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2022年4月24日日曜日

4月23日(土)WFWP春の集い(30th Anniversary)

 WFWP(世界女性平和連合)の春の集いに夫婦で参加

恒例の春の集いは、今年でWFWP創立30周年ということで、月刊機関紙「Our Story」の編集を22年間、編集長として勤められた小林久恵理事の講話が企画されていた。毎月送られてくるこの薄いが内容が濃くて深い雑誌を私は毎月愛読させていただいている。その編集長を創刊以来担当してこられた方はどんな人であるか、その方のお話が聴けるという。「WFWPと共に歩んだ月刊アワーストーリー編集に携わって」というテーマで、小一時間話された。内容は二つ。

 一つは平和運動を使命とする中で、たまたま中東地域の担当となり、平和の為に出会いの場を築こうと中東女性会議を立ち上げることに。イラン、トルコ、パレスチナ、ヨルダン、エジプトにイスラエルを加えたことにより、敵対関係にあるパレスチナとイスラエルの怨念の環境が収まらない。何度も中途で志を断念しようとしたこと。しかし、何度かの挫折を乗り越えて存続したところ、第9回目に大変化が。イスラエルを批判する側のヨルダンの参加者ムスティの話をイスラエル代表のジュディスカープが、受けて立つ器の大きな人であり、初めて怒りを感じないユダヤ人になったことに感激を受けた話。21回目では、国ではなく、息子を失った母親としての立場で出席した話。などなどいかに今日の合意に至ったかのご苦労と葛藤のお話であった。2020年、イスラエルとUAEは平和条約を締結して国交の正常化に向かう。いわゆるアブラハムの合意。ユダヤもアラブも元を辿ればアブラハムの家庭。正妻のサラと側室のハガルの二つの流れがユダヤ民族とアラブ民族になったのであり、それが原点に戻ったということなのか。平和の種を蒔く一心で、長きにわたり、この中東女性会議の設立に成功された尽力は計り知れない。

 二つ目は「Her story→Our Story」の編集に携わる中での3~400人もの人にインタビューをやってきた話。「会いたいこの人」「時代に咲いた人」の記事は奥深い。誰にインタビューするか、誰を取り上げるかは読者やスタッフからの要望、推薦、メディアでの評価などから選ばれたそう。以前、実際にご講話を聴き、お話も出来た鮫島純子さん(本年9月に100歳になられる)のお話もされた。鮫島さんの「何があってもありがとう」を肝に銘じて精進し、心に花を持って歩きたいというコメントが強く心に響いた。偉い人は偉ぶらない。人を説得しようとすると必ず、壁が出来、反抗が生まれるということ。立派な人は苦労をしているからこそ立派になられるとiうこと。「Our story」の編集長にお会い出来て、生のお話を伺えて、今日は素晴らしい日となった。


 ウクライナの厳しい状況の話もあったことから、私達の日光清風塾の講話会と支援募金活動のお知らせをしたところ、何人かの方から早速ご理解をいただいたことも忘れられない。


2022年4月21日木曜日

4月20日 ついに再度病院へ

 2月3日、翌日は冬季オリンピックが北京で開催されるこの時期に、左膝の痛みが気になり病院へ。レントゲン撮影した結果、加齢による老人性関節炎との診断。特に処置をすることもなくそのまま、何となく日常を過ごしてきていた。

 ところが、先週4月13日(水)、清風塾の役員交代を機に、我が家でご苦労様会としてBBQを開催。メニューの準備や外のセッティングを朝早くからスタートして時間に余裕を見ながらも、ぶっ続けで動いたことから、解散後足の具合がもう一つ。それでも一晩休んで、翌日は、予定通りに淳子さんご夫妻とゴルフ。少しチンバを引きながらの18ホールを全う。スコアは酷かったが、16000歩以上は歩いた。そのまま一週間が過ぎて、翌週の火曜日(19日)、今度は雨模様の中ゴルフを決行。久しぶりに渡辺氏も加わって、元気にスタートしたものの、4ホール目のショートホールで、カートに座ろうとして左脚に激痛が走った。そのホールは我慢してホールアウトしたが、もう痛くて動けない。そのまま自分はカートに座り込み、プレイメイト(主人と渡邊氏)には続行を願って最後までドライバー役で辿り着いた。3時ごろから雨は強くなり、そのまま帰宅。動けない中、主人が、「自分がやる」と言い続けて、夕食の準備をしてくれた。病気には深い思い入れがあって、これなら、ずっと病人で居ても良いのでは、などと勝手な世界を想像。とはいえ、痛みは本物で、この日は静かに布団に入ってしまった。

 そして、翌日、病院へ。主人が付添ってくれて、病院内では車椅子状態。車いすからの目線がいやに新鮮に思えた。予約なしの外来で登院したので、待つこと4時間。採血とレントゲンを撮り、診察を受ける。中年の男性医師、都丸先生?整形外科の先生は言葉遣いがはっきりしていて気持ちが良い。優柔不断な診察でなかったことは幸いだった。診断が早くて、主人が暗示する手術云々の意見には即、80歳越えると、手術は難しくなるケースがあること、その必要はないこと、炎症を起こして水が溜まっていること、今時点での対処方法として、痛み止めの投薬と湿布でよろしいという判断。ご自分は脊髄の専門で、膝の方の専門医に次回は診て貰うよう次回の予約を入れてくれた。病気は、医師と患者の信頼関係に大いに左右される。膝は常に筋力を落とさないようにストレッチを怠らないこと。痛みが無ければ、ゴルフはOK、というのが気に入った。ウオーキングもやり過ぎないことが注意点。今回は、元気印の慶子さんへのウオーニングだったと捉えて少し自重することにする。5週間後はどうなっているか。慎重に、でも、この状況をしっかり受け止めて前に進もうと思っている。人生いろいろ起こる。

2022年4月12日火曜日

4月に入って急に春めき、一挙に真夏日も

 4月7日、才子さんの銀座画廊・美術館での玉松会書展鑑賞に便乗して越中島時代の友人グループと再会。才子さんの書は82歳の手になるものとは思えないほど活力に満ち、力強くて逞しい美しさに感動しました。かな漢字は素人には読めない。自分で漢字を選んでかな化して、魔法じみているが、筆墨の強弱、バランス、空間の陣取りが、構成の美の追求に向かっている。読めない悔しさがある中、彼女の説明を聞いて納得。この大作でも筆は一挙に使い切るとのこと。熟練の技である。

斎藤茂吉の歌から  さやかなる 月の光に照らされて 動ける雲は峰をはなれず

1979年~83年までの4年間、越中島の合同宿舎に住んでいた時のご縁で親交が続く才子さん、啓子さんに2人が加わって2年ぶりに集い、銀座画廊から近い加賀料理の大志満で一寸セレブな昼食会を決行。コロナがまだ影響する中だったので、テーブルは二つに。松花堂弁当は可愛くて味も優れていた。QRコードで予約するとワンドリンクが付く。おかげで生ビールをグイと。お喋りは尽きない。2時間が限度なので、終わると地下鉄駅がすぐ前にある銀座街角のテラスに移動して延々とお喋りの続きを5時過ぎまで。大いに息抜きをし、刺激を受け、気持ちも新たに帰途についた。