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2021年12月30日木曜日

年の瀬の歌い納め


12月28日

年の瀬の仕事納めの日に、私達も今年のコーラス活動納めとして、今後二度とは無いであろう東京フィルハーモニック交響楽団と共演するという大音楽会に参加。4日前に、皆で東京のOpera Cityまでバスで出かけてリハーサルを一度やったことは既に記述している。本番で無事出演をやり遂げた感動は仲間全部が共有。シニア女性のど根性の賜物である。開演前のお客様の入場の様子を捉えた動画がリハーサル室のモニターに映し出
されていた。そのリハーサル室では、待機中のコーラス仲間が必死の慣れないメイク作業。朝9時に会場に着いて、リハーサル室のセッティング、チラシの折り込み作業、仕出し弁当で賑やかに昼食を済ませ、午後のリハーサルへとスケジュールが進む。脚をまっすぐ、格好良い立ち姿、姿勢に神経を使う。30分が限界とみた。しかし、本番は小一時間と見るべき。よろけ
る人が出ませんように。。。しかし、このグループは本番に強いという定評がある。それを信じて、皆んな、大騒ぎをしながら、まつ毛をつけるのに大わらわであった。平素は歌の指導を受けて、歌うだけのグループだが、こういったイベントになると、忌憚なくおしゃべりが続き、親睦を深める良い機会となる。初めて、話す人もいたりする。予定では出番は午後6時頃
であったが、半時間ずれ込んで、実際には6時35分に舞台へ移動。緞帳は無い。客席がすぐ目の前に広がる。リハーサル室で見たモニターで、夫が早々と前の席に付いているのを発見して驚いたが、そのお陰で、舞台に上がった時は、探す必要もなく、目線は指揮者に集中出来た。いい感じで一年の童謡メドレーがスタート。オーケストラの音もsoloistたちの声も、別の合唱団の声もしっかり聴けた。確かに本番に強いのかも。今回もシニア女性のど根性が功を奏した。あっぱれなり。



2021年12月25日土曜日

12月24日(金)合唱リハーサルをOpera Cityで。

12月24日、日光カンマコール女性合唱団約30名の一行は大型バスを借り切って新宿へ。28日の宇都宮総合文化センターでの本番を控えて、東京フィルハーモニー(Tokyo Philharmonic)との合同リハーサルである。一年の童謡メロディー の合唱である。大沢公民館を9時半出発→蓮田SA→1時前に初台のオペラシティー着。1時から予定通りのリハーサル開始で約1時間半合同練習をした。opera cityでは真っすぐ地下室のリハーサル室に入り、練習が終わると地上階を見ることも無く、まっすぐバスに戻り、即、帰路に着いた。従って、楽しみにしていたクリスマスのイルミネーションを楽しむ時間は皆無で、バスで往復しただけのものだったが、バスの中での団員同士の親睦は意義があったと思う。平素の練習では歌うだけなのでいわゆるチャットは皆無であるため、こうした機会に、団員同士を知ることが出来る。それにしても、女性はいかにも元気で話好きであるとつくづく思う。だから、健康なのだろう。疲れて帰路は寝るのではと思っていたが、とんでもない。最後までにぎやかであった。当初はコロナ禍に配慮してバスの中ではおしゃべりしないこと、食べ物をシェアしたりしないこと、などと注意が出ていたにもかかわらず、リーダーがお菓子を配ったり、お喋りは延々とし放題という結果であった。本番まで後4日。今度は抗体検査キットを全員やるとのことで、これで、誰か陽性反応が出たら、どうなるんだろう。無事であることを祈らざるを得ない。

12月18日 二年振りのコンサート

 12月18日 2年振りに大野紘平君のコンサートが宇都宮総合文化センター、サブホールで開催され、夫と出かけた。彼の今年6月に初めてのCDリリースの記念ツアーとして、出身地宇都宮で急遽開催されたもの。ハイレベルのピアノ演奏をしながら、共演者のサックス奏者大坪俊樹氏との相打ちトークも巧みで、純粋なクラシック演奏者の枠を超えてのエンターテイナーとしての立場を本当にエンジョイしている感じがする。緩いキャラクターが親しまれて、このコロナ禍でも忙しく活動している様子。youtuberとしてネットでどんどん「こへまる」の名前で人気を広げている。ショパンのノクターンからスタートし、ベートーベンの「悲愴」の後は、私の好きなカッチーニーの「アベマリア」。これは情感たっぷりの演奏で本当に祈りたくなる。今回は殆ど彼のfirst album と同じ曲目が演奏され、最後にはピアソラのリベルタンゴをサックと共演して盛り上げてくれた。クラシックからポップス、ジャズとジャンルは幅広く、大衆受けのするコンサートであった。何よりも、こへまる自身が楽しんでやっているという印象であった。コンサートは夜7時からであったので終わったのは9時を過ぎていたが、彼はとんぼ返りで東京へ。翌日は東京タワーで演奏予定とのことだった。

2021年12月13日月曜日

2021年12月12日(日)Swinging Herd 50周年記念コンサート

 Swinging Herd 宇都宮文化会館大ホールでの歴史的50周年記念コンサート

結成以来53年が経過した今年は50周年にあたり、ルイ・アームストロングの没後50年、生誕120周年にあたるというダブルの奇跡的合致に盛り上がったコンサートとなった。コロナ禍にあって昨年は中止、一昨年は都合で行けなかったので、今回は久しぶりであった。この間亡くなったシャープス・アンド・フラットの原田信夫さんを偲ぶMedleyの中で、美空ひばりが歌った「真っ赤な太陽」があってを改めて聴き入った。この楽団オリジナルだという「ミヤ・De・ギョウーザ」は初めて聞いたが、なかなかユーモアがあり、団長の吉原郷典さんらしい愉快なナンバーであった。ピアニストであり、vocalistである岩田留美子さんの実力は健在。迫力のあるジャズバンドであることに加えて、今回のゲストも又素晴らしかった。今や92歳とは信じられない北村英治さんのクラリネットは凄かった。深くて、マイルドな音色は熟練した昇華したものであり、それでいてエネルギッシュ。トークも御年を疑うほど溌剌として、淀みがない。音楽の力をつくづく感じた。そして77歳の外山喜雄、恵子夫妻のトランペットとバンジョーは本場仕込み。ニューオリンズでしばらく活動されていた演奏活動家。北村氏にしても、外山氏にしても、それぞれ早稲田、慶応を卒業後にこれらの楽器に挑戦し、ジャズの世界に入られた方達でびっくりしてしまう。音楽をやる人は共通して、人生を上手に愉しんでおられる様子が伺える。勿論、極めるまでには困難な事が沢山あったであろうが、それを乗り越えてからの人生はそれだけに光り輝くものになる。今回は羨ましい演奏家の舞台を見て、大いに啓蒙され、感激を受けた。コロナ禍が少しづつ緩和されて、ここにきて、芸術家達が水を得た魚の如く、活動開始にスタートし、一週間後には又、宇都宮総合文化センターに行くことになっている。久しぶりで、大野紘平君の生コンサートを楽しみにしている所である。



2021年12月12日日曜日

12月8~11日

 12月8日、9日 

 

6日前にお亡くなりになった地元のT. Fukuda先生のお通夜と告別式に参列。お通夜、告別式はコロナ禍にあて、お焼香だけで帰る人も大勢いたが、私達は中に入り、沢山の華やかな生花で飾られた祭壇の中央に置かれた遺影を拝みご焼香。導師のお話から故人の人間としての強さ、立派さに改めて感じいってしまった。教師から県会議員となり、1986年4月、地元の市長に選出されたが、選挙にかかわるある事件により冤罪を背負わされて政治家としてのキャリアは断たれてしまった。以
後、長い冤罪との戦いは無念の歳月であったと聞く。しかし、故郷を思う気持ちは絶えることなく、国勢選挙、地方選挙では常にそのネットワークと知識が人を動かし、地元の名士として影の活躍をされて来た。第一線を退いてからは、彫刻、水彩画に没頭、短歌を詠み、絵画では知事賞などいくつもの賞を獲得されるほどの腕前であった。晩年の宇宙観が漂う平穏な水彩画は昇華された充実感があり見事というしかない。近年は、色紙に絵と短歌、俳句を書き、新聞の切り抜きなどと一緒に、大きなアルバムを日記のように何冊も作成しておられた。一方で、長年、重い病を患いながらも不屈の精神と根性を最後まで貫いた人であった。心身ともに驚くほど頑強で充実した人生であったに違いない。享年94歳。心からご冥福をお祈りいたします。

12月11日 和久奈ちよさんのお別れ会に参列

公益財団法人ワグナー・ナンドール記念財団主催で、去る、10月29日に逝去されたちよ夫人のお別れ会が東部グランデホテルで開催された。清楚で整然とした式典。予期した通り、生前のちよ夫人を惜しみ、称えた立派なものであった。栃木県知事、ハンガリー在京大使、参事官、ブダペストからわざわざ駆けつけた、あちらの関係者、友人
代表、益子副町長、の全て夫々のお立場からの心の籠った弔辞であった。ナンドール・ちよ夫妻の生涯を綴ったあの「ドナウの叫び」を書かれた下村徹夫人の洋子さんが讃美歌を独唱。阿久津政行氏のピアノと打保早紀さんのデゥオ演奏もあった。ちよ夫人は3年前、他の友人共々、紅葉の時期に我が家の庭で、BBQを囲んで談笑し、憩っていただいたことがある。その時に、「何だか別世界!」と言って、喜びながら、桃源郷の空気を味わっていただけたことをなつかしく偲び、もう、ああいう一時は無いと思うと残念である。享年91歳。心からご冥福をお祈りいたします。




2021年11月29日月曜日

Bohemian Rhapsody ・・・11月27日は偶然が重なって、感動の日となる。

 11月27日、親友の寛子さんの紹介で、ウイーンからのイップ常子さん(ウイーンに留学されてそのまま結婚され、ウイーン滞在48年。2005年に国家認定ガイドとなられた方)のzoomによる「ウイーンの魅力とロングステイ」の解説生放送に参加。ウイーンへは2,3度、パリとオスロに在住した折に、家族と車で出かけているが、ガイドさん無しの、本だけを頼りに回ったため、見るべきところをしっかりみていなかったことをつくづく思い知らされた。オーストリア全体が風光明媚で、ハプスブルグ家が築いた文化遺産が基本にある。マリア・テレジア美術館にはブリューゲルの作品が溢れ、ノーベル賞受賞者は続出し、学友協会のゴールデンホールでは毎年ウイーンフィルがnew year concertが開催される。シェルブール宮殿はかつて住宅不足の時には一般人に利用された話、ステファン大聖堂にはハプスブルグ家の内臓が保管されている話、ルスト市はコウノトリの街であること、音楽あり、絵画あり、美しい自然ありで、ウイーンはまさに芸術の都。世界一生活しやすい所にはハプスブルグ帝国を象徴する双頭の鷲が聳えている。交通機関、インフラも便利に完備。どの交通機関も共通に使えるパス(?)は年間運賃が365€だという。オーストリアはその歴史からカフェハウス文化の香りが漂う多民族国家ということから、中立国の国連都市とも言われているそう。環境問題に配慮した都市でもある。今回の講義からは、悪い所無し、火の打ち所の無い、本当に住みやすい所ということが強調されていた。 

たまたま同じ27日の夜、NHKBSプレミアムで素晴らしい番組に出会った。これも寛子さんの案内があって気が付いたもの。つまり、寛子さんのお嬢さんで、女医の禎子さんがこのプログラムで一寸登場するというお知らせであった。新聞で確認したタイトルが「99人のQueen」。Queenは、2年前、映画「Bohemian Rhapsody」を見てから、ファンになったグループである。日本シリーズが佳境に入っていたこともあり、あとで、じっくり観れるよう録画にセット。正解であった。翌日じっくり見て感動してしまった。つまり、私が大好きなQueenの曲が、2021年の今だから聴きたいクイーンの名曲(*)の数々が小林克也氏と女優の杏さんのナビゲイトで次々と紹介されたのである。2021年がQueenが結成されてから50周年、フレディ・マーキュリーが亡くなって30年にあたる.コロナで苦しんだ年にあたるというこの奇遇に運命的なものを感じてしまった。エイズに侵されて死を見つめながら、魂の歌を次から次と世に送り出した彼の凄さに改めて感動。そして、このプログラムの最後に、神奈川県のある病院が映し出され、コロナ患者に寄り添い、必死の闘いをする医療チームの中に、その寛子さんのお嬢さん、禎子さんの姿があったのである。彼女の懸命に患者に寄り添う姿を見て、思わず涙が出てしまった。寛子さん、今日は、素晴らしい情報案内を本当にありがとうございました。

(*)The show must go on 最後まで生き続けて / Spread your wings/Keep yourself             alive / Let me live / Love of my life /These are the days of our lives / Don't               stop me now / We will rock you / Bohemian Rhapsody / 「Teo Toriatte」 etc.

  

                           


     


「一粒の麦」を見て

 11月26日(金)偶然にも友人からチケットをいただいて地元の道の駅(ニコニコ本陣)で上映された映画を見ることが出来た。山田火砂子監督の「一粒の麦」。明治の男尊女卑の時代に波乱万丈に生きた女性解放運動の闘士、荻原吟子の生涯を描いた作品である。彼女は日本で初めて国家の認めた女医第一号となった人。山田火砂子女史ご自身が、映画の始まる前に檀上に立って挨拶されたが、彼女の映画作りへの熱情が伺えた。社会の負の部分に目を向けて生きることの意味を追求した映画を創作し続けて今や89歳というご高齢であることは驚きであった。「一粒の麦」は明治い時代に女性解放に挑んだ女性勇士をモデルにしたものである。次は三浦綾子原作の「われ弱ければーー八嶋楫子伝」に基づいて女性教育の先駆けとなった八嶋楫子の生涯をを製作中とのことであった。映画自体もドキュメンタリー風で説得力があり、胸を打たれる内容であったが、紹介のあった山田火砂子女史の著作を読んで、彼女自身が波乱万丈の人生を送ってきた人であり、心の強い、逸材の女性であることを知った。「トマトが咲く」という華奢な本であるが、内容はとてつもなく重厚である。映画「はだしのゲン」「裸の大将放浪記」「太陽の詩」「春男の翔んだ空」など話題作を生み出してきた著者のことばとして次の一節を引用しておく。・・この本は二人の娘みきとゆうを育てながら現代ぷろのプロデューサーとして29年間の体験をまとめたものです。子供達は時に私をおおいにあわてさせ、ある時は感動をあたえてくれる素晴らしい天使たちでした。・・・これだけを読むとさほどの困難を感じないが、精神薄弱の障害児を養育しながらの葛藤は想像を絶する。苦しみ嘆き闘いながらも貫き通した先に得たものは宝の天使。著者が望んでおられるように、私も家族や友人にこの本を紹介したいと思っている。

2021年11月18日木曜日

名残惜しい紅葉

2021年の11月初旬が酣だった紅葉も少しづつ色が褪せ、これから冬に向かってまっしぐらの様相。豊作だった柿の実もあと7個を残すのみとなった。それでもまだその余韻を楽しませてくれている。今年はネットを張って猿対策に備えたが、猿は一度も訪れなかった。野鳥の被害も無かった。実った柿は甘くて、ご近所に賞味してもらったり、訪れたゲストに試食してもらったりして、大活躍をした。

11月7日のホームコンサートに参加して最初にピアノを弾いてくれたのが小3の孫No4、Kaoriちゃんであった。半分失敗して半分成功した時の様子、雰囲気がとても伝わってくるスケッチを後で送ってくれた。上の青色の静物画(油絵)はこの夏、彼女が初めて油絵を描いた時の作品である。私はこの鮮やかなコバルトブルーが大変気に入っている。構図もいい。彼女は自分の世界を持っている。何時間でも絵を描き、ストーリーを紙を埋め尽くすほどに書き上げる。私の父も洋画を描いていた。父と孫の作品が今我が家には並べて飾ってある。毎朝、この鮮やかなブルーを眺めて一日がスタート出来ることに最大の喜びを感じている。




2021年11月12日金曜日

11月11日 益子の西明寺を訪ねて

 11月11日(木)久しぶりに益子を目指しての一人ドライブ。天気に恵まれ、道中の紅葉を愛でながら119号線→宮環→123号線→41号線経由で1時間半。道中、道端の野菜販売店で初物と言われたイチゴを購入。今日お見舞いに伺う10日前に大手術をして退院したばかりの友人のことが頭に浮かぶ。日光街道は四季折々、なかなか風情があってドライブには丁度良い。宮環を出て益子に向かう123号線の田舎の風景も楽しめる。ただ、益子に入ってから、いつも道が定かではなく、何となく回り道をしてしまう。益子の町は複雑に思えるのは私だけなのか。結果的に、目的地に無事到着しているから、良しとしよう。

今回はワーグナー・ナンドール アートギャラリーでまず牧子さんと落ち合った。去る10月29日に、ワーグナー・千代夫人が亡くなられたとの訃報に驚き、今開催中の秋季展覧会でお会いできることを楽しみにしていた矢先だったので、ショックを受けてしまった。せめて遺影の前でご冥福を祈りたかったのである。3年前、2018年11月18日、丁度ワーグナー秋季展覧会を終えた後に千代夫人も我が家での紅葉を愛でるBBQパーティーに参加して下さった。あの時は我が家の庭での集いに現生を忘れたかのような、くつろぎを感じたとおっしゃっていただいた。今思うと、今の私の年齢があの時の彼女の年齢だった。人生長いようで短く、短いようで長い。時は一時も休止せずに一歩一歩前へ進む。感謝しながらその一歩一歩に歩調をうまく合わせて進みたいと改めて思う。

さて、アートギャラリーを後にして、友人の由記子さんをお見舞いに。好天気が幸いして、まだ術後で痛々しいご様子だったが、ベランダまで歩いて出られて、体調の様子、近況をいつもの語り口で話されて、一寸安堵した。娘さんが近くにおられることが何よりだと本音を吐かれて、家族のありがたさが垣間見えたことも良かった。長居を避けて、10分程度で失礼したが、それでも彼女にとっては大変なエネルギーを使われたに違いない。一日もはやく良くなられて、精力的に陶芸の仕事に復活していただきたいと願う。

今回は牧子さんが私を西明寺の田中貞雅さんに紹介して下さることになっている。西明寺の存在を知ったのは先日の日光清風塾での武内孝善先生の講話からであった。地元のことを余りに知らなすぎる。空海が8世紀に中国で修行したお寺が西明寺。同じ真言宗の寺として同名のお寺が益子にあることをお話から知った。その繋がりで、牧子さんのご厚意が実ったわけである。4年前にご主人(田中雅博前住職で内科医)を亡くされ、今は中継ぎとして現住職であり、やはり普門院病院(西明寺の境内)の医師でもある。慈恵医大で雅博との出会いがあったという。同じ志で、ターミナルケアにも力を注いでおられるとのこと。元韓国ご出身で、今は日本人として世の為、人の為に尽力されている素晴らしい女性である。境内にあるレストランで美味しいお蕎麦をご馳走になった。

ネット→益子町の郊外に位置する獨鈷山(とっこさん)。西明寺はその南斜面の中腹にあります。正式名称は「獨鈷山普門院西明寺」。真言宗豊山派に属し、本尊は十一面観音菩薩。

2017年のニュースから→「僧侶兼医師として終末期医療に仏教精神を取り入れることを提唱し続け、自らもがんに侵された真言宗豊山派の西明寺住職、田中雅博(たなか・まさひろ)師が21日、死去した。70歳。自坊は栃木県益子町益子4469。家族のみの密葬を行い、後日、本葬を行う。日程は未定。

 昭和21年生まれ。東京慈恵会医科大卒。国立がん研究センターで内科医として勤務後、父の死去に伴って58年に退職し、西明寺住職を継いだ。

 平成2年、境内に普門院診療所を開設。仏教精神に基づく緩和ケアに取り組んだ功績が認められ、ローマ教皇庁の招きで4度にわたり渡欧し、仏教者の立場から国際会議で講演した。

 26年には進行性の膵臓(すいぞう)がんが見つかり、闘病を続けながら、宗教者が布教を目的とせずに患者のケアに当たる「臨床宗教師」の育成に尽力。28年に日本臨床宗教師会の顧問に就任した。」


2021年11月9日火曜日

2021年11月6日~7日 & 9日 紅葉を愛でる

2021年11月6日 紅葉のタイミングに合わせて7日(日)BBQとホームコンサートを企画

夫が一年かけて端正に手入れしてきた庭続きの林の紅葉が今年も最盛期を迎えた。我々だけで楽しむには余りに贅沢でもったいないと、関心のある方々にお声をかけて出向いていただき、その折にエンターテイメントを企画するのが恒例となっている。昨年はコロナ禍の中、残念ながら、大勢の方にお声がけできなかった。今年は、それでも、人数を抑えて、実現に踏み切った。紘平君が里美ママと初めて我が家に見えたのが、忘れもしない、2017年8月15日。善は急げタイプの友人美恵子さんから、中国人留学生を連れて来るという予告を得て、その気でお待ちしていたら、玄関に現れたのは紘平君親子であった。衝撃的スタートだった。紘平君のピアノを最初に聴いたのが音羽レストランで響子さんのバイオリンとの協演。その後7月25日に益子の青山でやはり二人の協演。そして8月15日にビッグサプライズとして我が家に。その後、何度か彼のピアノ演奏を聴く機会があり、宇都宮短期大学付属高校生でありながら、いろいろ活動を広げ、新鋭若手ピアニストとして巷に名が広がって行った。我が家に最初に見えた時、環境に魅せられ、林の中で小川のせせらぎを聞きながら、即興曲まで創ってくれた。その後、紅葉狩りを一つのタイミングにして、BBQ+ホームコンサートを企画するようになり、2018年11月18日には、益子のワーグナーちよさんも交えて華やかな恒例のホームコンサートをやるようになった。千代夫人は今年10月末に旅立たれてしまったという訃報が届いたのが11月初め。彼女のご冥福を祈りながら、あの時の千代夫人の感動した姿が想い出される。

今年は、東京から、セミプロ的なソプラノ歌手でもある土居さん、JETRO勤務で夫の友人のラオス人カイラさん、宇都宮大学の中国人留学生三人、宇都宮短期大学付属高校の音楽部の井口君親子、コーラス仲間の荒巻さん、渡邉さん、更に里美さん(紘平君は超多忙で都合つけず)、それに、小三の長女を連れて長女と次女が東京から応援に駆けつけてくれた。娘達は前日に到着して、まず、霧降の紅葉狩りに行った。家族に留守番させて、単独で里帰りするのは珍しく、彼女達は家族から一時離れて、本当に、リラックス出来たようだった。私も大助かり。準備の手助け、初めて会う来客とも笑顔で明るく接してくれて、おもてなしの手助けもしてくれた。何より、彼女たちもコンサートを引っ張ってくれた。長女はピアノ、次女は歌唱で。今までにない、本当の意味でのホームコンサートになったと思う。途中で、夫のアイディアで、インドネシアの元学生とも中継して、一緒にインドネシアの歌を歌ったことも新発想。夫の豊富なソフト面に私はハード面で応えるのが精一杯。ラオスの方も母国の歌を歌って下さった。夫は中国の留学生達と中国語、日本語両方で旅愁、里の秋を合掌。土居さんはきれいなソプラノでグリーグの歌をノルウェー語で歌い、ドイツ語の歌もどんどん出る。荒巻さん、渡邉さんはTime to say good byeを言語で歌うという驚きもあった。井口君が伴奏をやってくれた。コロナ対策のため、パティションにビニールシールドを張って。それぞれ、忌憚なく、楽しい雰囲気で歌い、演奏し、会話も弾んで大変喜んで貰えたことが何よりであった。そうそう、庭の柿が今年は豊作で、猿にもやられず、実りも絶頂の時で、皆さんに、お猿に代わって柿をもぎ取り、齧るという体験もしてもらった。見栄えは良くないが、甘く実った柿に、大満足されたことも嬉しかった。朝早くから用意をし、9時過ぎには留学生達が到着して準備の手伝いをしてくれた。そして、11時には皆揃って、BBQをスタート。コンサートは13時から始めて、16時過ぎに終了。娘達も含めて、東京へ戻られる方々をお送りしたり、慌ただしい一日であったが、最高の秋日和に恵まれ、最高の集いが出来たことに感謝したい。


2021年10月27日水曜日

傘寿にしてゴルフの実力アップ

 10月20日に傘の中に。そして歩くことに一層の心を寄せている。10月21日(木)、車の都合が悪かったおかげで、町中の美容院への往復を徒歩と決めた。秋晴れの好天気に恵まれたおかげで、往きも復も、腹式呼吸で歩きとおした。片道の所要時間は1時間弱だから、毎日のウオーキングと変わらない。ただ、一日2回歩いたと思うと、何か、得をしたような気になる。そして、翌22日は毎年恒例の、ソロプチミスト日光支部主催のチャリティーゴルフコンペに参加。前半のハーフの成績でのコンペなので、エンジンがかかるのが遅い人には不利である。私の場合は、その時の運不運まかせ。今回は前半のハーフはグロスで46であった。昨年は45だったと記憶している。新ペリエで順位が出されるので、隠しホール次第というところもあるが、不思議なもので、結果はそう変わらない。昨年は33位(男性が50名強、女性が20名弱、計75名の参加者)だったが、今年は35位(今年も参加人数は同じで男女の割合も変わらない)。飛び賞として、豚肉をゲット。ゴルフは歩いてこそのゴルフ。18ホールを回ると15000歩は歩く。

23日には、東京から中国人留学生の夢那さんが来晃。2泊して日曜日に帰って行ったが、土曜日には宇都宮からも2人の中国人留学生が加わり、夫が朝7時半スタートで3人を紅葉狩りに奥日光まで連れて行った。昼過ぎに戻って用意したミートソーススパゲティーで昼食。彼らは、庭で柿を収穫したり、森でキノコ狩り。庭の力仕事まで手伝ってくれた。そごの、歌の練習。そして、政治、社会の議論が始まった。内モンゴールから来ているという石君は高校から日本で勉強していて、日本語も立派。頭もいい。良く、理論的に話をする。夢那さんも負けてはいない。男女共同社会については、日本の方が女性は遅れているなんて言ったら、彼女は強く反対。中国の方が全然遅れているという。中国の政治の話は余り出来ないが、彼らなりに意見は持っていることがわかる。実に良く喋る。簡単な夕食を挟んでご論は続行。夜も11時まで滞在。宇都宮組は遅君の車で帰って行った。夢那さんも彼らと紅葉狩りに言ったり、議論したりして楽しかったと喜んでいた。

25日の月曜日はカンマーコールの練習日。今回は、歌そのものというより、笑顔をキープしながら歌う特訓をマネージャーが指導。割り箸と手鏡を持っての特訓で、一人一人の顔をチェックして回る始末。自分の作り笑顔がどんな顔か、手鏡で見て、逆にモチベーションは下がってしまう。目尻の皺、ほうれい線、をまざまざと見て、私だけでなく、皆、相当ショックを得たに違いない。心から楽しいと思えてこその笑顔でなくては。機械的に、作り笑顔をするだけでは、何も伝わらない。滑稽そのものである。

帰路は、またまた車の都合で、歩きで帰った。笑顔作りのことを考えながら、腹式呼吸をしながら、所要時間2時間。今回は練習会場が豊岡地区センターだったので、大桑からの旧会津街道を歩きながら、いろいろなことを思い、特訓の復習をしながらの歩きとなった。帰宅したのが2時頃。それからの昼食に大満足。達成感大有りだった。

2021年10月23日土曜日

Happy message from Rosemary on my birthday Oct.20'21

 

Happy birthday message from Rosemary October21’2021

 

To our dearest Keiko,

 54年来の親友からのメッセージ 彼女からのメッセージはいつも私の宝物。

Happy, happy birthday to both you and Masao. I did not forget either of you.

We may be one day late but we were thinking of you yesterday, Keiko,  and hope you had a wonderful day.

You are far away but always close in our hearts. We will never forget the years that you lived with us as a grad student and the good times we had together. Maintaining our friendship and knowing you over the past 54 years has enhanced our lives. We love you and everyone in your beautiful family.

 

We wish you many more happy, healthy birthdays.

 

Sent with love,

Rosemary and Dick

 

We hope this finds you well. We are doing fine and staying healthy. We did get our Booster Pfizer vaccine but still remain careful when we are out in public.

BTW, I do not post or look at Facebook anymore. I still use FB Messenger and Market Place but I just don't like posting.

2021年10月20日水曜日

10月17日~20日 Birthday relay

 2021年に迎えた誕生日は特別。10月2日に始まった第18回ショパン国際ピアノコンクールに嵌って一人ざわめいて過ごす中、コンクールもいよいよ終わりが近づいた。日本人ファイナリストは明日未明に演奏予定の小林愛実さんを残すのみとなった。12名のファイナリストの内、日本人が2名という快挙で今年は一層メディアもざわめいている様子だ。ファイナルステージでは3番手で演奏した反田恭平さんの演奏は、真夜中であったため、記録動画を後で見た。感性が磨かれ、芸術的な洗練されたさすがの演奏であった。消え失せるような音色の後の晴れやかな躍動感のある強音のハーモニーが心を震わせる。反田さん自身がオーケストラの指揮も執るほどの経験者であることから、ここはどの楽器の出番といったことを、把握しているという。ショパンのピアノ協奏曲は1番か2番の二種であり、専門家によると1番を演奏する方が有利ということらしい。反田さんは1番を弾かれた。安心して指のタッチを眺め、表情を眺め、耳を澄ます。弾き終わった後の拍手、スタンディングオーベーションから、相当良かった印象を受けた。グランプリまで行かなくても、上位入賞は確実だろう。21日の発表が楽しみである。


17日は夫の79回目の誕生日(1942~)。偶然にもショパンの命日である。(1810~1849)93年の時差がある。生誕日と命日を重ねるのは不具合かも知れないが、ショパンとかさなる部分があることは名誉なことだと思いたい。夫の誕生日には、子供達、孫達も一緒にライン上でチャットが出来た。それぞれからお祝いのメッセージが届き、夫も嬉しそうであった。年は重ねても、誕生日はやはり、特別な日である。

そして、本日、20日は私も特別な年を一つ重ねる。寿の年。もう、そんなに?FB上の友人からもメッセージが届く。ラインからも。自分がかかわっているグループから、祝いのメッセージが届いてやはり気持ちは昂る。今日だけよ!でも良い。I'm most happy to be surrounded by many warm-hearted feelings and messages given on my birthday. 

越中島時代の親友、才子さんから郵便物が届いた。中から出てきたのは、彼女の書による2枚の色紙と1枚の和紙。色紙には「夢」と「彩」の文字が。彼女が私へのエールとして選んでくれた一文字である。そして、和紙には草書で、昔、母が娘の私への心情を謡った俳句が書かれている。「外つ国の 姫のたより待つ 木の葉髪」私達がまだ現役時代、外国で夫の仕事を支えている娘への思いをしたためた母の句が、才子さんの秀筆に  よって見事に蘇っている。感動してしまった。彼女の書の素晴らしさを改めて鑑賞した。

今夜は子供達とラインチャットをすることになっている。そして、何と、夫が夕食を用意するという。何が出てくるか、というより、そこまで行く前に、台所から「おーい!○○はどこにある?」の呼び声が必ず聞こえてくるに違いない。ゆっくり休息というわけにはいかないだろう。でも、楽しみである。

2021年10月14日木曜日

2021年10月に入って

 第五回目の緊急事態宣言が10月1日未明に全域で解除され た。二カ月間、使用が不可能になっていた公民館、市のセンターが使えるようになり、私の英語のクラスもやっと今日から再開。メンバーさん達も巣ごもりから解放されて教室に集まってくれた。自粛中はそれでも教材は毎週作成して発信していたので、久しぶりとはいえ、いつもの進行で問題は無く、又、脳の活性化作業に楽しんでいける感触を得ることが出来た。自然環境に恵まれていることもあり、自粛生活と言っても、さほど制約を感じないでいられるのはありがたいことである。

毎日のウオーキングは続けていて、季節の移り変わりを肌で感じ、感動を覚えながら、写真に記録する。SNSに投稿して友達とその感動をシェア出来る喜びがあるのはありがたいこと。歩いて足腰を鍛えながらゴルフも出来る。アップダウンがあってスコアはなかなか安定しないが、それでも、毎回、今日こそはという新たな挑戦意欲が失せないのもありがたいこと。夫と競争するのが面白い。

「古の京都Girls」のズーム友達からの情報のおかげで、今回、初めて10月2日から始まったショパン国際ピアノコンクールをyoutubeでフォローしている。一次予選の78名の内、45名が二次予選に進む。ここに8名の日本人が進んだ。更に三次予選へは23名が進み、何とその中に日本人が5名もいる。10月14日の今日から三次予選がスタート。日本人ではトップバッターの新藤由美さんの演奏を今観戦したところである。約1時間、マズルカとソナタを凄い技術と豊かな感性で弾いたのには驚くばかり。まず演奏歴、履歴、DVD実績、世界的なピアニストの推薦があって競技に申請し、更に現地での演奏を通過したものがコンテスタントとなり予選に挑む。年齢も16歳から30歳までという。一次、二次、三次(セミファイナル)、本選(ファイナル)へと半数ずつが選ばれて進んでいく。それも、四曲、30分くらいからセミファイナルでは50分となる。時間が少なくても、オーバーしてもいけないらしい。全部暗譜。凡人では出来ない神業が出来る人達ばかり。ピアノに挑む環境が整っていないとまず挑戦すら出来ない世界であることを知った。今回セミファイナルに進んだ日本人は5名。新藤みゆ、反田恭平、角野隼人、古見やすこ、小林愛実。それぞれ、プロとして既に活躍している有名ピアニストである由。youtubeのおかげで、ライブで聴ける喜びに浸っているところである。



2021年9月25日土曜日

中秋の名月(9月20日)鑑賞の次は我が家の柿の実保護作戦9月24日’21

今年の中秋の名月は満月と重なり、見たいという念願が叶って、曇り空の後ろから煌々と輝きを届けてくれた。この現象は、次回は2030年だというから尚更である。孫達も顔を出してくれた名月を祝って、前衛創作ダンスを踊った映像が届いた。その数日後の朝、ウオーキングの時、曇り空の隙間に名月の余韻が見え,土手道の遥かかなたの西南の空に見えた月はまだ丸かった。宇宙で起きている太陽と地球と月の関係を復習しながら帰宅すると、現実の問題が待っていた。

 我が家の庭の柿の木が沢山実をつけ始めている。昨年11月にアキレス腱を切断した夫に代わって、猿対策のネット張りという大仕事が待っていた。うまく行くかどうか、やってみなければわからない。以前、鳥対策でチェリーの木にネットを張ったが、あれはうまく行かなかった。見事に鳥たちのご馳走になってしまった。あの時は天井にもカバーをかけねばならず、素人ではうまく行く筈もなかった。今度は猿なので、天井はネットは無用と夫が言う。周りをネットで覆うだけ

なら、何とか出来る。ただ、本当に、それで猿は柿の実を諦めるだろうか。とりあえず、出来る範囲でやってみることに。蟹を人間に置き換えて果たしてその結果はどちらが勝つだろうか?Fight of men against monkeys will surely end up with men's victory! Let's look forward to finding the result. I hang a special bell from Switzerland so as to let us know when monkeys visit here.(笑い)

2021年9月17日金曜日

2021年9月15日(水)武内孝善学者先生宅を訪問

 日光清風塾の10月(本来は今月、9月の予定であったが、コロナ禍の為、会場が閉館され、結果的に来月に延期。超多忙の先生のスケジュールが心配されたが、その前日に、関西から帰省されるとのこと。)講話会での講師の先生をお願いしている、高野山大学名誉教授、竹内孝善先生宅を、生沼牧子さんのご案内で夫と訪問させていただいた。コロナ禍の中ではあったが、久しぶりの益子行きドライブは気分上々であった。車の流れは通常と変わらずで、ナビに従って走ったが、何度行っても益子の道には暗い。地図を一度しっかり頭に叩き込まねばといつも思う。

 牧子さんとは1時に益子駅での待ち合わせだったので、それまでに昼食をと、近辺を探し回ったが、余り食事処の無い所。。やっと一軒、探し当てた手打ちラーメン店に入ったところ、"瑞々しい実に美味しいラーメン”に出会って大満足。冷やしつけ麺は最高に美味しかった。チャンスがあったら、又、行って見たい。

 1時に牧子さんと従姉弟さんの雨宮美智子さんに無事合流。牧子さんの先導で私達は雨宮さんの車に乗せていただいて目的の場所に向かった。分かりにくい田舎道というか、山道を行くこと約15分。森林と清水に囲まれた山深い里に佇む家に到着。最初は何か、人里離れた、仙人が住むような雰囲気に思えたが、玄関の中に入ると、正面の低い床台に、一輪挿しに生けられた一輪の白い花と、お香の匂いがまず視覚、嗅覚を和ませてくれた。上品に手をついて客人を迎え入れてくれる文化がそこにはあった。

 長い机に5脚の椅子が用意されたお部屋に入り、先生とご挨拶。空海研究の博士先生はまず、美味しいお茶と和菓子をご自分で用意されて、お茶を入れて下さり、その、しぐさ、姿勢に驚いてしまった。とても、温かく、シャイな、お声も静かで、でも、おもてなしの精神が充満していた。夫が、ご挨拶からいろいろな話へと切り替えて、一般宗教から密教へと、質問を投げかけながら、話が広がっていった。密教の定義を捉えるのはなかなか難しい。如来の秘密とは何を今なすべきか、市上(一般人)個人のレベルに応じて諭すこと。悟りとは本来の自分がわかるということ。救うとか、救えないとかいう話ではない。(夫は、密教は秘密の宗教として、分かりにくい。人間は誰でも、波阿弥陀仏と唱えれば救われるという浄土宗はわかりやすい、としきりに繰り返す。)先生は、我々一人一人は仏と同じものをいただいているので、それに、早く気付いて欲しいと言っているだけのこととおっしゃる。空海は直感的にそれをとらえ、最澄は理論的に説いているとのこと。空海の出生地は未だ、明らかになってはいないが、母方の祖先が豪族物部氏であったことはわかっている由。

 難しいお話を続けながらも、合間合間に、先生は、お茶を沸かしに行ったり来たり、和菓子の次は、果物を用意したりと、常に、おもてなしの精神をお忘れにならない。奥様を亡くされた後、研究に向き合いながらの日常で身に付けられたことなのだろう。凡人には行きつけない世界観があった。沢山の著書もあるが、空海研究には貴重な蔵書を収めた書庫が隣接されている。空海研究所所長として、多くの研究仲間の手助けの下、二トンもの蔵書(日本一の蔵書量)の整理作業も続けておられる。書庫を見せていただいたがまさに圧巻である。

 しばらくして、牧子さんのお話から、この場所は、以前、大野紘平君がコンサートをした青山陶芸家の家だとわかった。牧子さんもあのiコンサートに行っておられたとは。二人ともびっくり仰天した。その当時、私達はまだお互いに存じ上げなかったのである。陶芸家の方が、手放されたこの場所が、今では竹内先生のお住まいになっているとは。帰宅してから、あれはいつだったろうとブログを検索。2017年7月29日(土)であることを確認。奇遇である。あれから、大野紘平君と里子ママが友人に連れられて、我が家に突然見えたのがあのコンサート後間もない、8月5日(土)であった。それから、コンサートがあるたびにお目にかかり、その後、夫が瑞宝中綬章を賜った時には祝賀会を開催して下さった。その時に生沼牧子さん(あの有名な雨宮宇都宮高校元校長の姪御さん)にお会いしたのでした。それからネットワークが広がり、次々と学者先生を紹介して下さることに。今回の竹内先生もそうであった。

 帰り際に家の裏山を拝見。何十種類もの椿の山、珍しい山草、花々、清流にはワサビ、牧子さんの植物知識の豊富なこと。これにも感銘した一日でした。

 ◎追記として、4年前、7月29日のコンサートの時のブログをここにコピペしておきたい。

この週末も雨天の中、三つの動(感動と行動)に恵まれました。益子、新緑の山中に佇む青山でのランチタイムクラシックコンサートに参加出来たこととその足で上京して孫No3とNo6と雨天の中決行された隅田川花火大会をベランダから一緒に観て楽しいひと時を過ごしたこと。そして帰路、夫と初めて浅草の演芸ールに入って落語、漫才を生で堪能して大笑いしたこと。
響子さんのbeautiful&attractiveなバイオリン演奏に魅了され、ピアニストの紘平さんも切れ味の良いタッチで前回に続いて素晴らしい感動を与えてくれました。86歳のお年で80の手習いと言われながら、ご持参の名器ストラディバリウスを弾いて響子さんと共演されたDr.Hinoharaの意欲とバイタリティーにも圧倒されました。
おまけに今回は驚きのハプニングあり。ランチタイムのテーブルでのお話から当時父が仕事の関係で赴任していた春川が私の生誕地であることが伝わってしまい、突如「冬のソナタ」のテーマ曲がピアノで生演奏されたこと。そのサービス精神にすっかり舞い上がってしまいました。




2021年9月14日火曜日

長兄の突然の訃報(9月9日’21)

  9月12日の昼下がり、長兄の長男から珍しく電話が入った。「・・実は、父が亡くなりました。・・」晴天の霹靂とはこのこと。余りに急な事態が起きたことにショックを受けた。約一カ月前、忘れもしない、8月3日の日に、三人の兄たちと夫々続けざまに電話で近況を話し合ったばかりだったので、信じられない知らせであった。あの時は、私自身がご無沙汰していた所が、この酷暑に耐えかねて、兄たちに長文の暑中お見舞いを出したところであった。それに対して、夫々が電話をくれたのであった。甥とバトンタッチした義姉がしっかりと長兄が亡くなった8日から9日未明にかけての事の成り行きの詳細を話してくれた。実は9月9日朝に救急車で運び込まれた病院で死亡が確認された。コロナ患者を看護している病院でもあり、家族は病院の外で待機したままの状態で、兄は一人で逝ってしまったのである。コロナ禍の中、お通夜と告別式は子供たち、孫達だけで執り行い、お骨を自宅に納めたところで、兄弟たちに知らせているところだという。

 人の一生というのは不確かなもの。命のはかなさをつくづく思った。あれこれ漠然と死について思いが彷徨い、行きついたところは、命が生かされている限りは、一瞬一瞬を大切に生き抜くことが私達の使命だということである。死んでしまえば死者には後悔はないが、遺された者が後悔しないように生き抜くことであろう。長兄は享年88歳。寿の年齢である。急逝ではあったが、二人の子供達、孫達もしっかり成長して、幸せな日々を送ったに違いない。最期に会えなかったのは口惜しく、残念であるが、88年の生涯を全うしたことに、お疲れ様でしたと言いたい。

 私は、すぐ、長兄へのお別れの言葉をしたためた。

【 克実兄上様

 九月十二日の昼下がり、珍しく悟朗君から電話がありました。

「河合さんですか。あっ、慶子叔母さんですね。ご無沙汰しております。・・・実は父が亡くなりました。(えっ⁈) すぐ連絡をしようと思ったのですが、このコロナ禍にあって、お出かけいただくことは出来ないので、子供たち、孫たちだけで、お通夜、告別式を終えた今、連絡を差し上げる次第です。報告が遅くなりましたが実は九日に亡くなりました。・・・」

 余りに突然の訃報に驚き唖然としてしまいました。悟朗君に代わって都亥子お姉さんから、九月八日夜から未明にかけてのお兄さんの様子を詳しく伺い、こんな急な最期を迎えるなんて信じられませんでした。八日の夜、九時頃、いつものように自分の部屋で就寝し、十時半頃一度トイレに起きて、その後、いつものように、寝室に戻ったそうですね。でも、その夜は、お姉さん、何故か眠れなくて、お兄さんの部屋に行くと、いつもの様子だったので自分の部屋に戻られたそうです。それでも、胸騒ぎがして、行ってみると、脇腹が痛いと言うので、横になる姿勢をいろいろ変えて看たそうです。そのうち、「もう大丈夫、おかあさんもはよう寝えや。」と声をかけたそうですね。深夜に、もう一度気になってお姉さんがお兄さんの部屋に行って見ると、口を開けたまま寝ていて、何か異常を察し、側に行って見ると呼吸はせず、脈も止まっているのを知って驚き、救急車の手配をしたのだそうです。

 それからはすぐ来てくれた救急車に乗せて、病院探し。コロナ禍の中で、幸い近大病院が受け付けてくれたそうです。ただ、やはりコロナ禍にあって、お兄さんだけが院内に入り、お姉さんは外のテントの中で待機する身となりました。やがて、優子ちゃんも駆けつけてきて、一緒に待機したものの、その時の心配と不安と恐怖の気持ちを思うと、想像を絶するものがあります。そのままお兄さんは、一人で逝ってしまいました。お姉さんに掛けたあの言葉「大丈夫、おかあさんもはよう寝えや!」が最後になってしまった、とお姉さんは悔しい気持と共に、優しい響きが胸に残って、救いになっているとも言われました。

 長男として、何かにつけ、陣頭指揮を執り、頭が良くて、小さい時からリーダーシップがあったと昔、美喜子お母さんからよく聞かされました。頼りがいがある子供だったと。私の中でのお兄さんは、川本時代、お兄さんが京都で大学生の時、夏休みにはしっかりアルバイトをして、沢山お土産を買って帰省し、弟妹にプレゼントをくれたこと、和菓子屋でアルバイトして羊羹の作り方を覚えて、実際に帰省した時、皆に作ってくれたこと、又、私が大学生の時、就職した時、大阪の生地問屋に連れて行って、スーツ、洋服の生地を買ってくれたこと、などなどいろいろ面倒を見て可愛がってくれました。そうそう、私が赤ん坊の時は、遊びたい盛りに母から子守を託された時は、背中に私を縛り付けて、屋根の上でチャンバラごっごを近所の遊び友達とやったり、私を寝かせるために、トンボとりの手法で目を回させて寝かしつけて、遊びに出かけたとか、子供の知恵を絞って、うまく、母親の言いつけを全うしたとのこと。まだまだエピソードは沢山ありますが、私の拙著である「外交官の妻として・・・家族とともの歩んだ世界」の中に書いているので読んでくれていることと思います。沢山お世話になりました。想い出は尽きません。本当にありがとう。

 享年八十八歳。寿の年齢です。お疲れさまでした。どうぞ安らかにお眠り下さい。

 心からご冥福をお祈りいたします。                   合掌     

                     令和三年九月  妹 慶子より  】


2021年9月7日火曜日

パラリンピックも予定通りに閉幕(2021年9月5日)

 2021年9月5日(日)

 いろいろ問題を抱えたままTOKYO2020が開催され、無観客で繰り広げられてきたオリ・パラでしたが、始まってしまうと、コロナ禍で自粛生活を余儀なくさせられた一般国民は、メディアを通して、テレビ観戦を通してだけ、この特別な世界スポーツ大会の様子を知ることになった。スポーツ大好き人間の私は、毎日、殆ど一日中、テレビの前で、熱狂的にアスリート達を応援した。子供たちとラインでコミュ二ケーションを取りながら、子どもたちと同じ目線になって興奮した。手を叩きながらの観戦であった。人間の肉体的限界はどこにあるのだろうと思うほど、WRはどんどん更新されていく。真剣さ、とその努力に感銘しまくりであった。特に、パラリンピックでの感動は凄かった。科学の進歩と人間の能力のコラボには驚嘆せざるを得ない。一人のアスリートにそれぞれの環境があり、多くの人が拘わり、チームとしての闘いである。人間が時代を進歩させ、時代が人間を進歩させている。総合芸術ということばがあるが、今回の大会をじっくり観て、スポーツも総合芸術であると思うようになった。逆境を乗り越えた水泳のパラアスリートの言葉が胸を打つ。パラリンピックで金メダルを取った時、一人の少年が近づいて彼に言った言葉がある。健常者のその少年は、「あなたのようになりたい。なるのが夢です」と言ったという。又、砲丸投げの金メダリストは一番大切なものは何かと訊かれて、「僕の両親です」と答えていた。そこには感謝の心しかないのである。アスリート一人一人にはストーリーがある。そのストーリーを理解してこそ、彼らの凄さは一層凄いものになって、人々に感動を与える。

 オリパラが完全に終わって、聖火が消された時は寂しさを感じながらも、何か、清々しい気持ちであった。日本の最先端の技術を駆使した映像が、多様性の調和と平和の連帯性を世界中に流したと信じている。

 ボランティアとして選手たちの傍で活動した娘夫婦も、全てが終わってオリ・パラロスになるほど、やはり、貴重な体験をした様子。以下紹介したい。

 <オリンピック・パラリンピック大会ボランティア回顧録>康子の投稿より

 幕張メッセでのオリ・パラの大会ボランティアに7日間参加しました。シフトは前半は早くて朝7amから、後半は遅くて22:30までのシフトでした。 オリンピックでは、テコンドーの競技コート内の競技者のミックスゾーン(メディア)へのご案内。

 パラリンピックでは、車椅子フェンシングと、ゴールボールのプロトコルチームに所属。(主な役割としてIOC(国際オリンピック委員会)、NOC/NPC(各国オリンピック・パラリンピック委員会)、競技団体、王族、政府首脳などの要人を受け入れて様々なサポートを行う語学を使ったボランティアを担当しました。

(バッハ会長や、元柔道金メダリストで元JOC/日本オリンピック委員会会長とお会いすることができました。)

 夫婦共に初めての国際大会のボランティアでしたが、与えるより受けることの方が多かったと思うほど貴重な経験をさせてもらい、一生忘れられない思い出ができました。

  ボランティアでご一緒した方達は、素敵な方達ばかりで、老若男女を問わず親しみやすく、外国の方に笑顔で接したり、試合に勝った選手の現地の言葉を調べて「おめでとう!」と声を掛けたりと皆前向きで積極的で、とても刺激を受けました。(English&Frenchの語学ボランティアの腕章をつけている学生さんもいました)

  もうすでにオリ・パラロスです。

オリ・パラボランティアを通して、11の世界の方々との交流が世界の平和に繋がっていくんだろうなぁと実感しました。また機会があったら夫婦でボランティアに携わりたいです。

2021年9月1日水曜日

「古の京都girls」ネットお喋り会 2021年8月31日(火)

 昭和40年(1965年)京大卒業の親友4人が、偶然にもこのタイミングで、ズームミーティングをスタートしたのが2020年9月15日。私は会の名称を勝手に「古の京都girls」と呼んでいる。その時は確か愛知県在住の康子さんがホスト役。その後、私が引き受けたりしたが、幸いに、この年代で、ネット操作が出来るのはありがたい。子供たちとのコミュニケーション維持のために、子どもたちの指導を受けながら、喰いついてやってきたおかげである。今どきの利器を使うことを怠ったら、どんどん社会から置き去りにされるばかりではなく、自分自身が退歩していくばかり。とはいうものの、最初は4人が一斉に、スムースにzoom上でピタリと歩調を合わせてスタートしたとは言えない。愛知県の康子さん、フランス在住の茂子さん、府中の寛子さん、そして日光市在住の私。zoom が開けなくて手間取ったり、音が出なかったり、お互いにいろいろ失敗を重ねながらでしたが、2月に徳島の幸子さんが加わって5人のグループになって佳境に入り、積極的な彼女がホスト役を買って出て下さったおかげで、10回目の昨日は全員が一斉にスタートラインに立つことが出来た。毎月最後の火曜日、日本時間で夜8時半、フランスは7時間の時差のため、午後1時半スタートが定着してきている。めでたしめでたし。

ところが、昨日のチャットで話題になったTOKYO2020に対するコメントを聞いて、大変なショックを受けてしまった。そもそもオリンピック開催の是非が問題にされてきていたが、開催が決定されたからには、この状況下で最善を尽くして、最大の効果をあげるべき方向に舵取りを定めてローンチした筈である。スポーツ好きの私は、そんな中で、毎日の競技を最大限、テレビ観戦しながらアスリート達を応援した。個人競技にも熱が入ったが、やはり、マスゲームには、我を忘れるほど、身を乗り出し声を挙げ、拍手をしてその場には届かない声援を送ってきた。不思議なもので、オリンピックとなると、やはりナショナリスティックになって、日本を応援する。サッカー、野球、ソフトボール、ラグビーから水泳、卓球、テニス、ボクシング、柔道、陸上、、可能な限り、競技は見まくり、目と頭が朦朧とするほどに熱狂する。記録が毎回更新されるにつけ、人間の体力、能力には限界が無いように思えて感動する。パラリンピックに至っては、科学の開発と本来の人間の能力がコラボしてやはり記録は更新されていく。殆ど信じられない世界がそこにある。感動せずにはいられない。

しかしながら、このzoom meetingの仲間は、殆どテレビ観戦していないという。オリンピックの開会式、閉会式もさっと見た程度で、内容を評価していない。コメントが至って冷静で完全に大人になりきっているのか、感動が無い様子。私は、話が盛り上がるとばかり期待していたこともあり、愕然とした。言い換えれば、私は、幼稚っぽいのかも知れない。(子供たちと感想を言い合った時は、心が通じ、分かり合えた。感動を共有出来て、嬉しかった。)開会式、閉会式の自分の感想は、このブログ上で、先に記述しているように、私は、十分楽しみ、少々違和感があった部分はあったとしても、全体的に、素晴らしかったのではないかと思っている。それだけに、昨日の意見交換(?)ではショックを隠し切れなくて、思わず、「うそ!えっ??」と画面上で叫んでしまったほどである。年齢を重ねると、一般的に、背俗離れして、第三者的な、批判的な物の見方になると言われる。私は、物理的には確かに年を重ねてはいるが、キャーキャー言いながら、アスリートを必死で応援するほど、精神的には、まだまだ若いというより、幼いのかもしれない。ショックは受けたが、ここまで書いてきて、これでいいのではないかと思い始めている。唯一、彼女たちから同感を得たのは、クローズイングで次の開催国パリへのバトンタッチの仕方が、最新のデジタル技術を使ったアイディア溢れる動画映像へのエールであった。

2021年8月27日金曜日

パラリンピックも予定通り開幕 

8月27日

 新型コロナウイルス対策で、政府は東京や大阪など13都道府県にだされている緊急事態宣言の対象地域に、北海道、宮城、岐阜、愛知、三重、滋賀、岡山、広島の8道県を追加した。蔓延防止等重点措置を、高知、佐賀、長崎、宮崎の4県を追加。本日(27日)から9月12日までで、宣言の対象地域は21都道府県となった。東京では感染者の数が少し減少気味となっているが、それでもまだ4000人以上。一方、大阪や、地方が増加し、全国では2万人を超えている。重症者が増加し、医療現場が逼迫し、子供の感染が増える傾向にあることが最大の懸念事項となってきている。

そんな中、パラリンピックは23日にスタート。TOKYO2020オリンピック同様、映像の世界は盛り上がり、パラアスリート達は、存分に平素の苦難の克服とその努力の賜物を発揮している。。健常者を唖然と唸らせるほどの感動を与えてくれている。オリンピックとの大きな違いは、パラアスリートにはガイド、コーラー、技術者など、アシストする人達が付添い、チームとしての闘いになっていること。従って、競技人口は倍以上に膨れ上がっている。世界中にパラアスリートがここまで育っていることに感銘している。年齢的にも、10代から、シニアレベルまで、幅が広い層となっていることにも驚いている。

オリンピックもそうであったが、パラリンピックを開催して、コロナとの関係はまだ、何とも不明であるが、今朝、夫が面白い話をしてくれた。夢を見た話しである。何故か、夫がボランティアとして、バッハIOC会長のアシスタントとなり、パラリンピックの競技場に訪れていたのだという。そして、会長が夫に尋ねたという。「A新聞社はこのオリンピック、パラリンピックの後に、どういう記事を書くだろうか」と。オリンピック開催直前に、世界の平和の連帯の成功を願った夫の新聞記事を思い出した。今度は、大祭典後の世界の行く末に思いを巡らしていたのかと思うと、目の前の情景についての質問かと思った私には、そういうイマジネーションが湧かないのが何とも情けない。


2021年8月15日日曜日

2021年8月12日~14日 盆休みの楽しみ

  2021年の盆休みはデルタ株コロナ感染が拡大中で厳しい時期にぶつかった。それでも、我慢し続けていた中二と小三の子供を抱えた娘達は、大英断で家族で帰省してくれた。ワクチン接種を終えていても、油断は出来ない。それでも、田舎の空気とスペースを堪能出来るアドバンテージを優先して決行したのであるが、生憎の雨続きで、庭で存分に心身を伸ばすことも叶わず、結局、従姉弟同士は親たちも巻き込んで、最先端を行く、カードゲームに興じまくり、解放感を存分に味わっていたようだ。台所は、朝、昼、晩とフル回転の忙しさ。まだ、子供達家族のために、食べ盛りの孫達のために、好んで食べてくれるものを作って食べて貰える力がある自分を誇りたい。誰かが、「自分が、好きな自分であるために 全力で自分を褒めよう」と言ったのを思い出す。

( ここまでブログを書いてきた所で、今日は8月15日。武道館での76回目の全国戦没者追悼式が始まった。天皇皇后両陛下、列席者と共に黙祷を捧げ、陛下の御言葉を拝聴した。)

「孫達は来て良し、帰って良し」というのは、その、賑やかさから来た言葉であろうが、今や、孫たちは家の中を走り回るのではなく、ITの仲間入りで、タブレットやスマホを使ってゲームに夢中になる。そんな中で、アナログゲームに興じるのは大賛成である。ともあれ、
皆、少しは気分転換して、平素のストレスを解消してくれたと思っている。

2021年8月9日月曜日

2021年TOKYO2020 閉会式に寄せて(8月8日)

 2021年TOKYO2020 閉会式に寄せて(8月8日)

 IOCと日本政府、東京都が合意のもとにスタートさせたTOKYO2020。コロナ禍が加速する中で、いろいろ開催是非論争が表面化したまま、7月23日に開会式が行われたことは前回記録した。あれから17日間のスポーツの競演がストップされることなく続いた。東京に到着した筈のアフリカの選手が一人行方不明になったり、ベラルーシ―の女子アスリートが亡命したり、選手村で感染者が少数ながら出たりしたが、致命的なことにはならず、結果的には、世紀の一大プロジェクトは、大きな混乱を招くことなく実施され、本日(8日)何とか予定通り閉会式が実施された。

 蓋を開けてみると、スポーツの力の凄さに圧倒され、無観客を感じないほどの熱気がどこの競技場にも見られた。むしろアスリート達の本気の闘志に圧倒され、感動させられた。コロナの風はどこ吹く風状態に。競技を終えるとすぐ、アスリート達はマスクを着用するその徹底ぶりも凄い。アスリート達に素手で、マスク無着用で闘える舞台を用意した、関係者、スタッフには頭が下がる。中でもボランティア達の誠意あるおもてなしの日本魂が光る。コロナ感染を危惧して、当初の4分の一ぐらいのボランティアが今回、事前に辞退した中で、しっかり任務を達成したボランティア達の振る舞いが、外国人報道者達を感動させ、彼らが祖国へ発信した日本人魂は大変なPRとなっている。日本側としては、コロナ禍の中、勇気を持って来日し、オリンピックに参加してくれたアスリート達への感謝の気持は相当である。一方、アスリート達は全員が、こういう素晴らしい舞台を用意してくれて、ありがとう、とホスト国への感謝の意を表している。オリンピック開催の意義を見事にアスリート達が示してくれた。こうなると、メダルそのものの取得や、金、銀、銅の差は無い。【感謝】の二文字が、あらゆる競技場でのインタビューで流れた。日本、日本人のイメージが世界に流れ、世界の平和に連帯感を齎した時が流れたのではないだろうか。この意味において、オリンピックは成功したと言える。

ここで、オリンピック開催直前に地元新聞に掲載された夫の寄稿文をシェアしたい。【平和の連帯深める五輪に】という思いは達成されたのではないだろうか。

 しかし、国内事情がこれから問題となろう。コロナ感染拡大は加速し続け、オリンピック開催に向けて当初の予算の二倍半という莫大な費用をつぎ込んだ。大変な赤字だと言われている。そして、開催したことで、コロナの感染状況が不安になる。24日からはパラオリンピックが開催される。それまでの二週間が正念場であろう。

ボランティアとして参加している勇気ある娘夫婦にもエールを届けたい。


2021年7月26日月曜日

Tokyo2020開会式に寄せて(7月23日)

 Tokyo2020が開幕されました。開会式はとことん、コロナ禍に配慮したモデストな演出だったというのが第一印象。1964年の東京大会に発案されたという競技ピトグラムを、今回は二次元から三次元に移る最先端の映像テクニックを駆使したその凄さと、アナログで行くパントマイムのギャップは面白く、文句無しに楽しめました。箱を並べたエンブレムが宙に上がってドローンに変わり、地球🌏になって連帯のコンセプトを創り出した映像も素晴らしかった。これぞI Tの時代を象徴し、日本がその優れた知恵と技術を表現し得たことが誇りに思えた瞬間でした。カザフスタンの女性のドレスにfinal fantasyのロゴがデザインされていたそうで、選手入場の音楽がドラゴンクエストからのもので、それにマッチしていたことが 瞬時にSNSで評判になっている由。このゲームは一昔前に息子が夢中でやっていた記憶はあるものの、final fantasyだったとは!

開会式直前にいろいろ問題が露出したことで、演出がどうなるか、みんなが不安であった筈。しかし、蓋を開けてみて、それは払拭されたのではないでしょうか。後は399種目がどう軌跡を作っていくかでしょう。始まったからには、最後のゴールまで無事に辿り着き、スポーツを通して世界が一体化すること、平和の連帯感を生み出すことを祈りたいと思います。

 

2021年7月20日火曜日

東京都に第四回目の緊急事態宣言(7月12日~8月22日)下での一寸スリリングな決断

 昨年はコロナ禍で断念せざるを得なかった孫No4(小3)のピアノ発表会に今年は夫共々出かけてきた。場所は我々の足場がある多摩に近い橋本。日光に移住する前は多摩が我々の生活空間であった。その当時は橋本経由で新横浜に行き、新幹線で大阪の実家に良く行ったものである。その頃の橋本はまだ高層ビルも無く、田舎の風景に満ちていたが、今回橋本のmeweという8Fビルの最上階の多目的ホールが発表会の場所で余りの立派なホールでびっくりした。橋本が随分開発されていて、正直驚いた。多摩センターを追い越した印象を持った。

ともあれ、二日がかりで、指導の先生方が分担して8部に区分されていた。孫は二日目の第3部で24名のお友達が演奏した。3歳くらいの幼い子から、社会人までいて、曲のレベルが素人にもわかるほど変わって行くのが面白かった。孫は9歳になったところで、随分上達したものだ。まだ、自分で、どんどん弾いて、楽しむというところには行っていないようだが、それでも続けていけば、彼女の母親同様に、音楽を楽しめるという最高の趣味を得ることになる筈である。頑張って続けて欲しい。彼女は並外れて集中力がある。物語を創作する時、絵を描くときのあの目力は圧倒される。やりたいと思う事には何時間でも食いついていくあの姿は周りの者が恐れるほどである。やがて、ピアノが彼女の視野に入ってくることは無いかも知れないが、今は、習い事の一つとして、続けている段階である。どうなるか楽しみでもある。





2021年7月9日金曜日

第四回目の緊急事態宣言下での東京オリンピックの開催

 昨年1月より日本でも騒がれ始めたCOVID19の感染がここまで長引くとは誰も想像しなかった。2020年3月13日に特別措置法が成立して、第一回目の緊急事態宣言が4月7日に発出された。5月25日解除。第二回目が2021年1月8日に発出され3月21日まで続く。更に第三回目が4月25日から始まって、延期を経て5月31日に解除された。 発出、解除を繰り返すこと三度。東京オリンピックを開催するか、中止するか、IOCは様子見をする。ワクチン接種頼りの日本政府の決断も遅い。しかし、ウイルスは容赦ない。変異型ウイルスは変容してイギリス型が加わり、今や感染力の強いインド型に発展して、感染者数が増加し始め、ついに第四回目の緊急事態宣言が7月12日に発出されることになった。期限は8月22日までという。7月23日には東京オリンピックの開会式が行われる。緊急事態宣言下でのオリンピック開催となる。最初から東京オリンピックは決行すると決めていた政府は、開催の形をどうするかで困窮。人数を制限して有観客とするか、無観客とするか。結局、五者会談で東京、埼玉、千葉、神奈川の全会場は無観客ということが昨日決定された。

 最悪の形になった。映像を通して競技の成り行きを観戦するだけでは、本当に東京で開催する意味は全く見えない。ここで、私達夫婦のメールでのやりとりを記述しておくことにした。

夫のメッセージ 

東京オリンピックから世界へのメッセージ

今週水曜日に中国の大学生約100人向けにオンラインでの講演を行った。東京オリンピックについて話して欲しいとのことだった。来年の北京での冬季オリンピックもあって、中国での関心は高い。学生達からは、開会式はどのようにやるのか、とか東京オリンピックはこれまでのオリンピックとどのように違ったものになるのか、とか高い期待が示される一方、ある種の疑問も提起された。日本ではいまだウィルス感染が深刻なのにオリンピックを開催する日本の狙いは何なのか。これは日本がどのような国威発揚を狙っているのか、ともとれる質問であるが、私は「今や世界中が未曽有のウィルス感染禍にある中で、平和の祭典であるオリンピックをしっかりと開催して、世界に勇気を与えることが日本の狙いです」と答えた。

  ところが、その翌日、東京には再度、緊急事態宣言が発令されることになり、開会式も無観客で執り行われることになってしまった。このようなオリンピックで、どのようにして世界に勇気を与えることが出来るのであろうか。このようになってしまった原因の一つは他の先進国に比べても我が国ではワクチン接種が進んでいないことである。他の先進国では多くの観客を入れたスポーツイヴェントが開催されている。ワクチンの他にも、国内の危機対応の緩さ、行政能力の不足等真剣に見直されねばならない問題は多い。

  しかしこれらは時間を要する問題である。ともかく目前の課題は、東京オリンピックから世界に発出されるメッセージである。外国人観客だけでなく日本人観客もいない興奮のない開会式からどのような勇気を与えるのか。頼れるのは映像のみである。私の中国での教え子の一人はオリンピック放送機構に採用されて来週日本に来る。是非頑張って欲しい。実況放送では、選手達の戦いだけでなく、選手たちの達成感と連帯感が伝わるようにしてほしい。また、あらゆる方法を駆使して人類社会の平和の祭典であること、平和の大切さが世界に強いメッセージとして伝わる映像作りをして欲しい。これがまた、古代ギリシャの体育祭の狙いであった。

私からのメッセージ

 観客の響めきや感動を乗せないで、競技の場面だけが放送、映像のみを通して世界に発信されるだけでは平和の祭典の意義が伝わらない。競技の一部始終を流すだけではなく、アスリート達の息吹、感動、連帯感をいかに、伝えるかが問われる。競技場の雰囲気を如何に作り上げ、アスリート達の情熱、メッセージを如何に伝えるか、放送機構に携わる人達の知恵と技術を期待したいですね。 2021年7月9日夕


2021年7月3日土曜日

第90回日光清風塾講話会 2021年6月27日(日)

 

90回日光清風塾講話会 「海底地形と国家主権」講師 谷伸 東洋建設()顧問

 2021627

 今回は外部講師としてIHOUNESCO/IOC合同世界海底地形総図(GEBCO)指導委員会委員、文部科学省科学技術・学術審議会海洋開発分科会委員など現役職にある元海上保安庁職員である谷伸先生をお迎えしての講話会を開催。

 PPTを駆使しての淀みないお話は、内容がこれまで考えたことも無かった新鮮な世界を対象としたものであり、海底のダイナミックさを知る機会を与えるものだった。陸の富士山は3776mだが海底には9000mの山脈がある話は驚異的であった。その山脈の重力、引力が水深調査にかかわること、長い地球の歴史は火山爆発により、温暖期と寒冷期が繰り返されてきたこと、今の温暖化が強くなると、陸は消滅する方向に向かうことなど、地質学専門家としてのお話は興味深かった。

海ってどんな所?から始まり、その豊富な資源、エネルギー活用、水の動きと気候、天候の関係、生命と生態系、食物連鎖など有難い有益な海から地震、津波、高潮、沿岸浸食、高波など怖い海、又、海運が総輸出量の99.6%を占めている話、海底地形は国家主権と関係していること、科学の力で領土を広げる話、国連の海洋法条約による海の定義になると、専門用語が飛び出してくる。海の主権範囲の種類として、内水(領土とほぼ同じで東京湾、瀬戸内海、中禅寺湖等)、領海(領土ほど強くなく、無害であれば通行可能),群島水域(群島国家の領海)、接続水域(税関、出入り口、検疫)、排他的経済水域200カイリ(1カイリ=1.8㎞)、大陸棚(昔大陸だった所、海底資源の探査、開発権あり、延伸できる地形的、地質的要素)、国際海峡(領域内の穴)、深海底(国際深海底機構の管理下)、公海(海賊などの規制あり)、領海基線(通常の基線で海図に記載されえた低潮線)等々。我が国の海域の境界については7つの国と地域に接していること。(ロシア、北朝鮮、韓国、中国、台湾、フィリピン、北マリアナ連邦(米国))それぞれの国家は陸上だけではなく、海底で領土を拡大する国家戦略も考えられるお話であった。

 

 

 

2021年6月25日金曜日

懐かしの越中島時代6月23日

 6月23日(水)

三回目のコロナ緊急事態宣言が21日に解除になった直後でもあり、私の虎ノ門病院行きに便乗して、懐かしの越中島時代トリオが久しぶりで再会、ランチを共にした。東京駅から直結した1分ほどのところにある、新丸の内ビル5Fのmaison Balzacが再開場所。素晴らしいロケーションに感動。目の前に東京駅がある。その右手に息子の職場がある。今はリモートで自宅で仕事をしているので、オフィスには居ないだろうが、とにかく、東京一の都会風景が望める。

3人トリオ、才子さん、啓子さん、そして慶子は、年に一度は会食するが、何度合っても精神年齢は変わらない。そろそろ話す内容を就活方向に向けなければならないのだが、まだ深刻ではない。コーラスで歌を歌うことが共通しているのがいい。才子さんは満身創痍と言いながらも歌を歌うようなソプラノでの話方は場を盛り上げてくれる。啓子さんは、心では泣いているのよと言いながら、明るく、息子さんの近況など話してくれる。みんな、前向きで、向上心があるのが素晴らしい。ご主人たちの家事手伝いは見事なもの。ランドリージョブが役割だとか。笑いと嘆きが入り混じったご主人談義はみんなと同じレベルかも。とにかく、ぺちゃくちゃランチでルーティンライフに一寸刺激が与えられて、貴重な時間が持てたことに感謝。二次会もやって、5時前に解散。私は、その足で多摩へ。先日の冷蔵庫の取り換えで夫がまとめたゴミの山を集積所に出すのがミッション。一泊してついでに障子の張替えもやって翌日に日光へ。上今市まで電車に乗って、歩きで小一時間の道をウオーキングの気分で帰宅。途中雨と雷に見舞われて、公園の公衆トイレに避難。ずぶ濡れで帰宅する結果になったが、即、シャワーを浴びて、気分は爽快。夫は例によって、フランス人と語学交換学習の最中でした。

Condolence June17'21

 6月17日(木)

悲しい日となりました。夫の実家を守る甥の伴侶が1年半の闘病の末、13日永眠。甥と彼らの4人の子供達の懸命な介護は立派で見事なものでした。1週間前に急変してそのまま天国へ召されてしまい、余りに急な逝き方に親族は驚き、落胆。しっかり者のお姑である主人の姉も、いつもより細身になったような印象を与えるくらい意気消沈していました。59歳という若さで逝ってしまったことが、残念でなりません。子供達も立派に成長し、孫も5人、これから自分の人生を生きようという時であっただけに、親族一同悔しい思いにうちひしがれてしまいました。美人で、働き者で、葬儀にあれだけの人達がお悔やみに見えて、その交友関係の広さに一同驚くほどでした。現実として受け止めざるを得ないものの、まだ、そこで、バタバタ動き回ってい
るような感じがしています。心からご冥福をお祈りいたします。

この日、我々夫婦は2回目のワクチン接種を終えて、斎場に馳せ参じた次第でした。


2021年6月18日金曜日

2021年6月17日 初めてのコロナワクチンの接種を無事完了

 日光市がワクチン接種予約受付をスタートした5月24日(月)、コーラスの練習が落合公民館で行われた帰り、12時過ぎに電話がかけ始まった。コールセンターにかけるより、ファミリードクターのクリニックにかけたところ、30分経過したころに繋がった。想像以上に簡単に予約が取れて一安心。1回目は5月27日。初めてのワクチンでもあり、少々不安はあったが、注射を打って下さるのはいつもの林先生。夫共々安心して打って貰った。あっという間に終わった。ただ、翌日に筋肉痛に見舞われる。かなり、痛かったが、翌々日には痛みも消えて副作用もなし。3週間後に2回目を受けることに。

それに先立つ5月16日(日)には、我が家のモッコウバラが最高の時に、恒例の夫の姉達を招いて、ヨテ義母を偲ぶ会を終えた所だが、その時、義姉から嫁の豊子さんの体調の話は無かったので、安堵していたが、1か月後の6月11日、危篤の報が入って驚いた。夫と即、実家へ駆けつけた。病院通いはしていたものの、基本自宅治療を選択した矢先のことであった。子供達4人が夫々仕事を休んで結束してこの1週間介護に付きっ切りであったという。私達が彼女に声をかけた時、すでに力が絶えていて、話したそうに口は少し動くものの、声にならない。閉じた瞼から涙が滲み出たような感じがした。1週間前までは元気に動いていたようだが、腹水が溜まり始めてからは腹水を抜きに最後の方には東京まで自分で車を運転して病院に出かけていたという。そして、近場の徳治郎のクリニックを見つけてから、ドクターが訪問してくれるまでになり、腹水抜きをやってくれたという。腹水を濾過して再びお腹に戻しいれるという医療技術を備えたクリニックは日本全国で16カ所しかないらしい。それが、急に容態が悪化し、危篤状態に。それから2日後、天国に召されてしまった。その日は、孫の一人が騒いでいて、「うるさい!」と声を出したという。やがて、痛みが来て、家族が痛み止めの薬を処方した後、大きく肩で呼吸をして、そのまま静かに吸い込まれるように逝ってしまったそう。昨年1月にすい臓がんが発見され、半年の勝負と言われていたことを後で聞いた。家族のサポートがあって1年半元気でいられたのは奇跡に近い。癌が発見されていた時は肝臓にも及んでいて、手の施しようが無かったという。あの明るくて、子供達、孫達、家族みんなから愛された働き者で美人のお嫁さんが、来年還暦を迎える若さで亡くなったことが本当に残念で悲しい。

6月17日(木)の今日、朝一番に2回目のワクチン接種を終えて、告別式に参列した。昨晩はお通夜に。折しも梅雨時期の雨がシャワーとなって訪れた。今日は、告別式、斎場、墓地の流れて無事進行したが、全て滞りなく終わったところで、大雨に見舞われた。大きな悲しみがここでストーンと留めをさされたような気がした。いつまでも悲しみの中で打ちひしがれることへの警告だったかもしれない。これから落ち着いていくと、悲しみの中にも、かつてのなつかしい想い出がじわじわと蘇ってくることだろう。残された家族が元気で生き抜くことが何よりの供養になると信じている。心からのご冥福を祈ります。  合掌

2021年5月28日金曜日

新型コロナウイルスの行く末

 2021年5月28日

2019年末からCOVID19の出現が中国を震源地として欧米に上陸後、2020年初めから日本でも懸念が広がり始めた。法律の立て直しからスタートした日本の対策の出遅れが如実となり、安部政権下で慌てふためいた国会の動向が問題化することに。3月13日に特別措置法が成立し、第一回目の緊急事態宣言が4月7日に7都府県を対象に発出。16日には全国が対象となり、5月25日に最終的に全国解除となった。しかし、夏休み頃からリバウンドし始め、第二派が押し寄せて第二回目の緊急じつぃ宣言が発出され、2021年1月8日~一カ月、更に21日まで延長。しかし、更にリバウンドが起こり、第三回目が4月25日にスタート。途中5月11日に月末まで延長された。それが、イギリス型、インド型と新種のウイルスの影響から更に5月31日以降、6月20日までまたまた延長されることになった。本日(5月28日)夕刻、総理の発表がある。先が見えない中、オリンピックは決行という前提を優先している様相である。「・・国民の安心と安全を守り何としてでも問題を解決する・・」という政府トップのマンネリ化した文言に国民はうんざりという風潮である。今回の第三回目のState of Emergencyの延長を巡って、国民の多くはオリンピック開催を懸念、中止の意見が目立ってきている。6月20日になった時点で、最終判断を下すのは遅すぎる。

そんな中、昨日、夫婦で第一回目のワクチン接種を行った。予約取りが難しかったが、早い時期に接種出来てやれやれ。昨晩から接種した箇所の腕が痛んだが、大分緩和してきている。二回目の副作用は大きいようだが、3週間後に接種することになっている。世界中でワクチン接種が進んではきているが、まだまだ道は遠い。

コロナのトンネルを抜けると別世界が広がっていた、という言葉は意味深い。


2021年5月16日日曜日

公園ギャラリー行き

  2021年の春酣の5月13日(木)、杉並木公園ギャラリーでの展覧会にウオーキングを兼ねて出かけてきました。我が家から目的地までは歩いて約1時間の距離にあり、途中の山紫水明、田園風景が素晴らしい。今回もこの良い季節を謳歌すべく、歩くことに。晃陽苑伝いの歩道からいつものウオーキングルートの松原公園を横切り、土手に上がって、大谷川にかかるふれあい橋(?)を渡り、土地の農家さんの美しい田んぼ(苗
は植えたばかり)を見ながら対岸の県道に抜ける。更に道を横切ってモダンな家々も所々立ち並ぶ車道に出る。更に道を横切ると杉並木公園に入る。そこは田園風景の奥深くにあり、水路には歴史的な水車が三々五々設置されてい回り続けている。豊かな新緑の木々の下で水車がコットンコットンと音を立てる。一寸した高台に自然と調和して造られたこの公園は由緒ある場所であったことがわかる。立派な「朝鮮通信使」の歴史を刻ん
だモニュメントがある。江戸時代初期から十三回朝鮮より使節が派遣されて日光東照宮にも三回詣でている。そのために宿所がこの地に建設されたという。そこを下に降りると今日の目的地である杉並木公園ギャラリーがある。

              

 今回は地元の「桑の実の会グループ」による十周年記念の展覧会。今年9月には94歳になる地元の名士(この芭蕉の水彩画を描かれた人)の作品と日光彫仲間の作品が見たくて訪ねてみた。10人のメンバーがそれぞれ5点出品されているので50点は飾られている。皆、シルバー世代で現役を退いた後に、こうした趣味で人生をゆるやかに愉しんでおられる様子が伝わってくる展覧会であった。

2021年4月29日木曜日

2021年3月28日第87回日光清風塾講話会

 第87回講話会 日本の古典「源氏物語」と中国の古典「紅楼夢」

コロナ禍で外出を控える中、以前から気になっていた中国文学の古典「紅楼夢」12巻を読み終えた。日本では江戸の文化文明が盛んな頃の18世紀に書かれた長編小説で古典と言えるかどうかわからないが、古典の名著とされている。ヨーロッパとの文化文明の交流は既にあり、医学などの知識の豊富さ、内容の濃さには圧倒される。「水滸伝」が男社会を描いた武勇伝であるのに対して、「紅楼夢」は宮廷の女社会を描いた恋愛小説で中国版「源氏物語」を思わせる。作者曹雪芹は落ちぶれ貴族で彼の経験に基づいたものと思われる。

思想的には「源氏物語」に似ていて、栄枯盛衰の仏教思想が流れており、無常観が漂う。藤壺への思慕から始まった光源氏が多くの女性との華やかな愛の遍歴の果てに出家したように、「紅楼夢」の主人公紅玉は従妹同士である二人の美人と才媛である黛玉と宝サイを相手に、豊かな環境の中で哲学の禅問答(この知的やり取り、教養の深さには感動する)が繰り広げて行く中で、憔悴し、体力を失い、科挙の試験にトップクラスで合格したにも関わらず、出家して姿を消すのである。どちらの作品も当時の宮廷の内部が推し量れる。究極は仏が生きるように生きていくという思想は似ている。

中国人研究者によると二つの古典について、①「源氏物語」は起伏が少なくて平坦で退屈であり、「紅楼夢」は事件が多く、ワクワク感があり、面白い。一方で「源氏物語」は700年前に書かれている古典文学で、中国は遅れているという評価も。②似ていても時代背景が異なり、「源氏物語」は一夫多妻であり、「紅楼夢」は一夫一婦で妾あり。③「紅楼夢」は18世紀までの恋愛小説の集大成を超えた中国の文化文明が凝縮されている。

 「紅楼夢」は文化文明の終着点なら、「源氏物語」は日本文学の出発点。中国より欧米の研究者が多く、日本の情感、文体がここで作り上げられたと評価。女性をどう扱うかではなく、文学と文化、人間の情感をどう表現するか、情感をいかに美しく描くかを模索して文学が生まれる。谷崎文学、川端文学へと流れていく。

 「紅楼夢」の作者は源氏物語を読んでいない(中国語訳は1980年代)が日本人は明治時代に既に「紅楼夢」を漢文のままで読んでおり、日本語訳が出来たのは1952年。





2021年4月25日(日)第88回日光清風塾講話会

 第88回日光清風塾講話会要旨 「ミヤンマー問題」4月25日

まさに本日第三回の緊急事態宣言が発出されることになった変異株コロナウイルスの猛威が、大阪を発端に日本中に蔓延する勢いである。世界中、特にインドの勢いは凄まじい。一方でミヤンマーに勃発したクーデターは人権を圧迫し、大混乱を引き起こしている。そういう国内外情勢の中、今回はミヤンマー問題を議論することになった。

 


まずミヤンマーの民主化プロセスの歴史を知る必要がある。

 1937年日中戦争の始まり。蒋介石率いる国民党軍との戦い(南京)→重慶政府、イギリスから武器をビルマ経由で輸入。武器を絶つために日本軍はビルマにいるイギリス軍と戦うことになる(惨いインパール作戦)。イギリスは支配下のビルマに武器を持たせようとした。国軍の総指揮者、ミン・アウンサン将軍。ビルマの軍隊は日本軍が作った。今の国軍の根っ子は日本軍。士官学校の最後の卒業生、高原氏がインパール作戦の撤退作戦の責任者、伊藤忠のトップ。1988年、民主化デモ→社会主義政権の崩壊。(ヨーロッパの植民地の国々が多く共産主義国家を建設していたが、外国を警戒して投資が遅れ、国家運営はうまく行かず。)アウンサン・スーチン登場、しかし、15年軟禁。2016年、彼女が率いるNLD選挙で大勝して再び登場。ミヤンマーは大発展していくが、軍(何十年も政権をとってきて経験があり、行政能力がある。)は無視されることに不満。NLDは軍との対話をもっと持つべきだった。→クーデターの原因。選挙は不正であったとの理由で国民軍はクーデターを起こしたが、クーデターの大義名分がはっきりわからない。行政能力を持つ軍の不満が勃発したのではないか。

 日本の役割。民主化の存続の働きかけ。軍政の民政への移管の働きかけ。一番の影響力を持つのは日本。ビルマとの関係を大切にしてきている。

 1600㎞との国境線を持つ中国の影響を懸念。ビルマ軍(もともと自衛隊によって作られた)は日本人を好む。230年の民主化の動きの中で、中国の酷い圧力に警戒してきた。中国はそれを知っているので、ゆっくり持久作戦でビルマに入ってこようとしている。欧米も人権問題に基づいて経済制裁の動きがあるが中国への警戒もある。一方ロシアにもその動きがあるが、これは限界があるだろう。

ポイント・国際法上、内政には干渉出来ないが、国際社会が人道的問題であるとなれば、国際法を超越し、経済制裁を図ることは可能。国連も賛同出来る(例:南アのアパルトヘイト)。オバマ政権はマグニツキー法を設立し法的根拠を作った。EUもおなじようなものを設立。日本も法的根拠を作るべきかどうかである。日本政府は国軍を抑圧すべきではなく、民主化を進めるべきであるとして対策を考えているが、民間人を通じて働きかけるべきではないだろうか。


2021年4月7日水曜日

半年ぶりの家族集合 Family gathering after half a year

 2021年(令和3年)4月3日(土)


 コロナ禍の中、皆我慢して自粛が続いていたが、去る3月21日、2週間の延長の果てに、第二回の一都三県を対象にした緊急事態宣言が解除されたことから、タイミング良く、子供達の春休みも兼ねて三人の子供達家族が日光に押し寄せてきた。第一弾(町田組)は午後2時到着。第二弾(三鷹組)は大洗でのキャンプを経て、蛤、飯蛸、納豆、地元産ビール等持参で3時半頃到着。そして最後に市川組が茨木でサッカー合宿していた小二の息子をピックアップしてから日光入りだったので、4時頃から始めていたBBQも酣の7時半頃到着した。長男はこの一年、テントキャンプにはまっている由で、一式道具も揃え、見事なテントを我が家の庭に張ってくれた。最初は複雑だったようだが、テント張りも板について、半時間で造営し、付属品も便利なものが出来ている。一式あれば、一寸した山小屋のように昼夜を問わず快適な時間を過ごせる。暖房付き、マット、椅子テーブル付き、料理も出来る。今回、息子が飯蛸を使って美味しいアヒージャを作ってくれた。久しぶりの大集合と孫No3の誕生日を祝い乾杯!

 孫達(総勢6人、新中二2人、新小三3人、新小一1人)が羽を伸ばして庭、森を駆け回り、いつもの静寂な環境に子供たちの大賑わいの声が響いたのが嬉しい。我が家のたった1本のソメイヨシノが最高に花開いたタイミングに集合出来て本当にラッキーであった。

 一見健康家族だが、人間は生身である。昨年の12月に定期検査を受けていた長女がその結果を年が明けて2月に知らされ、3年半前の乳がんの影響が肺にあるとのこと。忘れもしない2月22日に彼女からの電話で報告を受けた。嘘!と言いたいところだが、これが現実である。彼女が一昨年秋の行政書士の資格試験に合格し、コロナ禍の中、ネットで研修など受けて、一年後の2月にオフィスを開設する挨拶状を郵送した後、病院に行ってこの結果報告を受けたのである。陽と陰の二つの運命に同時に立ち向かうことになり、彼女の混乱した心情を察して私もつらかった。しかし、時間と言うものは強い。徐々に冷静になり、前向きに受け止めて、今できることをしっかりやることに。今回、家族が全員出会って、みんなの深い愛情と温かい理解のもとに、どんなに励まされたことか。何より、彼女自身がいつもと変わらず、明るく、丁寧なコミュニケーションをしっかり維持し、感謝の心を大事にしている様子に、私自身が教えられっぱなしである。I'm so grateful to our family of their forward-looking and their handling the problem positively. 素晴らしい子供達に成長していることに、夫も感謝しているよう。

 今回は一泊組が市川と三鷹組でそれぞれ、20時間、24時間滞在して帰路に着き、町田組は一緒に温泉にも行き、二泊して無事に帰って行った。

次女が姉に家族写真を用意し、その裏側に書いていた聖句をここに記しておこう。

 主は「わたしの恵みはあなたに十分にある。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んでじぶんの弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱い時にこそ強いからです。(コリントへの第2の手紙 12章 9~10節)

 https://church.ne.jp/okiluth/sermons/sufficientgracejap.htm


2021年3月25日木曜日

3月25日 何かと事務処理作業の多い3月もまもなく終わりに。

 三寒四温とは言うけれど、今年は日中が暑いくらいな陽気になり、朝晩は冷え込むということの繰り返し。それでも、自然は確実に春を迎えてきています。西を追い越して、一週間前には東京の開花宣言があったところで、一都三県のコロナ緊急事態宣言が3月22日未明に解除されてからはやはり人出が増加する有様。毎日の感染者数が前の週を上回る状態が続いています。昨日など、東京は425人、一足先に解除されていた大阪が260人。変異ウイルスの感染が懸念されてきている状況です。

 そんな中にあって、東京行きはまだ自重しているものの私のルーティンは同じ。おかげで年度末の3月特有の日光清風塾関係の事務処理、雑用処理で忙しく過ごしています。【その後の歩み】自分史(夫が退官してから昨年の私の誕生日までの17年間をA5サイズで250頁)を完成させたものの、まだ、修正部分が見つかったりして・・一方で、更にその後のことも頭にあって、次の作業にかかれやすいような段取りを考えつつブログを進行させていこうと思います。

 次の楽しみは、春休み中に孫たちが親共々、半年ぶりに我が家に来てくれること。彼らも我慢し続けてきたので、コロナに注意しながらの決断。庭で、存分に身体を伸ばして欲しい。その頃には我が家の一本のソメイヨシノも開花していることと楽しみにしているところです。



2021年3月2日火曜日

3月2日ウオーキングの効用何処?

 コロナ禍の中、運動不足解消のために続けたウオーキングだが、最近体が重く感じられ、無視していたスケールに思い切って乗ってみたら、案の定衝撃を受ける結果が出た。 夕食が遅いのがいけない。夫と私の体時計がまるっきり正反対で、朝方の私と夜型の夫の調整は夕食しかない。その夕食が9時前後。食後にリラックスするのが良くない。就寝迄の時間数が少ないのがいけない。それに、コロナ関係の報道番組を見過ぎて、テレビ観戦時間が長くなった。悪いことだらけの生活がこの数カ月常態化してしまったのが問題の原点であろう。せめて食事の量を減らす努力をしなくてはと、切実に思い始めている。ほんの350mlのビールもお預けにしよう。誰かがコーヒーだけにしたと言っていたことが脳裏をかすめる。

 一方で、コロナ禍にあって、今だとやり終えたことが一つ。夫が退官して第二、第三、第四の人生に挑んだ時期の夫婦の足跡を中心に、自分史をまとめたいという構想は以前からあったものの、雑念、雑用が多くて、なかなかパソコンの前に座れないまま、月日は流れてしまっていた。しかし、不要不急の外出を自粛するタイミングに、今しか無いと思い、今までのブログ

等を見ながら走り出した。走ったせいで、誤字や、レイアウトもひどいものになってしまった。今回は急いだ上に、出費を考えて、家族の数だけ、自分で製本したせいで、多くの誤字や、レイアウトの直しなどを重ね、結果、時間がかかってしまったが、何とか形になり、自己満足ながら、誇りに思っている。子供達、いずれは孫達も、この家族史から、自分たちの立ち位置を自覚し、何かを掴んでくれたらこの上ない喜びである。