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2010年7月11日日曜日

 世界中がうねるように歓喜と落胆で渦巻いたWorld Cupも日本時間で明日未明に決勝のキックオフとなる。我が侍Blueは、弱い日本代表だと言われ、当初は殆ど無視されんばかりに影が薄かったが、そういう時こそ何か起こると密かに期待していた私としては、この1カ月の心理体験は得難いものでした。野球やゴルフと違って、サッカーは瞬時にドラマが生まれる。そのスピード感とそれに反応する観客の純粋さがたまらない。負けると思われていた初戦の対カメルーン戦を制覇(6月14日)したことに端を発し、侍達は見事な試合運びを続けていった。対オランダ戦(6月19日)では、0-1というまさしく惜しい負け方をした。しかし、リーグ戦の最終戦となった対デンマーク戦(6月25日)では信じられないほどの力を発揮し、見事に3-1というスコアで快勝し、決勝トーナメントに進んだ時の日本列島の歓喜の波は沈下した日本を一挙に元気づけたほどであった。やはり勝負には勝たなくては称えられないという宿命がある。決勝トーナメントでの対パラグアイ戦では、無得点のまま延長戦に持ちこみ、PK合戦で不運な結果となった。ここで、敗者の民族性が問われるところだが、誰もキックを失敗したことを咎める人はいなかった筈である。勇気と元気と感動を与えてくれた侍達に皆が”ありがとう!”と叫んだ筈である。
 ここで、更に感動したことがもう一つある。それは侍達が帰国し、一連の祝杯ムードの中で、彼らの代表数人が皇居に参上し、天皇皇后両陛下から慰労と励みのお言葉を賜った時のことである。岡田監督が侍達全員のサインの入ったユニホーム(?)を献上したところ、皇后陛下が一心に見つめられた後、”これは駒野選手のでしょ?”と一つのサインを探し当てられたという。これは、決勝トーナメントでの対パラグアイ戦でのPK合戦で、ゴールに失敗した当選手の物凄い心痛への思いやりであり、祈りの表現であったと思われてならない。失敗した者へのいたわりの祈りであり、それは日本人を象徴する祈りだと思う。
 さて、明日未明は早起きしてのテレビ観戦である。スペイン対オランダの決勝戦である。4年に一度の世紀の感動を世界中が待っていると思うだけでもわくわくする。

2010年7月1日木曜日

先週の日曜日(6月27日)日光清風塾の総会の後、河合正男塾長による講演会が開催された。「私が夢見る日本の姿」という演題で約70分の講話であった。「最近の日本人が元気がないのは、日本という国の将来像がつかめないからであり、日本という国の将来像を示すのは政治の力である。マニフェスト選挙もよいが、どうもそれが与野党ともに選挙民受けのする甘い約束ばかりで、結果として予算のばら撒きとなり、財政赤字は拡大するばかりである。ばら撒きで恩恵を受けた人は、一時的に満足するかも知れないが、国民全体としては将来への不安がつのるばかりである。私は現在、大学で若い人達に講義をしているが、我々の世代の最後の仕事は、彼らに、日本という国に誇りと夢を持って彼らが活躍して行ける日本の将来像を示し、そのための制度作りをして行くことであると考えている。 」と言う語り口には塾長の熱い思いが感じられた。各論的にはアジアの人材育成、対米関係、高等教育の充実、集中的技術開発、年金制度、福祉政策、増税、政治の浄化などに言及。そして、世界の中でいかに今の日本が大変な危機に陥っているかを説明。総論的には世界における日本の立ち位置をしっかり踏まえて、アジア、さらには世界の平和と繁栄に貢献しようという高い志を持った、若々しいエネルギーを描き持った日本の姿が夢見る姿である。単なる理想論ではない。自らの国に誇りを持ち、勇気を持って臨めば実現出来る国作りであることを説いた。
今回は、総会とこの講演会の間に、一寸したインターミッションを設けて、白鴎大学の学生さんにピアノ演奏をして貰った。ショパンの幻想曲など、心がしっとりして、ロマンチックな小曲を3つほど弾いていただいた。二人の学生さんにはその後我が家に来ていただき、夕食を共にしながら、若い人達との新鮮な会話に興じることが出来た。メリハリのあるしっかりしたお嬢さん達に、私もエネルギーを貰った思いである。彼女達もこういう機会を与えて貰ったことに大変感謝していて、こういう若い人達なら、未来は必ず生き返ると嬉しくなった。合宿気分でお泊りして、翌朝、授業に間に合うようにと早々に小山に向かった彼女達を見送った時は、何か新鮮な旅立ちを感じた。