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2023年12月30日土曜日

いよいよ2023年も終わりに

2023年12月29日(金) 11月5日に大きなイベントを終えてその状況を書き残してから1か月以上になる。どうも腰が重くて書くことから遠ざかってしまった。There have been bad and unfavorable things around me all these days. ①11月9日、ピート台VIPでの所野コンペに久しぶりで参加したところ、女性のtee groundの選択で第顰蹙をかってしまった。鬼怒川での女子会の時は年齢相応に赤かピンクを選ぶので、プレイのインストラクションが無かったものの、ピンクを選んで上がって見たら、ピンクはジュニアのtee groundと大きな声であきれたように話している女性がいた。優勝してしまったことに「まずい!」と思い失格申請をしたが、男性の幹事さんが、「大丈夫ですよ」と抑えてくれた。ピンクでプレイすれば良いスコアが出るのは当たり前と散々非難の眼を浴びせられて、もう、このグループに私の居場所は無いと思った。今回は優勝を受け入れたが、ドラコン、ニアピンは返上。②11月10日、コロナ禍の間、お休みしていた日光彫が再開されていたが、金曜日の午後に変更になっていることから、そのまま私はお休みが続いている。折しも、我が家の裏の林の紅葉が全盛期であることから、日光彫のメンバーに声をかけて、14時に我が家で紅葉狩りTea partyを誘ったところが、当日は悪天候となり、キャンセル。久しぶりの集まりを楽しみにしていたがあいにく実現出来なかった。③14日(火)夫が宇都宮環状線で事故に。右車線から出口直前に左折したことから、後続のバイクが横転して怪我をしたらしい。警察からの電話でカメラに映された私の車のナンバーから電話番号が判明。寝耳に水でびっくり仰天。夫が原眼科へ行く途中の出来事だったことがわかった。夫の居場所を連絡し、夫にも事の成り行きを知らせたところ、本人は全く気付かなかった様子。相手はひき逃げとみて調べていることがわかった。原眼科から出て来たら警察が駐車場で待機していたとの事。その後、警察に行って、検問、尋問が続き、結果的に私が電車で宇都宮まで行き、駅で警察車にピックアップされて警察へ。夫との話が拉致があかなくて私を呼んだらしい。何とか、話をつけて、とりあえず、釈放(?)されたのが7時半。途中でステーキハウスに寄って夕食(こんな事故を起こしながら、まず腹ごしらえをする夫の肝は理解を超越している)を食べ、家路につく。長い悪夢の一日となった。本人は、後ろのバイクが横転(私の車によくぶつからずに済んだことには救われた)したことを知らなかったわけで、至って冷静。相手が怪我をしたものの、致死に至らなかったことは不幸中の幸いというしかない。紙一重で人生が狂うところであった。ともかく、このことがあってからというもの、夫の運転が心配になる。保険のことでお世話になっているディーラーさんと連絡を取り、まず、相手の方に謝罪の電話を入れた。後は保険会社にまかせて成り行きを待つことに。保険の更新では3等級上がってしまったが、命に異常が無かったことには本当に感謝するしかない。 ④素晴らしかったこともある18日(土)にノルウェーから一時帰国中の小泉弥生さん、フルーデさんご夫妻が日光に初めて来られて、我が家に一泊して下さったこと。2003年にノルウェーを去ってから20年振りの再会(夫は数年前にノルウェーに行った折、お会いしている)。ノルウェー時代に公邸でパフォーマンスをしていただいたり、コーラスの指導をしていただいたり、山小屋にお招きいただいたり、仲良くお付き合いをさせていただいた仲であるが、今回ほど私的にお話が出来たのは初めて。つまり、弥生さんの、誠実さと、一生懸命に話をして下さる様子にすっかり感激してしまった。夫の信念の強さが、周りの人たちにとっていかに大変であるかを充分に理解しておられることにびっくりした。ノルウェー時代から感じておられた由。いい意味で、活動的な夫を称え、それをサポートしてきている私をも讃えて下さる。76歳というお歳にびっくり。彼女も私の年齢を確認して驚いて下さった。ご主人とは5歳年上とのこと。彼女の場合は彼女がリードしておられるように見受けられる。彼は優しくて温かみのあるバスシンガー。彼女はメゾソプラノシンガー。彼は、今でも現役で世界をまたに公演しておられる。今回は全くの休養の為の一時帰国であったが、風邪をひいて、治らないままで帰国されたよう。喉のケアを十分にされることを祈る次第。 ⑤霞が関夫人会主催の冷泉貴美子先生の講演を聞きに表参道、ウイメンズフォーラムへ。才子さん、啓子さん、由加さん、ムナさんを誘って。ユーモアもあり、関西人のお人柄を感じさせる、内容のある和歌のお話であった。⑥鬼怒川女子会で久々に優勝。商品の美味しい豚肉二種をゲット。 12月に入り、①栃木県政150周年イベントで、恒例の足銀が主催する県庁ロビーでのコンサートに日光/岡本カンマコールが特別出演。「シャンテ」「女性三部合唱第九」「県民の歌」を披露。暗譜作業は大変であっただけに、終わった時の安堵感、達成感には素晴らしいものがあった。4人のsoloistさんが素晴らしい。石井真由美さん、田代直子さん、佐藤洋さん、高曲伸和さん(his smiling face just captured all the members' hearts), 渡邉響子さん、洋子さんが赤ちゃん(7月生まれ)を連れて見えて、初めて赤ちゃんとお目見え。可愛いさかり。ご家族も幸せ一杯。②12月8日大野紘平君、千野哲太(サックス)が鹿沼シカの蔵オープンのこけらおとしでコンサート。こへまるのコンサートスタイルが定着。とにかく、トークとピアノのタッチの情熱振りが観客を盛り上げる。千野さんのサックスも素晴らしい。3歳の時から作曲をてがけ、サックス奏者になっての活動は近年らしい。今の若者の雰囲気を漂わせる。紘平君24歳、千野さん27歳。こんな若手音楽家が最近軒並みに活動しているのが目立つ。とてもいいこと!③12月9日東京のイタリア料理店「San Michele」で日諾協会コーラス部と日本グリーグ協会共催で弥生さん、フルーデさんの歓迎コンサートディナーに参加。フルーデさんは風邪で歌えなかったが、マスタークラスでコーラスの指導をされた。夫がメロンバッケルを弥生さんの伴奏で独唱。コーラス部の発表、土居千亜希さんの独唱等。その夜は多摩に。歩きが東京は多くて疲れる。④14日 毎日クリスマスにpetit choeur が慰問に。このプチとしては初めての慰問経験。クリスマスシーズンに合わせて10曲用意。冊子作製。公演後のお茶とおやつをありがとうございました。とても良い時間が共有出来ました。⑤町田組がクリスマスにやってきた。彼等は一日、群馬の丸山スキー場に夫を連れて行ってきた。私は、在宅で、クリスマスケーキ作りに励む。うまく出来た!24日の夜にはクリスマスの木の下に、プレゼントをそっと置く。25日は、私はコーラスの練習と忘年会。夫は同期の田村さんに同行して済生会の小倉先生の所に。従って、私の2時ごろの帰宅を待って町田組は電車でっ帰って行った。朝子は今回は料理を作ってくれたり、後片付け、掃除までしてくれて、大助かり。many thanks to her!!道生さんは本日出勤のため、朝2時ごろ、一人で車で帰って行った。彼の行動力にはいつも目を見張るものがある。 ⑥一縁会ゴルフコンペに14年振りぐらいで参加。保さん、倉松先生がプレイメイトでとても楽しく出来た。スプーンが当たって、ドライバーはいつもの如きだったが、バンカーに入りまくったことと、パッティングが悪いことが災いして、34と言うハンディーを貰いながら、優勝できず。3位は情けない。後、久しぶりできちんと確認すべきことをやらなかったこと。参加費として¥6000払ったが変?夫は¥3000だったと。そして、打ち上げ会で食べ過ぎた事。商品のシクラメンは凄い。ニアピンも入れて、3位、6位、ニアピンとして3個のシクラメン鉢をゲット。⑦明日30日夕方にはムナさんが来る。昨年同様、年末年始を共に我が家で過ごす。 一挙に2か月分をまとめてしまった。記録として、記憶に残すために。12月30日 am1:35

2023年11月12日日曜日

BBQ & Home concert at our place surrounded by autumn leaves in November 2023

恒例の紅葉シーズンBBQ&HC 2023年11月5日(日) 2カ月前から本格的に今年の紅葉シーズンBBQ&ホームコンサートの準備にかかる。どのような趣向でやるかは夫が力量発揮。段取りと参加者への呼びかけを二人三脚でスタート。メインゲストはこへまる君こと大野紘平君(24歳の情熱ピアニスト)。昨年から今年は11月5日(日)を設定して彼のスケジュールに入れ込んで貰う。途中で確認を何度となくするも、「勿論、しっかり予定に組んであります」との母君からの確信の元、出し物の問い合わせ、連絡を何度かする。いつも、「大丈夫!」というお返事をいただいて本番を迎えることに。 今年は、夫の強い秘めた思いがあった。病を抱えている長女、朝子を元気づけるため、妹の康子がネットのアプリに誘って音楽の楽しみを共有している様子に励まされ、彼女達にリードして貰って、盛り上げようという念願がモチベーションになっている。そこに紘平君の力を借りて、最大限に盛り上げて行こうというものであった。彼女たちはアプリで意気投合しているベイシストのノブさんこと原口暢弘氏(50代公務員)を誘い、わざわざ大阪から参じて貰った。今回は康子の成長したタレント性にも驚嘆。皆の前で堂々と、笑顔で、トークを交えて、自作の歌を紘平君のピアノ、ノブさんのベース、で披露し、姉のピアノ、ノブさんのベースでマライアキャリーの難しい歌も歌った。大変積極的に感じ良く、聴衆を引き付けての実演に、親を遥かに超えた成長ぶりに頼もしくさえ思えて、この企画に挑戦して良かったとつくづく思った。  一方、3月に立ち上げたプチ合唱団の協力を得て、コンサートの一番バッターにプチがやることを伝え、曲目を決めて、絵理子先生の指導を得て練習を重ねてきた。「小さな空」「この海をこえて」「My way」&「もみじ」の4曲。コンサートで演奏してくれる人には事前に知らせていただいて、母君経由で紘平君にも連絡を入れる。7月の末に第一回目のお披露目を日光清風塾の総会の時にやって以来の聴衆前でのパフォーマンスとなったが、結果的に良いハーモニーが出来ていたとのコメントをノブさんからいただき、有頂天気味。  私自身は朝5時からBBQ食材の仕込み(前日から始めたものもあるが)とセッティングの用意。朝子も早く起きてきて、手伝ってくれた。実は彼女達はノブさん共々前日に来て、曲の合わせ、練習もやり、父親の意向で父親とのコラボをアプリに搭載したり、とにかく楽しくスタートしている。当日は、ホスト側の仕事の手伝いをどんどんやってくれて大助かりした。10時12分には下今市駅に楠本夫妻、才子さん、啓子さん、更に、ムナさんと石原先生(茶道、ピアノの先生であり、着付けもされる万能の女性)が到着。プチグループの明美さんの協力を得て、お迎えに。無事に到着されて、楠本夫妻には何十年振りかでお会いして感動。二台の車で我が家へと急ぐ。家に到着すると、プチ合唱団の人達、紘平君親子は既に到着していて、一気に庭は賑やかなムードになっていた。戦争の始まり。BBQのスタート、椅子並べ、音響のセット、ご挨拶とそれぞれに忙しく慌ただしく動き始めた。お天気はまずまず、気温はあたたかめで、肝心の紅葉が今年は遅れて、まだピークではないのがちょっぴり残念なところであったが、何とかBBQは少し遅れながらもスタート。というのも、11時からスタートという連絡はしたものの、やはり、遅れて到着する人達もあり、東京から車2台でやってくる大学生たち9人も遅れた為、少し時間がずれ込んだ。しかし、全員無事に揃って、夫の挨拶は後にして食事のスタート。和気藹々とそれぞれ歓談しながら、挨拶しながらで皆な活発に食事を楽しんでくれたよう。ホストは口にするのは後回しで、皆の間を歩き回る。そして、1時頃になってコンサートを開始する頃、生憎の雨模様。大急ぎで、室内に移動してやることに。これは想定外だったので、室内がそういう体制にしてなくて、一寸慌てたが、致し方ない。咄嗟の判断にまかせて、36人がリビング二部屋にぎゅうぎゅう詰め状態となったが、文句も出ず、皆協力的に対応してくれえ救われた朝子も康子も明里もこういったことには驚かず、臨機応変に柔軟性を持って対応してくれるので本当に助かった。  コンサートは夫の司会でスタート。まず我々の合唱団から始まり、紘平君の時間に移り、朝子、康子、ノブさんのチーム、学生さん達も含めて予定していた出演者に次次とバトンタッチで、その後は、紘平君が何でも弾いてくれるので歌いたい人がリクエストしてコラボを即席でやるという二度と出来ないような誇り高きパフォーマンスが続行した。大盛り上がり。熱狂的で情熱大陸その物であった。演奏を聴きながら、スイーツを回して適当に食してもらうしかない。沢山のお土産を全部消費することは出来なかったが、いろいろなスイーツを楽しんで貰えたのではないかと思う。5時頃まで続いた。東京に帰る人達を駅まで送るのに松尾さんが手を差し伸べて下さって、これまた大助かり。5時20分には朝子、康子、ノブさん、明里ちゃんを私が駅まで送って行き、道中でのみんなのコメントに酔いしれて、今日のコンサートが大成功だったことをひしひしと感じた。帰ってみると、ゲストはお帰りで、東京からの学生9人とムナさん、石原先生が残り、松尾さんも加わって台所の片づけをやっている。彼女た日のボランティア精神には頭が下がった。今度は夫が時間をかけて作ったうどんスープでのうどんを夕食に。1.5時間ぐらいで、学生達は引き上げて行った。夜の運転が無事でありますようにと祈りながら見送る。松尾さんも手伝った後、帰られた。 ムナさんと石原先生にはお風呂に入っていただき、11時頃就寝。フー!  翌朝は8時にマタマタうどんで朝食。プレミアヨーグルト、リンゴ、コーヒー。彼女たちは10時50分の電車で帰るため、その前に夫が霧降を案内。私は第二弾の客人(義姉達7人が紅葉ランチのため来訪)を迎えるため同行出来なかった。第二弾はお弁当持ち寄りで、私は昨日多めに用意した肉料理と漬物だけ。それでも、余るほどの量で、みんな外で大いにお喋りと食事を楽しみ、3時頃に散会。それから本当の意味での片付けが3時間かかった。洗濯も含めて。  今年の戦争は終わった。無事に終わった。倒れた者は1人もいない戦争だった。皆幸せ顔で去って行った。ありがたや、ありがたや。幸せの戦争もある。  今、この記録と書いて、気持ちが楽になった。さあ、寝よう! 7日午前2時。  

2023年10月31日火曜日

いつの間にか11月に

10月31日 しばらくブログから遠ざかってしまった。今年の1月に一大発起で通信教育をやりながら日本語教育資格試験なるものに挑戦してみようと何となく頑張ってきた筈だが、そんなに甘いものではない。10月22日に本番試験が駒場東大の11号館であった。正味4時間の試験はただものではない。問題数が多いこと、時間が足りないこと、何せ、20年前にtoicの試験を受けて以来の経験。試験の準備に真剣さが足りなかったことを反省するばかり。受験生の多さにも圧倒された。ユーキャンで通信教育を地道にゆるりと10カ月かけてやってきたが、そんな生ぬるいものではない。やはり、しごかれながら勉強しなくてはものにならない。ただただ反省のみ。 今年の我々の誕生日はそれぞれにお手製のメッセージとプレゼント交換が出来た。年を重ねて、サンセットブルバードを歩き始めて、お互いの健康を気遣う年にになってきたような。まだそういう年代にはないと、すでに80代に入っていることが他人事のように思えるのだが、年齢は正直である。もう他人からはそのように思われている年であること。でも、サンセットブルバードは早すぎる。昔、ニューヨークである女優の晩年を描いたミュージカルを見たが、最近、それをしきりと思い出す。あでやかで、華やかな一世を風靡した美貌の女優が、1人、人生の終わりに辿り着いた、哀れな様子を描いたもの。ここで、頭に浮かぶのが英訳されたマイ・ウエイである。人生をやり切ったという、ダイナミックな歌い方をしている。元はフランス語の歌だという。フランス語の歌詞はフランス人らしく、男女の戯れをcomme d'habitudeというセリフを繰り返すだけの、軽い、遊び心のある歌詞であるが、英語では重量感があり、壮大で、人生劇最後のカーテンが目の前だといういささか深刻に聞こえないこともない。ただ、十分やり切ったというわが人生に対して自信のある、人生謳歌となっている。今、この3月に立ち上げた、小さな、プチ合唱団で歌っている歌でもあり、毎日、口づざんで歌っている。今週末、5日には、我が家でホームコンサートを企画しており、約30名が集まる予定。東京から、知人、友人、学生達、娘達、地元の人達、さまざまである。歌好きの人達が集まって、どういうパフォーマンスになるか、夫が、いろいろ、盛り上げようと、頭の中をフル回転させている。私は、BBQの準備、ホスト側の仕事を思い、明日は買い出しに壬生まで出かけて来る。さあ、どうなるか。人生、楽しくしなくては、というのが夫の口癖。そのためには一杯の努力が必要。「いざ、進め、勝利を目指す勇士のように」というのが、第九の中にある。これは、カンマーコールで目下練習している日本語版女性三部合唱の第九である。いろいろな歌の文句が頭をかすめているこの頃である。

2023年9月17日日曜日

2023年8月 お盆の後の状況

この1か月の総括記録 7月30日に開催した令和5年度の日光清風塾総会ではインターミッションに3月2日に立ち上げたプチ混声合唱団(9名+指導者)のデビューパーフォーマンスを行った。月2回の5カ月、つまり10回練習した成果はなかなかのもの。Mr.Inabaが録画して下さったおかげで、今後の為のモチベーションが上がった。Eriko先生の指導も優れていて、彼女のソロも好感度が高く、思い切って立ち上げて良かったとつくづく思った。メンバーの半分が清風塾への関心がもう一つというのが不安材料でもあるが、こだわらずに、歌うことの楽しみにフォーカスして続けたいと思う。 さて、8月だが、お盆の後に白内障手術の段取りを5月8日の初検診でもって決定。宇都宮の原眼科に初めて行ったのが5月8日。これも夫が虎ノ門からのアドバイスで地元に近い眼科を勧められたのがきっかけ。しかも、夫に同伴した私が先に手術を決心することに。①5月8日②5月16日③7月4日④8月1日⑤8月8日⑥8月22日、右目手術⑦術後一回目検診⑧術後2回目検診⑨8月25日術後3回目検診・・27日には甥の長男昌宏君の結婚式に出席・・⑩8月29日左目手術⑪術後一回目検診⑫9月1日術後2回目検診・・・両方で2週間かけたが、この間、運動は禁止、洗髪、洗顔はままならず(禁止)だったが、注意して間で決行。白内障手術は順調だった。手術の前後の検診が多いことと、点眼のルーティンの煩わしさはあるが、手術そのものは驚くほど短くて10分程。眼科医の手慣れた術裁きというか、眼球という危険個所をいじくる神業には驚嘆するばかり。1mmでも間違ったら、大変なことになりそうな気がする。これも慣れの賜物かも知れない。 ところが、二回目の手術の後の2回目の検診の日の夕方から、どうも熱っぽい。この数年熱など出したことが無かっただけに、かなり自覚症状があり、検温したら38度を超えていた。心配した夫の決断で、即、翌日2人でDr.Rinの所へ。診療室に入らないで、外で待ったものの、即、薬局へ行って抗体検査をするように指示された。塩野室にわりに近い所の薬局をみつけ、早速、スタッフのサポートを得て別室で検査。私は陽性反応。夫は陰性。ということで、林先生には薬を処方して貰って帰宅。いかに療養すべきか。夫への感染を厳重に避けなければとの思いで、食事の準備とか生活自体を隔離状態で進めなければならない。案じていたら、夫はすばやく、入院の手配を。難しい状況の中だったが、友人のサポートで、即、入院することに。結果的に9月3日~5日、3泊4日の独房生活。2人部屋ながら、もう一つのベッドは空いていたので、1人部屋同然。しかしながら、何と手持ち無沙汰だったことか。テレビは無料で使えたが、本を読む気にもならないし、運動のための体操も術後まもないのでままならない。一番衝撃的だったのは簡易トイレ。ベッドのすぐ脇に置かれたトイレは分厚いビニール素材で丸く便座の中に広がり、凝固粉末剤を入れて用を足し、電気スイッチで見事に排泄物が固められながらビニール素材を絞るように底へ押し込んで行く。最終的には便器の底に落とされて床に鎮座する形となる。それをそっと床の隅に移動させておくと、後で、看護師がピックアップして始末してくれる。初めはぎこちなく、必要にせまられて3,4回経験すると、ベテランの域に達し、愛着さえ覚えるようになる。ベッド脇に蓋もせず、大きく口を開けたままに鎮座していても違和感はなくなり、退院する時の愛着感は不思議なくらいであった。一つ一つの器具が常に患者に寄り添う形で進化して行っているのだろう。それだけ、患者の尊厳を護り、下々の世話を極力自分で出来るように工夫考慮されてきているのだろう。ただ、2人部屋の相棒が居る場合は、どうだろう。カーテン一つで個人の尊厳が保てるかどうか、疑問である。それも慣れが解決するのかもしれないが。看護士の割り切った、テキパキした仕事振りにも注目。いろいいろな患者さんを相手に、弱さを抱えている人間相手のお仕事である。相当な愛情と訓練が無いと続かないだろう。今回の入院で得た新たな見識である。ましてやコロナ病棟では、重症患者さんのケアをされる看護師達は並みではなかろう。 実は、入院して熱も下がり、喉の痛みも弱まったので、3日目に退院しようとしたが、直前に図った血圧が異常な高さで、何度測っても220以上。簡易血圧計で自分で測るように指示されて、何回測ってもこの数字には驚くばかり。退院すべく脇の階段を下りていきながら、看護師さんに血圧の高さを訴えたら、もう一泊して様子を見ますかと言われた。荷物を持って部屋を出て脇の出入り口で夫と待ち合わせをしていたものの、夫も心配して一日伸ばした経緯がある。自覚症状から、この数字はおかしいと思っていたものの、実際が不明なので、又部屋に戻ったのだが、今思うと、血圧計が正常ではなかったと確信している。無駄に一日余計に独房生活をしてストレスもかなり上がったよおうに思う。ともあれ、退院する9月6日の朝5時の窓からの朝焼けの美しかったこと!携帯に撮ってあるが、写真コンテストにでっも出したいくらいの写真が撮れた。良い土産が出来た。SNSに搭載した。コロナで入院した証に。 今日は9月17日。11日(月)には夫が東京へ行った留守だったこともあり、夕方になって豪雨で台無しになったワサビ田のネットの取り外しに着手。2時間半の作業。暗くなったので、残りの周辺の草刈りは翌朝に。12日の朝5時に池に向かった時の朝靄の何と美しかったこと!これもスマホに納めてある。被害を受けたワサビ田を覆うように、朝靄が朝陽に映えてピンク色になっていたのである。心が、大きく開き、踊るようだった。13日には通信教育の最期の添削テストも投函してモチベーションは全開復活。14日にはプチコーラスの為に駐車場の草刈りを早朝に決行。15日からEECCクラスも再開して、今日に至っている。 明日は早朝3時に、ラグビーの第二試合が生中継される。今度は対イングランド戦である。さあ、どうなるか。

2023年8月15日火曜日

2023年の盆休み(8月11日~15日)My children's families coming to our place for Bon festival

2023年8月11日~15日 盆休み    8月15日 終戦記念日に記す。 11日夕刻、丁度ナデシコJapanが8強目指してスエーデンとの対戦が終わった頃(㏘6)町田組が安達太良山の登頂を終えて我が家に到着。ナデシコJapanを一緒に応援する予定だったが、案の定渋滞に嵌って遅く到着。とにかく町田組は父親の采配でアウトドア活動が活発。本人が100名山を3回(最初は自分自身の為、二回目は彼の父親をガイド、三回目は息子(当時まだ小学五年生)をガイド)踏破するほど、山登りへの思い入れが強いことが家族にも影響を齎している。山登りの為に仕事をしている向きが感じられる。 その夜は彼らの家族と団欒。しかし、男性軍(父親と息子の高校2年の星太君)は翌日、市川組が来晃して2時間強の間に夕食(チタケの天ぷらをメインに、インゲン、ごぼう、玉ねぎ、サツマイモの天ぷらでソーメンを用意。特製ソーセージとサラダ&昼用にテイクアウトしたミラノピザも美味しかった。)を共にした後町田へ帰って行った。道生氏が仕事があり、星太君が部活(グラホ)がある為。12日の夜は市川組5人(里子ちゃんの大樹君4歳も一緒)と町田組の女性軍でワイワイ。特に、朝子と康子のNanaアプリ用コラボ作成の様子は羨ましいほど楽しそう。音楽を楽しめる人に育ってくれて本当に良かった。後の人達はカードゲームで大賑わい。76回全英女子オープンも観戦。16人日本女性が参戦して、6人が予選突破。2019年の覇者、澁野日向子は又予選落ち。非常に苦しい時期かも。 13日は彼等全員(我々老夫婦を残して)近場の市営プールへ。昼はミートソーススパゲティを用意。非常に喜んで食べてくれた。台風7号の影響で天気はunstable. 従って、庭と室内を行き来しながら子供達はエネルギーを発散。爺は雨の中、草刈り続行。3時頃、土沢より宏志君、ユキちゃん夫婦with 美和ちゃん、昌宏君&裕子さん、来訪。彼等とのお喋りは実に楽しかった。昌宏君の快活で、如才のない話しぶりにはなかなか好感度が高い。彼は皆に好かれるとハヤ姉が言っていたのがよく解る。昨年9月1日にオープンした彼オリジナルの革製品店が間もなく1年を迎える。その前に今月末に彼らは挙式する。いよいよ本格的に新たな人生の門出を迎える。顧客も増えるだろう。2時間程の充実したお喋りをして、彼らは帰って行った。 夕食の準備をしている間に彼らは正男爺も一緒に温泉へ。私にとっては丁度良かった。夕食はRosemaryからのレシピー、Veal Parmegiana(Austrian dish)を用意。皆大喜び食べてくれた。特に、子供達が初めて食べるのに、いきなり喜んで沢山食べてくれて大成功。そしてお喋りが続く。ゲーム遊びも。ゴルフ観戦も。 14日。12時頃就寝しても、5時には目が覚める。朝のルーティンもこなす。雨模様のため、室内でのんびりというか、子どもたちはだらだら。それでもお腹は空く。厨房担当の私は汗だらだら状態。買い物にも行くし、食事の世話もやる。まだまだやれる自分を褒めたい気分。とはいえ、朝食も昼食もleft overで済ませた感に罪悪感がつのる。冷蔵庫が一杯というのもある。子供達は正直である。美味しいものは一杯食べるし、そうでない物には手を付けない。いろいろ学ぶことが多い。市川組は大ちゃんの保育園も始まっているので、昼過ぎにそれこそ台風のように去って行った。町田組の女性軍はもう一晩滞在してくれた。明里ちゃんが余り口を開かないのが一寸淋しい。成長過程で今はそういう時期なのかも。物事を良く観察し、想像し、文章と絵での表現力には凄いものがあるのに、口は余り動かさない。4コマ漫画など、あっという間に作成してしまう子である。大変個性的。今は母親と異なって全く社交的ではない。将来の逸材を予感。 15日も雨模様。午前中はゆっくりのんびり。朝子とのお喋りを楽しむ。明里ちゃんは依然と違って、手を動かさない。ソファーに寝そべるだけ。不思議な子である。あれで、頭の中はいろいろ回転しているのだろう。彼女たちは爺も一緒に、午後1時過ぎのローカル線で帰って行った。私は、大洗濯。そして、夫の作業ズボンの修理。そして、ようやく、受験勉強に本腰を入れなくては。その前にEECC用の教材を作成してホットする。2時間ほど勉強。 お疲れさまでした!!

2023年7月26日水曜日

7月21日(金)タイ王国大使館訪問

炎天下の7月21日、日光清風塾の企画による🇹🇭大使館訪問が実現した。5月下旬あたりからプランを練り出して塾長が当大使館との交渉の結果、日程が決まってから準備の段取りに入る。昨年の🇮🇩大使館訪問の経験を踏まえて要領は心得ていたもののやはり、細心の詰めが必要。いろいろあったが無事に実施出来た。何より、シントン大使のウェルカムスピーチが素晴らしい。タイと日本の長くて親密な関係、近年は経済関係が強いこと、人口は倍半分でありながら、コロナ前は双方への観光客の数が余り変わらないくらいであったこと。コロナ規制が緩和された今では、タイからの観光客は7割戻ったが、日本からタイへの観光客はまだ4割程度。円安の要因もあろう。日本が一番の人気の国であること、北海道のスキーリゾートホテルに投資して経営を行ったお話もあった。7月1日にはセントラルグランドホテル大阪を難波にオープン。近く、京都にもオープンする由。驚いたのは、大使ご自身が高校から大学、大学院を通じて日本で勉強されていて、流暢な日本語で話されたこと。「私は日本人ではありません。タイ人です」と言われた時、思わず会場には笑い声が。大変穏やかで、お人柄に親しみを感じさせられた。更に次席の参事官公使も仏教精神を学ぶ体験を生活の中に取り入れるタイ人(男性)の伝統などを日本語で話され、質疑応答が大変盛り上がり、素晴らしい交流が出来た。今回も、東大に組織を置く学生ぐループ IMS(Mutual Interaction with Students)から8人が参加したことがこのイベントをアップグレードしてくれた。清風塾事務局長に日光PRを英語で挑戦して貰ったことも良い刺激になったと思う。時間の関係で準備していたタイの可愛い「象さん」の歌を皆んなで歌うことは出来なかったが主目的の親善交流は出来たと思う。

2023年7月14日金曜日

2023年7月2日(日)セレブな経験

7月2日 友人のTさん(商業施設、文化施設、総合建築、イベント、広告代理のプラニング、デザイン、設計、施工を受け持つ会社重役)のアレンジで女性3人が一日奥日光のセレブ紀行を実現。女性は我が家に集結、待機。Tさんの日本最高の高級車レクサス350を目の前にして、唖然。こんな車に乗せて貰うなんて、現実離れをした一日のスタート。3か月待って入荷されたとのこと。助手席に乗せて貰って、宇宙にでも飛び出すような感覚になった。センサーですべてが動き、アナログの無い世界とでも言おうか。とてもとても、私など運転出来そうもない、別世界の車に乗車して、女性陣は羨望の夢心地であった。日曜日なので道は混むかと思いきや、意外にスムースにいろは坂を上り、半時間で奥日光へ。 まず、お勧めの自然博物館へ。ベルギー王国と栃木県が友好都市を築いて100年(?)の記念の年ということで、まだベルギー大使館に使用されている「ベルギー王国大使館別荘特別公開」が今日のプログラムの主目的であるが、それにあわせて、自然博物館前にはベルギー王国マルシェが開かれていた。霧降で営業する菓子工房Garconがオリジナル商品を販売していた。珍しいショウガ入り生チョコをゲット。時々買いに行く菓子工房なので、パティシエさんにいつか、私の孫が小5の時、百名山を登頂制覇した記念に、オリジナルデコレーションケーキを作って貰ったことを話したら、思い出してくれた。 そして、日光自然博物館が今回リニューアルされて、かなりアップグレイドされていて感動した。大きなスクリーンが二つ設置されて、日光の四季を紹介した映像は素晴らしかった。孫達に是非見せてやりたいと思った。館内には山林が造形され、スマホテクノロジーを使って、いろいろ面白い映像が捉えられるように仕掛けされていて、子どもたちが大いに喜ぶように出来ている。現代の博物館である。 次は、11時半目標に昼食かねて、アフターヌーンティーを予約してあるリッツ・カールトンへ。噂には聞いていたが、超高級感溢れるホテル。1か月前にG7男女共同参画推進大臣会議が行われた所である。インテリアがあか抜けているし、スタッフもなかなか洗練されている。眺望が最高のロケーションにあり、裕福層をターゲットに建設されたホテルだが、意外や意外、若い人達で溢れていた。外国人が多いのはわかるが、日本の若者もこういうホテルに来て、お茶している、宿泊もしているのには驚いた。沢山写真を撮ったのだが、この投稿サイトは残念ながらウイルスに邪魔されたようで、写真が掲載出来ないのが何とも腹立たしい。シェフ達をとりしきる、チーフシェフとTさんは顔見知りで、我々のテーブルに来ていただいて、いろいろお話が出来た。日光の前は沖縄のリッツ・カールトンで働いていたとのこと。出身は茨木。熊さんのように大きくて、強そうな、それでいて優しそうな人柄とお見受けした。自然博物館で熊との写真を撮ったが、このシェフ(田中さん?)はリッツ・カールトンの熊さんだ、と一緒に同行していた長谷川さんが見事にネーミングした。食材はすべて地元の物を入荷しているとのこと。日光を大いにPRされているよう。コロナも終息して、今や、こういう高級ホテルも上り調子でお客さんが来ている様子であった。 さて、盛沢山のスイーツを賞味して、工夫されたオリジナルな5種類のお茶をいただいて、大満足。ホテル内を案内していただいて(個室と会議室は見れなかったが、)インテリアや、洋食レストラン、和食レストランの一角も見学。回廊も又素敵であった。極めつけは、中禅寺湖を全貌見渡せるロケーションである。幸い、雨が多いこの季節に、珍しく天気に恵まれ、満足度も最高であった。 いよいよ、本日のメインのベルギの-大使館別荘見学にはいる。応募して抽選に当たった人達だけが入れるわけで、Tさんには本当に感謝である。8年前に、地元新聞記者に同行して、この別荘の取材をアシストしたことがあるが、あの時は、次席の家族が週末に憩っているところで平素の別荘の姿を拝見した。今回は、特別公開ということで、テーブルセッティングがされていたり、旗が飾られていたり、磨かれていた。この別荘はホテルオークラの創業者、大倉財閥二代目の大倉喜七朗男爵が、ベルギー王国大使館の夏季別荘とするため、当時のベルギー王国のアルべート国王に寄贈したもの。現役の大使館別荘として使われている。1928年(S3)年に建てられ、今年で98周年を迎える。河畔に建つ他の大使館別荘が日本の建築様式を取り入れているのに対し、唯一、純洋風の建築様式で建てられている。こじんまりしていて、家族が憩うには最適なサイズであり、最高のロケーションにある。 最期に、別荘見学の次に、もう一カ所、二荒山神社での特別展示会に案内して貰った。皇室ゆかりの秘宝、国宝・重要文化財指定の名刀の数々、荘厳な金銅装神輿・馬具・薙刀、男体山頂遺跡出土品などが一般公開されていた。凄いものばかり。人間より長い神刀の迫力は凄かった。 というわけで、レクサスに乗っての奥日光詣で、それも、平素見られない所を見学した一日となり、大いに、気分も保養というより高揚した経験をさせていただいた。二度と無い経験と言える。

2023年6月29日木曜日

生還

6月26日 夫は予定通り上海から羽田に無事到着。高速バスで宇都宮経由で帰ると言うので車で迎えに向かったところ、日光街道に入った途端に大雨となる。線状降水帯を思わせる降り方で、前が見えない。恐る恐るのスロー運転で何とかバス停に辿り着いた。今回の中国行きはいろいろあって心配していたが、元気でしかも体重を増やしての帰国で安堵した。3年半ぶりの中国は田舎にも高速道路や新幹線が貫通して、とにかく大都会化している由。大都会の大型高級車がバンバン飛ぶように流れているところから帰ってくると、地元の余りの静寂さに今更ながら驚いている様子。何が大変だったって、毎日豪勢な食事の連続で、あっぷあっぷ状態。大変な歓待で、嬉しい悲鳴を秘めての3週間だったよう。そもそも退官してから、毎年出かけてきているが、その都度中国の近代化の速さに驚いている。人口、国の大きさが並外れているので、その変貌ぶりは相当なのだろ。とにかく、無事で良かった。 今日は(29日)同期夫人のランチ会が5年振りにあり、東京まで出かけて来た。今回は人数的には7人で少人数であったが、何せ、コロナ禍を挟んで5年振りなので、積もる話でかなり賑わった。N夫人は滋賀県からわざわざ参加され、彼女は、医者通いが皆無で、コロナワクチンも無接種とのこと。この年代で、こういう健康な方は珍しい。食事だけは気を付けているとのこと。病気の話が多い中で、彼女の存在は大変刺激になった。ランチの後は安田生命会館に隣接した静嘉堂丸の内文庫美術館を見学。サムライのおしゃれと題した展覧会。印籠・根付け・刀装具・風俗画屏風・・後藤象二郎を取り巻く宝物の数々。特に、印籠と根付けの芸術性には感銘した。漆、金細工、象牙彫、木彫、陶器、細かい彫とデザインにはただただ感心するばかり。昔の人の手作り作品の凄さに改めて驚嘆するばかり。こんなに沢山の印籠・根付けを鑑賞したのは初めてかも知れない。 というわけで、今日はいろいろ刺激を受けた日となった。そして、夜は、京大時代の友人とのズームチャットの日。月1回、日光、東京、徳島、パリを繋いでのお喋りなのだが、今回は東京の友人は脚の不具合で入院中で不参加。パリの彼女はばたばた日となってすっかり、約束が抜けたとのこと。結果的に徳島の友人と二人だけのお喋りになった。一カ月に一回のズームでのお喋りも、友人の元気なお顔が見れてお互いに励まされるのはありがたいこと。Let's keep going!

2023年6月13日火曜日

2023年6月9日~11日 松江

2023年6月9日~11日 6年ぶりの松江へ一人旅  2019年暮れからあれよあれよという間に感染が拡大したコロナウイルスパンデミック。正にこのタイミングに夫はこの年の中国での教鞭を終えて帰国した。2005年9月に初めて大連外国語学院で講演したことがスタートとなり、2010年以降毎年、南広中国メディア大学をベースいろいろな所で教壇に立ち続けていた。そして、このパンデミックが世界に広がって行き、日本でも大変な感染症として3年半社会が閉ざされてしまった。2023年5月に日本はようやく緩和され、海外への渡航も復活した。すかさず、夫は6月8日から26日までの期間、再び中国へ渡って行った。いつも教え子からの要請と尽力がある。今回は初回に訪れてこの中国への道筋のきっかけとなった、大連に18年振りで赴くことになり、特別の思いを抱いていることと思う。大連―江蘇揚州―江西九江―上海の四カ所で講演することになっている。  この間、私は、松江行きを決断。コロナ禍中に二人の兄を亡くした。長兄は2021年9月に、次兄は2023年1月に。霊前にお参りする事が出来なかったので、菩提寺に墓参してきた。次兄は、両親が眠るこの菩提寺の墓守をやってくれていた。島谷家の為に、いつもお墓参りを欠かさず、家には仏壇を置いて、祈ってくれていたのである。その兄がこの仏壇の中に居ることが不思議であり、時間の経過が生活環境をこんな形に変えていくことに驚いてしまう。夫の同期会が松江で開催された折り、私も松江に赴いてお墓参りをした。この時は兄はまだ元気であった。あれから5年。長い間、呼吸器系を患い、昨年秋頃から持病が悪化。義姉から闘病の様子を伺い、さぞ苦しく大変な晩年であったことが想像される。優しい子供達3人は東京から頻繁に看病に戻り、コロナ禍の病院で最期を迎えた時は、全員で看取ることが出来たそうで、悔いは無かったよう。 今回の松江行きのブログを記録しておこう。 8日夜、市川へ。忙しい家族の中に突入。誠君は昊粋君の高校のPTA会長としてミーティングに。家族の為に夕食を用意してから出かけた由。康子は8コマの授業の後、自宅でネット授業も。木曜日は一番ハードな日のよう。子供達は其々にワイワイ。 9日 朝食は其々のペースでいただくよう。おまけに7時半頃から近所の小学生を親の都合で登校時間まで預かっている。よくやるな~。輔幸お父さんはいつもの様子ながら、今度、2回目の胃の癌の内視鏡手術をやられるそうで、びっくり。3年前にも一度やられたとのこと。He looks quite healthy as usual. 8:40 輔幸さんが市川まで車(新車)で送って下さったので大助かり。市川の駅でチケットを全部購入出来た。乗車券、特急券2種を含めて20300円。10:03のひかり→岡山経由やくも→松江 17:48到着。竹矢行きバス⑤矢田下車 7時頃青葉台に到着。奈美さんが杖をついてお出迎え。 庭先の花々が彩やじかに咲き、特に、アジサイは格別。家の中も整理整頓が行き届き、清潔感と心温まる雰囲気が漂う住まい。美しいハイセンスなインテリアとアイディアで魅力が溢れている。お風呂場、お台所、トイレ、リビング、食卓、寝室、どこも目に留まる。お仏壇も清楚で輝くほど。 両親と耕二兄の戒名も何か新鮮に見えた。本源院法流日汲居士 本寿院妙得日美大姉 一誠院清筆日耕居士  南妙法蓮華経    心の籠った手造りの美味しい料理をいただきながら生前の兄の事、闘病の様子、家族の事、料理の話などなど、お喋りを10時30分頃まで。11時就寝。  10日 バナナ、小松菜、大葉、ショウガ、リンゴのスムージーの美味しかったこと。食事に関しては、健康第一に良く考えて、まめに毎日きちんと取っておられるとのこと。 庭のアジサイを2本摘んでお墓参りへ。10:20バス→寺町→墓参  墓参の後は昨晩初めて連絡をとった旧姓植田浩子さんに70年振りで会うべく乃木公民館へ。トルコ地震チャリティーコンサートに彼女が所属するコーラス隊が参加するとのことでそこへ奈美さんも一緒に行った。公民館を探し当てるのに一苦労したがとにかく無事に会場1時間前に到着。公民館の片隅で、コンビニから仕入れたサンドウイッチをパクパク。 開演前に会場でコーラス隊を見つけて、彼女を探し当て、劇的再会を果たした。彼女昨日の電話で相当驚いたとのこと。歌に響かなければと願う。  コンサートはトルコ地震チャリティーコンサート。松江在住の若い美人3人グループでDakemi3という。内容は手作りの素晴らしいものであった。先ず、フルートと独唱で「花は咲く」で始まり、続いて乃木コーラス隊による2曲のパフォーマンス。混声合唱団でシニアグループ。どこにもこういうシニアグループの活動が健在であることに納得。Dakemi3はトルコに関係した音楽とトーク。トルコ語で「ありがとう」はティッシュクレールという由。大笑い。トルコ音楽の拍子も面白い。3,5,7泊拍子。中途半端な数え方が又面白い。会場全員で実際に発音し、拍子をとる。バーラマというトルコの民族弦楽器、バイオリン、ピアノ、歌唱を3人の麗しき美女がトルコ民族衣装を纏って演奏。このグループはネットでも見れる由。コンサートは約1.5時間。終了後、浩子さんと3人で松江駅まで行き、(ここへは、浩子さんのお嫁さんが車で運んで下さった)スタバでチラミスケーキとコーヒーで2時間、沢山お喋り出来た。ダメもとで当たってみるもの。今回も、川本時代の同級生、岩隆子さんを通じて、彼女の消息を知り、思い切って昔を思い出しながら電話したことが、こういう実りある再会を果たせた。彼女は腰を痛めていて、杖を使っているが、交通事故を起こす前までは硬式テニスを活発にやっていたそうで、健康維持を心して守って行かなくてはと強く思った。6時頃のバスで彼女を見送り、我々は一畑百貨店へ。日光へのお土産をゲット。ついでに明日の帰りの切符も手配。帰路、大阪で、克実兄の墓参と都亥子義姉のお見舞いも急遽する連絡を入れていたが、義姉が体調を崩して咳と熱が出たとのことで、今回は残念ながら見合わせることに。後日、タイミングを見て、訪れることにする。  帰宅は8:30。お風呂に入って夕食。沢山お喋りして11時就寝。明日は日光へ。往路と同じルートで。10:01松江発→下今市19:14着。

2023年5月18日木曜日

5月のGWの中日

今年のGWは市川組と多摩に下宿しているムナさんが初めて我が家で対面。康子とムナさんは親子ほどの年の差があるが、康子の大らかなキャラのおかげで、二人は意気投合。昔からの友達の如く話が弾み、ついに、2人は康子が2年来水を得た魚のように生き生きと活動しつづけている音楽アプリの「nana」に突入。ものの見事に、すぐ二人はコラボしてアプリに載ってデビュー。見事な英語の歌を1分半に仕上げてやってのけた。早速ルーキーの中のデイリーランキングで3位を獲得して、二人はますます盛り上がったよう。テキパキやる方の私でさえ、シャポーを脱いでしまった。もはや、若い人のやることの速さにはかなわない。 母の日には、朝子が、エトワールというグループを指導する山内美代先生のお弟子さん達(約30人)による大発表会に加わって、ピアノ演奏をしてくれた。ベートーベンの「悲愴」のしかも第一楽章を暗譜してやってのけたのには驚いた。先生自身が、硬軟をわきまえて、その気になって進む指導をされている様子が伺える。多摩から近い南大沢文化ホールで行われたこともあり、ムナさんも誘って応援に出かけた。そこでも、朝子とムナさんが初対面し、すぐに、気持ちが通い合った様子。とにかく、ムナさんが猛勉の末、東大大学院合格という素晴らしい結果を出したことに端を発して、娘達との交流がスタートしたことは大変喜ばしいことである。

2023年5月12日金曜日

4月22日 第36回東京川本会総会

 コロナで中止されていた川本会が4年振りに有楽町国際フォーラムの最上階の中華料理店テラスで開催。川本会に参加したのがこれで4,5回目。50人は参加していたように思う。驚いたのが川本高校での同級生柿谷正期さんに卒業以来初めて出会ったこと。更に数年先輩の松本信子(旧姓三上)さんという女性画伯にも初めて出会ったこと。彼女から父の名前が出たことが嬉しかった。同じ高校で絵画も教えていた父のお陰で、彼女は絵の道を選んだ由。美しい絵画だけでは今は通用しないというのが彼女の言い分。思想をいかに表現するかだという。彼女の画集を見せて貰ったが、原発反対思想の一連の絵は灰色というのが印象的だった。お話していても、何か、反体制的な雰囲気があり、かなり個性的で強い意志が見えた。かなり活躍しておられる様子で、現に彼女の個展が開催中だったので、帰途、寄って行こうとしたが、地下鉄のホームを反対側に渡ったがために、時間的にも余裕がなくなり、行かない結果になった。同窓生の活躍を見て、嬉しかった。  柿谷さんについては大変衝撃的であった。高校の時(中学校から一緒だったかも)の印象は、影が薄く、余り記憶にない。それが、今や、学者先生となり、日本初の「リアリティ・セラピー」認定講座を主催して先駆的な仕事をしている。プロフィールによると、1978年に柿谷カウンセリング・センターを開設。1984年にはグループホーム大磯ハウスを設立。リアリティセラピーに関しては、米国ウイリアム・グラッサー協会が認定した日本人初のインストラクターだという。ネットで検索して驚いた。沢山の著書が出ている。訳書が多い。そもそも彼のキャリアは英文学者からスタートしていることに驚いた。高校を卒業後、経産省の事務官として仕事をするかたわら、中央大学の夜間部に通って英文学の修士号を取得。キリスト教徒として渡米し、勉学、研究すること10年。カウンセリングの道を究められたのだろう。高校生の頃に既に、秘めた強いモチベーションがあったのだろう。人間、本当に人生の目標があるかないかで、生き様がこうも変わるものかと驚嘆した。この衝撃的な出会いが、今回の集まりの最大五の収穫であった。

2023年4月15日土曜日

2023年4月1日~4日町田組来晃

4月1日~4日 春休みを利用して町田組が来晃。但し、星太君(新高二)は高校に入ってからの部活(グラスホッケー)に嵌っている由で、今回も彼は日光には来なかった。シーズン最後のスキーが目的で土曜日に来て、翌日ハンターマウンテンへ。これで夫はこの一カ月毎週末スキーに行ったことになる。80になってなおがめつくパラレルに挑戦するその意欲たるや、誰も真似できない。2年前にアキレス腱断裂をやっているのに、貪欲に向上心が保てることに驚くばかり。心配をよそに、無事滑ってきて、とりあえず今年の最期としてけじめがついた様子。道生さんはその日のうちに町田へ帰還。朝子と明里が更に2日滞在。 その間、倉庫の片づけを手伝ってくれた。思い切って整理出来て大助かりした。 6日には第二回目のプチ合唱団の練習日。八嶋さんのお嬢さん絵理子さんの指導がなかなかいい。明るくて、はっきりしていて、声楽専攻だけあって歌もピアノも素晴らしい。メンバー9人が全部揃うことはなかなか難しいかも知れないが、何とか続けたいもの。 9日には宇都宮カトリック峰教会で大野紘平君と田尻大喜さん(トランペット)のコンサートに夫と出かけた。トルコ大地震のチャリティーコンサートとして、田尻さんはかなりのベテランで司会進行をやりながらの演奏は素晴らしいかった。話もまとまっていたし、何より、音楽が世界を一つにするという信念が一貫していて、説得力がある。紘平君のピアノも田尻さんのトランペットも心を豊かにさせ、平和を祈る気持ちにさせてくれる。9月16日には池袋で演奏するそうなので、是非行って見たい。最後に演奏した【Beautiful Japan】はダイナミックで心に染みる壮大な曲。田尻さんの作曲だという。彼は歌も歌えるし(紘平君も歌えるが今回は完全に田尻さん主導であった)話もぶれないし、素晴らしいアーチストである。実は、昨年12月にYMCA主催のウクライナのチャリティーコンサートに初めて彼のトランペットを聴いたが、あの時は、紘平君がMCを担当したので、田尻さんの印象は余り強くなかった。しかし、今回は実力を見せつけられえた感じがする。素晴らしかった。 12日 夫の中国での教え子の1人である唐ムナさんが二度目の挑戦で見事に東大大学院に合格し、彼女の入学式に父兄代理で参加してきた。武道館で開催され、大学院生が新たに3000人ぐらい入学して、その父兄が参列していたから総勢8000人ぐらいは居たのではないだろうか。前座として東大野球部の応援歌が披露され、応援団長の応援パフォーマンスがチア―ガールをバックに行われたり、先輩学生達が活躍していた。会場への誘導も殆どが学生によるものであった。式典は1時間半ぐらいであったが、早朝の式辞や国連から招かれてきた環境問題担当の女性のスピーチ、研究科長の式辞など、どれも内容の深い話でさすが最高峰の大学院の式典だという印象を持った。総長の話はSDGs問題を東大がリーダーシップを持って研究して行って欲しいとの訓辞であり、国際機関からの女性は、男女平等の下に、女性が活躍すれば道は開かれるということを力説、研究科長は目標を掴めないまま大学院に進んだご自分の経験を語りながら、それでも模索し続けると周りのサポートなどがあって道が開かれ、そうなると、研究がどんどん面白くなったという話でこれは一寸ホットする話だったと思う。当のムナさんの入学式について感想は立派なもの・・・私達東大生が抱く氏名と課題は何か。東大に入学した意味と意義はどこにあるか、考えさせられる。Harvardのあの一文を想い出させる。To change the world. To make the world a better place. 私は、今、そういう力を持つことが可能になった。誰かの言う事、誰かが作ったルールに従うことなく、自分の頭で考え、この世界をどうなって欲しか、どうなったらもっといい世界になるか、そうなるために努めていく。使命感や責任感を感じている。それは、まさに河合先生が言う大きな仕事。誇りを持つ仕事。・・・これからの道の歩み方について、最近選ばれた女性宇宙飛行士を引用すれば:自分の歩いてきた道を最高の道にする努力をすること。過去の自分も現在の自分も、未来の自分も最高の自分になる。・・彼女はこの門出に立って、大きな志を抱き前を見をしっかり見て歩んで行こうとしていることが読み取れる。この感動と緊張感を大切に世界に向かって羽ばたいて欲しいと願う。

2023年3月31日金曜日

3月31日’23

2023年3月31日 Last day of March,20023 3月29日 ライトキューブ宇都宮にて、日本英語交流連盟ESUJ(English Speaking Union, Japan)主催によるParliamentary Debate Experienceなるものが開催された。夫と外務省同期の沼田大使が会長であることから、宇都宮での開催なら、何か手伝えるのでは、ということで、下野新聞、とちぎテレビ、教育委員会から後援をとりつけた。当日は私も興味があったので、セミナーに参加してみたが、凄いディーべイトで驚いた。日本語も早口だが、英語も早くて、とても流れに乗れなかった。政府側と野党側に夫々2人づつ席について、直前に言い渡された議題題モーションを殆ど即興で夫々時間内に主張、反論、するもの。政府サイドに2人の日本人男性(社会人)、野党サイドにイギリス本国から来日したベテランの女性certified comentorsが座し、タイマーでマネッジされて議論が続く。今回提供されたモーションは動物園存続の是非。政府側は存続に反対、動物園は廃止すべきという立場を取り、オポーネント側は廃止に反対するもの。これは、小さい時から訓練しないと、とてもこのような議論は出来ない。相手の主張を良く聞き、自分の意見を述べる。相手を尊重しながら、自分の意見を説得させるように述べる技術は、練習を積まないと出来るものではない。特に、日本人は話すマインドが弱いため、日本語であってもしっかり話すことは出来ない。traininngあってこその世界だと思った。スキルを向上させるために日々、努力してこそ成果が得られるのだろう。宇都宮高校が全国的にレベルが高い由で、今回もこの実体験セミナーを宇都宮で開催したという流れだったと聞いたが、肝心の宇高の生徒は残念ながら来ていなかった。真岡女子高校から3人の女子学生が参加していた。参加者数が予想に達しなかったことは残念だったが、総評では内容の濃いものだったよう。夫も最後に挨拶の中でコメントしていたが、相手の主張をレスペクトして聞いて、自分の意見を述べ、納得のいく議論をする為のスキルの向上が目的。今の小中高学生は主義があって主張が出来るように、訓練指導が求められるのではないだろうか。 3月30日 吉野舞起子ESUJ事務局長(現早稲田大学で講師として指導)とcomentorsの1人Ameena Khan Sullivanを日光駅でお迎えし、奥日光と山内を案内することに。9:28到着のJRで宇都宮から来晃。真っすぐ、奥日光へ。途中、明智平でケーブルカーに乗り、中禅寺湖の全貌を眺める。華厳の滝は意外に小さく見えた。その後イタリア、イギリス大使館別荘記念公園へ。シーズンオフで閉館だったが、外観を眺め、静かな中禅寺湖を眺め、奥日光の外国人パイオニア、アーネスト・サトウの心情に迫る。オフシーズンだからこそのメリットを十分得ることに。つまり、観光客は誰も入ってきていなくて、我々だけの中禅寺湖界隈の静けさ、美しさが満ちた世界を堪能。彼女達も大変喜んでいた。ヒルはリッツ・カールトンの下にあるMapleレストランへ。客もほどほどにいて、中禅寺湖をすぐ目の前にしての食事はなかなか良かった。食事のメニューも全員異なるものをオーダーして、それぞれ美味しくいただけて大満足。そのご、ゆっくり車を走らせていろは坂を下山。三内へ。彼等を入口まで送り届けて、私は駐車場探し。結局、コンビニの駐車場で休憩。約2時間後に彼らに合流。そして、我が家に案内。素朴な、ワイルドな広い我が家の庭を堪能していただく。その後、ホームメードのスイーツ(アップルケーキ)とクッキーでティータイム。夫が最後の目標と位置付けている、東南、東アジアの若い学生たちの交流の場を設立したい夢を語る。吉野先生は身を乗り出してポジティブな反応。何とか実現出来る方向に動かないものか。学生達が賛同し、熱い思いを持って、アクションを取って欲しいと願う。 写真がお化けに。

2023年3月25日土曜日

3月は行事が一杯。記録まとめ

ばたばた続きでブログが置き去りに。忘れないうちにまとめておこう。 毎週金曜日のEECC活動は継続中。 1日(水) 上智大に留学して以来3年(?)になるが、ずっと見守ってきた唐ムナさんが二度目の挑戦で見事に東大大学院に合格した旨の知らせを受ける。落とされるときはどこもとことん落とされて、受かる時はどこも制覇するということを実証。受験期間の体調も勿論だが、ナニクソという挑戦意欲が彼女をより積極的に立ち向かわせ、アカデミックの世界での人脈作りを大事に構築したことなどが影響するのだろう。ムナさん、本当におめでとう。入学式は4月12日、武道館で。父兄代理で夫と式典に参加することに。 2日(木) 秋のHC目掛けて我が家でプチ混声合唱団を結成。その第一回目がスタート。男性2人、女性6人。先生は武蔵野音大出身の若い美しい絵理子先生。昨日(23日)二回目があったが、とにかく、メンバーさん皆が心通う同志で、笑いが一杯で、楽しい。先生が推薦の歌も、素晴らしいものばかり。「この海のむこうへ」「小さな空」「ハナミズキ」と3曲まで練習が進む。 4日(土)MIS(Multilateral Interaction with students)のメンバー学生8人が東京から我が家に一泊二日で来訪。東南アジアの学生達とインターネットで議論。我が家は学生8人を収容(❣)女性3人と男性5人に分けて二部屋で何とか。当初は1人はattic(屋根裏)でと用意していたが、結果的に5人全員が4枚の布団で寝たよう。枕の投げ合いはやらなかたようだが、まだ青春真っ只中の学生達である。翌日は全員スキーに出かけ、帰路は、日帰り温泉につかって、満足して帰京していった。それをアレンジし、付き合う夫も80を超えたとは思えないほどの力を出している。私は、もっぱら、彼らの胃袋と生活環境担当官でありながら、話の中にも入って楽しませて貰った。ジジババと大人になった孫のような彼等との隔たりはそんなに大きく感じられないのが正直な感想。 6日は孫No.2の誕生日。(始動が遅れて2日後にお祝いのメッセージ+□を郵送。)この日の夕刻7時にデンマークからのジョニーを連れて毎日Xmasの松尾さんが来訪。彼とはコロナ前に会って以来。近況報告。MISの学生達とのプロジェクトから夫と白熱した議論に。彼の思想と英語力が余りに鋭くて(まさに鋭いという印象)日本の学生の話力、英語力の弱さを痛感。 7日(火)松江から1月に亡くなった兄の嫁が上京して彼等の子供達3人の所を巡回していたので、順子ちゃんのアレンンジで、丸の内ビル5Fのベトナムフレンチ「カサブランカシルク」にて会食を決行。奈美お姉さんは予想以上に元気そうで、いつもの調子だったのでホットした。ただ、腰の調子が良くなくて、杖がわりに小さなショッピングカートを押しながら歩いていたのが痛々しかった。朝子、康子もジョインして、そのうち、昼休みを利用して長男の剛君も加わり、本当に久しぶりで従姉弟たちもこの機会に会えて喜んでいた。約1か月、子供達の所に滞在して松江に帰って行く。それからが淋し日々となると思うと、いろいろ考えさせられる。亡き母のように、最期まで一人で頑張るか、子供たちの誰かのところに一緒に入り込むか、一生最後の大決断に迫られる時が必ず来る筈である。愛猫ミーちゃんのような最後が理想かも知れない。(彼女の自分史については、嬉しいプレゼントが待っている) 8日コロナの為、遠のいていた日光ユネスコ協会の活動タスクの一つ、環境汚染モニタリングを久しぶりで実施。この日は、前日に設置したカプセルの回収作業。鈴木事務局長と初めてのルートを担当。広範囲のため、車での移動となった。 9日は疲れを癒すために週一のゴルフを決行。夫と二人でやることが多い中、実力が拮抗して、お互い、良いライバルとなって真剣に、でも、楽しんでいる。体に少々故障があってもこれだけはやり続けたい。今では贅沢な趣味ではなく、健康的、かつ、経済的なものに。グリーンフィーが何といっても手頃である。スルーであれば3~4000円。日光のゴルフ環境には感謝している。 10日日光市のボラフェス(ボランティアフェスティバル)がコロナの終焉を目の前に、3年振りで開催され、日光清風塾も参加。その搬入に事務局長と立ち会った。パネルに展示物をを貼るのみだったが、支援センター活動の一つでもあり、参加して良かったと思う。当日は行けなかったので写真は撮れなかったが、後で、後の会報用に、センターの方から1枚シェアさせていただいた。 12日(日)今春宇大の大学院を首席で卒業して都内に就職が決まった中国学生石君来訪。一泊して夫とスキーへ。このところ、毎週末夫はスキーに出かけている。怪我をしないことを祈るのみである。 14日(火)東京が全国に先駆けて開花宣言を。驚きである。西の方より先に東京が開花宣言するのは歴史的なこと。気象異常に改めて注目。 15日(水)一年前にいただいた話で、私が出版した「猫が書いた自分史・・外交官の家族の一員になって」という百数ページの淡いピンク色の表紙の本が電子書籍化完了というお知らせを頂く。愛猫のミーちゃんの存在が永久にデジタルの世界に護られることになって大変安堵し、正直嬉しい。彼女との出会いと別れがこういう形で残されることは予想だにしなかったことで、感動を覚える。 16日(木)月一回の英会話クラスの為宇都宮へ。コロナの中ではネットで続けたが、2月より対面に復活。 18日(土)夕刻より宇都宮へ。大野紘平君(23歳)の里帰りコンサート(ふるさとに感謝と名付けて)新しい情報も加わって特別の思いを持ったコンサートとなる。彼には、クラシックを作曲家の心情に達するように演奏するのと、自分流にアレンジして自分の世界の中に引き込んでしまう演奏があって、その技量が天災的で面白い。更に、彼は歌を歌う。彼のテナーの声は聴いていて心地よい。それこそ彼は二刀流の音楽家である。というより、それに即興が加わるので、まさに自由自在に新しい世界観を醸し出すマルティな音楽家と言えよう。聴衆を沸かせるトークと共に、彼はエンターテイナーとしてのピアニストになって行くのかもしれない。ポピュラリズムという言葉が閃く。何人かの友人にも出会った。 20日―22日(月―水)1日に合格発表貰ったムナさんが来訪。一年強ぶりで日光に。我が家へは何度も来ているので、里帰りの心境。娘がもう一人増えた感覚である。東大合格の慶びは世界観を変えるくらいのもの。私達にも驚嘆し、大きな喜びである。日本へはまだ訪れていない彼女の父親からのメッセージには、娘を誇りに思う親としての心情が綴られていた。夫も見事な頑張りを賞賛するメッセージを送っている。夜は夫がステーキを料理。私がスープ作りをやり、祝杯を上げる。今まで、悩むことも多く、東京で1人暮らしながら、実によく耐え、頑張り通した彼女の意志の強さ、負けん気の意地の強さが今回の成功をもたらした。まだ、23歳。これからが本当の意味での勉強になる筈である。彼女は国際機関で働く、国際公務員を目指しているという。是非、目標に向かった進んで行って欲しい。来月4月12日(水)が入学式。私達も父兄代理として出席しようと思っている。今回の日光滞在中はラッキーなことに友人の関係で街中でのコンサートに行くことが出来た。息抜きになったと信じている。そして、今までのように、庭仕事のお手伝いもやってもらった。一杯森の-イオンを吸って貰って。大学院受験を志してる中で、彼女は東京オリンピック、北京冬季オリンピックでもメディア関係の仕事を率先してやってのけた。更に、今度の五月場所での大相撲でも、アナウンサーの横に座って何かアシスタント的な仕事を頼まれた由で、今回、相撲の本を片手に、勝負の決まり手をテレビ観戦しながら、いろいろ訊いていた。やると決めたことへの熱心さが伝わってきた。 その間、9日にはWBCがスタート。オープン戦は対中国。以後予選リーグ戦は3勝で一位通過。トーナメント戦ではチェコ、メキシコを見事に下し、アメリカとの決勝へ。メキシコとの準決勝同様、この決勝も劇的勝利を納め、見事にサムライジャパンは世界の頂点に立った。全試合観戦した。体が震えるほどの感動の連続の中、他の事は手に着かず状態。メディアも連日その感動の場面を伝え続けている。その力たるやプレイする選手も応援する人達も相当であった。2009年の大会には友人の寛子さんとサンディエゴまで行って応援した。息子が院生でインターンとしてWBCのメディアリエゾンオフィサーになったこともあって、彼を応援する意味でも渡米したのである。あの時は準決勝までを観戦。決勝進出を見届けて帰国した。決勝はロスで行われた。息子も映っている優勝パレードの様子が週刊誌に載っていたため、それを今でも大事に保管している。 26日(日)は恒例の日光清風塾講話会。第106回目となる。テーマは「AIとの共存協働について議論しよう」

2023年3月7日火曜日

我が家の女子会3月7日(火)’23

今年1月13に次兄が米寿を3か月後に控えた時に逝ってしまった。一昨年の9月には長兄が米寿を迎えた2カ月後に逝った。あの時、『次は僕の番』なんて冗談めいて言っていた次兄だが、ずっと以前から呼吸器の持病をかかえていた。。コロナの3年間は出歩くことを控えたこともあって、徐々に元気を無くしたように思える。一寸歩いて、しんどい思いをしていたので、随分つらかったのではないかと思う。1月に、コロナがまだ終息していなかった時に、松江の日赤で、限られた家族に看取られて逝った。家族葬となり、松江まで私達は葬儀には参加出来ず、兄の3人の子どもたちが東京から何度も往復しながら、一生懸命母親を支えたことが、救いであった。その義姉が、四十九日を終えて、この3月に上京し子どもたちの所にしばらく順々に滞在するという。それで、本日、私も上京して、長女、次女共々、義姉とその長女と会食。会合場所の丸の内ビルの近くで勤務している長男君も昼休みを利用して急遽ジョイン。兄の家族を元気づけられたらいいなとの思いで会食を思い付いたのだが、皆、元気で明るく、ホッとした。優しい子供たちが母親を良く支えている様子が見てとれて、愛の溢れる家族であることに本当に感謝した。時は流れ、人間の悲喜こもごもを織りなして進み、立ち止まることは無い。その流れに乗って、私達は、与えられた命を楽しみながら全うすべく、学び伝え続けて行くことだと思う。バトンタッチをしながら。走っているときは全力疾走が理想だが、元気が出ない時もあろう。でも、生きていることが奇跡だと思って、明るく歩みたいとつくづく思う日となった。(今年に入ってから、悲しいことに写真がアップロードできなくなっている。)

2023年2月21日火曜日

2月18日、三寒の後の四温の中、久しぶりに夫とお羽黒山詣に。参道入口前の見事な蝋梅の香りに酔いながら215段の石段を登る。社務所で目標達成祈願のお札を貰い、奥の富士見台へ。生憎遠方の山々は霞がかかり、見える筈の富士山は見えなかったが暖かい陽気に暫し佇む。一汗かいた後、昨晩テレビで放映された鹿沼のニラ蕎麦を賞味したくて鹿沼へ一目散。カーナビに翻弄されて2時過ぎに目的地に到着。本日は終了しました、という札を見ながら中に入って交渉する夫。さすがである。念願のニラ蕎麦を初めて賞味。最高でした。

2023年2月16日木曜日

老化対策?

今年に入って、もやもや気分が続いている。寒い中、体を硬直させているせいかもしれない。 それでも週一ペースで寒い中、近場のゴルフ場には出かけている。今年に入って4回。ただスコアが低迷で、行は挑戦意欲ありあり、帰りはフラストが蘇る始末。それでも次に出かける時は意欲が又蘇るって、ゴルフは本当に不思議なスポーツだと思う。 さて、1月も終る頃、19日に一大決心で大枚をはたいてUCanの日本語教師養成講座を受講することに。一週間で教材一式が到着。27日から勉強スタート。先方が私のスケジュールを提案してくれているが、私の信条は何回も繰り返すことなので、ペースを上げてやることにした。テキストは5冊、試験対策問題集3冊、 DVD1枚、聴解対策CD2枚、ガイドブック、添削課題関連書類等。最初の3冊を終えたところなので(先方が立ててくれたプランでは2冊が終わった段階で試験対策問題集の1冊目に入る手筈であるが、もう一度今日からまず最初の1,2冊の復習に入り、試験対策問題No1にかかることにする。 「いざ、すすめ、勝利に向かう勇士のように❣」という歌詞が第九にある。まさにコーラスで目下練習中の曲で、このフレイズが常に頭の中にある。実をもって進むべきなり。10月の闘いに向かって!!

日光清風塾第104回講話会要旨(2023年1月22日)

第104回講話会「ウクライナ戦争の行方と日本経済」要旨 令和5年1月22日(日) ウクライナ戦争に対するフロアからのコメントを列挙 ① ウイーンからの知人が帰国するのに航路変更で料金が倍になるという弊害 ② ウクライナ戦争はいつまで続くのか。国連は無能。国防政策の見直し(悪いことをしなければ無難というのは通らなくなっている) ③ ロシアの考え方が伝わってこない。ロシアの大統領選挙がどうなるかがピン・ポイント 私的願望→・ロシア人はロシアに帰れ      ・ウクライナのインフラ復建はロシアがやるべき ④ キエフでのコンサートの思い出・ウクライナ人の文化程度の高さ・家族連れでの音楽鑑賞光景 ⑤ 大戦争へと発展することはないだろうが、長く続くだろう。 現状 ウクライナがクリミアを奪還しようとしている一方、北側はロシアが攻勢。 NATO軍の出方が最大の問題。ウクライナはドイツのレオパルドII戦車を切望するが、供与することで第三世界大戦に向かうことをNATOは懸念。アメリカはパトリオット供与を決定(今、ウクライナ人を訓練中で3月には始動するだろう)。3月が転機となる。 今後の見通し いくつかのシナリオを挙げてみる。 ① 自分の国は自分で守るというウクライナの戦意が勝る。兵站(軍需物資の量が重要) ② アメリカの強い見方→春までに領土を回復している。 ③ 和平交渉の見通しは暗い。ロシア国内の情勢不安、戦闘での決着は難しい。ロシアは限界を考えながら戦っている様子。どうやったら終わるか。 ロシア国内では戦争に嫌気がさしてきている。プーチンのやり過ぎ、盤石ではない。 ④ 今年度末までにクリミアを回復する可能性はある。 ⑤ 凍土が溶けてから戦況が見えてくる。 日本にとってもウクライナ戦争は大問題。日本の立場は今年のG7ホスト国であり、リーダーシップをいかに発揮出来るかが鍵。支援量としては欧米に比して小さい日本が、どういう支援の継続をしていくかである。 日本の経済はどうなるのか。 ① 物価の高騰(天然ガス、食料品価格が直撃。中国が石油を買い占めに。穀物の値下げの見通し難。戦争経済の実態。 ② 為替相場不安。欧米の物価高騰は日本以上。欧米の金利引き上げ策⇔日本緩和経済継続 円安どうなる?緩和政策は危険(利益を貯めて内部貯蓄。投資しないのは何故?→将来の日本経済に期待が持てない予測→日本経済はシュリンク。人口減少は日本経済の根本的問題。)。 どうする?現政権が謳う新たな資本主義とは?賃金を上げなければ購買力は乏しいままに。異次元の少子化対策とは?何をやりたいと思っているか内容が不明。情報戦争に惑わされない、ハイブリッド戦争の実態を把握し、慎重にウクライナ支援をしていくべき。

2023年1月12日木曜日

New Year family gathering

令和5年1月3日~5日 お正月と言えばやはり実家に家族が帰省して、共に新年を祝うのが恒例だろう。家族は年末年始の休暇を利用して、夫々のスケジュールがあり、その中で、何とか実家に戻って新しい年の出発を祝う。長女の家族はなつかしの京都旅行を、次女の家族は、コロナ支援を利用して群馬、栃木、福島を忙しく駆け巡り、年末年始は嫁ぎ先で送って、3日に我が家に集結した。孫達の成長の速さに驚く。どちらも、長男が高校一年、二番目が男子と女子ながら共に小学4年生。従妹同士が同級生で何かと話が分かり易く、何をするにも盛り上がる。孫No1の次女の長男は学校の行事にも積極的で、新年度に彼の学校(中高一貫)を受験するであろう生徒とその父兄対象の学校説明会で、先輩としてプレゼンをやるという。その練習を兼ねて、我々の前でプレゼンをやってくれた。正直、驚いた。小さい時は小児喘息でどこへ行くにも、酸素吸入器を持参して、ひ弱な印象があった子が、ここまで、逞しく、堂々と人前で考えを発表出来るまでになっていた。実際、話をしていても、理論的に話せて、物おじせず、高感度も高い。長女の長男のNo2は、小五の時に日本百名山を踏破した経験の持ち主で、山岳部、あるいは、スキー部が学校には無いということで、初めてのフィールドホッケー(グラホと言うらしい)に挑戦し、嵌りに嵌っているという。集中出来るものが見つかって、学業の方でも相乗効果が出ているのが大変喜ばしい。モチベーションがあることが全ての始まり。小四の下の子たちは、既に、モチベーションがある。男の子はサッカー―に夢中であり、女の子はひたすら絵を描き、文章を書く。大変な読書家のよう。更に、次女の所には里子ちゃんが2年前から家族に加わり、彼もなかなか利発的な男の子のようで、次女の家族に入って、お兄ちゃん達によく面倒を見て貰い、慕っている。大変仲の良い兄弟となっている。ということで、2泊3日の短い休暇を共に過ごすことが出来て、子供達、孫達の成長を実感し、ありがたいことと感謝の気持ちで今年もスタート出来た。

2023年1月3日火曜日

2023年の幕開け

 2023年の幕開け

二荒山神社参道で

超人的夫婦杉の前で

大晦日~元日に東京滞在の壮さんと彼女の母親(3月までの半年間滞在)、更に一カ月前に来日して日本語の勉強を始めている留学生陳君が来訪。日本の大晦日を共に過ごし、元日には東照宮、二荒山神社に初詣。日本の正月風景が彼等にはどう映っただろうか。(中国の正月は一カ月遅い。あちらの正月風景は今はコロナの影響があるだろうが、普段は帰省客で大変なラッシュであり、大賑わいである。7年前の2016年、前期、後期ともに、夫と南京で教壇に立ったことがあるが、各セメスターが終わると全寮制の下、学生は全員帰省する。キャンパスは空っぽとなった。私達は元日に帰国したが、日本と違い飛行場は空いていた。1か月後は大変な混雑になる筈である。学生はその間長い休暇に入り、2月末に始まる新学期までキャンパスには戻らない。)
初ウオーキングは未踏の
土手を探索。おかげで
雑草の棘が何万個とズボ
ンと手袋がこんなザマに。


壮さんは3年間の宇都宮大での大学院を修了し、東京で社会人となっている。3年滞在しただけなのに、彼女の日本語は相当なもの。新米の陳君はこれからである。頑張って欲しいと願う。 おかげで、私達も一緒に初詣が出来た。今年の正月の天気は最高。だが、あの東照宮でさえ、着物で着飾った人には一人も出会わなかった。やはり、不景気なのだろうか。勢いあるめでたさは感じられなかった。それでも、神聖な気持ちになって、やるべきことをやったという満足感は得たような気がする。二荒山神社のあの夫婦杉の前に夫と並び、今年の5月で結婚54周年になるこのカップルはまだまだこの夫婦杉には足元にも及ばない。まだ、根っこの部分で彷徨っている感じ。今年は、果たして、どんと腰を据えたカップルに精進出来るだろうか。

          3日には子供達、孫達がやってくる。

2023年1月2日月曜日

 2022年の師走

 いつもの師走のルーティンに加えて、久しぶりで台南市コンサート旅行のグループ(八嶋さん、森さん、吉澤さん)で久しぶりの会食を近場の古民家カフェびーどろで開催。更に、同じくコンサートの場所取り役割担当仲間となったグループ(守友さん、半田さん)でご苦労さん会をBain Marieでランチを決行。共に何かをしたというご縁を大切にとの願いから思い付いたこと。第五回目ワクチンも12月21日に終了。副作用が皆無と言うのも何かたよりない思いになる。EECCも無事一年をやり通し、新年には又新たな気持ちで続けられたらと思う。

もう一つ、若い人達(子供達、孫達)のスピードに近づくために、夫と共にスマホの乗り換えを決行。宇都宮のヨドバシで半日がかりの交渉となる。auに乗り換えてip7→SE3 with 64GBに。データーの移行作業をセルフで何とかやることが出来たが、一か月後には更にキャンペーン中のUQに切り替えることに。又複雑な手続きにならないことを祈るのみ。

以下は2022年の総集として海外の友人へのAnnual Season's greetings

Merry Christmas and A Happy New Year to our dear friends!

May everything around you be in the right way to be safe and be blessed by every-body.                                            December 2022 

                                              

The year 2022 has been dyed in black color not only because of the ever-lasting  Coronavirus but also the human disaster caused by Russian invasion to Ukraine which covers whole world with fear and anxiety. Human history must have progressed to make us understand better each other so that we could live together in a stable and safe society. However, this ideal way of living got completely derailed and the international society is now stepping toward unimaginable world. We strongly wish safe and peaceful place be back to us right away.

On the other hand, sports, especially the world cup which is still going on has been so enthusiastic, energetic and friendly that everybody’s mind in the world has got together to become one which is so wonderful and peaceful. There might be some political and racial conflicts deep inside more or less, but players’ minds and supporters’ minds look 100% unifying in a simple way. We have been watching all the games on TV. We all tend to cheer up our own country but it’s quite natural. All the people wish their teams keep winning, don’t they?

When it comes to our own life this year, our activities have been somehow kept alright thanks to our living place, rather rural district surrounded by a beautiful nature. Even under the COVID pandemic restraint we didn’t have to stay all the time in our house. We were able to be outside to do gardening, caring the yard, woods and enjoy playing golf which has been open through the year as usual. Our children’s families, however, Yasuko’s and Nari’s  unfortunately got corona-infected and they had to stay at home for a week or so. Fortunately none of them got seriously ill and Tomoko’s family members not infected. Masao has continued his lectures on internet to China and for a monthly volunteer group meeting in Nikko while I keep having my class. In July we made a visit to Indonesian Embassy together with some members of our volunteer group to promote the beauty of Nikko nature and culture. November gave us the highlight season covering our place with autumn leaves and let us organize an annual home concert being careful about corona-infection. It turned to be successful and enjoyable. 

 Now at this moment, Japan is facing the 8th wave, which means we still have to be more or less controlled through to the next year to come. 

Wishing you Merry Christmas and a Happy New year, here I attached some pictures lined up seasonal order, so that I hope you can guess how we have been through the year of 2022.                              

                                 Thousands of love, Keiko and Masao Kawai

with grandchildren in May


with M's sisters and their spouses

visit to Ukraine Emb. for charity activity 

visit to Indonesian Emb. for Nikko promotion

Choir group (I belong to)'s performance for 10th anniversary 

with university students

home concert

monthly lecture for local people