October 8th 2022

  つい2日前には奥日光の歴史に基づいた「いのちのゆくえ」というシナリオ原作を読んで感動したばかりであるが、今回は貴重な講演というより講演者から大きな感動をいただいた。

  現場の生死をさまようコロナ患者をケアする医療チームの奮闘はまさに緊迫感に溢れ、メディアでは報道されない部分も見ることが出来た。家族との接触を絶たれて逝くという悲惨な状況をもたらすコロナウイルスの恐ろしさを画像から再認識した。

 今日のセミナーはこれだけではない。講演者の生き様である。コロナに立ち向かう様子には悲壮感より、迷いのない判断と常に前を向いてテキパキとチームの真ん中に居て指揮をとる姿には活気すら感じられる。

小倉先生のリレートークに書かれた先生の宣誓書とも思える1枚のA4の中にこう書かれえいる。

“「・・僕は一流の救急科医になりたかった。今でも、強く、そう思っている。一流と二流の差、それは何だろう」

 確かに知力は人々に安心と安堵を届ける。・・知識人に聞けば、懇切丁寧に正解を教えてくれるから、人々は安心して一歩を踏み出せる。しかしながら、正しいも間違いもわからぬ未開の地に踏み入って未来を模索しようとするとき、その知識人の無力さは、見るに堪えない。未開の地には「正しい」も「間違い」も存在しない。知っているだけでは波乱の人生を生き抜くことは不可能であり、「正誤の判定」だけではよりよい未来への到達など、出来やしないのだ。

 ここで本論に入る。

 一流の人間は希望をもたらし、二流の人間は不安を煽る。一流と二流の差は常にそこにある。一流の医師は、現場で命と必死に向き合う。二流の医療者は、現場の医療に正誤の裁断を下して満足する。一流の人間は、理想を追求し、その生業を眺め、適切なコメントを残して帰る。一流は常に眼光鋭く表舞台に立ち、二流は常にその舞台に立つ人物を批評し、寝床につく。“

 これが書かれたのが2019年4月、イギリス、ケンブリッジでエクモ(Extra-Corporeal Membrane Oxygenation)の勉強をして帰国し、救命救急医療の道を決意したばかりの時である。先生はイギリスからエクモを持ち帰られた。重症患者搬送チームを立ち上げ、医療装置のついた搬送車を開発し、Ecmo Transportを栃木県から発信されたという。コロナは死ぬ病気と思われるが、救う手段はある。欧米、中国と比べてコロナ対策機能が日本は40年遅れていると断言された。

先生の語り口には迷いが無い。フロアからの質問の数々に、分かりやすく、ブレの無い答えが戻ってくる。この質疑応答から見えたもの。それは先生がこの若さで、いや、若いからこそ、理想郷を持ち、医療に携わりながら、世の中、栃木県を栃木県民が平和と安心の未来像を見すえておられること。良い病院は良い街に生まれる。街づくり、それは教育である。人材を育ててこそ、良い街は生まれる。

一流救命医に憧れる先生の文章はまだ続く。

これからも一流を目指し前進し、一流の人間を育てるために、豪快に生きようと思う。これは根性論ではない。根性論は青春時代の産物であり、酒を飲み始めたその時から、根性論は過去の遺物となる。一流の仕事とは、細部にまで目が行き届いた様を言う。一流の仕事、そこには神が宿っている。神は細部に宿るのである。 この春、宇都宮へ旅立つ自分へ。時は今。船出の朝である。

 

最後に先生が強調された言葉。それは病気を治すのは薬ではない。愛情である。人間が病気を治すのである。愛情処方という言葉が強く印象に残った。

2022年10月2日日曜日

9月総まとめ

 9月は猛暑と後半は台風(No12,13,14,15・・・)が続いて最悪の季節になったが、そんな中にあって、イベントが続き忙しい時期でもあった。

〇1日には夫の実家の甥の長男が義姉夫婦の店をリニューアルしてleather productsの店「Saetta」を開店。なかなかセンスの良いファッショナブルな製品が並んでいて驚いた。宇都宮からのピアニスト紘平君のママがご一緒で、私達が開店第一号の客となった。彼女も製品のセンスに好感を持たれて、いくつか発注。私は現物を2種ゲットした。親戚友人から贈られた胡蝶蘭が、若い職人の門出に豪華なエールを送っていた。

〇9月23日(秋分の日)には日光清風塾の月例講話会第101回目を開催。「文化と宗教」今国会では宗教問題が騒がれているが、宗教とは関係なく、文化は宗教を背景には語られないということがテーマ。古代ギリシャ・ローマからヨーロッパ文明の基盤となるキリスト教、更に世界中の進んだ文化文明を吸収して高度な科学技術、数学、航海術、医学などを発展させた中東で誕生した勢いのあるイスラム教、インドで発祥し、アジアに広がった仏教の流れを要約。お互いに大変影響しあって発展し、今日に至っているということを再認識。日本の文化文明もこれらすべての要素と影響し合って発展していることを確認。学問の分野のみならず、芸術、文化の面での影響は大きい。法隆寺のエンタシス、茶道の袱紗等。

〇9月25日(日)東京からMIS(Multilateral Interaction with Students)グループの学生4人(一人は名古屋から車で直行)と宇都宮大学生が1人が昼頃我が家に集結。今回が2回目。懸念された台風に影響されることなく、無事にBBQ実施。前日に矢板の佐藤先生から調達した鮎を網で焼き、骨付き鶏もも肉は予めオーブンで焼いておいた。後は例によって、稲荷ずしとサラダ、ゆばの一品を用意。2時からシンガポールのカルビンさんとインターネットでの議論を約2時間。その後もいろいろ今後のアクション相談で結局彼らは7時ごろ帰って行った。東京組は名古屋からの学生の車に便乗して東京へ。連休時だったのでかなり時間がかかった由。

〇9月27日(火)宇都宮総合文化会館で夜7時からの宇都宮YMCA主催によるウクライナ避難民支援チャリティーコンサートに夫と参加。その前に、私は日中は鬼怒川CCでのゴルフコンペに参加。時間的に心配だった
が、問題なく6時の開場時間に到着。コンサートは大野紘平君と友情出演の田尻大喜さんによるもので、23歳になった紘平君とは思えない程どっしり、落ちたついた演奏運びは実に見事。演奏の技術は勿論、聴衆を盛り上げる二人のトーク力は相当なもので、会場は熱狂に溢れていた。純粋なクラシックではなく、ポップス、ジャズっぽい曲に皆親しみを感じ取っていたよう。いつかクラシック演奏もしっとり聴きたいと思う。
 
〇9月28日(水)栃木県ユネスコ協会連絡協議会研修会のホスト役として日光ユネスコ協会が主導でイベントを企画。
2年振りぐらいで奥日光の絶品ともいうべき風景を満喫。好天気に恵まれ、中禅寺湖の美しかったこと。日光山中禅寺立木観音に初めて入った。勝道上人が1本の桂の木で彫ったという11面、千手観音像は想像していたより巨大で圧巻であった。家族の事、親戚の事、世の中の動き、もろもろのことが、良き方向に向かうことを祈り祈願した。







2022年8月18日木曜日

2022年7月8月 異常なほどの酷暑とコロナ第七派に見舞われた厳しい時期にスケジュール満載

 

7月26日 夫の大学時代の同期の山田氏が千葉からゴルフ目当てに我が家に。日光には二度目の来訪だが、彼は2,3年前に脳梗塞を患われ、一時はお話も不自由なほどだったと聞いていたが、驚くほど回復されていた。昔の思い出(我々がノルウエーにいた時、ご夫妻とお嬢さんを連れて訪れて下さったことがある)話も賑やかに出来るほどで、随分リハビリを頑張られたよう。それに、ゴルフが出来るのは同期では彼ぐらいというから、夫の同級生もみんな年齢を重ねたという実感がある。お酒もまだ嗜む程で、ともかく、3人で夕食を楽しみ、翌日は、近場のコースに。炎天下の中、私は私で、出来るだけカートに乗らないように頑張り通しが、それがかなり衝撃的だったよう。「奥様の元気さには参りました!」の連発。炎天下のゴルフはいささか狂気じみていたが、それでも3人とも、無事にワンラウンドを制覇。スコアのことは遠慮しておこう。おもてなしもプレイも高齢者となった立場をしっかり意識した思い出となった。

8月4日~5日。MIS(Multirateral Interaction with Students) 国際学生活動交流協会とでも訳すのか、東南アジアの学生たちネットワークを広げ、彼らの時代を戦争の無い時代にすべく、意見交換をする活動に熱心な学生が4人我が家に集結。夫はまさに戦争の無い時代を目指す学生を育てることが最後のライフワークだとしてその趣旨に賛同し、いろいろアドバイス、指導をしようとしている。今回は、東大からMs.nakamura(この活動のコアパーソン)、宇大から4人の学生が来訪。中国人留学生1人、ドイツ人女子留学生1人、日本人2人。女子学生2人は我が家に一泊。4日はまず、暑い時ながら雨模様で多少救われてがテントを張って雨を凌いでのBBQを。そして、屋内に入って3時から、シンガポールと中国の学生も加わってネット(zoom)で議論を。皆英語を駆使しての
ディーべート。初めての試みなので、事前に宇大からの石君といろいろ準備をやったおかげで、ネットでの議論は何とかうまく出来て本当に良かった。シンガポールの学生は当然ながら、中国の学生の英語力はなかなかのもの。日本人も頑張っていた。このような試みを我が家で実現させる夫の前向き志向と意志力には驚いてしまう。宇都宮からの男子学生3人は夜帰って行ったが、石君は今度は彼女を連れて夜遅く再び我が家に。結局4人の学生が我が家に泊まり、翌日は、中禅寺湖でのSUPに挑戦した。日光は初めてというMs.nakamuraは中禅寺湖の美しさに感激したよう。若い学生さん達とこのように触れることは刺激になり、楽しいが、食事のお世話などはやはり昔とは異なって、かなりハードになってくる。頑張らなくてはとつくづく思う。

 この週末は女子全英オープンが始まり、甲子園もスタートした。今年の全英オープンは興奮の連続。澁野さんが優勝する可能性大有りだったので、深夜テレビに釘付けになった。体調を崩しかねないほど夢中で応援した。結果は、運悪く、3位。惜しかった!   

8月8日には宇都宮文化会館小ホールでの沖縄復帰50周年平和祈念公演に参加。夫の高校時代の同期生、石崎さんが実行委員長をされた関係でこのことを知り、参加して本当に良かった。宇都宮出身の荒井退造氏(警察部長として)と神戸出身の島田叡氏(沖縄県知事として)の二人の尽力で沖縄本土住人の多くの命が救われたという話が演劇を通して力強く胸を打った。今「島守の塔」という映画が上映中だという。見たいと思う。

 そして、お盆には長女と次女の家族が帰省してくれた。2人の生活が一挙に膨れ上がり、大賑わいとなる。庭先の小川にダムを作って、泳いだり、大きなビニールプールを持参してボールを投げあったりしながら、存分に孫達は遊んで楽しんでくれた。何軒かの初盆にもお参りしながら、台所仕事もで、今年はこの暑さで、ついに熱中症気味となって一日ダウン。でも、娘たちが積極的にいろいろ手伝ってくれたおかげで無事に予定をこなすことが出来た。発つ前に家の掃除をするなんてことは今までは無かったこと。おかげで、大助かり。しばし、ソファーで寛ぎ、皆帰った後の静けさの中で余韻をかみしめることが出来た。

 さあ、いよいよ滞っている日光清風塾の会報編集に専念せねば!!



2022年7月29日金曜日

日光清風塾月例講話会 2022年7月24日(日)

 100回講話会「アジア諸国との交流を深めよう」要旨 令和4724

これまで、日光清風塾が主催、イニシャチブを取ったアジア諸国との交流事業(東日本大震災後の風評被害対策として「大使館ウイークin Nikko」、未来への絆を築く集いとして「アセアン10カ国大使との交流会」、「東アジア大使RCEPとの交流会」、中国の学生や、インドネシアの学生とのホームステイを含めた交流等)、をふり返りながら、今や若い世代にこのテーマに真剣に取り組んで行って欲しいとの塾長の生涯の思いが強く伝わった。そのスタートとしてMISMulti-lateral Interaction with Students、アジア学生交流会)活動を手掛ける東大生、宇大生などが中心に動き始めているグループの中で、アジアとの学生とどう交流して行くか、いろいろ提言、指導に動き始めている。この時代だからこそすでにこのテーマを意識してネットワークで繋がるシンガポールの大学生などともオンラインで広くやれる。

 20代の若者たちの将来は難しい。戦争に直面する可能性があり、世界平和の問題を若い人達が彼らの問題として真剣に取り組まなければならない時に来ている。政府と関係の無い、しがらみの無い所で、学生がアジアの学生と共に立ち上がるべきというのがその趣旨である。若い人の純粋な気持ちでアジアの平和を守る平和維持活動である。東南アジアにおける日本のプレゼンスが後退している今、若い人たちがこの活動でプレゼンスを拡大すべきである。中国と話しをする関係も築くことが重要。日中が協力して東南アジアをサポートすべき。日本はお金ではなく、知恵で平和維持活動を。自分の利益の為ではなく、社会の為、アジアの為に。

アジアの将来は今、危険な状況にあり、米中戦争を起こさせないということは東南アジア全てが思っていることである。

2022年7月8日金曜日

2020年7月7日(木)日光清風塾がインドネシア大使館訪問

 コロナ禍の様子を見ながら、インドネシア大使館訪問の企画を立てるタイミングを見ていたが、そのうち膝のトラブルが重なって消極的になってしまっていた。しかし、イベントの企画は時間を要するので、とにかく、資料作りだけはとの思いで、PPT原稿作りに取り組み始めたのがついに5月末。プログラムは夫が大使館と連絡をとりながら、どんどん進めて行く。何回編集し直したことか。動画を入れる段になって、技術の乏しさに衝突。幸い、センターのMr.Shimazakiが大変親切に教えて下さった。動画の編集はノウハウが無くては無理だとわかり、わかるまで何回時間を貰ったことか。正直、今でも迷うところが多いが、とりあえず、形は出来た。それが訪問する一週間前。そこから、プレゼンの試行錯誤が出現。プレゼンをやってくれるMr.Kazamaに相談しながら、一寸、気を遣いながら、クラスでも実践し、別途センターでプロジェクターを借りて、指導して貰ったり、実に、詰めた緊張の一週間であった。書類づくりと参加者確保と書類の伝達、事務連絡作業を事務局長がてきぱきやってくれたことが幸いして、前向きにどんどん作業は進んだ気がする。最後のプレゼン練習をやったのが実に7月6日の本番の前日。おかげで、体重が減って、体調がすっきりしてきた。後は、天にお任せ。プレゼンテイターもひょっとして、O型?余り、神経質にこだわらないところがよかった。何とかなる、という思いでいるのがよくわかった。石橋をたたいて渡るタイプでないのが、こういう時はいいのかもしれない。

さて、7月7日当日の朝は爽やか。暑くもなく、雨も降りそうになく、いい予感がした。夫は前日に別のアポがあったため、前日に上京。それも私にとっては幸いした。自分だけに集中して、準備が出来た。当日の朝はメンバー仲間のMr.Sugawaraのご厚意で、下今市駅すぐ前の彼の邸宅の庭に車をおかせてもらった。もう一人、宇都宮からのメンバーと一緒に。そして、無事乗り込んだ7時45分発の電車には、日光から乗り込んだ仲間も居て、いよいよ出発の意気込みになる。みんなで、スラムを組んで出発進行!四谷駅で更に別の電車で来た参加者と合流して、無事29人全員が揃って5分の道のりを大使館に向かって進行。何だか、お祭り気分。

大使館では、初めてこういった場所に来たという人達にとっては、刺激的だったよう。三々五々、待合ホールで待機してもらって、プレゼンの準備設定のため、プレゼンテイターとプログラムが行われる9階に行き、パソコンの設定にかかる。Oh my goodness! USBを持参していて安堵する。つまり、パソコンは大使館のものが既に、音響などの機材と設定されていたので、持参したパソコンを使うのは無理であったのだ。音が小さかった動画部分の音響も調整出来ることがわかって、二度安堵する。

プログラムは予定通りスタートしたが、どうしても、予定よりを遅くなるもの。全部が終了したのが結局20分くらい遅くなったが、tidak apa apa! 上出来であった。大使は公務で大忙しで結局、お会いできなかったが、事前に、夫が大使館側に依頼して、大使のメッセージをいただいた。これは良かった。そして、公使参事官のMs.Meinartiさんがまず、ウイルカムワードを。そして、夫が、最初のサンキューリマークスを殆どインドネシア語でやってのけた。英語がその後続いたが、現役時代を思い起こさせるほど、立派なものであった。勿論事前の勉強、準備はしていたが、それ自体の姿勢が一向に衰えていないのには感心せざるを得ない。あの物事を実施する場に及ぶ時の態度というか、姿勢を維持するには相当のエネルギーを使う筈であるが、やわらかい表情でやってのけるところは、まだ、プロ意識が健在だと、つくづく感じいってしまった。これは、最後のお礼の言葉の時も同じ。

大使館側のプレゼンは慣れたもので、フリーハンドでスムースに親近感を持たせるほど、温かい、柔らかいムードの中で行われ、気持ちもほぐれる。そのご、いよいよ日光清風塾側のプレゼンへと進んだが、Mr.Kazamaはいつもの変わりなく、何とかなるという姿勢で臨んでいたようで、サポート役の私も気持ちが楽になり、プレゼンは滞りなくやってのけてくれた。後は、ギフトの交換(これも、嵩張る石屋の煎餅を4缶、日光か
ら運んでくれた仲間に感謝)、記念の集合写真撮影と進み、ビュッフェランチへ。ランチの時は、それぞれ、会話を積極的にする人もあったようだが、私はそこまで目が行き届かなかったものの、みんな楽しんだよう。終わりの頃に、参加していた2人の東大生(女性)の1人がMIS(Much more Introduction with Students)のプレゼンをフリーハンドでやってのけてくれたのは良かった。若い人たちがスタートしようとしているアジア諸国の大学生とのネットワークを広げて、将来の平和構築に進もうとしていること。これは夫の生涯の目標それ自体である。この活動を夫が軸になって立ち上げようとしている。まだまだ活動は続く。年齢の事は眼中に無い様子。プログラムを無事終えて、解散。皆それぞれ自由に帰路についたが、宇都宮から来てくれた洋子さん、由美子さん、副理事長の松尾さん、そして、いつも写真どりをして下さる手塚さんの4人で、伊勢丹のカフェに入り、2時間ぐらいお茶してお喋り。プログラムの余韻を味わいながら。下今市に到着したのが5時40分。丁度良い時間に帰宅出来た。夫は、東京で学生さん達と今後のことを話し合ったり、もう一つアポがあったため、帰宅したのは最終電車。ところが、下今市では降りて来ず、最終駅、日光まで行ってしまった!やれやれ。お疲れ様でした。

2022年7月5日火曜日

今年(2022年)の梅雨は異常

6月中旬に始まった梅雨は2週間で明けてしまった。7月を待たずに梅雨が明けて、入道雲が確かに目立ち始めた。ところが、台風の影響もあってか、7月初めから梅雨の戻りを感じさせる雨が続いている。高温度でじめじめした気候のせいで不快指数が高い。それでも、合間を縫って、ゴルフは週一で続ける根性はまだある、というか、夫のイニシャチブでハーフラウンドはするようにしている。確かにワンラウンドは難しいが、膝の調子も良い方向に向いているので、極力運動は維持して行きたい。

6月中旬から本格的にスタートしたPPT原稿作りは意気込みが出てくると編集に改良の意欲が出て時間の経過が驚くほど速い。自信がないまま作成し続けていた部分があったが、朝子に見て貰って、すっかり自信がついた。夫のコメントはいつもディスカレッジイングになるので、避ける部分があったが、こうして、エンカレッジして貰うと勇気と自信が出てくる。



話は前後するが、7月2日にはカンマーコールの10周年記念演奏が今市文化会館で無事開催された。暑い中、汗をかきながら、楽屋での洋服の着替えはつらかったが、各任務を担当するメンバーさんには頭が下がる思いであった。みんな、一生懸命に動き回っている。指示されて動いているとしても、活気に溢れて、みんなが協力する雰囲気にあるのが、このコーラスグループの特徴なのかもしれない。指示する人はその傲慢さに嫌われやすいが、リーダーシップの強さがあってこそ組織は動く。一見今回の演奏も成功したと言えよう。この演奏会の為に、長女の朝子が長女の明里(孫No4)と共に、遥々町田から来てくれた。そして、彼女の感想、コメントがまた励まされるもので、大いに自信を持った。その彼女が、私のPPT原稿を見て、元気の出るコメントをくれたのである。彼女の心の向き方、人に対する思いやりと心から感動してくれる対応にはいつも感心する。見習うべきといつも思う。



2022年6月15日水曜日

2022年6月14日(火)

 6月14日(火)



3月24日かに火が付いたロシアによるウクライナ侵攻は当初の予想とは程遠く、長々と続き、戦争の悲惨さが世界中に発信拡散されて、未だに停戦の兆しは見えない。ハイブリッド戦争の凄まじさをまざまざと見せつけられている。

4月の講話会「ウクライナの現状と日本への影響」と題して開催した日光清風塾第97回講話会を皮切りに、当塾は「ウクライナ避難民支援募金」活動をスタート。その後いろいろな形で募金活動を続けてきた。塾長の尽力で、募金は直接大使館を訪問して届けることになり、昨日(14日)、当塾の副理事長、事務局長と共に、大使館を訪問。直接大使閣下にお渡しすることが出来た。当塾を代表して塾長によるお見舞い状と一緒に、この2カ月で集まった募金と共に、心からの表敬とお見舞いのご挨拶が出来たことに感謝したい。




2022年5月27日金曜日

5月27日、金、

 5月27日最後の金曜日は昨夜からの大雨が土砂降りとなり、その中をEECCに向かった。先日も春雷があったほどで、このところ、季節の変わり目の特徴が甚だしい。

 1か月前から、大使館訪問目掛けて、日光PRの原稿読み指導にかかっているが、これでいいのだろうか。モチベーションをどう生み出すか、内容を把握したうえで、リーディング練習をするのだが、しっくりこない。正規の時間以外に、練習時間を設ける必要があると思っている。原稿自体を短く簡略にすべきかも。頭の働きが遅々としている自分に全責任があると思うと手足の出ない達磨さん状態になってしまいそう。脱出!脱出!やらないでは何も進まない。とにかく音読続行しかない。この鬱気分は、どうやら、左膝を故障してからのよう。水が溜まって、腫れて、突っ張った感じが続いている。動いている分には痛みが無いので、火曜日に鬼怒川での女子会に予定通り参加。何とか18ホール回ったが、やはり、脚を使い過ぎたせいか、夜中に何となくの痛みで何度も目が覚めた。翌日は予約もあったので病院へ。病院での診察で、かなり腫れているので、ヒアルロン酸注射をやりますか、と問われて、素直にやって貰った。一時、軽くなったかな、と思いきや、余り変わらない。それでもその翌日は夫とハーフやることになっていたので、それも決行。これは散々な結果に。スコアだけでなく、脚にもかなり疲労感があった。それでも、ずっとこのところスコアの悪い夫が上出来に終わって、彼の機嫌が良かったことに救われた。そして今日の金曜日は大雨。何故か、脚の調子はそんなに悪くない。ハーフぐらい回るのが一番運動にもなり、無理もなく良いのかも知れない。とにかく、ゴルフは続けてこそ、私の毎日は生かされると思っている。

Otherwise, my life would be destined for the sunset boulevard!

2022年5月16日月曜日

2022年5月15日

 2022年5月15日(日)

沖縄が日本に返還になったのが50年前の今日。その日に、次女が誕生した。小さい時から人前で歌を歌うことを躊躇せず、我先にパフォーマンスをするところがあった。三つ子の魂百迄とは良く言ったもの。親の職業柄、海外での小中学校時代を経て、高校大学は日本で終了し、社会人になり、いろいろな出会いから人生そのものにつぃてそれなりに考え、結婚し、二児の母となり、その間資格をとって、今では小学校での英語専任教師になっている。コミュニティーでの活動も楽しみながら、50年の歳月を経た今、本来の音楽のリズムに乗った生活をスタートさせている。50歳になったのを転機に、Roland社のキーボードを自分にプレゼント。キーボードの音の良さにほれ込んでいる様子。これから、新たな、希望の歌が沢山きけることだろう。50年前の結婚式にリリースした彼女のオリジナル曲(作詞、作曲、歌唱全部)「大きな木とそよ風とわたし」が、今回、姉のピアノ伴奏、私が数日前に配信した朝のマイナスイオン一杯の森の動画を背景に、姉妹でのコラボが90秒に見事に編集し直された。それが、自分をこの世に送り出してくれた親に感謝したいと、スペシャルプレゼントとしてLineに載せて送られてきた。最高に感激した。soraという名前で登録しているアプリにも搭載。人を感動させる歌をどんどん歌って欲しい。そして自分自身が人生を楽しいものに創り上げて行って欲しい。

同じこの日に、恒例の義母を偲ぶ会を我が家で開催。今年は、94歳の長姉を筆頭に、91歳の二番目の姉、三番目、四番目、五番目、六番目の姉達6人全員が参加出来てこんなに盛り上がったのは久しぶりであった。前日は雨模様だったが、当日は天気に恵まれ、戸外での食事会は大賑わい。とにかく、夫の姉達6人が健在で、お喋り好きというのが、場を盛り上げてくれる。それぞれ、体のどこかに支障はあるが、我々も今やその仲間入りで、夫は右アキレス腱損傷の後遺症をかかえ、私は左膝に故障が。多少びっこをひきながらも、ホスト、ホステスをやれる体力はまだあるのが嬉しい。次回は紅葉の秋の集いを予定。どうか、皆、元気で居続けて欲しいと願う。


2022年5月6日金曜日

2022年のGW

 2022年のGWは2年のブランクを経て解放感を得たものになったよう。

孫達が成長するごとに、夫々のスケジュールが表面化してくる。休暇にはいつも親と行動を共にしていたものだが、家族が全員揃っての行動は段々難しくなってきていることが今回はよくわかった。都心から単独で遅く合流して、一足先に帰って行った子も。高校生になったNo1とNo2の孫は170㎝は越えたようで、とにかく、数カ月ごとに会うとその伸び方が如実である。頼もしい反面、話し方も大人じみてきて、少々戸惑うことも。今の子供たちは、スタイルを気にするのか、食事も食べ放題ではない。セルフコントロールがしっかり出来ている。細い訳だ。小四の女の子もそろそろ体形を気にし始めているよう。それでも、しっかり成長して飛び回っている。子供は食べて寝て遊びまわって大きくなると言われたものだが、今は、自制が加わっているように見受けられる。これは見習うべきかも。

ともあれ、町田組は3泊4日、市川組は2泊3日を目いっぱい有効に、中身の濃い休日を我々と共に過ごしてくれたことに感謝したい。三鷹組はテント族になって、今回は富士の麓やら、軽井沢でキャンプを楽しんだ模様。GWの後半は好天気に恵まれて、大変ラッキーであった。夫々、貴重な経験を積み、忘れられない思い出作りが出来たことと思う。

私の膝の調子はもう一つ。それでも、何とか、みんなと一緒に行動を共に出来て、忙しい中にも、若い人から刺激を一杯貰って、いたわりあえる家族に乾杯したが・・つい気持ちが解けて、何年かぶりでワインを飲み過ぎてしまった。長女の旦那がいるとつい一緒に飲み、話も盛り上がってしますう。彼は、ビールの後はワイン、そして、もっぱら、焼酎に行きつく。私は、ビールのあと、ワインをかなり飲んだ。話はジャンジャン出来るのに、立ち上がるともうフラフラ。でも、最後には、ちゃんと、顔のお肌の手入れを忘れずに。ただ、その後がいけなかった。My stomach got very upset and ended up with                                       vomiting in a big quantity. Oh, la la! 

ハイライトは次女が陣頭指揮を執ったmusic collaboration。彼女の采配指導で長女がピアノ伴奏を担当し、父親と彼女が、あの「ひまわり」を歌ったこと。I was very much moved ! これはSNSにアップ。毎日聴くほどに。 They challenged and they beautifully made it!

2022年4月24日日曜日

4月23日(土)WFWP春の集い(30th Anniversary)

 WFWP(世界女性平和連合)の春の集いに夫婦で参加

恒例の春の集いは、今年でWFWP創立30周年ということで、月刊機関紙「Our Story」の編集を22年間、編集長として勤められた小林久恵理事の講話が企画されていた。毎月送られてくるこの薄いが内容が濃くて深い雑誌を私は毎月愛読させていただいている。その編集長を創刊以来担当してこられた方はどんな人であるか、その方のお話が聴けるという。「WFWPと共に歩んだ月刊アワーストーリー編集に携わって」というテーマで、小一時間話された。内容は二つ。

 一つは平和運動を使命とする中で、たまたま中東地域の担当となり、平和の為に出会いの場を築こうと中東女性会議を立ち上げることに。イラン、トルコ、パレスチナ、ヨルダン、エジプトにイスラエルを加えたことにより、敵対関係にあるパレスチナとイスラエルの怨念の環境が収まらない。何度も中途で志を断念しようとしたこと。しかし、何度かの挫折を乗り越えて存続したところ、第9回目に大変化が。イスラエルを批判する側のヨルダンの参加者ムスティの話をイスラエル代表のジュディスカープが、受けて立つ器の大きな人であり、初めて怒りを感じないユダヤ人になったことに感激を受けた話。21回目では、国ではなく、息子を失った母親としての立場で出席した話。などなどいかに今日の合意に至ったかのご苦労と葛藤のお話であった。2020年、イスラエルとUAEは平和条約を締結して国交の正常化に向かう。いわゆるアブラハムの合意。ユダヤもアラブも元を辿ればアブラハムの家庭。正妻のサラと側室のハガルの二つの流れがユダヤ民族とアラブ民族になったのであり、それが原点に戻ったということなのか。平和の種を蒔く一心で、長きにわたり、この中東女性会議の設立に成功された尽力は計り知れない。

 二つ目は「Her story→Our Story」の編集に携わる中での3~400人もの人にインタビューをやってきた話。「会いたいこの人」「時代に咲いた人」の記事は奥深い。誰にインタビューするか、誰を取り上げるかは読者やスタッフからの要望、推薦、メディアでの評価などから選ばれたそう。以前、実際にご講話を聴き、お話も出来た鮫島純子さん(本年9月に100歳になられる)のお話もされた。鮫島さんの「何があってもありがとう」を肝に銘じて精進し、心に花を持って歩きたいというコメントが強く心に響いた。偉い人は偉ぶらない。人を説得しようとすると必ず、壁が出来、反抗が生まれるということ。立派な人は苦労をしているからこそ立派になられるとiうこと。「Our story」の編集長にお会い出来て、生のお話を伺えて、今日は素晴らしい日となった。


 ウクライナの厳しい状況の話もあったことから、私達の日光清風塾の講話会と支援募金活動のお知らせをしたところ、何人かの方から早速ご理解をいただいたことも忘れられない。


2022年4月21日木曜日

4月20日 ついに再度病院へ

 2月3日、翌日は冬季オリンピックが北京で開催されるこの時期に、左膝の痛みが気になり病院へ。レントゲン撮影した結果、加齢による老人性関節炎との診断。特に処置をすることもなくそのまま、何となく日常を過ごしてきていた。

 ところが、先週4月13日(水)、清風塾の役員交代を機に、我が家でご苦労様会としてBBQを開催。メニューの準備や外のセッティングを朝早くからスタートして時間に余裕を見ながらも、ぶっ続けで動いたことから、解散後足の具合がもう一つ。それでも一晩休んで、翌日は、予定通りに淳子さんご夫妻とゴルフ。少しチンバを引きながらの18ホールを全う。スコアは酷かったが、16000歩以上は歩いた。そのまま一週間が過ぎて、翌週の火曜日(19日)、今度は雨模様の中ゴルフを決行。久しぶりに渡辺氏も加わって、元気にスタートしたものの、4ホール目のショートホールで、カートに座ろうとして左脚に激痛が走った。そのホールは我慢してホールアウトしたが、もう痛くて動けない。そのまま自分はカートに座り込み、プレイメイト(主人と渡邊氏)には続行を願って最後までドライバー役で辿り着いた。3時ごろから雨は強くなり、そのまま帰宅。動けない中、主人が、「自分がやる」と言い続けて、夕食の準備をしてくれた。病気には深い思い入れがあって、これなら、ずっと病人で居ても良いのでは、などと勝手な世界を想像。とはいえ、痛みは本物で、この日は静かに布団に入ってしまった。

 そして、翌日、病院へ。主人が付添ってくれて、病院内では車椅子状態。車いすからの目線がいやに新鮮に思えた。予約なしの外来で登院したので、待つこと4時間。採血とレントゲンを撮り、診察を受ける。中年の男性医師、都丸先生?整形外科の先生は言葉遣いがはっきりしていて気持ちが良い。優柔不断な診察でなかったことは幸いだった。診断が早くて、主人が暗示する手術云々の意見には即、80歳越えると、手術は難しくなるケースがあること、その必要はないこと、炎症を起こして水が溜まっていること、今時点での対処方法として、痛み止めの投薬と湿布でよろしいという判断。ご自分は脊髄の専門で、膝の方の専門医に次回は診て貰うよう次回の予約を入れてくれた。病気は、医師と患者の信頼関係に大いに左右される。膝は常に筋力を落とさないようにストレッチを怠らないこと。痛みが無ければ、ゴルフはOK、というのが気に入った。ウオーキングもやり過ぎないことが注意点。今回は、元気印の慶子さんへのウオーニングだったと捉えて少し自重することにする。5週間後はどうなっているか。慎重に、でも、この状況をしっかり受け止めて前に進もうと思っている。人生いろいろ起こる。

2022年4月12日火曜日

4月に入って急に春めき、一挙に真夏日も

 4月7日、才子さんの銀座画廊・美術館での玉松会書展鑑賞に便乗して越中島時代の友人グループと再会。才子さんの書は82歳の手になるものとは思えないほど活力に満ち、力強くて逞しい美しさに感動しました。かな漢字は素人には読めない。自分で漢字を選んでかな化して、魔法じみているが、筆墨の強弱、バランス、空間の陣取りが、構成の美の追求に向かっている。読めない悔しさがある中、彼女の説明を聞いて納得。この大作でも筆は一挙に使い切るとのこと。熟練の技である。

斎藤茂吉の歌から  さやかなる 月の光に照らされて 動ける雲は峰をはなれず

1979年~83年までの4年間、越中島の合同宿舎に住んでいた時のご縁で親交が続く才子さん、啓子さんに2人が加わって2年ぶりに集い、銀座画廊から近い加賀料理の大志満で一寸セレブな昼食会を決行。コロナがまだ影響する中だったので、テーブルは二つに。松花堂弁当は可愛くて味も優れていた。QRコードで予約するとワンドリンクが付く。おかげで生ビールをグイと。お喋りは尽きない。2時間が限度なので、終わると地下鉄駅がすぐ前にある銀座街角のテラスに移動して延々とお喋りの続きを5時過ぎまで。大いに息抜きをし、刺激を受け、気持ちも新たに帰途についた。



2022年3月28日月曜日

2022年の3月は世界中が大揺れ、身近でも激震が。

 3月28日(月)春の嵐と共にいろいろなことがあった3月もとりあえず今日で一段落。

 初お彼岸を迎える友人宅を回る。20日の朝には小百の儀先生宅へ。昨年12月に往年94歳でご逝去。地元に絶大な影響力のある先生であった。晩年は短歌と水彩絵に没頭、日々のブログ代わりに絵と歌で綴るアルバムを制作。アルバムも大変な量となっていた。

 そして、20日には第96回の講話会「危機迫る人口減少」問題をテーマに実施。その後、2年振りに日光清風塾の理事会を開催。年度替わりの為、役員交代などの案件を相談。総会に向けて準備のスタートとなる。

 中日の21日には瀬川の手塚さん宅を。御母堂が1月7日に97歳で急逝された由。直前までお元気で、お風呂で静かに亡くなられていたそうで、儀先生の奥様と同じ最期の状況に啞然とする。22日には清滝の岸さん宅を。奥様が昨年10月頃、検査入院騒動でご自宅にお見舞いのつもりが亡くなられた直後に伺ったことに驚愕。思いがけない顛末に本当に驚き、申し訳ない気持ちで一杯だった。地元新聞の訃報欄は毎日注意すべきことを肝に銘じた次第。             更にこの日は今市映倫活動のグループがウクライナ支援チャリティー映画界を今市文化会館で開催。夫と一緒に観劇。映画はウクライナが舞台となる「ひまわり」。戦禍でのラブストーリーだが、戦争が齎すものは悲劇しかない。マストロヤンニとソフィアローレンが演じる恋人の悲劇が美しいウクライナの草原に広がるひまわり畑を背景に描かれる。イタリアからロシアの戦場にいる恋人を探しに向かう強い女性をソフィアローレンが演じる。戦場で、そのまま現地の女性と所帯を持ってしまう、やさしい一寸気の弱い男性をマストロヤンニが。落胆してイタリアに戻った彼女も違う男性と所帯を持ってしまう。自分をロシアまで探しに来てくれた女性への思いが募り、彼は、イタリアの彼女に会いに行くが、彼女も既に家族を持ち、既に時遅しで、彼女を説得することは出来ず、ロシアに戻って行く。切ない結末に、戦争が齎す悲劇に、聴衆は嘆き、今のウクライナに思いを馳せる。あの平和の象徴の姿であるひまわり畑がいつまでも心に焼き付いた映画であった。

 そして22日は冬に逆戻りした日で、大雪に見舞われた。そんな中、清滝からユネスコの理事会に出席。ユネスコの事務局は本当に整然と事務をこなし、運営していると思う。理事が各自、役割分担をうまく担って作業をこなすには、トップの采配力が必要だろうが、その道筋をどうつけるのかが課題である。

 22日の夜は信じられない出来事に遭遇。宇大の留学生C君の行方が不明との報に接し、正に信じられないことが起きていることに大ショック。仲間の学生達が動揺しながら奥日光へ捜索に。警察も動き、大使館にも連絡を入れて大騒動になった。何故?何故こんなことに?信じられない。毎日心のオプセッションとなり、ここ3年ぐらい、何かにつけ、我が家にもよく遊びに来て庭の木々を集めたり、BQパーティーでは手伝ってくれたり、日本語の良く出来る頭の良い学生であった。まだ信じられない。華厳の滝を目指したことはわかっている。彼の残されたスマホには雪景色の華厳の滝界隈のショットが残され、仲間に配信されていた。何という事だろう。彼の恋人の悲嘆さは想像を絶する。彼女にも理由がわからないという。お彼岸の真っ只中の春の嵐の日に、彼はどんな思いで行ってしまったのだろう。最近は宗教にも関心を持っていた様子だが、そうだとする彼の人生美学に吸い込まれるように彼の世界に誘われて行ったのだろうか。だとすると、彼自身には結論が見えて、彼の世界に誘い込まれるように美しく入り行き、苦悩を超越したのかもしれない。残された仲間にはまだまだ、やりけれない時が続く。

 27日(日)には東京から夫のMOFの同期のMr.Nさんが来訪。夫の配慮でゴルフにお誘いしたのがきっかけ。夜には数人の友人、夫の高校の同期のMr.Kさん、メディア関係のMs.Oさん、フルーティストとMr.Aさんにもディナーに参加していただいた。現役時代を想い出す食卓での会話は、地元にいるだけでは得られないものがある。限られた時間ではあったが、フルート演奏も聴かせていただくことが出来、久しぶりの賑いのある会話に興じることが出来た。コロナはまだ終息していないが、楽しいことを考えて人生を豊かにする努力は必要だと切実に感じた。翌日、夫とNさんはNCCへ。私はコーラスの練習に。午後、2時半頃、彼らは一緒にプレイしたMr.Sさん、Mr.Hさん共々帰宅し、小一時間、コーヒータイムを楽しんで、3時半に解散。夫はNさんの車に乗せて貰って東京へ。病院のアポがあって、明日帰宅する。

 ということで、久しぶりにPCの前に座ってブログを書いたところである。

2022年3月5日土曜日

今や三月、世界は大変なことに。

 3月4日 冬季オリンピックは2月4日に開幕し、2月20日に閉幕。コロナ対策を厳重に行って、大きな問題は無かったようで、平和の祭典として決行して良かったと思う。メダル数も期待された以上の獲得で、日本選手団はホットしたことだろう。一番の話題は羽生選手のquad access。彼が挑戦した四回転半そのものが公認されたこと。転倒はしたものの、認定された意味は大きく、彼の勇気が世界中から絶賛された。女子は坂本選手が、triple access に挑戦するよりも、本来の美しいフィギュアスケートを見せたことも良かった。問題はロシアのワリワナ選手がドーピング問題に巻き込まれ、何とも残念な終わり方をしたこと。これは今後の大きな問題となっていくことだろう。

ところが、オリンピックが終わって4日後、ロシア軍が突然ウクライナに侵攻して残虐な戦争を始めてしまった。Beijing2022が終わって、次のパラリンピックが始まる3月4日までの間にロシアはウクライナを制圧する計算だったとも言われているが、今や核戦争を口にし始めるほどにエスカレートしてきている。停戦協議を試みるものの1回、2回と重ねるも合意は得られていない。プーチン大統領の異常なやり方に、西側は苦慮し、ウクライナは破壊される寸前までにきている。西側は援助の軍事行動は抑止。経済制裁と武器の供与に留まっている。経済制裁がどこまでロシアに打撃を与えるかわからないが、メディアは効果を期待。力ではロシアが圧倒的に強力であるが、ウクライナは必死に戦っている。各国でも反戦のデモが起きて国際的に反プーチン大の勢いが出てきてはいる。この動きがロシア国民を巻き込んで、国内から反戦の動きを盛り上げて独裁者を倒すしかないのではないか。力でウクライナを崩壊させたとしても、プーチンの勝利とはならないだろう。国際社会がいずれは包囲して彼は失脚することになるだろう。東西冷戦が終わって30年、国際社会の安全保障体制の枠組みをリセットする時が来たのだろう。この後で中国がどう動くが懸念される。

テレビではウクライナの惨状を伝える一方で、北京でのパラリンピックの開会式の様子が流れている。世界の平和の祭典を謳うこれ以上ないほどの華麗で美しいデジタルを駆使した映像である。その中で、IPCの会長の挨拶は力強かった。名指しはしなかったが、ウクライナ情勢を念頭に入れた、平和への闘いの先頭に立つアスリート達へのエールが漲っていた。ウクライナの人達を思うと胸が痛み、やりきれない。とにかく、国益を議論する前に、まず、戦争は止めて欲しい。コロナのパンデミックで世界がどん底に落ちているとき、人間が自ら人間を破滅に追いやっている。コロナで人命を必死で救おうとしている人達の思いはどうなるのか。

2022年2月17日木曜日

時は流れて、今や2月半ばに。

2月17日 1月に一度投稿したきりで、久しぶりにパソコンに向かう。令和4年は今度は、新型コロナ、オミクロンが世界を恐怖に陥れはじめた。南アから始まり、ヨーロッパ、アメリカに感染が拡大し、1月中旬には沖縄に上陸、ついに日本全土を脅かすことに。2月5日は日本全土で感染者が10万を越えた。そういう状況下で、私達は自粛を念頭におきながらも、運動優先で広い外の新鮮な空気を吸う中でゴルフは続けてきた。寒い中でも日光のゴルファーは多い。そしてBeijing 2022が2月4日に開催、スタートして、今、冬の競技が酣である。開催国の計算された思惑がメディアで議論されているが、始まったからには、昨年のTokyo2020同様、アスリート達を応援し、楽しみたい。日本選手の活躍は驚くほどで、ベテラン選手に交じって若い選手の登場にはそれこそあっぱれというしかない。 女子アイスホッケーも沸き立ったが女子カーリングも盛り上がっている。本日の対スイス戦に勝てば6勝3敗で準決勝に進める。ロコ・ソラーレの彼女たちの会話と笑顔が可愛くてこちらも笑顔にさせてくれる。

さて、2月に入って、左膝の調子が悪く、3日に病院に行ってみた。レントゲン検査では異常無という判定であったが、時々の痛み、不調は加齢からくる関節炎だと言われた。加齢という言葉が最近つきまとう。毎日のウオーキングは心してやり続けているが、かばうより、使って鍛えるしかなさそう。幸いなことにゴルフは出来る。夫はしきりと東京の病院行きを勧める。大事をとって、コロナが落ち着いたら行って見ようと思う。

ヘルマン・ヘッセの「夏の終わり」というエッセーが1月28日付けの日経の春秋に引用されている。<自分の人生にとって、夏の時代は終わった。そう実感する日が誰にも訪れる。40代か、60代か。時期こそ人それぞれだが、周りを冷気が取り囲み、木々の緑が黄色く変わっていることを突然知り、うろたえる。人生の秋を迎えた目にまぶしく映るのが「芸術やスポーツや科学に出現する新しいスターたち」だ。夏の時代を生きる彼ら、彼女らに生の意志と命のドラマを見る。秋とはいえ自分も生の途上にいる。・・冬が来る前に、私達の行く手にはまだ多くのよいことが待っている> 何だか、膝の調子を悪くして、自分の年齢を改めて思い始める自分に気づいて、これじゃ―いけない。まだまだ多くのやるべきことを抱えている筈。アスリート達は大事故、大怪我を乗り越えて頑張っている。ハーフパイプで金メダルを獲得した17歳の平野歩夢は練習中に大事故で肝臓破裂で九死に一生を得ているときいて驚いた。ロコ・ソラーレの彼女達の笑顔も見習いたい。

2022年1月8日土曜日

2022年の幕開け A New year has started

 During the year end and the new year days we had a Chinese student from Tokyo preparing for a graduate school so that she can enjoy Japanese new year holidays together with us. Inviting one more from Utsunomiya, Masao took them up to the deep Nikko on the last day of the year 2021 to do skiing(cross-country) in spite of his Achilles' tendon which has not been completely cured yet. He just wanted to see how he could do. Fortunately it turned to be alright and he got to be sure he can do skiing. Actually he challenged again to do down hill skiing this time with our children's families 4 days later. He did without any serious problem. He is going to be 80 this year but still he wants to keep challenging. I want he should be more self-control minded. 

 Then on the next day, the New Year Day, I found an email from Rosemary telling what happened to her son living in Denver, Colorado. The entire county where he lives was attacked by the wild fires and he lost everything. Rosemary's big sorrow just hurts us and I couldn't find any word to express my feeling but immediately I emailed her back just telling my feeling to share their sorrow. It must have been awful to face such a devastating incident happening at the very end of the year. So crucial nightmare.

 3日の昼に町田組と市川組が到着。町田組は、全家族4人、市川組は娘が長男の都合で次男と大ちゃん(foster child)を連れて、合計7人が一緒に車でやってきた。急に我が家がっ活気づいて大賑わい。娘とはやはりありがたいもの。世話をしながら、おしゃべりが絶えなくて明るくなる。この春、高校生になる男の子1人と小学3年生が2人、大ちゃんはまだ4歳。みんなゲームに夢中で声をかけない限り、会話は進まないのが、今の時代。しかし、小3の明里ちゃんの油絵は見事。絵画教室から展覧会に出す作品として写真で見てから驚き、感心し、気になっていた作品で、今回持参してくれた。しばらく我が家に飾る許可を得て、つまり、貸出作品として、我が家で毎日鑑賞できる。半年前から、4号ぐらいの作品二つは私の父の作品と並べて上の壁に飾っているがこれも素晴らしい。彼女のブルーの色が、まさに、フェルメールのブルーではないが、明里版のブルーとして私は大変気に入っている。毎日、リビングに降りてきて、朝一番に見て、一日が始まっている。今度はこの20号(?)の作品をピアノの上に置いて、一段と迫力を持って活力を貰うことが出来る。ありがたき幸せである。

   

彼らは、4日に先にも触れたが、アキレス腱の後遺症がまだある夫も連れてエーデルヴァイスへスキーに出かけた。町田組はスキー一家で皆滑れる。お婿さんが一級インストラクターの資格を持つ、スキーヤーでもあり、山登りに秀でている人なので、全て、安心してお任せできる。おかげで、皆、滑れるようになっている。大ちゃんには初めての雪そりをやらせて楽しんだよう。帰路は鬼怒川の温泉に入って、帰宅したのが6時。それに合わせて、夕食の準備が出来て、全てうまくいった。お腹を空かしていたようで、作り甲斐があるというもの。初日は鮭寿司、しゃぶしゃぶ、お節料理、ガルバッチョ、そして、久しぶりで焼いたショートケーキ、2日目はチキンカツ、ポテトサラダ、ガルバッチョ、まだあるお節料理。おしるこ、などで、台所作業は正直燃えつき状態。おかげで、宴の時のワイン、焼酎はたっぷり頂いて、おしゃべりも輪をかけて快活になったよう。健康であることに感謝しながら、今年が無事に進むよう祈りながらのfamily gatheringであった。食後には次女の指導で、竹内まりあの「命のうた」をアプリを使って4人合唱。楽しかった~❣