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2022年7月29日金曜日

日光清風塾月例講話会 2022年7月24日(日)

 100回講話会「アジア諸国との交流を深めよう」要旨 令和4724

これまで、日光清風塾が主催、イニシャチブを取ったアジア諸国との交流事業(東日本大震災後の風評被害対策として「大使館ウイークin Nikko」、未来への絆を築く集いとして「アセアン10カ国大使との交流会」、「東アジア大使RCEPとの交流会」、中国の学生や、インドネシアの学生とのホームステイを含めた交流等)、をふり返りながら、今や若い世代にこのテーマに真剣に取り組んで行って欲しいとの塾長の生涯の思いが強く伝わった。そのスタートとしてMISMulti-lateral Interaction with Students、アジア学生交流会)活動を手掛ける東大生、宇大生などが中心に動き始めているグループの中で、アジアとの学生とどう交流して行くか、いろいろ提言、指導に動き始めている。この時代だからこそすでにこのテーマを意識してネットワークで繋がるシンガポールの大学生などともオンラインで広くやれる。

 20代の若者たちの将来は難しい。戦争に直面する可能性があり、世界平和の問題を若い人達が彼らの問題として真剣に取り組まなければならない時に来ている。政府と関係の無い、しがらみの無い所で、学生がアジアの学生と共に立ち上がるべきというのがその趣旨である。若い人の純粋な気持ちでアジアの平和を守る平和維持活動である。東南アジアにおける日本のプレゼンスが後退している今、若い人たちがこの活動でプレゼンスを拡大すべきである。中国と話しをする関係も築くことが重要。日中が協力して東南アジアをサポートすべき。日本はお金ではなく、知恵で平和維持活動を。自分の利益の為ではなく、社会の為、アジアの為に。

アジアの将来は今、危険な状況にあり、米中戦争を起こさせないということは東南アジア全てが思っていることである。

2022年7月8日金曜日

2020年7月7日(木)日光清風塾がインドネシア大使館訪問

 コロナ禍の様子を見ながら、インドネシア大使館訪問の企画を立てるタイミングを見ていたが、そのうち膝のトラブルが重なって消極的になってしまっていた。しかし、イベントの企画は時間を要するので、とにかく、資料作りだけはとの思いで、PPT原稿作りに取り組み始めたのがついに5月末。プログラムは夫が大使館と連絡をとりながら、どんどん進めて行く。何回編集し直したことか。動画を入れる段になって、技術の乏しさに衝突。幸い、センターのMr.Shimazakiが大変親切に教えて下さった。動画の編集はノウハウが無くては無理だとわかり、わかるまで何回時間を貰ったことか。正直、今でも迷うところが多いが、とりあえず、形は出来た。それが訪問する一週間前。そこから、プレゼンの試行錯誤が出現。プレゼンをやってくれるMr.Kazamaに相談しながら、一寸、気を遣いながら、クラスでも実践し、別途センターでプロジェクターを借りて、指導して貰ったり、実に、詰めた緊張の一週間であった。書類づくりと参加者確保と書類の伝達、事務連絡作業を事務局長がてきぱきやってくれたことが幸いして、前向きにどんどん作業は進んだ気がする。最後のプレゼン練習をやったのが実に7月6日の本番の前日。おかげで、体重が減って、体調がすっきりしてきた。後は、天にお任せ。プレゼンテイターもひょっとして、O型?余り、神経質にこだわらないところがよかった。何とかなる、という思いでいるのがよくわかった。石橋をたたいて渡るタイプでないのが、こういう時はいいのかもしれない。

さて、7月7日当日の朝は爽やか。暑くもなく、雨も降りそうになく、いい予感がした。夫は前日に別のアポがあったため、前日に上京。それも私にとっては幸いした。自分だけに集中して、準備が出来た。当日の朝はメンバー仲間のMr.Sugawaraのご厚意で、下今市駅すぐ前の彼の邸宅の庭に車をおかせてもらった。もう一人、宇都宮からのメンバーと一緒に。そして、無事乗り込んだ7時45分発の電車には、日光から乗り込んだ仲間も居て、いよいよ出発の意気込みになる。みんなで、スラムを組んで出発進行!四谷駅で更に別の電車で来た参加者と合流して、無事29人全員が揃って5分の道のりを大使館に向かって進行。何だか、お祭り気分。

大使館では、初めてこういった場所に来たという人達にとっては、刺激的だったよう。三々五々、待合ホールで待機してもらって、プレゼンの準備設定のため、プレゼンテイターとプログラムが行われる9階に行き、パソコンの設定にかかる。Oh my goodness! USBを持参していて安堵する。つまり、パソコンは大使館のものが既に、音響などの機材と設定されていたので、持参したパソコンを使うのは無理であったのだ。音が小さかった動画部分の音響も調整出来ることがわかって、二度安堵する。

プログラムは予定通りスタートしたが、どうしても、予定よりを遅くなるもの。全部が終了したのが結局20分くらい遅くなったが、tidak apa apa! 上出来であった。大使は公務で大忙しで結局、お会いできなかったが、事前に、夫が大使館側に依頼して、大使のメッセージをいただいた。これは良かった。そして、公使参事官のMs.Meinartiさんがまず、ウイルカムワードを。そして、夫が、最初のサンキューリマークスを殆どインドネシア語でやってのけた。英語がその後続いたが、現役時代を思い起こさせるほど、立派なものであった。勿論事前の勉強、準備はしていたが、それ自体の姿勢が一向に衰えていないのには感心せざるを得ない。あの物事を実施する場に及ぶ時の態度というか、姿勢を維持するには相当のエネルギーを使う筈であるが、やわらかい表情でやってのけるところは、まだ、プロ意識が健在だと、つくづく感じいってしまった。これは、最後のお礼の言葉の時も同じ。

大使館側のプレゼンは慣れたもので、フリーハンドでスムースに親近感を持たせるほど、温かい、柔らかいムードの中で行われ、気持ちもほぐれる。そのご、いよいよ日光清風塾側のプレゼンへと進んだが、Mr.Kazamaはいつもの変わりなく、何とかなるという姿勢で臨んでいたようで、サポート役の私も気持ちが楽になり、プレゼンは滞りなくやってのけてくれた。後は、ギフトの交換(これも、嵩張る石屋の煎餅を4缶、日光か
ら運んでくれた仲間に感謝)、記念の集合写真撮影と進み、ビュッフェランチへ。ランチの時は、それぞれ、会話を積極的にする人もあったようだが、私はそこまで目が行き届かなかったものの、みんな楽しんだよう。終わりの頃に、参加していた2人の東大生(女性)の1人がMIS(Much more Introduction with Students)のプレゼンをフリーハンドでやってのけてくれたのは良かった。若い人たちがスタートしようとしているアジア諸国の大学生とのネットワークを広げて、将来の平和構築に進もうとしていること。これは夫の生涯の目標それ自体である。この活動を夫が軸になって立ち上げようとしている。まだまだ活動は続く。年齢の事は眼中に無い様子。プログラムを無事終えて、解散。皆それぞれ自由に帰路についたが、宇都宮から来てくれた洋子さん、由美子さん、副理事長の松尾さん、そして、いつも写真どりをして下さる手塚さんの4人で、伊勢丹のカフェに入り、2時間ぐらいお茶してお喋り。プログラムの余韻を味わいながら。下今市に到着したのが5時40分。丁度良い時間に帰宅出来た。夫は、東京で学生さん達と今後のことを話し合ったり、もう一つアポがあったため、帰宅したのは最終電車。ところが、下今市では降りて来ず、最終駅、日光まで行ってしまった!やれやれ。お疲れ様でした。

2022年7月5日火曜日

今年(2022年)の梅雨は異常

6月中旬に始まった梅雨は2週間で明けてしまった。7月を待たずに梅雨が明けて、入道雲が確かに目立ち始めた。ところが、台風の影響もあってか、7月初めから梅雨の戻りを感じさせる雨が続いている。高温度でじめじめした気候のせいで不快指数が高い。それでも、合間を縫って、ゴルフは週一で続ける根性はまだある、というか、夫のイニシャチブでハーフラウンドはするようにしている。確かにワンラウンドは難しいが、膝の調子も良い方向に向いているので、極力運動は維持して行きたい。

6月中旬から本格的にスタートしたPPT原稿作りは意気込みが出てくると編集に改良の意欲が出て時間の経過が驚くほど速い。自信がないまま作成し続けていた部分があったが、朝子に見て貰って、すっかり自信がついた。夫のコメントはいつもディスカレッジイングになるので、避ける部分があったが、こうして、エンカレッジして貰うと勇気と自信が出てくる。



話は前後するが、7月2日にはカンマーコールの10周年記念演奏が今市文化会館で無事開催された。暑い中、汗をかきながら、楽屋での洋服の着替えはつらかったが、各任務を担当するメンバーさんには頭が下がる思いであった。みんな、一生懸命に動き回っている。指示されて動いているとしても、活気に溢れて、みんなが協力する雰囲気にあるのが、このコーラスグループの特徴なのかもしれない。指示する人はその傲慢さに嫌われやすいが、リーダーシップの強さがあってこそ組織は動く。一見今回の演奏も成功したと言えよう。この演奏会の為に、長女の朝子が長女の明里(孫No4)と共に、遥々町田から来てくれた。そして、彼女の感想、コメントがまた励まされるもので、大いに自信を持った。その彼女が、私のPPT原稿を見て、元気の出るコメントをくれたのである。彼女の心の向き方、人に対する思いやりと心から感動してくれる対応にはいつも感心する。見習うべきといつも思う。