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2019年12月30日月曜日

令和元年12月29日 再見!

クリスマス休暇に我が家を訪れてくれていた上海からの友人呉さんの家族と音楽家鄭先生(190cm)、4人の一行が5泊6日の日程を終えて東京へ。我が家でのホームコンサートを中心に、6年生の息子にはいろいろなことを経験させている。今回はスキーを初挑戦。2年前からは、ゴルフも。カリフォルニアまで行ってレッスンも取った由。ピアノ、サックスもやっている。学校はインターナショナルに行かせているので英語、中国語のバイリンガル、更には、母親の環境から日本語も少しずつ覚えてきている。子供の教育への投資には凄さを感じ、又、それに応えている息子も凄い。中国が発展する原動力は既にこうした子供時代からの人材育成にあるのかも知れません。ゴルフの話から、バウンスアングル(bounce angle)という言葉を初めて彼から教わり、目から鱗でした❣️

ホームコンサート 令和元年最後の企画(木)2019年12月26日)

令和元年12月26日(木)

上海からの友人家族が上海のサックス奏者鄭先生と共に年末の我が家を訪れてくれた機会を取らえて、既に大活躍の美しく優秀なバイオリニスト渡辺響子さんと、若さ溢れて留まること知らずの、エネルギッシュで高い感性と技術を備えたピアニストの大野紘平さんをお招きしての三人の競演を企画。見事なコンサートとなり、つつましいホームコンサートには勿体ないほどでした。宇都宮から、地元から、少人数ながら、音楽に理解のある愛好者や応援して下さる方々が参加して下さって、ありがたい一時を過ごすことが出来ました。
 会場設定、ビュッフェ食事の方は、慣れているようで毎回初心に戻った状態で(50年前の結婚の時、家族同然の親友ローズマリーからいただいたレシピーブックがいまだに手から離せません!)バタバタ時計とにらめっこしながら準備している自分を励ましたり、慰めたりしながらする私でしたが、コンサートが始まってからは、ゆっくり皆様と鑑賞することが出来、楽しめた

たことは最高でした。冒頭の主人の挨拶の中で、音楽は国際交流の貢献に非常に優れていることに触れ、三人の今後の活躍にエールを送っていました。この後、紘平さんは次のスケジュールの為に遅い電車で東京へ。忙しいスケジュールの合間を縫って我が家のHCを盛り上げてくれたことに改めて
                    感謝しました。


12月

12月中旬(2019)の満月の頃
この二週間は自分の時間を自在に使えるタイミングを捉えてアーバンエアーを吸いに東京へ。市川の孫との外出はインフルが猛襲していて叶わず、一人で「アナと雪の中の女王2」をコルトンで鑑賞。ディズニーの数々の新曲に耳を奪われ、映像の凄さに圧倒されて次の目的地へ。古巣の多摩に寄って翌日は外苑前で昔の越中島トリオが集結。ブランクだった30余年の星霜は関係無く、忌憚なくお喋りが出来るのが有難い。初めて新国立競技場を外から眺めながら、晩秋の銀杏並木の木漏れ日を満喫していた時、テレ朝の取材に出会い、10分程、別流のお喋りを。カフェレストランに寄りながら、約四時間、実に楽しい時間をシェア出来、最高のアーバンエアーを吸うことになり、目的を達成することが出来ました。

2019年12月18日水曜日

2019年シティライフ学シンポジウム 12月18日 於宇都宮共和大学

テーマ「とちぎ新インバウンド戦略ー地域資源でえおもてなし」
 宇都宮共和大学学長 須賀秀之氏の挨拶に続き三人の基調講演「外国人から見たとちぎの魅力とインフラ整備とは」がそれぞれ30分の持ち時間でスタート
1.「外国人旅行者が日本に求め、期待するホスピタリティ」ヒルトンホテルから三菱地
  所、パークホテルズ、社団法人日本ホテル協会会長を経て、現在ホスピタリティー専
  門学校校長の中村裕氏によるプレゼン
 ・日本の観光競争力はスペイン、フランス、ドイツに続いて今や世界第四位。
  これには理由が四つあるという。①価格競争力(リーズナブル)②サービス・インフ
  ラの向上③自然資源④国策としての観光優先度(2003年以降、leading industryとなる)
 ・DMO(Destination Marketing Organization)の話。気仙沼、大阪の例
  観光に興味を持つ市民を育てる。街全体を暮らしと仕事のテーマパークに。
 ・MICE(Meeting, Insentive, Convention,Exhibition)マーケット動向
  これらの施設のある所に集客、フルサービスのホテルとの連携
  宇都宮をコンベンションシティにすること。それをサポートするホテルが必須
 ◎とちぎは豊富な資源を持ちポテンシャリティが高いことを発信してほしい。
2.「リッツ・カールトン日光のホスピタリティ」中味はスペイン人、外見は日本人と自
  称はする細谷真規総支配人によるプレゼン。日光の豊富な自然を紹介したPRビデオは
  新鮮。(後で、パネルディスカッションで岡本副知事が紹介した県が作成したPRビデ
  オも好印象)リッツカールトン日光は2020年5月22日オープン、富裕層をターゲット
  にフルサービスで夢の滞在型ホテルを目指す。
 ◎Nature/Culture/Communityを強調。資源
  にプライドを持ってほしい。利便性の向上を図る。
3.「農村観光DMOによるインバウンド戦略」(株)太田ツーリズムCEOの藤井大介氏のプ
  レゼン。農村観光が既に走り始めている。個人旅行中心の農村観光が日本の最先端を
        行くことを願う。
    飛行場から農村へ直行し、古民家に滞在して、そこを拠点にしてあちこちの観光な
       り、体験をする拠点型(アパートメントタイプ)観光を目指す。ヨーロッパには宿泊形
       態は二つあり、B&Bタイプのルート型観光もあるが古い城を改造して滞在型アグリツ
       ーリズムが盛ん。

 第二部では上記講演者岡本副知事、音羽フレンチレストランのオーナーシェフ、宮地ア
 ンガスジャパン・ワールドリンクCEOも加わって意見、コメントなされた。




2019年12月12日木曜日

12月はコンサートの連続

 12月7日午前には私もメンバーとなっているカンマーコール女性合唱団の指導者、下司先生の栃木未来大使就任記念コンサートが昨年同様田母沢御用邸研修ホールで開催され、時間の関係で第一部だけ先生の歌を拝聴。いつもの先生のステージを楽しみ、そのまま宇都宮での別のコンサートへ。こちらは二十歳になったばかりのピアニスト大野紘平さんの教会でのクリスマスコンサート。カッチーニのアベマリアで始まったのには思わず感激でした。そのまま、ショパン、ベートーベンとクラシック曲が彼特有の柔らかいトークを交えながら進行。後半ではもう一人の浩平君のチェロが入って、いきなり、雰囲気ががらりと変わったデフォルメ的音楽ムードに。パフォーマーの熱いエンターテイナーとしてのサービス精神が噴出して、会場は大変な熱気に包まれた3時間となりました。音の世界を完全に自分のものとして、自由自在に操れる二人は凄い。彼らは、あちらこちらに引っ張りだこで、忙しい音大生。大変な将来が待っているに違いない。
 

そして、翌日の8日には森のフレンチAOYAGIで、渡邊響子さん、栗田智水さん、益子さんによるクリスマスランチコンサートに。これはクリスマスムードで演出されたレストランでの豪華で華麗で洗練されたパフォーマンスで、耳だけでなく、目にも刺激を受け、心が高揚するひと時に。フルコースのフランス料理の又美味しいこと。更に、全員に賞品が行き渡るくじ引きまであって、私は那須からの高級チーズセットの大当たり。ランチテーブルでは、前もお隣も初対面の人ながら、話も弾み、実に楽しい最高のコンサートでした。

2019年12月11日水曜日

第79回日光清風塾講話会「ノーベル賞と日本人」10月27日


近年は毎年のように日本からノーベル賞受賞者が出ている。これはアメリカに次いで受賞者の数としては世界第二位である。日本に人材が育っている証拠だが、いつまでも続くものではない。人材をどう育てたらよいのか。

 12月10日はアルフレッド・ノーベルの命日。彼の遺言に基づいて世界人類の発展に貢献した人に賞を出すということでノーベル賞は1895年に設立。ノーベルは翌年に亡くなっている。実際にノーベル賞がスタートしたのは1901年で、化学、医学、物理、文学、平和賞の五分野。経済学は後にスエーデンの中央銀行が提案設立し加えられた。当時スエーデンは激動の時代。19Cを通してノルウェーはスエーデンからの独立運動の真只中。ダイナマイトが戦争に使われる懸念もあった。それを恐れたノーベルはノルウェーがまだ独立する前に平和賞をオスロで授与することを発案。(パリ時代にノーベルの秘書、スタッフとして働いていたユダヤ人女性でオーストリア人のズットナー女史がノーベル平和賞設立の意見を出したのではないかともいわれている。彼女はヨーロッパで狂信的に平和活動をしていた人で、第四回目の平和賞を受賞している。)結果的にノルウェーは平和的にスエーデンから独立。ノルウェー人の平和趣向が根付く。平和は人が与えてくれるものではなく、自らが創るものという信念に基づき、PKO平和維持活動では何万人もの犠牲者を出している。

 受賞候補者はどういう経緯で選ばれるかは表には出ない。経済学に関しては日本ではあまり重んじられていない。日本人は金儲けの理論開発趣向ではないからだろ。

 文学賞、平和賞に関して、主観的な判断になるので、公平な賞とは言えないという意見がフロアからも出た。科学の分野は客観的に認められるが、この二つの分野では価値観の相違が相当に左右するから公平にはならないという。平和賞はノルウェーの考え方による。まだ結果が出ないものの世界平和に貢献する期待を持って平和賞を考えている。文学賞を受賞した川端康成の場合、ノーベル賞がそれまでの欧米偏重から脱する意図の上に、ペンクラブ会長だった川端康成がアジア、日本から推薦されたよう。文学賞も社会を変革する思想があるかどうかがポイントなのかもしれない。

ノーベル賞ほど権威ある賞は無い。世界中が注目する賞。日本の場合、湯川秀樹博士が第一号として物理学賞を受賞して以来、今日まで28人が受賞。昨年の受賞者本庄さん、今年度の受賞者吉野さんは二人とも、これからは、日本人は貰えないのではないかと懸念されえいる。つまり、中国の勢いに追い越されると。技術革新の下地となる特許申請数が今は中国が一位。研究の意欲が異なると。彼らはアメリカ追随で富を追求するが、日本の政府は民間の基礎技術開発に熱心。長期的に未来を見据えて投資し、人材育成を図る。目先の開発だけでは人材は育たないのでは。           

2019年12月6日金曜日

去る4日、旧知の2人の音楽家をお迎えして白鴎大の国際ホールでグリークの音楽公演が開催されました。ノルウェーからのソプラノ歌手 Bodilさんとピアニストの正木文恵さん。今回来日された機会を捉えて、白鴎大でノルウェーの在京大使の講演とグリークの音楽公演を企画。国際部の授業として実施されました。小山駅の真向かいに立派なメインキャンパスが建ち、学生達にとっても最高のアクセス。学長もご出席されて素晴らしい企画となりました。公演の後はお二人に我が家にお出で頂き、17,8年振りの交流が出来ました。夫の大好きなソルベーグの歌をもう一度今度は3人で!翌日は晩秋の日光をご案内。奥日光は既に雪景色となっていて驚きました。風景がノルウェーに似ていることから、 Bodilさんは大変親しみを感じられたよう。お昼は三楽さんで冷えた体を温め、デザートでご馳走になった美味しい山椒アイスクリームで体温調整❣️その後彼女達は一旦東京へ。明日は四国へ。お疲れ様でした!慌たゞしくも貴重で楽しい時間を過ごせたことに感謝です。花束が最終的に我が家でその余韻を残してくれています
❣️






2019年11月17日日曜日

日光東照宮美術館での假屋崎省吾の世界展を観て

11月16日(土)

ユネスコ活動の後、同じ山内にある東照宮美術館へ。假屋崎省吾氏の世界展というのを見て来ました。あれだけ国内外で活躍されている氏の世界に今まで接する機会が無かっただけに、このような紅葉酣のタイミングで観ることが出来て大変ラッキーでした。ダイナミックな宇宙観のある作品群は、背景にある横山大観や荒井寛方、中村岳陵画伯の襖絵と見事に協演し、迫力を持って迫って来る。絵の無い硝子戸越しには錦の紅葉が覗く。借景を巧みに誘い込む。
10作品異常はあったと思うが、それぞれに異なるアプローチで宇宙に迫って行くような圧巻さがありました。最後に、キオスクで10年前にお書きになった本を見つけ、ご本人に目の前でサインしていただくというサービスを受け、一寸目を通したところが、一気に読み終わる始末。この小さな本が又圧巻。人生の訓辞が溢れ流れ出す程詰まっていました。氏がピアノをプロと連弾される程の才能を持っておられることも知りました。ブレない夢を持ち、好きで努力出来て楽しみを知る。何だか人生のスタートラインに立たされた思いに。写真は一部友人のをシェアさせていただきました。
















11月9日

日光ユネスコ協会主催の第21回「絵で伝えよう❣️私の町のたからもの」展が日光杉並木公園ギャラリーで開催中。本日は当番で午前中当ギャラリーで約70名のお子様連れ来場者に接する機会を得ました。この小3の稔梨ちゃんは自分の作品を教えてくれました。実際に中禅寺河畔にあるイタリア大使館別荘記念館をスケッチして仕上げたという作品は見事に日光商工会議所会頭賞を獲得。誇らしげな笑顔がとてもか愛らしい。その脇には蒸気機関車「大樹」を描いた数々の作品に気に入っている弟の姿が。

11月16日 上の展覧会は本来下の輪王寺紫雲閣での表彰式があって展覧会が開催されるのが恒例であるが、今年は場所確保の問題から、順序が逆に。しかしながら、今回のスケジュールは理想的な結果的に。紅葉の時期とマッチングして、環境は抜群であった。
=日光世界遺産登録20周年記念
=日光ユネスコ協会創立20周年記念
行事として、第21回「絵で伝えよう、私の街の宝物」絵画展と「平和の鐘を鳴らそう」が本日、この秋日和の紅葉が輝く良き日に日光山輪王寺で盛大に開催された。表彰式の時の緊張感と喜びを秘めた子供達の様子は実に純粋で素直で、これこそ宝物でした。




2019年11月6日水曜日

令和元年文化の日連休



    11月最初の週末の連休は大忙しでした。楽しむためには苦労が必須ということを実感。2日(土)の昼に、名古屋から名古屋大学に短期留学している南京からの呉君と東京から上智大学に留学している杭州と大連からの唐さんと李さんが日光に到着。我が家で軽く昼食を取った後、夫が3人をまず東照宮に案内。翌日に大きなイベントを企画している関係で、私はその準備に大忙し。3人が我が家に泊まる態勢を整え、買い物に走る。今回、つくづく加齢による要領の悪さを実感。大量の買い物は避けるべし。買ったものを袋に入れ忘れているのを夜気が付いて、翌朝一番にお店に飛び込む始末。でも、日光人は善良な人ということを知って感激しました。袋に詰め残した3袋のトマトと1袋のみかんはちゃんと保管されていたのです。落ち込んだ私の心は復活して元気百倍に。初日の夕食はすき焼き。3人の学生さんたちは来日前の大学で日本語を勉強しているため、コミュニケーションはスムースで、いろんなお話が出来たこと、又、みんな大変優秀で、呉さんはピアノが弾けて翌日のコンサートでの出番のリハーサルが出来、2日目の夕食は唐さんが作ってくれたことなど、若い人達と実のある交流が出来、気持ちも大変盛り上がりました。彼女の料理の腕前には驚き、感心するばかり。関心があるということはこういうことなんだと納得した次第。

翌日は全部で20名のBBQ+ホームコンサート。BBQとは言え、焼くのは肉類、ソーセージ、特大生椎茸とピーマン程度で、他のサイドフードの仕込み、準備にかなり手をかける結果に。鮭寿司とおいなりさん。クスクス料理、ジャーマンポテトサラダ、真佐子さんがいろいろ野菜の入ったポテトサラダと大きなシフォンケーキ3個を焼いて差し入れをして下さったのが大助かりでした。そしておつまみの数々。でも、お客様が沢山の数々のお土産を持ち込んで下さって、BBQテーブルは溢れんばかりの大賑わいとなりました。

そして後半は室内でのミニコンサート。まだ音大生ながらプロ並みのピアニスト大野紘平君とオーストリアの国立音大大学院を修了して帰国したばかりのバイオリニスト渡邊響子さんを中心に、我々を含めて素人の音楽愛好者が参加して大変盛り上がったコンサートは大成功。東京から日諾協会のコーラス部の方々6人、宇大留学生3人、地元のピアニスト大嶋浩子さんの御母堂(浩子さんは質の悪い風邪をひかれてダウンされ、お母さまは午後に大切な予定があってBBQだけにご参加。)、建築家で写真家のもう一人の康平さん、そして我々。急にご都合が悪くてこれなかった方々もあったが、若い人中心の交流、それも音楽を通しての交流は、力があり、楽しさがあり、明るさがあり、文化の香りありで最高でした。

一つ残念だったのは上智大の李さんが体調が不具合となり、一晩休んで翌朝一番の電車で東京に帰って行ったこと。この時期、室内に入り込むカメムシにも恐怖を抱いて夜は一睡も出来なかった様子。こういうこともあることを今後の為にも肝に銘じておく必要ありでした。  数々の写真が今回の交流の意義を語り伝えてくれることだろう。

令和元年(2019115日 記

2019年10月19日土曜日

10月誕生月

10月は誕生月
歳を重ねても誕生日は何故か特別の日として特別な気持ちになるから本当に不思議。この17日は夫が生まれた日。地元氏神様が祀ってある春日神社はお祭り日で、何だか目出度い日であったそう。今でも東照宮の千人行列が行われる日。そして今年は人生節目の年齢を迎えたことを、郵送されてきた子供達からのお祝いの色紙で改めて心弾み感慨深い。3日後の20日は私の誕生日。この3日間だけ夫婦で喜寿を共有できる。誕生日が近いというのは便利でもある。郵送されてきた子供達からの心温まるメッセージが孫達のも一緒にのせて何倍にもなる。今までを振り返りながら、これからの頑張りにも拍車がかる。誕生日は「ありがとう❣️」をしみじみと言う日になる。今日は夫が不在のタイミングで、友人からのレシピーを入念にフォローしながらシフォンケーキに挑戦。焼きあがるのを待つ間のコーヒータイムにこの投稿を思いついた次第。


2019年10月3日木曜日

第78回日光清風塾講話会 「大きな曲がり角にある環境問題について議論しよう」9月28日


78回講話会要旨 「大きな曲がり角にある環境問題について議論しよう」

                   令和元年(2019)928



環境問題についての今までの議論

 1992年 リオデジャネイロに於いて第1回地球環境サミットが開催。

      気候変動枠組条約が批准されたが具体的なしばりは無かった。

 1997年 京都議定書 (1990年を基準値として具体的目標が決められた)

      何故途上国を入れなかったのか。中国の言い分は先進国の産業革命が原因。

(しかし、今や、途上国の排出量が多い。2008年中国の排出量は大幅に増加。)

 2015年 パリ協定。途上国も含めての削減協定だったが、米はトランプ大統領が脱退。

      対策停止の問題が問題を深刻化。最近は、トランプ政権と異なって、中国が

      対策をとる方向に動いている。

 2019923日大阪G20 海に沈むゴミの問題が深刻化。海洋プラスチック投棄の削減。



  気候変動について日本はトップを走っている立場にありながら、総理は国内の任務が優

先して出席せず。内閣組閣後日の浅い小泉大臣が出席。日本は率先して戦略(戦略策は閣議で決定されていた。脱CO2社会を2050年までに80%を目指すこと。G7では日本しかない。)をつくっていることを小泉大臣に発信して欲しかった。

  今やこの問題は子供が心配する状況になっている。(16歳のスエーデンの高校生、グレタ・トインベリー譲の紹介)途上国も努力する方向へ。トランプ氏だけが背を向けている。

中国→政策移行 米国→反対方向 

 日本はどうすべきか。日本は最先端を行くノウハウを普及すべき。これはビジネスチャンスと捉えて積極的にやるべき。気候変動はCO2 排出量だけの問題ではない。宇宙の動きだともとらえられている。環境に対する危機感がた高まっているのは確か。科学的議論もなされてきているが、国民が危機感もつこと。意識の問題でもある。新エネルギーについて日本は遅れを取っている。技術開発をビジネスチャンスととらえるべき。



 後半で宇大留学生の遅辰琳君がプレゼン。

 脱硫システムの日本の技術は高い。習近平主席に日本を見て貰うべき。

 海洋のゴミ対策。プラスチック層の話。プラスチックの地層は見える事実。

 京都議定書から今までの流れで日中韓が会合して海洋のゴミ対策を議論。もはや、日本からのゴミの輸入は禁止。しかし、中国ではゴミをどう処分しているのか地下に埋める→ゴミ地層 上海でのゴミ分別の実施例。まだまだ先は見えないが、中国がゴミ問題に前向きになっていることは確か。

2019年9月29日日曜日

令和元年9月28日(土)令和を祝う会

恒例の「パークアベニューで昼食を!」が今回は令和元年を祝って「令和を祝う会」と名付けて開催。東京でも一、二を競う本来のフレンチ料理レストランにメンバーの約3分の1が集いました。O大使ご夫妻の時に国連代表部でご一緒した方々がメンバー。一年ごとの集いなので、お久し振りです、が合言葉。一年はやはり長い時間が経っていると思ったり、昨日会ったばかりなのにという思いを持ったり。人の印象って勝手なもの。本来ご夫人の昼食会であったが、昨年から可能な方はご夫妻でという趣旨に変更。今回は11カップルと単独で参加された方が4人。レストランは京橋鍛冶屋通りにあるMEIJIビルの1階。幹事役の一人として今回は事前打ち合わせに来たことがあるが、エントランスがとても控え目で上品に出来ていて、知る人ぞ知るという感じで、初めての方は見過ごしやすいかも知れません。私達が国連代に居たのが1993年8月~1996年3月なのでもう25,6年前のこと。丁度雅子さまが皇太子さまとご成婚された時と重なる。もうそんなに昔のことになった?という感じがしています。でもこうして、当時お仕えした大使ご夫妻と当時のお仲間にお会い出来る機会に恵まれていることに感謝する機会があることを誇りに思い、大切に継続していくことを望んでいます。9月30日 記

2019年9月18日水曜日


77回 日光清風塾講話会要旨 「日中協力発展の可能性を探ろう」令和元年825()



今年初めに講話会で米中の経済摩擦、北朝鮮問題、ヨーロッパの分裂など世界大転換の時期到来を予測したが、世界が分裂傾向になり、状況は深刻化している。中国の米国に対する厳しさ以上に、米国の中国に対する厳しさは強い。その状況下にあって中国の対日感情が良くなってきている。日本と中国が一致する政策、それは自由貿易政策であり、双方にとって経済発展の土台となるもの。このままだと中国は西側から孤立する懸念も。中国は自由貿易で一致する日本と手を組むのが賢明。仲良くしたいメッセージが出てきている。昨年5月には李首相が来日、日本政府は北海道でおもてなしをし、友好ムードを産んだ。昨年10月には安倍総理が訪中、親日ムードは更に前進。今年秋の即位の礼には習主席が最も信頼をおく王副主席を送り込んでくる。そして、2020年、習近平主席の日本公式訪問が決まっている。

 そこで今回は一帯一路に焦点を置いて、日中協力発展の可能性を探ってみよう。日本は米国の保護貿易には反対であり、日本政府は自由貿易主義を守るために、二国間の問題として一帯一路に協力することにした。日中間に不安定要素はあるが、中国側の期待は絶大。

    1990年代の中国経済発展は自信を得ることになり、アメリカのような国を目指すことが夢に。日本はバブルが崩壊した時で、日本に頼ることなく、公的な傾向として自国で技術開発出来るようになり、日本への関心が薄れていった。しかし、規制のある中国だがSNS上で情報が入手出来、日本文化への関心は高まり、ビジターも多い。個人レベルでは日本へのイメージが良くなってきている。

 日本はどうすべきか。①チャンスと捉えて対米関係を保ちつつ中国との関係を良くしていくこと。アジア、世界の平和の発展に貢献出来る。②政治経済体制が異なるから一体化は無理だが、関係をよくしていく為に日中関係をリメイクしていく良いチャンスである。

 ここで宇大大学院を受験したばかりの中国からの学生が一帯一路についてプレゼン。

一帯一路とは何か。数十年かけて中国からヨーロッパへのシルクロードに投資を行い、発展途上国のインフラを確立して平和繁栄を期待。しかし、多額の投資をやり過ぎて債務問題が発生し、政治問題になってきていることも指摘。日本は協力に消極的だったが安倍首相が協力を昨年112日に表明。日本に対する期待が高まっている。

 ここで改めて塾長による一帯一路の解説に。2013年に打ち上げた一帯一路の狙いは①中国の経済圏の構築②TTPに対抗。先進国から締め出されることを懸念。③生産で国内需要に限界。莫大な余剰金を投資して交通網、工場団地などインフラ確立。ところが中国の国家予算で創ったものの運営が全部赤字となっている。そこで日本の発展途上国への援助政策の成功実績から日本への協力要請が。事前調査の重要性を認識。Feasibility Studyの重要性。商業的に成り立つプロジェクトかどうか調査した上でしかお金の貸し出しは行わない。国益中心で中国は金融業が未熟。AIIBは不安。IMFや世界銀行、ADBにたよることは世界経済に問題を及ぼすことになる。

 要はひずみが出てきているこの大プロジェクトに日本が事前調査のノウハウで協力することになり、今後日中関係の改善発展が期待されるところである。


敬老の日イベント 9月14日(土)~15日





 

三鷹にいる孫No.6の幼稚園での敬老の日のイベントに参加。近場の井の頭公園や動物園、更に歩いていける距離でのシャインマスカット狩りにも出向いてきました。取り立ての大粒のマスカットは味も見栄えもそれはそれは見事でした。

日光清風塾「日光裏街道歴史ロマンの旅第3回」 9月12日(木)

日光清風塾の楽しいイベント「日光裏街道歴史ロマンの旅」第3回目。明智光秀に焦点を当て、彼を取り巻く人間像、人間関係、表と裏、どこまでが史実としてとらえられるか、フィクションが蠢く歴史上最高に謎の多い人物だからこそのロマンの旅が広がります。地元民であり、幅広い研究と深い探求心に基づく古田秀夫さん(日光清風塾理事)のお話は参加者をロマンの世界に引き込ませてくれます。

細川珠生(細川ガラシャ子孫)さんの著「明智光秀」をもう一度読むことに。この本では、歴史上頭のいい悪役と位置付けられている明智光秀のイメージを払拭することに視点が置かれている。光秀がやった本能寺の変は天皇と国を護るための正義の戦いだったとしている。その動機がいろいろ論じられているが、文化人であり、知識人であり、教養の高い光秀が何故?という疑問は永久に存続するであろうし、その死に関しても、不確かなまま。後の天界僧正が光秀だという説については、この本では一行だけ軽く書かれているだけで、余り重くうけとめられていないのが残念。大方の人は光秀が天界僧正であると信じたいのではないだろうか。仮説を実証していくロマンの旅は実に面白いのだが、来年の大河ドラマはどのように脚色されていくのかが楽しみなところです。古田さんに来年2月頃にこのロマンの旅をナビしていただいて賑やかな議論が出来るのを楽しみにしているところです。
参道で60年以上も「鶯笛」を作って売っているというおじさまに初めてのご挨拶が出来ました。



昨日は夫と群馬へ。ブラジル料理フェジョアーダが食べたいというので次女おススメのレストランを探して辿り着いたら、「定休日」!別のお店が夕方から開くというので昼は群馬名物のうどん「お切りこみうどん」を食べようとしたところ、お店が見つからない。さすらっているうちに「手ごね屋」という店を見つけ、入ってみると細い綱のようなうどんに出会いました。辛旨煮キノコ汁をつけ汁に、何とも腰の強いうどんを入れ食べ応え大あり。辛くて汗タラタラ、でも旨煮汁の旨さは格別でした。満腹状態で急遽富岡製糸工場へ。かなりのドライブに。近代産業の原点を見て明治時代の人々の凄さを再認識。殖産興業を掲げた明治政府が力を入れ、日本近代化の幕開けとなった富岡の現地を見て、思いがけない今回のドライブを思いついたことに我ながら驚いている。大いに意義があり、充実したものとなった。和田英という女工が女工の生活を書き残した「富岡日記」が絹産業、ひいては日本の近代化に大きく貢献したことを始めた知った。設立指導者フランス人ブリュナの存在、レンガ製法を伝授して富岡で煉瓦が造られるようになったことも含め、器械製糸技術の指導、開発が相当に行われ、一時、製糸の輸出量は世界一だったという。明治の初めに操業開始され、昭和と共に停止されるまでの115年間、製糸操業がし続けられた製糸場である。2014年に世界遺産に登録された。明治時代の人がいかに優れて、エネルギーがあったかを感じ取ることが出来た。2時間程自由に見学して回り、再度太田市に向かう。7時頃ブラジル料理にありつきました。当初の目的を果たし帰宅したのが9時半頃。約12時間(正味7時間)の群馬へのドライブとなりました。距離的に東京まで往復した程かも。知、体、両方を刺激した一日となりました。




2019年9月1日日曜日

ホストファミリー大集合 2019年8月31日

今まで、日光清風塾企画のホームステイプログラムでホストファミリーとしてご協力いただいた方々とBBQお喋り会を決行。予報では雨ということであったが、幸い、程よい天気に恵まれ、留学生3人を含めて総勢18人が庭で賑やかに親睦を図ることが出来ました。2016年2月には南京から12名、2017年には2月と6月にそれぞれ浙江省から7名、10名、2018年7月に2度、それぞれ浙江省と南京から21名と7名、更に同年12月にインドネシアからの学生9名、そして今年6月には浙江省から8名と今まで7回実施。その都度、必死でホストファミリー探しに奔走し、ようやく一定数が得られるようになった。やって無事終わるとやはり頑張って良かったという思いになる。今回は宇大の中国人留学生が参加してくれたが、二部の室内でのコーヒータイムには、塾長が、ホームステイプログラムに辿り着いた経緯をPPを使って説明。今後の楽しい交流を期待。学生達は夜10時までゆっくりして、おしゃべりが尽きなかった。彼らと話していると、中国の若者の現況、学校環境の様子、家庭の在り方、文化など、いろいろ学ぶことが見えて面白い。夕食は、お昼のレフトオーバー、我が家の残り物のカレーで満足してくれた。