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2011年4月20日水曜日

文化の力

文化の力

(一輪のバラの話)
 毎日東日本大震災をフォローするニュースが報道されている。痛々しい話と復興の兆しが見えてきた話、内容は様々であるが、そんな中で、今朝は春の勢いを感じさせる取材の様子をテレビで見た。ある被災地で毎年住民が楽しみに鑑賞する桜の老木が津波を被ったにもかかわらず見事な花を咲かせ、避難している人たちがそれを観にやってきて感動している光景を見た。「凄い!この老木の桜が津波を乗り越えて又花をさかせている!感動だね。私達もね~。力を貰った気がする。」などと涙ぐんで話している。自然の力も凄いが、それを力にして励む人達はもっと凄いと思った。
 この話を夫にしたところ、彼は一輪のバラの話をしてくれた。これも凄い話で、共通するものがそこにはあると思った。1948年の6月、アメリカのマーシャルという高官がハーバード大学の卒業式の祝辞で述べた話だという。アメリカは戦後の復興支援に立ち上がり、日本は勿論、西側の自由主義経済復興強化を目標に旧西ドイツを中心にその復興に乗り出した。彼はマーシャルプランを立て、OECDの前身のOEECを設立することになるが、その準備努力をしている時、あるドイツ人の自宅で昼食会があったそうである。その食卓の上に一輪のバラの花が飾ってあったことが彼を激励することになった。戦後の混沌の中、バラの一輪を愛でる心の余裕を見て、マーシャルはドイツは必ず復興すると確信したそうだ。そこには文化があり、その文化の力を見て、彼はそう確信したという。
 今度の被災地で開花した桜に喜び、涙を流して立ち上がるエネルギーを感じた人達は、悲惨な状況の中にありながら、桜を愛でる日本人の文化と誇りをしっかり持っている。必ず復興は果たされると思った。
 

2011年4月11日月曜日

被災地訪問

被災地慰問
 
 4月10日、日曜日、朝7時。予定通り、日光清風塾より夫を入れて4人の有志が先遣隊として車で被災地相馬市に向かった。4月3日に行った塾長チャリティー講話会で参加者のご協力によって募られた義捐金132,300円を特製ホームメードの巾着にしっかり預かって出かけた。京都の木田安彦画伯より我が家に震災見舞いとして送られてきた水2ダースも被災地で使って貰うように一緒に。別途4人の一日分の食糧と水も用意して。 何故、日光清風塾(日光市の地域活性化のためのボランティア活動を行う任意団体で、塾長は現白鴎大学教授、元駐ノルウェー大使の河合正男)は相馬市支援活動をスタートさせたのか、その動機を理解するために覚書をここに記しておこう。  江戸時代末期、二宮尊徳翁は幕府の命により、飢餓に苦しむ日光御神領の立て直しに当たりました。その際、報徳仕法を学んだ何千人もの相馬藩士が日光地域の開削事業を助けに来てくれました。また相馬藩主から日光御神領に毎年5百両づつ10年間にわたり献金をいただきました。 今般の未曾有の東日本大震災を受け、日光市に在る日光清風塾としては、かつての相馬藩の御恩に少しでも報いたい考えです。 長期に亘るとみられる復興事業のため、今後相互に連絡を取らせていただきたいと考えます。  以上の趣旨に基づいて行動を起こした今回の先遣隊が無事に現地入り出来ることを祈って見送った。  一行は夕方6時半頃、夫からの連絡で戻ってきたことを知った時、想像していたより早く帰ってきたので、もしかして途中で、道路事情などにより諦念して帰ってきたのかと思った。予想していたよりアクセスは問題なく、3時間半で到着したとのこと。途中の休憩所では日本全国から警察の援助隊が向かっていることを目撃。九州から2日がかりで来て、4日滞在して、また2日かけて九州に戻るという。日本全国からこうして、援助隊が集まって救済活動をしていることを実感出来たということ。この時点で凄い動きを見てとったようだ。 現地に到着して、予め連絡をとっていた通りに市庁舎を訪ね、担当の方や相馬市長にもお会い出来たとのこと。市長自ら日光市民に向けて、義援金を募っていることへの協力を真剣に祈願しておられて、日光市長にそれを訴える手紙を託されてきた。市庁舎は健在で、行政もしっかり作動していてまだ他の被災地と比べると救われる思いだが、現場を見て、とにかく言葉が出なかったようだ。相馬市は天国と地獄に分かれているのをはっきり目撃。その境目は6号線のバイパスであるという。そこを境にして、無残な姿となった地域と家屋も損傷程度で残った地域と真っ二つに分かれている。今は、自衛隊が一生懸命に救済復興活動をしている段階である。避難所では県外から集まったボランティアが活動している。中でも、東京からのグループがラーメンを作って、無料で被災者に提供しているそうで、そこでは長蛇の列が作られている。被災者には心温まる話であり、ありがたい活動である。更に、自衛隊がブラスバンドで音楽を奏でている光景もある。自衛隊は、あらゆる角度から被災者を助け、心を癒していることがわかる。すばらしいと思わざるを得ない。長期戦故、きばらずに長く続けられるよう祈るばかり。  一行は4時間ぐらいの滞在で現地を実際に歩き(オフリミットのゾーンも含めて)、今後の支援の仕方を模索してきたようだ。 お疲れ様でした。

2011年4月2日土曜日

Big decision

Big decision - Trip to NYC

My husband and I made a small trip to NYC for 3 nights from March 24 to March 27. This trip schedule had been planned before this big disaster occured in the East Japan on March 11. We wanted to meet the very important lady, a senior vice president of MLB who had given a big support to our son when he was involved in WBC as a liaison officer. He did it for his internship, necessary subject to get MBA from SDSU. We wanted to show our appreciation and thanks to her. Then this big historical disaster made us hesitate to move on.

 However we couldn't miss this big chance taking opportunity of spring recess for my husband. Also we needed to feel and see the present mega-culture in NYC. It was our first time to be there in 15 years. The ground zero was very much activated. We stepped into the preview sight musium which impressed us very much. The memorial sight is now under construction and we felt a big power and energy there. Lots of people are working hard to establish a memorial sight to remember that big human disaster occured in September 11, 2001.

 We took subway this time wherever we went and walked a lot. The NYC subway system which is the longest in the world in terms of the length is easy and simple to understand. US$2.50 ticket makes us go to anyplace. Subway fare is just US$ 2.50 only. One ride costs US$ 2.50. Besides trains and stations are much cleaner and we feel safe and comfortable, very different from those we used to live back in 1993-5 and 1977-79. Very practical, effective, reliable and cheap. I would like to recommend to use the subway when our destination is clear. We went to Lincoln center twice this time for the opera Tosca and Romeo et Juliette. Everything is the same as used to be.

The Metropolitan opera world is everlasting there and the people are proud of it. Maybe the quality of the audience has been changed. More young people join the others, kind of classical and presitigeous. It is amazing to see them in full seats. A small portion of the audience is dressed up to enjoy opera as used to be. We were able to feel the sophisticated and intelligent culture.

Another amazing fact is the ticket reservation system. We reserved on internet before our departure from Nikko. We only brought the printed-out paper to the ticket gate where a staff checked with a barcode sencer machine. That's it! We walked around the broadway to find out gorgeous neonsigns and prosperous atmosphere with so many musical theatres. We chose "Memphis" before hand in Japan which was a good choice. We were very much impressed and the powerful performance just overwelmed us. Very enjoyable.

 Some people who noticed us Japanese showed their deep sorrow about the Tsunami and Fukushima nuclear power station's big disasters. Top news on TV focused on Lybia and Fukushima. Whole world is now watching Japan with big worry. I now feel like the world is unifying into the one. We hope the serious problem happening from nuclear station will be solved as quickly as possible. A big worry is now going on not only in Fukushima, its neighbors, nationwide but also international community. This is the worst case we have ever experienced ; the both natural and human disasters have strongly attacked the people in all over the world.

2011年4月1日金曜日

苦難の時

苦難の時 

 東北関東大震災は東日本大震災と命名された由。私たちが4年前に立ち上げた日光清風塾も今出来ることとして、急遽、相馬市からの要請に応えてペットボトル水、保存食品を集めて市の窓口を通して輸送したが、今度は4月3日の第五回塾長講話をチャリティー講話とし、東日本大震災義援金募金活動の一つとしてやることになっている。毎月第一日曜日に定期的に無料で塾長講話会を開いているが、4月からしばらくチャリティー活動にしようというわけである。「世界の原発事故」というのが今度のテーマとなっている。当塾の傘下にある私が友人と担当している「楽しい英会話クラブ」からも義援金を送付したばかり。 日光市と相馬市は二宮尊徳を通じて深い関係にあることを一寸記しておきたい。1853年幕府から飢餓に苦しむ日光神領の立て直しを命じられた二宮尊徳が真岡(東郷陣屋)から赴任して回村(日光、日蔭、西川、川治、小佐越、喜多蔵、大沢、小来川、古峰原、など)を始めたのが既に67歳の時。病の身であった。尊徳の門下生となっていた相馬藩士の富田高慶や斉藤粂之助、伊東発身、測量の大家荒千八などが同行して日光神領の開発事業を助けた。それに先立って財政破綻直面の相馬藩は門下生を通して報徳仕法を懸命に実践していて、相馬は再建に見事に成功。二宮尊徳の恩に報いるべく相馬藩は多大の支援を日光地域の開発事業に与え、今、水を得た今市(現日光市)には豊かな水田が広がり、飢餓に苦しんだ形跡は見られない。今度は日光市が未曾有の災害に苦しむ相馬に恩返しをする時であり、救済の手を少しでも差し伸べたいと考えている所である。今日のテレビ報道によると、義捐金はもう800億集まったとのことだが、受け皿側の仕分けが混乱状態で、早く配分出来ていないとか。各自治体の行政マンたちも、被災者でありながら懸命に対応しているのが本当に痛々しい。It takes time to get it well organized.