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2013年8月25日日曜日

薪能鑑賞 真夏の夜の夢 No Theater A night dream in the mid-summer

休憩時間に撮ったもの
薪能鑑賞

恒例の輪王寺三仏堂前での薪能を鑑賞する機会を得た。この異変づくめの天候に見舞われている時に、雨に降られなかったことは幸いであった。しかも、あの狂ったような暑さとはほど遠く、夜が更けるにつれて寒さを感じる程に気温が下がっていった。帰路の車中では暖房を入れる程に。
 演目は仕舞の雲雀山、能楽の半蔀(はじとみ)、狂言の昆布売、能楽の殺生石(せっしょうせき)。
 薪で厳かに照らし出された小さな舞台の上で幽玄の世界が繰り広げられる。半蔀の中の夕顔に扮する女性の姿とその衣装に魅せられ、殺生石ではその巨石の石魂になったという女性の衣装姿もさることながら、夜にはその真実の姿となって現れるう妖狐の姿に魅了された。ストーリーは別として、舞台に繰り広げられるスローな動きと地謡の美しく独特の響きが幽玄の世界を醸し出す。和製オペラという印象を持った。
 I had a chance to see the annual No Theater played outside by the firewood in front ot the main temple Rinnoji. Fortunately it didn't rain pusshing away our worry about the weather which has been so unstable these days. And it was rather cool and we needed a jacket to put on as it went into night. We put a heater on in the car back home.
 The stage lighted by two small firewoods produced a profound world and the players in beautiful and gorgeous Kimono costumes were revealed and attracted us effectively. The slow movement in such a dignity was inspired and encouraged by the choir in the back and aside with so beautiful harmony and dignitary melody and voice. No Theater might be interpretated as Japanese Opera.


2013年8月22日木曜日

日光ユネスコ活動 One of the activities by Nikko UNESCO Association

8月22日(木) August 22(Thursday)
 日光世界遺産周辺の環境調査モニターリングと称して日光ユネスコ協会は空気中の窒素汚染濃度NOx調査を年3回実施して日光市に提供している。日本ユネスコ連盟に加盟して日光ユネスコ協会は三つのボランティア活動(平和の鐘を鳴らそう運動、カンボジャに寺子屋を作る運動、そしてこの環境調査)を中心に行ってきているが、このモニタリングはその一つである。
 
 
 Nikko UNESCO Association has been conducting three main activities. They are ①Let's strike a bell for the peace ②Let's
support to establish local schools in Cambodia③Monitoring NOx around the World Heritage in Nikko. Today we held a monitoring NOx in which 6 students from two local high schools particitated as volunteers.
 

 最近は地元の高校生がボランティアとして参加するようになり、ユネスコの平和構築の理念が若い人たちに浸透していくようになってきた感じがする。2か月前の6月26日にも地元の高校で日光ユネスコ協会と高校生との交流会が行われたことをこのブログに記したところである。
 

It's wonderful to have such young students like them showing their concern with the concept of the establishment of worldwide peace proposed by the UNESCO.  Recently about two months ago, we had the firstn exchange meeting at one of those local high schools.
Refer to this blog dated on Nune 26.

 私は当協会事務局長が率いる班に加わって高校生6人と共に2時間かけて東照宮内の5か所にカプセルを設置して歩いたが、雑談も含めて少しずつ交流が出来ていくことを期待している。東照宮は神仏混合の許容の姿が見られる日本古来の文化の象徴であるというリーダーのお話は高校生に改めて歴史文化を学ぶ絶好の機会を与えたに違いない。

 I joined this time the group led by the secretary general of our association with 6 students from the local high schools. Walking together as setting monitoring capsules at 5 spots on the premise of Toshogu, taking about two hours, might produce a good relationship thanks to good atmosphere of chatting. The fact pointed by the leader that Toshogu is an ideal symbol of Japanese traditional culture representing the generosity overlooking the mixture of Shintoism and Buddhism. This explanation migh have given to the students a good opportunity to learn more sinserely about the history and the culture of this World Heritage of Culture and History.

2013年8月18日日曜日

悲しい出来事 A very sad happening

2013年のお盆は特別のお盆となってしまった。迎え盆の日に親戚での初盆のお手伝いが出来てホッとした翌日の朝早くに、訃報が届いた。8ヶ月もの間、病魔と懸命に闘っていた姪が逝ってしまったのである。48歳の若さで職場では中堅で一番活躍していた彼女には中三と小六の二人の男の子がいる。無念さと悔しさの中で、残された彼女の夫と二人の子供達の人生最大の悲しみを目の前にしてただただ悲しみに寄り添うことしか出来ない。ただ、看病し続けていた彼女の母親、つまり義姉であるが、その義姉の口から出た言葉が何とも励まされる。「彼女の人生は短かかったけど太くて、その中で力一杯、精一杯生きてくれた」 50%の確率で生きている私達である。生きた長さより、その密度というか、どれだけ本気で生きているかということである。姪は看護師として中堅的立場で責任感が強く、自分より、患者さんを優先していたという。いつも明るくあのスイートな声は誰からも愛されていたに違いない。お通夜、告別を通して、あのように多くの参列者をいただいた理由がわかった。3か月前に電話で話した時の彼女の声が忘れられない。ご冥福を祈りつつブログに思いをしたためました。
Bon season(the Buddhist festival of the dead) turned to be very sad this year. The first day of Bon gave me a chance to extend my help to one of our relatives who organized an open house to let his all relatives and friends pray for his wife who passed away 8 monts ago. Then the next morning rang our home telephone and a very sad news arrived. One of our nieces passed away early morning. She had been suffering from a cancer for the last eight months. She was only 48 years old, an experienced and able worker as a nurse. She had two boys, a third grader of a junior high school and a sixth grader of an elementary school. Facing the deepest sorrow given to her husband and two boys left behind, I couldn't do anything but just being beside them to share their feeling. In this atmosphere, what her mother( my sister-in-law) who had been nursing her daughter all through her struggle with disease to the last moment, said to me was very impressive and I was strongly encouraged. "Her life was short but very rich. In  her such short life, she stepped forward and tried to do her best. No regret."
We are surely living for 50% of safety. The quality of life depends on how we live, not on how long we live. Our niece as a responsible nurse, took care of her patients as her priority. She devoted herself to the others with her smiling face and sweet voice. She must have been loved by everybody. That's why so many people showed up in the funeral ceremony to express their condolences to her bereaved family on her death. Her sweet voice on telephone we talked over three months ago still remains in my ear. This blog is a Requiem for our dear niece.

2013年8月11日日曜日

この猛暑で何か変な現象が・・Something strange is happening around


まともな原画が何故か90度回転
してしまった。修正が出来ない
技量に落ち込んでいる自分です。
日光にいてさへ暑いのに、多摩はもっと暑いだろうなと思いながらも所要で出かけてきた。案の定、冷房なくしては寝れないほどの暑さを経験。今までにないことでした。元来多摩丘陵は風通しが良く、私達のアパートは最上階にあるので、窓を開けっぱなしに出来るメリットがあるのだが、今年は違う。窓を開けると夜でも熱風が入ってくる感じとなる。そして、アパートを取り巻く緑の木々が、ミンミン蝉に占領されている。ますます暑さを煽り立てるような彼らの大合唱がある一方で、はかない命を全うした死骸が路上までもころがっている。そして、木々の幹は生きんと必死で木の蜜を吸い取ろうとする彼等の行列で覆われている。普段気に留めなかった蝉の異常な姿を見て、鳥肌が立った経験は初めてである。
As even Nikko has been attacked by the terrible heat this summer, Tama area in the suburb of Tokyo must have been more attacked. However I was obliged to go to Tama for some duties and found the heat worse than I expected. The airconditionner has to be on all night, otherwise I couldn't sleep. We used to enjoy the location of our apartment which is on top floor of the complex built on Tama hill having a comfortable breeze coming in through our windows. But this summer the breeze is very hot even during the night. Then  thick trunks of green trees outside are feeding hundreds of cicadas and make them alive to produce their noisy chorus making us feel much hotter, while the same quantity of shells of cicadas lay still on the ground. This ecological phenomenon is quite different from the one used to before.  This is my first experience and I got a goose skin to see this big change.

2013年8月4日日曜日

日光清風塾第25回塾長講話会 The 25th lecture by the head of Nikko Seifu juku

日光清風塾第25回講話会が7月28日開催されました。
今回のテーマは「南京の大学生から見えた今の中国」

5月7日から二か月間、南京市の南広学院(The university of international communication of China in Nanking)に於いて教鞭を取り、帰国したばかりの塾長が映像を駆使しての講話会。会場からまず意見を聞き、提出された以下のような問題点を念頭に置きながら今回の南京での経験を踏まえての話は大変興味深いものであった。

①大学生と一般市民とのギャップ
②歴史認識の問題
③共産主義と教育
④日本への関心
⑤彼等が抱える問題

今まさに、難しい日中関係の真っ只中にありながらも、塾長が大学側から快く受け入れられ、学生達が塾長の講義から熱心に学ぼうとしてくれたこと、又、彼らと仲良くやれたことにむしろ塾長自身が感激し、感謝しているということが述べられた。二か月間の経験談と映像を通して、最後に上記の点についての総括がなされた。

中国の学生達は非常に良く勉強をし、中国の今の状況をよく理解している。中国が多くの国から嫌われているということや、インド、日本、フィリピン等と領土問題で対立していることも周知している。日本の大学生以上に携帯で世界の情報を把握し、日本の状況も良く知っている。中国の学生達は日本の政治の弱体化を知り、日本の電子産業が何故衰退しているのかとまで質問してくる。また、日本の自衛隊の演習が連日のように報道されていて日本の軍事力は強力だと理解している。経済的にも恵まれた家庭の子弟である学生達の知的教育環境がある一方で、人口の大部分を占める一般市民はまだ別の環境にあり、そのギャップは大きい。

若い日本人は近代史を余り勉強していない。中国のテレビは、連日抗日戦争の番組や、「日本の野心」という報道番組を長時間流している。安部政権の動きなどをフォローしている。

日本以上に資本主義国家かもしれない。中国を共産主義国家と定義づけるのは簡単すぎる。彼らにとって、日本は目標ではなく、弱肉強食、自由競争のアメリカのような社会を望んでいる。

塾長自身が南京の大学で歓迎され、大事にして貰えたことには大変感謝しているが、残念ながら、日本に対する関心は薄れてきている。塾長はかたことの中国をしゃべる度に、韓国人かと尋ねられたという。一人も日本人か?と言って来た人はいなかった。日本人ですかと尋ねたくないのかもしれない。韓国への関心は非常に高まっている。韓国製の携帯がその象徴。日本語専攻の学生にとっては、日本の小説、美しい風景といったことに関心を寄せているのに対して、英語専攻の学生はアメリカを目指し、ビジネス志向が強い。

中国は豊かになり、次には物作りだけでなく、中国人自身が革新的技術を産まなくてはならないと彼ら自身が考えている。将来のアジアについては大きな夢を持っている。素晴らしい未来があり、今世紀中に必ず繁栄を手に入れるという確信がある。そのためには平和が必要とも言っている。しかしながら、その豊かさは自分たちの手には届かないとも言う。就職難、環境汚染、健康保険制度の不備、住宅も手に入れるのは難しい等、沢山の悩み、問題を抱えているようだ。

 今回の経験を通して、今後も、中国との人的関係を育てることはいくらでも出来るという確信を持ったということ、彼らは大きなエネルギーを発揮しつつあるということ、今や携帯などに代表されるように、技術的には韓国への関心が高いということ、英語熱の高さはアメリカを向いているということなど、中国へのイメージを新たにし、新しい認識で中国と付き合っていくべきでなかいかというメッセージを感じた。自由競争の社会、弱肉強食の社会はアメリカと並ぶくらい中国にあるという視点は衝撃的であった。

2013年8月3日土曜日

一泊バスツアーに参加 A group bus tour

7月31日~8月1日
宿泊を兼ねた団体バスツアーに参加したのは何十年振りだろう。個人の旅行としては、いつも自由に気の向くままの旅をやってきたせいか、今回は少し緊張感があった。全国童謡サミットという横浜でのイベントに、私がこの4月からジョインしたコーラスグループが参加するというのがそのツアーの趣旨。わざわざ宿泊を兼ねたのは、観光も多少は出来るようにとの企画者の配慮があったからであろう。
 The first time in the tens of years, I joined a group bus tour including one night staying at hotel. Since I'm used to travel around all by myself up until now, I felt bit nervous this time. The purpous of this group tour is to join the Fifth National Summit of Songs for Children to be held in Yokohama.  The group leader who planned this tour has been very concerned with the menbers who might wish to have some free time to do either sightseeing or shopping in Yokohama more than the participation in the event.
会場となった横浜開港記念館
日光から早朝7時には出発したものの、途中渋滞に巻き込まれて目的地には遅れて到着。リハーサルの時間に間に合わず、結果的にぶっつけ本番という顛末に。しかし、60、70代の主婦は肝が据わっている。一見慌てているようで、実はどうにかなるという確信が体内にある。人生経験を無駄には重ねていないことがわかる。
 We left Nikko for Yokohama at 7 in the morning, but due to the traffic conjestion on the Metropolitan highway, we arrived at the place for concert much later than the expected time, therefore we missed the time for rehearsal. We ended up our performance with no rehearsal but with a great success.  Women in 60s and 70s have iron nerves and can do with determination. They look nervous or pretend to be nervous at the last moment but they have confidence, deep in their minds, of the success of their performance, in another word, they are impudent. That comes from their experiences piled up through their long life.


今回歌った童謡は、作詞(作曲ではないのが意外)が我々のグループの指導者によるものであり、作曲は一見可憐な大和撫子ながら、心には力強いエネルギーを秘めた女性によるもので、歌えば歌う程、従来の童謡とは異なるリズムが繊細な歌の文句を躍らせて非常に感情豊かなハーモニーを産み出してくれる作品。まさに「き・も・ち」と表題がついた本の中の6曲が歌われた。作曲された方も会場に駆けつけて、初公開のご自分の曲を聴かれた感想は「素敵に上品に歌っていただいた」と喜ばれ、団員はホッとした次第。実際に作品を作り上げた方の指導でこのように歌ったのは初めての経験であり、幸運なことである。終わった後の作詞作曲家の表情から、何とか彼等の思いに近いものが精一杯表現されたのではないだろうか。楽しく歌えるということが良い結果につながるものと信じている。
The lylics of songs we sang this time are made by the leader of our choir group, while melodies are by a Japanese woman who looks quiet and fragile but she is energetic with strong power in herself. As we practice to sing her notes, we understand that all her pieces are well composed with very rich and delicate feeling to produce a comfortable and enjoyable harmony of tones in a different way from conventional songs for children. The title of the book is "Ki.Mo.Chi" meaning" Feeling". The composer showed up in the hall and listened to our performance. "Thank you for singing our pieces in such a gentle and dignitary mood." was what she commented afterward. We were relieved with her kind comments. We were rather lucky and honored to be able to introduce their new pieces as the first performer. We tryed to keep smiling faces at least during our performance in order to attempt doing our best.

コンサート全般は真心が溢れ、素直で一生懸命さが会場を熱くした大変素晴らしいものであった。トップに立って指導されているひまわりのように燦々と輝く75歳の大庭照子先生のソロとトークは天下一品。60歳70歳は花盛りと歌われるそのお声の力強くて迫力のある舞台には会場全体が感動していた。童謡を次の世代に伝えていく使命が我々には託されているというメッセージを後押ししていかなければとつくづく思った。
The National Summit Concert was participated by 15 groups from Hiroshima on the west to Sendai on the east and as a whole it turned to be very successful encouraged by the great lady like a big sun-flower shinning under the clear sky who initiated this Summit, Ms.Ohba who performed her own songs and sweet but powerful talks with full of precious messages like "People in 60s and 70s are in full bloom! ". "We have to acknowledge our responsibility to convey those songs for children full of affectionate messages to the next generation." This action has to be kept going on and on...

一方で、自由時間はフル活用。早朝の散策、地元の人との触れ合いも出来たし、昨晩のクルーズの場所も再確認。横浜美術館でのプーシキン美術展にも何人かと一緒に足を運んだ。これも素晴らしいコレクション。ついでに横浜ランドマークビルにも入り、昼食をとったりしてホテルに戻る。預けた荷物を引き取って、待機中のバスに乗り込み、予定通りに帰路につく。そして帰路のバスの中は順繰り全員が指名を受けて感想を述べ、語っていくうちに、興奮と感動の中に埋もれて行き、バスは笑いと叫びで充満し、尋常ではなかった。みんな10歳ぐらい若返ったのではないだろうか。
The next day, I went out early in the morning to     walk around to enjoy a different air and feature.
Also did I make sure where we were last night. (We all choir members and the people concerned were on board "Royal Wing" for dinner last night to congratulate the successful event and to deepen our friendship. It was at Osanbashi but I couldn't understand exactly where we were. ) Osanbashi is named "Whale's back" constructed 7 years ago so as to be gentle for environement by using all woods for the floor. I found it just marvelous. If I lived nearby, I could come up here to have an everyday walk. Then I moved to Yamashita Park to find myself in the local people who are used to do exercise every morning listening to a small radio broadcasting
nationwide Radio Excercise program. Back in hotel, I joined our group to have breakfast, then I went to Yokohama Art Museum with some friends to see "Pousikin Art Exhibition" which was well organized and well displayed. I was happy to be able to enjoy the marvelous collection. Then in order to utize our free time left, we walked to Yokohama Landmark to do shopping or just window shopping and had lunch. Then we all walked down to our hotel to pick up our bags to get ready to go back home. As scheduled we were all set on the tour bus back again. I expected our return journey would be quiet to let us in sleep after such active behavior. On the contrary it produced a totally different world full of talks and laughs. The bus was almost exploded. It was after 9 at night when I got back   home safe.
何故か下の画像がついてまわって削除不可能。由緒ある建物だけにしつこい。